DREAM THEATER ~ Systematic Chaos に期待大

Dream Theater
 ついに6月にニューアルバム『Systematic Chaos』を出す DREAM THEATER。発言が遅くなりましたが、その曲目が発表になりましたね。全9曲かと思いましたが、8曲のようです(現時点で)。ジャケットカバーはまだ分かりません。前作は、ライナーを開くと8つの玉の間に5羽の鳥がいて、その配列が鍵盤の白鍵と黒鍵の順、あるいは、曲とSEの順番になっており、1つ目と8つ目(鍵盤でいうとFの音)が撥ねている、という意味深なものでしたが(8曲=4曲+3曲+1曲を表しているんでしょうか?また、5が8に閉じ込められているのもポイントの様ですが……)、今回のはどんなものか、早く見てみたいですね。
 さて、以下が曲目です。
1.In The Presence of Enemies Pt.1 2.Forsaken 3.Constant Motion 4.The Dark Eternal Night 5.Repentance 6.Prophets of War (→一部試聴できます) 7.The Ministry of Lost Souls 8.In The Presence of Enemies Pt.2


 それにしてもジョーダン・ルーデス加入以降の快進撃は目を見張るものがあります。特に、『Live at Budokan』『Score』のDVDは、何度見ても脱帽です。(現在、友達に貸し出し中につき、見たいときは覇次郎さんのブログで鑑賞しています)
 5th6th6th7th7th8thと、アルバムの最後の音で次のアルバムが始まる、という音の“しりとり”を続けてきた彼らですが、8thではアルバム内で完結してしまい、次なる Systematic Chaos で、どんな始まり方がするか、非常に楽しみです。
 音の作りといい、歌詞の内容といい、DREAM THEATER には「輪廻転生」的なメッセージが強いですね。特に、“The Spirit Carries On” の歌詞では、
If I die tomorrow I`d be alright Because I believe That after we`re gone The spirit carries on
と歌い上げるあたりは、完璧に「魂は引き継がれる」イメージですよね(まあ、それがアルバム全体のコンセプトなんですが)。そしてそれを、曲の冒頭の問い、
Where did we come from? Why are we here? Where do we go when we die? What lies beyond And what lay before? Is anything certain in life?
の答えとするあたりは、仏教的思想が伺えます。最近はそういう「なぜ生きる?」的なもたくさん出ているようです。
 さてさて、次なるアルバムもその影響が出ているのか?①と⑧の曲名を見ているだけでも、期待が高まってしまいます。
(p^-^)p

(参考) http://www.hvymetal.com/artist/138.all.html http://www.jordanrudess.com/


遠藤周作~沈黙

遠藤周作 沈黙
 毎週、仏教の話を聞いているという友達に紹介されて読んだ本ですが、遠藤周作といえばクリスチャンです。彼女がなぜこの本を勧めたのか、聞いてみると「暗いの好きだから」と笑っていましたが、実際読んでみて、なるほどと納得しました。これは、遠藤周作自身の、キリスト教信仰の崩壊を告白した小説ではないか、と思います。ちょうど、国木田独歩「祈らずとても、助くる神なきや」と叫んだように、「神は存在するのか」という悲痛な叫びが聞こえてくるようです。
 キリスト教弾圧の激しかった日本に、果敢に布教に乗り込む宣教師ロドリゴが目にしたのは、過酷な弾圧の実態でした。文章で読むだけでも身震いするような、恐ろしい表現が続きます。日本人を救う為にやってきたロドリゴは、その光景を前になす術もなく、神の奇跡を願うのですが、神は終始「沈黙」を保ったまま。そして、自分が棄教しない限り信者は許されない状況に追い詰められ、彼の苦悩は深まってゆくのです。  踏み絵の中のキリストに、「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかけられ、彼は踏絵を踏むことを決意するのですが、なおも心の支えを以下のような結末で表現しています。
自分は彼等を裏切ってもあの人(イエス)を決して裏切ってはいない。今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。
「信じる」とは、疑いの心を必死に押さえ込もうとしている姿に他ならないのではないか、と思いました。
 ひたすら暗く、重く、沈鬱な空気が終始充満している作品ですが、多くの人が読むべき傑作ではないかと思います。  信仰とは如何なるものか、考えさせられました。特に日本人は宗教的無知、無関心が指摘されていますので、私もこれから勉強してゆきたいと思います。次はドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』でも読んでみようかと考えています。
 ちなみに、仏教の信心について調べてみましたが、「平生業生」という言葉があって、生きているときに救われた自覚があると教えられているようです。詳しいことはこれから調べるとして、最後まで沈黙の神よりも、私には仏教があっているかも知れません。

(参考) 愛とまごころの書評 U田の感想文 「読書放浪」より ウィキペディア

モーツァルト~協奏交響曲変ホ長調 K364

モーツァルト協奏交響曲
 モーツァルトに名曲は数多くありますが、私は、中でもこれが非常に好きです。表面的には明るい曲調なのに、全体的にどこか寂寥に満ちた感じがするところに魅力を覚えます。寂しく、悲しい、暗い曲といえば、交響曲の25番40番ト短調の弦楽五重奏曲などが秀逸ですが、この協奏交響曲もなかなかの名曲だと思います。
 彼は天才なるが故に、凡人に認められない憂苦を抱えていたのではないでしょうか。映画『アマデウス』は、凡人の苦しみが描かれていますが、同時に天才の苦悩も感じずにおれません。そのフラストレーションを曲にぶつけた結果が、上記のような名曲となったのかも知れません。
 さて、この協奏交響曲ですが、独奏楽器はヴァイオリンヴィオラ。日頃ヴィオラを好んで弾いていたモーツァルトはこの曲にある仕掛けをします。その仕掛けとは……
  1. 独奏ヴァイオリンとヴィオラはほとんど同じ旋律を、まるで競い合うように弾き合う
  2. ヴィオラの調性を上げ(つまり半音上げチューニング)、ヴァイオリンに劣らぬ響きを出し、存在感を持たせる

 これにより、どんな効果が生まれたのか?これこそモーツァルトによる無言の上司批判!だったのです。
 当時、ザルツブルクコンサートマスターを努めていたモーツァルトは、雇い主である大司教コロレドと犬猿の仲でした。というのも、自由に、新しい発想で音楽をやりたいと思っていた天才モーツァルトにとって、彼の深い芸術性を理解してくれないコロレドは、目の上のたんこぶでしかなかったのです。しかも彼は、ブルネッティというヴァイオリニストが大変お気に入りで、ことある毎に彼を誉め、モーツァルトの芸術には目もくれないのです。
 息子を案ずる父レオポルドの手前、表だってケンカをすることも出来ず、モーツァルトは、ブルネッティのヴァイオリンと自分のヴィオラを比較させることによって、歴然とした実力の差を見せ付け、コロレドの鼻を明かそうとこの曲を書いた、という訳なのです。
 人は「天才」を羨み、あこがれますが、「変人と紙一重」と言われるように、一般人に理解されない宿命を背負わねばならないのも現実のようです。
 作家であれ、芸術家であれ、どんなに自信があっても自分の作品が認められないと、悲しいものですよね。下手すると創作意欲の低下につながりかねません。 「私の時代が来る」と言って、死後評価が高まったマーラー然り、天才とは悲しき存在なんですね。
 その点、他人の批評をひどく気にして何度も加筆修正したブルックナーは、可愛らしく愛着を感じてしまいます。



(参考) Mozart con grazia ウィキペディア うっちいの音楽箱! コロレド大司教はホントに悪者? 少年少女のためのモーツァルト物語

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