- 2007-05-28 (月) 0:09
- ★雑誌
もう過ぎ去ってしまいましたが、5月21日は親鸞聖人ご生誕の日で、浄土真宗では、どの寺でも5~6月に「降誕会(ごうたんえ)」という行事があります。“降誕会とは、親鸞聖人のご誕生をお祝いして開かれる法座のことです”と説明されています。私達も子供の頃に「誕生会」なるものをしたと思いますが、誕生を祝うということは、同時に、生かされてきたご恩を感謝するという意味もあるようです。
今月号は「恩徳讃のこころ」というテーマですが、恩徳讃とは、親鸞聖人の書き残されたご和讃です。
如来大悲の恩徳讃は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
「命捨ててでもご恩返しせずにおれない」と言われているのですが、生まれてきたことを祝う日に、「命捨ててでも」とはなんとも理解し難い気もしなくはありませんが、その点が詳しく説明されています。身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
そのポイントとなるのが、、、
「平生業成」という言葉ではないかと思いました。“平生業成”とは、人生の大事業が平生に完成するという意味です。人生の大事業とは何か、本書では豊臣秀吉の栄耀栄華を引き合いに出し、
権勢を誇り、わが世の春を謳歌しても、栄枯盛衰、盛者必滅は世の習い。人は最後、死んでいかねばならない。100%逃れる事はできません。死ぬ時に、「夢のまた夢」としか感じられないものが、果たして「人生の大事業」といえるでしょうか。
と説明されています。確かに死という不可避な問題を持ち出すと、この世のどんな偉業も、大事業も、決して私達を満足させてくれるものではないと知らされます。応仁の乱世を生き抜かれた蓮如上人の文章に、まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」
というのがありますが、では我々はどうしたら良いのか?欲を少なくして、物事に淡白になれば良いのか、と反論したくなりますが、「その臨終の嵐にも、絶対に崩れない喜び・満足を得ることこそが、人生の大事業なのだと明らかにされた方が、親鸞聖人なのです」と書かれてあります。それは『歎異鈔』には無碍の一道と言われ、今日の言葉では絶対の幸福ということだ、と説明されています。確かに、平生にそのような幸福になれるとするなら、「命捨ててでも」というのは大げさではないかもしれませんね。臨終の嵐にも崩れない幸せを得るのですから。
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