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とどろき ~ 平成19年8月

 8月といえばお盆、お盆といえば墓参り、墓参りの習慣は仏教から出ていると思いきや、意外や意外、「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」という言葉が紹介されていました。1から分かる浄土真宗というコーナーです。葬式は確かに、仏教から出ているものですが、その「こころ」が一般に思われているものとは違うようです。今月は「葬式・法事・墓参りの心がけ」というテーマで説明されていますので、以下、要点を書き出してみると、、、
①追善供養を否定された親鸞聖人
 世間では、「盛大な葬式をしないと死んだ人が浮かばれない」「墓も立派にせよ」「お経さまだけが死人のごちそうだ」などといわれます。また、そう教えるのが仏教だと思われています。
 ところが、親鸞聖人は、
「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」(歎異抄)“この親鸞は、亡き父や母の追善供養に一回の念仏も、一巻のお経も読んだことがないのだよ”と、びっくりすることをおっしゃっています。しかし、これがお釈迦様の教えでもあるのです。


②葬式や読経で死者は浮かばれない
 ある時、お釈迦様に、「長いお経を読んでもらったら、地獄に堕ちている者でも極楽へ往けると言う人がいるのですが、本当でしょうか」とお弟子が尋ねました。
 その時、釈尊は黙って小石を一つ拾われると大きな池に投げ込まれ、「この池の周りを、石よ浮かび上がれ、石よ浮かび上がれと言いながら回ったら、あの石が浮かんでくると思うか」と反問されました。「そんなことで石が浮かぶはずはありません」と答えると、「そうだろう。石は石自身の重さで沈んでいったのだ。人は己の過去に造った業によって次の世界に沈むのだ」とおっしゃっています。


③肉体の葬式より魂の葬式が大事
 では、死んで極楽浄土へ往けるかどうかは何によって決まるのでしょうか。
 それは「この世で弥陀の本願に救われているかどうかで決まるのだよ」と、親鸞聖人は教えられています。弥陀の本願とは、ジゴクから地獄の綱渡りを続ける私たちを、必ず絶対の幸福に助けると誓われた阿弥陀如来のお約束です。その弥陀の誓いどおり、迷いの魂の打ち止めをせられた人は「いつ死んでも浄土往生間違いなし」と大安心の身に、ただいま生かされます。この「魂の葬式」ができたならば、肉体の葬式や墓などは問題にならなくなると聖人はおっしゃるのです。


④葬式・法事・墓参りの意義
 ならば葬式や法事、墓参りは無意味なのかといえば、それは全く私たちの心掛けいかんにかかっています。
 多くの人が集まるこの機会に、亡くなった人をご縁として無常を見つめ、真剣に後生の一大事を心にかけて、一心に阿弥陀如来の本願を聞けば、みんなが本当の幸せに救い摂られるのですから、これほど尊いことはありません。それが亡くなった人の最も喜ぶことでもあります。また墓参りも先祖供養の習慣としてでなく、忙しい毎日の中で、世俗を離れ人生を深く見つめる得がたいご縁とさせていただくならば、有意義なものとなるでしょう。
 ということで、葬式・法事を否定されたというよりは、その心がけを戒めるために、あえてびっくりするような言い方をされた、と受け止めるべきなのでしょう。
 ポイントは、葬式といっても「肉体の葬式」と「魂の葬式」の2つがあるということでしょうか。「魂の葬式」とは聞きなれない言葉ですね。“迷いの魂の打ち止め”という表現もされていますが、魂は流転輪廻するのでしょうか?
 この「とどろき」ではしきりと“平生に人生の目的が達成できる”ことが強調されていますが、人生の目的達成したときが魂の葬式なのでしょうね。すると、その葬式は生きているときに済ませられるということで、それこそびっくりする教えだと思います。

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