- 2007-10-31 (水) 0:00
- ★雑誌
今は亡き、父方の祖母が浄土真宗の門徒で、小さい頃、よく親鸞聖人に関する書物などを見せてもらったことがあります。だから、おぼろげながらに覚えているのが『正信偈(しょうしんげ)』というものです。「偈(げ)」というのは「歌」という意味だそうで、確かに単調ながらもリズム感、メロディがあるように思います。昔は、朝晩の食事の前に、仏壇の前で『正信偈』を拝読しないとご飯を頂けなかったと何度か聞かされました。
その冒頭が
帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)
南無不可思議光(なむふかしぎこう)
というもので、TVの葬儀の場面などでたまに聞こえてきます。てっきりお経だと思っていましたが、お経ではありません。お経とは、釈迦が説かれた説法を書き残されたものですが、この『正信偈』は親鸞聖人が書き残されたもので、全く違うものです。
7文字×120行=840文字の漢字で書かれているので、はっきり言ってどんなことが書かれているか、相当の覚悟がないと読めないように思われます。その『正信偈』を毎月少しずつ解説されている「言葉の宝石 正信偈」も、今月79回を迎え、全体を俯瞰(ふかん)した説明がなされています。非常に分かりやすかったので、以下に要点を書き残しておきます。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)南無不可思議光(なむふかしぎこう)
「阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ、阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ」と、絶対の幸福に救い盗られた自らの体験を叫ばれたもの。二回同じことを繰り返されているのは、何度書いても書き足りない喜び、どれだけ言ってもいい足りない満足を表している。
法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)
乃至
必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)
救って下された阿弥陀如来の偉大な本願力を絶賛されているところ。
如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)
唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)
釈迦の説かれたことは、弥陀の本願以外にはなかったと断言されているところ。
その後、「釈迦がどんなすごい弥陀の本願を説かれていても、伝える人がなかったら、親鸞、救われることはなかったに違いない」と、インド、中国、日本の高僧方の教えを紹介され、功績を讃えられる。
龍樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅっとせ)
天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)
本師曇鸞梁天子(ほんしどんらんりょうてんし)
道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)
源信広開一代教(げんしんこうかいいちだいきょう)
本師源空明仏教(ほんしげんくうみょうぶっきょう)
インド:龍樹菩薩、天親菩薩
中 国:曇鸞大師、道綽禅師、善導大師
日 本:源信僧都、法然(源空)上人
↑
七高僧という
まとめて最後に「弘経大士(ぐきょうだいじ)・宗師等(しゅうしとう)」
その目的は「無辺の極濁悪(ごくじょくあく)を、拯済(じょうさい)する」ためであった。
「拯済」とは「救う」こと。「「弥陀の救いに導く」こと。
「無辺」とは、数限りもないということ。
「極濁悪」とは「極めて汚れた、悪に染まった極悪人」ということ。
「七高僧方が、身命を賭して弥陀の本願を布教されたのは、極悪の親鸞一人を助けるためであった。そのご苦労なかりせば親鸞、この身に救い摂られることはなかったであろう、なんと有り難いことか」という、限りなき感謝の表明。
道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん)
唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)
「人々よ、本当の幸福に救われるには、ただ、この高僧方の教えを信じてくれよ。弥陀の本願を聞きひらけよ。それ以外には、絶対にないのだから」と勧めておられるお言葉。
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