★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2007年12月17日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
とどろき ~ 平成19年11月
『下流社会』
という本が、良くも悪くも話題になったからでしょうか、「格差社会」という言葉をよく聞くようになりました。“1億総中流階級”という時代は過ぎ、「勝ち組み」「負け組み」という二極分化が進んでいます。
しかし、どんな境遇に生まれようと、どんなに社会が変わろうと、全人類に平等な事があります。それは1日は24時間であること、そして1日生きたらもうその日は繰り返すことが出来ないということです(相対性理論によれば、タイムマシンが、、、という話は抜きにして)。
世界の二大聖人、三大聖人と言われるとき、必ず名前の挙げられるお釈迦様は、悉達多太子(ゴータマ・シッタールタ)すなわち王様の息子として生を受けました。 幼少の頃から聡明で運動も万能、家庭教師が罷免を申し出た程だと言われます。才能にも、地位・名誉、財産にも恵まれた悉達多太子、今の時代を生きていたら超勝ち組み、セレブな人種に属する事でしょう。
ところが、そんな悉達多太子にも大きな悩みがあったのです。
そして、勤苦6年、35歳12月8日。
厳しい修行の末、悉達多太子は「仏」という最高無上のさとりを開かれ、仏陀釈迦牟尼世尊となられたのです。 以後、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、「老・病・死」がきても崩れない、本当の幸せを説かれたのが仏教だと言われます。釈迦の説法は、お弟子方によって書き残されました。それが「お経」です。その数7000巻余りにもなり、一切経と言われています。
「仏」と聞くと、死人のことを言っているように思われますが、本来は、老・病・死を超越した真理を体得した“さとり”のことを指すようです。
しかし、どんな境遇に生まれようと、どんなに社会が変わろうと、全人類に平等な事があります。それは1日は24時間であること、そして1日生きたらもうその日は繰り返すことが出来ないということです(相対性理論によれば、タイムマシンが、、、という話は抜きにして)。
世界の二大聖人、三大聖人と言われるとき、必ず名前の挙げられるお釈迦様は、悉達多太子(ゴータマ・シッタールタ)すなわち王様の息子として生を受けました。 幼少の頃から聡明で運動も万能、家庭教師が罷免を申し出た程だと言われます。才能にも、地位・名誉、財産にも恵まれた悉達多太子、今の時代を生きていたら超勝ち組み、セレブな人種に属する事でしょう。
ところが、そんな悉達多太子にも大きな悩みがあったのです。
ある時、虫をついばむ鳥が、さらに強い鳥に襲われるのを見て、自然界の弱肉強食の現実を知る。
「これは動物の世界だけのことだろうか」
(中略)
奴隷は市民に使われ、その市民に武士は権力を振りかざす。武士の中でも王族が最も強いが、常に大国の脅威にさらされている。弱者は虐(しいた)げられ、強者だけが生き残るのは、人間界も全く変わらないではないか。 「では、強い者は本当に幸せなのか」 金や権力がなければ苦しむが、有れば奪われはしないかとまた苦しむ。有っても無くても、苦しんでいることに変わりはない。世の矛盾を感じ、変わらぬ幸せがどこかにないものか、幾日も考え込まれる日が続いた。
また、「四門出遊」のエピソードは有名です。
気晴らしに城の東門を出ると、城内では見た事のない人に太子は遭遇します。顔にシワが寄り、歯は抜け、腰は曲がって杖をついて歩く老人です。「ああ、私は今は若く体力はあるけれど、やがてあのように衰える、老苦に合わねばならないのか」。太子は嘆きました。
また、南の門を出ると、道端でうめき苦しむ病人に出会います。「健康な体も、いつ病に襲われるか分からない」。
西の門を出たときは、葬式の列に出くわします。「生あるものは、必ず死に帰す。私もいつか死んで、あのように野辺送りされる日がくるのか」。
人間として絶対に避けることの出来ない、老・病・死の苦しみを知ったのです。
最後、北の門を出たとき会われたのは、法服姿の修行者でした。このとき以来、悉達多太子は老・病・死に直面しても変わらない幸福を求めたいと強く願われるようになったのです。そして、、、(中略)
奴隷は市民に使われ、その市民に武士は権力を振りかざす。武士の中でも王族が最も強いが、常に大国の脅威にさらされている。弱者は虐(しいた)げられ、強者だけが生き残るのは、人間界も全く変わらないではないか。 「では、強い者は本当に幸せなのか」 金や権力がなければ苦しむが、有れば奪われはしないかとまた苦しむ。有っても無くても、苦しんでいることに変わりはない。世の矛盾を感じ、変わらぬ幸せがどこかにないものか、幾日も考え込まれる日が続いた。
ある日、意を決し、父王の前に手を突いて出家を申し出る。王は驚き、
「お前はわしの跡を継いで、この国を治めねばならんのだぞ。何が不足でそんなことを言いだすのだ。望みは何でもかなえてやる。だから、城を出て行くなどと言わないでくれ」。
「父上、それでは申しましょう。私の願いは三つです。
一つは、決して老いない身になること。
一つは、決して病にかからぬ身になること。
そして、決して死なない身になること。
この三つの願いをかなえてくださるならば、出家を思いとどまりましょう」。
「ばかな!何と無茶なことを言うのだ。そんなことできるものか」。
父王はあきれて、その場を立ち去った。
(中略)
父王は、太子が怏々(おうおう)として楽しまない様子を見て、時節に適した四季の御殿を建てて、500人の美女をかしずかせ、昼夜歌舞を奏して太子を慰めようとした。 「私の考え過ぎなのか?この美しい女たちといれば、悩みも晴れるのかもしれない……」。
戯れの数年が過ぎた。
ある真夜中。ふと目を覚まされた太子は、周りを見渡して驚愕する。500人の女たちが、昼間の美しい容姿は見る影もなく形を乱し、眠りこけていたのである。 「ああ、だまされていた。この女たちの醜い姿こそ、本当の人間の姿なのだ」。 もはや居ても立ってもいられない。今こそ出家の好機なりと決断なされた。
時に悉達多太子29歳、2月8日の事でした。
(中略)
父王は、太子が怏々(おうおう)として楽しまない様子を見て、時節に適した四季の御殿を建てて、500人の美女をかしずかせ、昼夜歌舞を奏して太子を慰めようとした。 「私の考え過ぎなのか?この美しい女たちといれば、悩みも晴れるのかもしれない……」。
戯れの数年が過ぎた。
ある真夜中。ふと目を覚まされた太子は、周りを見渡して驚愕する。500人の女たちが、昼間の美しい容姿は見る影もなく形を乱し、眠りこけていたのである。 「ああ、だまされていた。この女たちの醜い姿こそ、本当の人間の姿なのだ」。 もはや居ても立ってもいられない。今こそ出家の好機なりと決断なされた。
そして、勤苦6年、35歳12月8日。
厳しい修行の末、悉達多太子は「仏」という最高無上のさとりを開かれ、仏陀釈迦牟尼世尊となられたのです。 以後、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、「老・病・死」がきても崩れない、本当の幸せを説かれたのが仏教だと言われます。釈迦の説法は、お弟子方によって書き残されました。それが「お経」です。その数7000巻余りにもなり、一切経と言われています。
「仏」と聞くと、死人のことを言っているように思われますが、本来は、老・病・死を超越した真理を体得した“さとり”のことを指すようです。
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「生」が1番苦しいかも?
だから、死刑制度は反対!(爆)
四苦八苦とはよく言ったものです。
根本的な苦しみを生・老・病・死の四苦とし、四苦に加え、愛別離苦(あいべつりく、愛するものと分かれなければならない苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく、憎んでいる対象に出会う苦しみ)、求不得苦(ぐふとくく、欲しいものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく、心身の機能が活発なため起こる苦しみ)の四つを加えて八苦という。
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コメント&解説ありがとちゃん
なるほど、そうとも言えるかもしれませんね。
生まれてこなければ確かに苦しむこともない、と。
そんな苦しみの人生を、真の幸福に転じ変える教えを釈迦は説かれたのだと思います。
う~む、なかなか深い哲理ですね。
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普通は、何百回と生まれ変わらないと
つかめない真理を、彼はつかんだと。
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釈尊が、求法太子といわれていた頃、
「私は今日まで過去無量劫の間、幾千万の生死をくり返してきた。しかも、そのいずれの時も、欲の為に死に、怒りの為に死に、愚痴の為に命を捨ててきた。未だ、法の為に命を捧げたことは一度もなかった。その為に、長い間苦しみを受け続け、一日として安らかな時はなかったのだ。
然るに今、私は真実の法の為に、命を捨てる絶好の機会を得た。今度こそ、真実の法の為に死なせてはくれないか」
おぉ、、、、(@。@)
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おぉ、、、、(@。@)
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とはこういうことなのかもしれません。
何をするのもその人の命、
何をしないのもその人の命。
今、この瞬間に、私たちは「寿命」という財産を消費していると言えると思います。
なんだかカタイやりとりになってきたので、
コメントありがとちゃん(^o^)ノ