とどろき / 平成20年5月

closeこの記事は 3 年 8 ヶ月 18 日 前に投稿されたものです。間違いに気づいたらその都度修正していますが、今読んだらおかしな点もあるかもしれません。ご了承ください。
 1173年5月21日……浄土真宗の祖師親鸞聖人ご生誕の日です。
 およそ800年前、親鸞聖人が京都にお生まれになったこの季節、浄土真宗では毎年、ご生誕を祝う「降誕会(ごうたんえ)」の法話が開かれます。親鸞さまなかりせば、到底知りえぬ教えを、知りえた喜びから催されるものです。
 幼名「松若丸」と知られる親鸞聖人は、4歳で父君と悲しい別れを、8歳で母君と死別されました。  9歳となったある春の日、伯父の藤原範綱(のりつな)に手を引かれ京都東山の青蓮院を訪れた松若丸。天台宗の座主・慈鎮和尚に「明日、出家得度の式をあげよう」と言われたときに詠んだのが
明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞きます。明日といわず、どうか今日、得度の式をしていただけないでしょうか
 松若丸の深い無常観に、和尚も感銘し、すぐに儀式が行われたといいます。
「いつかは死なねばならぬ」と誰もが知ってはいますが、「明日、自分が死ぬかも知れない」と思う人は稀です。「明日あり」と思う心は、明日になっても変わらないでしょう。「今死ぬ」と思わない限り、明日になっても「明日あり」、明後日になっても「明日あり」、100日後も、1000日後も「明日あり」、、、死ぬまで「明日がある」と思っているのです。いつか必ず死なねばならない人間が、いつまでも生きておれると思っているのが全ての人の、矛盾に満ちた偽らざる姿です。本当に「今死ぬ」と思ったら大変です[emoji:v-11]
 そんな、無常に鈍感な私達に「明日ありと思う心が仇になるぞ」と警告を発しているのが9歳の少年・松若丸だったのです。
 仏教は「後生の一大事に驚き立つところから始まり、その解決で終わる」と言われます。降誕会のこの季節、自己の人生を静観し、無常を見つめるご縁としたいですね。

[emoji:v-35] 無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり [emoji:v-35] 今死ぬと 思うにすぎし 宝なし 心にしめて 常に忘るな [emoji:v-35] 後の世と 聞けば遠きに 似たれども 知らずや今日も その日なるらん [emoji:v-35] 散る桜 残る桜も 散る桜 [emoji:v-35] 鳥辺山 昨日の煙 今日もたつ 眺めて通る 人も何時まで [emoji:v-35] 法の道 今開き聞け 明日はなし 出る息入る息 大無常 [emoji:v-35] 明日はなし 力を尽せ 今日限り [emoji:v-35] 死より確実なものはなく、死期より不確実なものはない。

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