★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2008年08月30日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
とどろき / 平成20年8月
8月も間もなく終わろうとしていますが、8月といえばお盆、お盆といえば帰省の季節です。[帰省|世論調査.net - みんなの声!]によると、思ったより「帰省しない」が多いのは意外な気がします(表1)。
意外といえばもう一つ。ガソリン代高騰の影響で、自家用車の使用は少ないと思っていたら、[今年のお盆休みは、車で帰郷しますか。|世論調査.net - みんなの声!]の回答では「車で帰郷する」という割合が圧倒的に多いですね(表2)。やはり帰省は、車内という閉じられた空間で、家族団欒しながらするのが望まれるのかもしれません。ここぞ!というときの、お父さんの家族サービスでしょうか。運転手さん、ご苦労様です。
(表1)
(表2)
さて、そのお盆。一般には「お盆になると先祖の霊が集まってくるから」と思われていますが、この時期に亡き人を偲ぶ風習は、実は別の理由からきているそうです。
意外といえばもう一つ。ガソリン代高騰の影響で、自家用車の使用は少ないと思っていたら、[今年のお盆休みは、車で帰郷しますか。|世論調査.net - みんなの声!]の回答では「車で帰郷する」という割合が圧倒的に多いですね(表2)。やはり帰省は、車内という閉じられた空間で、家族団欒しながらするのが望まれるのかもしれません。ここぞ!というときの、お父さんの家族サービスでしょうか。運転手さん、ご苦労様です。
(表1)
(表2)
さて、そのお盆。一般には「お盆になると先祖の霊が集まってくるから」と思われていますが、この時期に亡き人を偲ぶ風習は、実は別の理由からきているそうです。
お盆とはどういうことか、何をすべき時か 俗に、お盆といいますが、正しくは盂蘭盆(うらぼん)といいます。『仏説盂蘭盆経』から起こったものです。
この経には、お釈迦様の十大弟子の一人に目連尊者という人がありました。この人は神通力第一と称され、特に孝心の深い人でありました。その目連尊者が神通自在を得て三世を観ました時に、痛ましいことには、尊者の亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることが分かりました。 目連は深く悲しんで、直ちに鉢に飯を盛って母に捧げましたが、母が喜んでそれを食べようとすると、たちまちその飯は火炎と燃え上がり、どうしても食べることができないのです。鉢を投げて泣き崩れる母を尊者は悲しみ、 「どうしたら母を救うことができましょうか」 と釈尊にお尋ねいたしました。 その時、釈尊は、 「それは、そなた一人の力ではどうにもならぬ。この7月15日に、飯、百味、五果などの珍味を十方の大徳衆僧に供養しなさい。供養の功徳は大きいから、亡き母は餓鬼道の苦難から免れるであろう」 とおおせられました。 目連が、釈尊の仰せに従ったところ、母は、立ちどころに餓鬼道から天上界に浮かぶことができた。この喜びのあまり踊ったのが盆踊りの始まりだと言う人もあります。
盂蘭盆は、この目連尊者の故事から先祖供養の日となって今日に相続しているのですが、一体これは私たちに何を教えているのか、味わってみましょう。
倒さに懸かれる者とはだれか
ウラボンという梵語は倒懸(とうけん)ということです。すなわち「倒(さか)さに懸(か)かれる者」ということです。ですから『盂蘭盆経』とは、「倒さに懸かれる者を救う方法を教えた経」ということです。果たして、倒さに懸かって苦しんでいるのは目連の亡き母だけでしょうか。死後にだけ餓鬼道があるのではありません。 腹だけが馬鹿に大きく、皮骨連立の奇形動物だけを餓鬼だと思っていたら、大間違いなのです。 迷いを迷いと思われず、真実を真実と信じられず、迷いを真実と誤解して苦しみ悩んでいる者は、仏眼からごらんになると、皆倒さに懸かって苦しんでいる餓鬼なのです。 親鸞聖人は、 「世の中のこと、皆もって、空言・たわごと・真実あること無し、ただ念仏のみぞ、まことにて在します」 とおっしゃっています。 キリのある身命を持ちながら、キリのない欲を満たしてから仏法を聞こうと考えている大馬鹿者の、いかに多いことでしょう。皆、倒さに懸かっている者ばかりです。 だから、地位あり、財産あり、妻子ある者は、それらによってますます苦しみ、それらの無い者は、これらを求めてますます悩んでいるのです。 有るも苦なら、無いのも苦であります。無ければ欲しい、あっても欲しい、欲しい欲しいと飢え続け、渇き続け、ウラミ続け、のろい続け、満足ということを知らず苦しんでいる餓鬼ばかりではありませんか。一体、どこに真実の幸せを喜んでいる人がありましょうか。 一切の人々が真実の弥陀の本願を知らず、すべての考えがて顛倒していますから、四方八方ただ愁嘆の声のみが満ち満ちているではありませんか。これがまさしく餓鬼道の相です。物を求め、物を惜しみ、闘争諍乱(とうそうじょうらん)の世界。この深刻な現実の自己を凝視する時、餓鬼こそ自己の実相であることに驚くのです。亡き祖先の後生ばかりを案じて、わが身が餓鬼であることを忘れています。 お盆は、亡き祖先を救う日ではなく、今、現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて、未来永劫、流転せんとしている、わが身自身を救う聞法精進の日でることを忘れてはなりません。
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世論調査.netの運営担当をしております岩山幸洋と申します。
記事内で調査結果をご紹介頂いており、ありがとうございます!!
残念ながら僕は帰省できませんでしたが、
『わが身自身を救う聞法精進の日』。。
。。。これはひょっとすると実践できていたのかもしれません^^
9月には帰りたいものです。
今後とも世論調査.netをよろしくお願いします!
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コメント有難うございます!!
まさか、担当の方が見に来て下さっているとは、驚きました(^o^)
いろいろな結果が見れて面白いサイトですね!
今後も、ちょくちょく使わせていただきます。
仏教って、本当は亡者のための教えではなく、自分のために聞くものなんですよね。少しずつ勉強しています。
これからもよろしくお願いします。