★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2008年10月12日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
とどろき 平成20年9月号 / お釈迦さま物語(1)
先月号です(^^;ゞ
お釈迦さまといえば仏教。仏教といえば今日は葬式や墓参りのイメージが強いですが、教えられている内容は、生きている人間に「なぜ生きるか」「生命の尊厳さ」を教えた人生哲学です。
29歳で出家し、6年間の勤苦修行の末、仏という無上のさとりを開かれたのが35歳。以後、80歳で入滅されるまでの45年間、釈尊は教えを説かれました。
その中には、なるほどと思える喩え話や逸話が沢山残されています。以下は「修行者と少女」と題された物語です。
お釈迦さまといえば仏教。仏教といえば今日は葬式や墓参りのイメージが強いですが、教えられている内容は、生きている人間に「なぜ生きるか」「生命の尊厳さ」を教えた人生哲学です。
29歳で出家し、6年間の勤苦修行の末、仏という無上のさとりを開かれたのが35歳。以後、80歳で入滅されるまでの45年間、釈尊は教えを説かれました。
その中には、なるほどと思える喩え話や逸話が沢山残されています。以下は「修行者と少女」と題された物語です。
次号につづく!お釈迦さま物語
2600年間前、35歳で無上のさとりを開かれ、仏陀となられたお釈迦様の物語です。
人身受け難し(1)――修行者と少女
遠くからも目立つその屋敷は、周りの貧しい家々の中に、ひときわ重厚な門構えを見せている。修行者がこの家の少女と出会ったのは、ある暑い日の行乞の途中。あまりにのどが渇き、水を一杯所望しようと訪れたのだ。歓声をあげて往来を駆け回る子供たちの横で、彼女は一人、まるで罰でも科されているように玄関の前でうずくまっていた。まだ10にも満たぬ年ごろなのに、今にも消え入りそうな佇まい。彼は優しく声を掛けずにいられなかった。自ら水を運んできた少女の、子供らしい人懐っこさを湛えた瞳からは、年に似合わぬ悲しい色合いが見て取れる。“なぜだろう”。気にかかって修行者は、その後も門前を通るたびに、彼女に声を掛けるようになった。 ある時、近所を托鉢していると、供物を施してくれた主婦から、少女の母親がすでにこの世にいないことを知らされた。体が弱かった母親は、彼女を生んですぐに亡くなったという。仕事で成功した父親も、慈愛に満ちた優しい祖父母も、彼女にいっぱいの愛情を注いでいたが、母のない寂しさを埋めることができないでいるようだ。人生は、一つ持っていると思えば、ほかの大事な何かが欠けていることがある。完璧な生きざまなどはないものだな、と修行者は痛感した。だがその欠け目が、人を真実に向かわせる大きな勝縁になることもよく心得ている。どうかあの少女に仏縁あれかし、衷心から念ずるしかなかった。
その日も乞食に勤しんでいた出家が少女の門前を通りかかると、しゃがんでいる後ろ姿がいつもより小さく見える。どうかしたの、と彼は声を掛けた。 「今日はね、私、誕生日なの」 作り笑いを浮かべて、彼女は答えた。わざと明るく、彼は返した。 「それはめでたい日じゃないか。なのになぜ、そんなにうつむいているの?」 「だって、今日は悲しい日よ。私がお母さまを死なせてしまった日ですもの」 ハッとして修行者は自身の鈍感を恥じる。少女は続けた。 「私が生まれなければ、お母さまは死なずにすんだのよ。なのに何で私は生まれてきたのかしら、いつも考えてるの」 砂をいじっていた小さな手を、彼女はパンパンとはたいた。幼い心一杯に詰め込んでいた思いを見せつけられた気がして、修行者は胸が詰まった。 「なぜ生まれてきたか、その答えをしりたいかい?」 強烈なまなざしが、とたんに出家を射抜く。少女は瞳でうなずいた。 「人と生まれるのは大変に難しい。私の先生のお釈迦さまはこう教えられている」 「お釈迦さまが?」 「そう。私たちは人に生まれる前、そこらにいる犬や猫、森の中を飛び交う鳥や虫であったこともある。水を棲み処とする魚や、あるいは私たちには見えないが、人よりも貧しい餓鬼道や争いばかりの修羅界、最も苦しみの激しい地獄に生まれていたことも、一度や二度ではなかったのだよ、とね」 修行者は、目の前の砂を一つまみ、自分の親指の上に載せた。 「人間に生まれている者は、大変少ないのだとお釈迦さまは仰せられている。どれほどか分かるかい?この大地の土をあらゆる生き物すべてとするならば、ほら、この爪の上の土が私たち人間なんだ」 「こんなにちょっと?」 少女は目を瞠った。 「そう。お母さんが命と引き換えに与えてくだされたその体は、まことに得がたいものなのだよ。どれほど得がたいか、もう一つ、例え話を教えよう」 こう言って出家は、傍らの木片を手に取ると、地面に絵を描き始めた。
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