とどろき / 平成20年12月号 – 親のご恩のお話

closeこの記事は 3 年 1 ヶ月 13 日 前に投稿されたものです。間違いに気づいたらその都度修正していますが、今読んだらおかしな点もあるかもしれません。ご了承ください。
仏教を説かれた釈尊が『父母恩重経』に説かれているのが
親の大恩十種です。
  1. 懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
  2. 臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩
  3. 生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩
  4. 乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
  5. 廻乾就湿(かいかんじゅうしつ)の恩
  6. 洗潅不浄(せんかんふじょう)の恩
  7. 嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
  8. 為造悪業(いぞうあくごう)の恩
  9. 遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
  10. 究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩
の10の中から、今月は5番目の「廻乾就湿の恩」、 ……おねしょをした子供を乾いた所に寝かせ、自らは湿った所に休んでくださるご恩ですです。

廻乾就湿の恩


「水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁にも、乾ける処に子を廻し、湿りし処に己臥す。
(父母恩重経)
 今のオムツは性能がよくなりましたが、昔は、子供の寝ている間に排泄物がオムツから漏れ、布団がぬれることもよくあったでしょう。成長し、自分でトイレへ行けるようになってオムツを外しても、夜中におねしょをしてしまうこともあります。  そんな時、添い寝していた母親は、今までいた乾いた温かい所へ子供を寝かせ(廻乾)、自分は、子供の寝ていた湿った冷たい所に、一枚タオルでも敷いて休みます(就湿)。寒い夜も、わが子かわいさから自分が冷えることも我慢するのです。
恥ずかしながら(///o///)結構大きくなるまで夜尿症は治りませんでした(^^;
トイレに行く夢を見るんですよね┐(-。-)┌
我慢して我慢して、ようやくトイレにたどり着いて、
はぁ~(´ー`A 気持ちいぃ~
と思っていると、
うおぉ~!気持ちわりぃ~(*o*)
と。


気づいたときは後の祭り、腰の周りが生温かく、布団はびしょびしょ、、、(;_;)
母親を起こすか起こすまいか、悩むのですが、朝起きれば分かってしまう事です。
気持ち悪くてとても眠れないので、そ~っと白状。
「ごめんなさい m(_ _)m」


母も大きくなるまで寝小便が止まらず、祖母からかなり厳しく叱られたそうです。
そのためか、私に対し、怒ったことは一度もありませんでした。
それどころか、
「そうか、やってしまったか。寝小便の一つや二つ、しないようでは大物にはなれん」
と必ず言って、嫌な顔一つせず、寝床を代わってくれるのです。
その布団の温かいことは今でも忘れられません。


そんな母も数年前に亡くなりました。
この「廻乾就湿の恩」の話を読む度に、思い出します。
自分が母の立場だったら、同じことが出来るだろうか、考えずにおれません。
まさに「父母の恩重きこと天の極まり無きが如し」(父母恩重経)の通りです。





ちなみに、最後にやった寝小便はいつかというと、、、 内緒です。(・┰・)
最近ではありません(笑)























と書くと、「20代?」と思われたら悔しいので、、、










































小6です(ノ0\)

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