★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年02月21日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
白石一文 / 僕のなかの壊れていない部分(5)
白石一文 / 僕のなかの壊れていない部分(4)の続きです。
一時期、学校の校長先生が自殺する例が続いたことがありました。
校長に限らず、先生といえば子供を指導する人。
「頑張って生きなさい」と言わねばならない立場です。
いじめを苦に自殺する生徒が絶えず、
「どうか死なないで下さい」と懇願していた校長が、
責任の重さに耐え切れず、自殺する。
大人も子供も、共に苦しんでいるのだと思いました。
自殺する人は「死んだ方が楽になれる」と思っているから、自ら命を絶つのですが、
では、
「生きる権利があるなら、死ぬ権利もあって良いではないか」
「なぜ死んではいけないのですか?」
と問われたらどう答えればよいか、考えてしまいます。
「生きる」ことと「死ぬ」ことは表裏一体、切り離せるものではないと思います。
どうして僕は自殺しないのだろう?
生きていく上で、非常に大切な問いではないでしょうか。
ほのかの痩せた寝顔を眺めながら、彼女はしばしば死にたくなるのだろう、と思った。それは現代に生きている多くの人間たち、ことに彼女やかろうじて自分のような、まだ若いと呼ばれる者たちにとってはごく当たり前の現実に過ぎないのだろう。たしかにこの世界は、むろんいつの世も似たようなものだったにせよ、そこで生きるには余りに魅力に乏しいように思われる。だが、僕はきっとほのかほどには死にたいとは思っていない気がした。生まれてこなければよかった、という感覚は死を願う感覚とはさほど重なるところはあるまい。 ただ、昔から、「生まれてこなければよかった」とか「誰も産んでくれなどとは頼まなかった」とか「こんなことなら死んだほうが楽だ」などと口にすると、僕の数少ない体験では、親身になってくれる人ほど決まって、だったら死んでみろよ。と言ったものだ。それは少し考えてみれば、逆説的な効用を持つ言葉の最たるものだったし、そういう人は、最初にそれを口にしたあと、こちらの話を深く聴き取り、みずからの体験にまつわるさまざまな話を披露し、僕を懸命にそして賢明になぐさめ、あたたかく励ましてくれたのだった。 だが、僕は、そうした彼らの、当のその最初の言葉にいつも失望した。その後の彼らのどんな話もろくに耳に入らないほどに実は徹底的に失望したのだ。 だいいち「生まれてこなければよかった」からといって「じゃあ死ねよ」と言われる筋合いはない。仮に「死にたい」と訴えたとしても、そう訴える相手に対して「死ね」と言い放つ権利が誰にあるというのだろうか。 そんな乱暴な言葉を口ずさむならば、せめて、「だったら一緒に死んでやるよ」くらいのことは言ってくれてしかるべきだろう。 死にたいと言い募る人間を止めることはできない、死に魅入られた人を救うすべはない――などと俗に言うが、そんなことはない。1日24時間、手分けしてでもその人を監視しつづければ物理的に自殺は防げる。僕は常々、本来、自殺というのは激減させることができると思っている。減らせないのは自殺する人間の周囲にいる者たちが、妙な遠慮を働かせてしまうのが最大の原因で、その根底にあるのは現代に蔓延する西欧的個人主義崇拝の悪しき風潮であると確信している。私はほんとうに死にたいのだろうか?と私はほんとうに死にたくないのだろうか?という問いはどちらが重要であるのか、と僕はそのときほのかの寝息を耳にしながら考えた。いつかは必ず死んでしまう僕らにとって、後者の方がはるかに重要な問いであろうと感じた。あなたはほんとうに死にたくはないのですか? もしそうだとしたら、 その理由は何ですか?と問われたらみんなは一体何と答えるのだろうか? ぼくに限って言えば、自分にも他人にも対しても十分に説得的な「その理由」はどう思案してもひねり出せないような気がするのだが、愛する人や愛する家族がいる人達は、きっとその人達のために死にたくないと答えて、その先のことは何も考えないで適当に済ませるのだろうと思う。中にはもっと楽しみたい、もっと幸福になりたいから、などと「人の定め」と「その定めに至る単なる状態」とを混同してしまって、質問自体をはぐらかす人もいるだろう。そういう人は、自分が死ぬということから目を背けているのだけれど、きっと死ぬ瞬間にその分の多大なツケが回ってきて苦しむことになるに違いない。 ある医師の書いた文章によると、1998年以降3年連続で自殺者が3万人を超えており、これは戦後の自殺者急増第3期なのだそうだ。彼は書いていた。 <58年をピークとした第1期は、日米安保条約の改定を目前に控えた激動の時代であり、30歳未満の若者が全体の半分を占めた。第2期は83年から86年のバブル景気突入直前だ。このときも急増の原因は、この世代。98年から始まった第3期は、どの世代も増えているが、今度は、いま50代前半の団塊の世代が中心である> これを読むと、昭和30年代前半には、僕のような30歳未満の人々が年間に少なくとも1万人以上は自殺していたようだ。これは大層な数字だと、この文章を読んだときに僕は驚いた。正確に1万人だとしても1日に27人も死んでいた勘定になり、ということは実質的には30分に1人の若者が日本のどこかで必ず自殺していたことになると思ったからだ。 <ただ、第1期に見られた、30歳未満の若者が自殺者の半分を占めるという傾向は、以後は弱くなり、いまでは自殺者の10数パーセントにすぎなくなっている。若い人は自殺しなくなった> とも書かれていた。この部分を読んで、僕はなぜいまの若い人は自殺しなくなったのかを少し考えてみたが、その理由はよく分からなかった。 しかし、一方でそのときつくづくと思ったものだ。どうして僕は自殺しないのだろう?と。そしてその理由もそうやすやすとは見つからない、と僕は考えたのだった。
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