とどろき / 平成21年2月号 – 親子で語るしあわせのカギ ~ 与える人は恵まれるよ

closeこの記事は 2 年 11 ヶ月 15 日 前に投稿されたものです。間違いに気づいたらその都度修正していますが、今読んだらおかしな点もあるかもしれません。ご了承ください。
とどろき とどろき 平成21年2月号
昨日、 「Google & YouTube / コンテンツIDシステム & マネタイズ」 で引用した

幸せと不幸の分かれ道

地獄の箸と、極楽の箸は、どちらが長いか

と内容は重なります。 「与える人は恵まれるよ」。 「情けは人のためならず」のことわざの通り、 他人に親切を施したらそれが自分に返ってくる、ということは経験的にもよくあることですね。 反対に、人に悪い事をすると悪果が返ってくる( ̄口 ̄; 意外と単純そうで、でも奥深い真理かもしれません。 以下、平成21年2月号からの引用です。

親子で語るしあわせのカギ

与える人は恵まれるよ

休日、みんながくつろいでいる居間にお父さんも入ってきました。
ねえ、お父さん。この前話してくれた、ロクド何とかのことをもっと詳しく教えてよ。
「六度万行」かい?
健一から言いだすなんて珍しいわね。どういう風の吹き回し?
“まいたタネは必ず生える”と言うじゃないか。僕も善いことをして幸せになりたいからね。
まあ、素晴らしい心掛けね。長続きしてくれるといいんだけど。
たくさんの善を六つにまとめて「六度万行」と教えられているのよね。
そう、よく覚えていたね。「万行」がたくさんの善い行いのこと。それを、布施、自戒、忍辱。精進、禅定、智慧の六つにまとめられているんだよ。
うひゃあ、難しい言葉がいっぱい。
お経に出てくる仏語だからね。でも心配要らないよ。今日はまず「布施」について話をしよう。
“施す”っていう字が入っているわ。
そう。相手に何かを上げること、つまり「親切」のことだ。
人に何かを上げるのって難しいわ。もらうのは大好きだけど……。
まあまあ母さん、これはね……。
(ピンポーン)
おや?お客さんかな?
私、見てくるね。(しばらくして)わあ!おばあちゃんから、干し柿が届いたわ。
せっかくだから、いつもお世話になっているご近所にも、差し上げましょう。
えー、僕たちで食べればいいじゃない。
こんなにたくさんあるんだし、差し上げれば喜ばれるのよ。
そんなこと言って、前も愛媛のおじいさんが送ってくれたミカンを、ほとんど配ってしまって、僕の分が少なくなったもん。何かソンした気分だよ。
ははは、まあ健一の気持ちも分かるがね。でも心から布施をすれば、決して損することはないんだよ。
ええっ、どうして?
例えば、健一が干し柿を5つ持っていて、それを知子に2つ上げたら、手元に幾つ残るかな?
3つ。それくらいの計算、僕だってできるよ。
そうだね。でも仏教では、与えた健一も2つ増えて7つになる、といわれるんだ。
えー、どういうこと?
相手の幸せを思って何かを施せば、それに応じたよいことに恵まれるからだ。
そういえば、それ本当よね。ミカンのお礼に、隣のお宅から手作りクッキーを頂いたし、向かいのおじいさんは、畑で取れた大根を持ってきてくれたわ。
ふーん、そうか。じゃあ、さっそくご近所さんにこの干し柿を配ろう!今度はどんな物がもらえるかな?果物、野菜……ケーキだとうれしいなあ。
……あきれた。配る前から、お礼を期待してるなんて。
おいおい、見返りを期待するのは、心からの布施とはいえないぞ。施しは、心掛けが大切なんだよ。
へえっ、そうか。心からの布施が大切なんだね。気をつけます。
仏教は「自利利他」の教え、他人の幸せを願って与える人は、自分もまた恵まれる、ということなのね。

関連記事かも?

  1. とどろき / 平成20年2月
  2. とどろき / 平成21年1月号 – 1から分かる仏教講座 ~ 「私」ってどんなもの?
  3. とどろき ~ 平成19年3月号
  4. とどろき / 平成21年3月号 – 日本人の大誤解 ~ 「死んだら仏」のウソ・ホント?!
  5. とどろき 平成20年9月号 / お釈迦さま物語(1)

こちらの方が、より関連しているかも?

  1. とどろき 平成20年10月号 / お釈迦さま物語(2)  とどろき 平成20年9月号 / お釈迦さま物語(1)の続きです。 とどろき 平成20年10月号お釈迦さま物語2600年間前、35歳で無上のさとりを開かれ、仏陀となられたお釈迦様の物語です。 人身受け難し(2)――修行者と少女 生まれてすぐに母を亡くした少女は、なぜ自分は、母の命を犠牲にして生まれてきたのかと悩んでいた。修行者は彼女に、ある例え話を語り始める。 器用に木片を操り、地面に波を描く。修行者の絵は巧みだった。 「これは海。見たことあるかい?」  小さく少女はうなずいた。脳裏に、かつて父に連れられていった風景が浮かんだ。青い空の下、浜辺の木々をなぎ倒すような強風とはるか彼方から寄せては返す波しぶき。轟音が響き、強烈な潮の香りが鼻腔を刺激する――荒ぶる海の記憶が五感を通じてよみがえり、彼女は一瞬、顔をしかめる。出家は続けた。 「ある時、お釈迦さまは仰せられた。果てしなく広い海の底に、目の見えない亀がいる。その亀は100年に一度、波の上に浮かび上がるのだ、とね。亀って知っているかい?」...
  2. とどろき ~ 平成19年3月号  遠藤周作の『沈黙』でも少し述べましたが、最近仏教の勉強をしています。初心者にもわかる易しい解説書はないか、と探していた時に出会ったのがこの『とどろき』です。「仏教」と聞いて連想する、古臭さ、胡散臭さを一掃した、おしゃれな雑誌ですね。表紙の写真のようなイメージです。 「巻頭」は時事的内容を題材としているので、分かりやすく、スラスラと読めました。「へぇ、仏教って結構に身近な教えなんだな」と思いました。  今月のテーマは家族って素晴らしい~生きる喜びで結ばれる絆です。女の子とお父さんが手をつないでいる写真が大きく使われていますが、絵に描いたような幸せに、思わず心温まります。  ところが本文に入ると一転、「虐待」「親殺し」「子殺し」などの文字が目に飛び込んできます。理想と現実のギャップを否応なしに叩きつけられる感覚になります。  ここで、時間がさかのぼり、生まれてから今日まで、親から受けてきた「恩」について論じられます。恩を知れば、「世話しているのではなく、世話になっているのだ」「堪忍しているのではなく、堪忍してもらっているのだ」と感謝の心が起きると述べられています。  ところが、なぜ恩を知らず、悲惨な事件がおきるのか?原因を自分が生まれてきた意味、生命の尊さが分からないからだ、と論旨が展開してゆきます。  なるほど、自分が生まれてきたこと自体が喜べなければ、「どうして俺を生んだんだ」と恨むべきは“勝手に生んだ親”と言うことになってしまいますね。  そしてここから、ようやくお釈迦様が登場。親不孝な息子を持つ家庭を救う話が紹介されています。「王舎城の悲劇」と言われる出来事がそれですが、詳しくはアニメ映画になっているようですので、機会があれば見てみたいと思います。  最後、生きる目的が分からず、人間に生まれた喜びのない苦悩の根元・無明の闇を一念で破り、歓喜の生命を与える「弥陀の本願」によって救われた、と書かれているところは、難しいので詳しく学んでゆく必要があると思いますが、家庭悲劇の根本的解決は、仏教によるのが一番なのかなぁ、ということだけは、初心者の私にも分かりました。そしてそのキーワードは「人生の目的」である、と本書では訴えられていると思いました。 「巻頭」以降は、「蓮如上人」とか「正信偈」とか出てきて、日本史の授業を思い出しますが、マンガや平易な言葉遣いで説明されているので、抵抗なく読むことが出来ました。...
  3. とどろき ~ 平成19年8月 とどろき 平成19年8月号 8月といえばお盆、お盆といえば墓参り、墓参りの習慣は仏教から出ていると思いきや、意外や意外、「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」という言葉が紹介されていました。1から分かる浄土真宗というコーナーです。葬式は確かに、仏教から出ているものですが、その「こころ」が一般に思われているものとは違うようです。今月は「葬式・法事・墓参りの心がけ」というテーマで説明されていますので、以下、要点を書き出してみると、、、 ①追善供養を否定された親鸞聖人  世間では、「盛大な葬式をしないと死んだ人が浮かばれない」「墓も立派にせよ」「お経さまだけが死人のごちそうだ」などといわれます。また、そう教えるのが仏教だと思われています。  ところが、親鸞聖人は、 「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」(歎異抄)“この親鸞は、亡き父や母の追善供養に一回の念仏も、一巻のお経も読んだことがないのだよ”と、びっくりすることをおっしゃっています。しかし、これがお釈迦様の教えでもあるのです。 ②葬式や読経で死者は浮かばれない  ある時、お釈迦様に、「長いお経を読んでもらったら、地獄に堕ちている者でも極楽へ往けると言う人がいるのですが、本当でしょうか」とお弟子が尋ねました。  その時、釈尊は黙って小石を一つ拾われると大きな池に投げ込まれ、「この池の周りを、石よ浮かび上がれ、石よ浮かび上がれと言いながら回ったら、あの石が浮かんでくると思うか」と反問されました。「そんなことで石が浮かぶはずはありません」と答えると、「そうだろう。石は石自身の重さで沈んでいったのだ。人は己の過去に造った業によって次の世界に沈むのだ」とおっしゃっています。...
  4. とどろき / 平成20年2月 とどろき 平成20年2月号「親子で語る仏教講座」今月は第67回“何事も過程が大切”です。 “過程より結果が大事”といわれる事もあり、それはそれで正しい時もあると思いますが、ここで述べられている“過程が大切”というのは、それとは別の意味で“原因のないところに結果は起きない”ということでしょう。  良いことも悪いことも、“蒔いた種は生える、蒔かぬ種は生えぬ”というのが真理ではないでしょうか。  それを教えられた以下の小話は面白いと思いました。 ◆ ◆ ◆ 俊夫さん:近所でも評判の物知り父さん。仏法に詳しい 良子さん:いつも優しくユーモアたっぷり、健一の母 知子さん:健一の姉。大学生...
  5. とどろき 平成20年9月号 / お釈迦さま物語(1) とどろき 平成20年9月号 先月号です(^^;ゞ  お釈迦さまといえば仏教。仏教といえば今日は葬式や墓参りのイメージが強いですが、教えられている内容は、生きている人間に「なぜ生きるか」「生命の尊厳さ」を教えた人生哲学です。  29歳で出家し、6年間の勤苦修行の末、仏という無上のさとりを開かれたのが35歳。以後、80歳で入滅されるまでの45年間、釈尊は教えを説かれました。  その中には、なるほどと思える喩え話や逸話が沢山残されています。以下は「修行者と少女」と題された物語です。 お釈迦さま物語2600年間前、35歳で無上のさとりを開かれ、仏陀となられたお釈迦様の物語です。 人身受け難し(1)――修行者と少女  遠くからも目立つその屋敷は、周りの貧しい家々の中に、ひときわ重厚な門構えを見せている。修行者がこの家の少女と出会ったのは、ある暑い日の行乞の途中。あまりにのどが渇き、水を一杯所望しようと訪れたのだ。歓声をあげて往来を駆け回る子供たちの横で、彼女は一人、まるで罰でも科されているように玄関の前でうずくまっていた。まだ10にも満たぬ年ごろなのに、今にも消え入りそうな佇まい。彼は優しく声を掛けずにいられなかった。自ら水を運んできた少女の、子供らしい人懐っこさを湛えた瞳からは、年に似合わぬ悲しい色合いが見て取れる。“なぜだろう”。気にかかって修行者は、その後も門前を通るたびに、彼女に声を掛けるようになった。  ある時、近所を托鉢していると、供物を施してくれた主婦から、少女の母親がすでにこの世にいないことを知らされた。体が弱かった母親は、彼女を生んですぐに亡くなったという。仕事で成功した父親も、慈愛に満ちた優しい祖父母も、彼女にいっぱいの愛情を注いでいたが、母のない寂しさを埋めることができないでいるようだ。人生は、一つ持っていると思えば、ほかの大事な何かが欠けていることがある。完璧な生きざまなどはないものだな、と修行者は痛感した。だがその欠け目が、人を真実に向かわせる大きな勝縁になることもよく心得ている。どうかあの少女に仏縁あれかし、衷心から念ずるしかなかった。...
Filed under: ★雑誌  タグ: , , , , , , , , ,   charlie432 00:00
トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメントはまだありません »

コメントはまだありません。

コメントする





(一部のHTMLタグを使うことができます。)

    2009年2月
    « 1月   3月 »
     1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    232425262728