とどろき / 平成21年3月号 – 日本人の大誤解 ~ 「死んだら仏」のウソ・ホント?!

closeこの記事は 2 年 10 ヶ月 10 日 前に投稿されたものです。間違いに気づいたらその都度修正していますが、今読んだらおかしな点もあるかもしれません。ご了承ください。
早いもので4月になってしまいましたが、 3月号です(^^;ゞ
日本人の大誤解 「死んだら仏」 の ウソ・ホント?!
という巻頭ですが、 多くの日本人は、亡くなった人を「仏」という、と思っていると思います。 そこに、次のような問題が出されます。
「『死んだら仏』は  ウソではないが、ホントではない」  一体どういうことでしょう。
そういえば、4月1日はエイプリル・フールでしたが、 「ウソではないがホントではない」ってホント??? まず、仏さまとは、死んだ人のことなのか、検証されます。
もし仏=死人なら、仏教は「死んだ人が説いた教え」ということになってしまいます。死んだ人が教えを説けるはずがありませんから、仏=死人ではないことは明らかですね。
とすると、仏とは何か?という疑問が生じてきますが、 それについてこう説明されています。
 仏とは、「最高のさとりを開かれた方」をいいます。  一口に「さとり」といいましても、低いさとりから高いさとりまで、52の位があり、これを「さとりの五十二位」といわれます。  ちょうど相撲取りでも、下はふんどしかつぎから、上は大関、横綱まで、いろいろありますように、さとりにも、ピンからキリまで全部で52の位があり、それぞれ名前がついています。その52のさとりの最高のさとりの位を「仏覚(ぶっかく)」といわれるのです。これ以上のさとりはありませんから「無上覚(むじょうかく)」ともいわれます。  この最高無上の仏というさとりを開かれた方を「仏」とか「仏さま」といわれるのです。
なるほど(゚∀゚) でも、「さとり」って何?と思うのですが、(-”-)
 何をさとるのかといえば、大宇宙の真理です。真理といいましても、1+1=2といった数学的真理、水は高きより低きに流れる科学的真理などありますが、ここでいう真理とは、すべての人が本当の幸福になれる真理のことです。
全ての人が本当の幸福になれる真理とは? これは長くなるので省略して(^^; 「仏」とは何かについて、
 さとりをひらくことを山登りに例えますと、一合目よりも二合目、二合目よりも三合目と、登れば登るほど、見える景色は広がっていきます。そして最後、頂上まで登り詰めた時、辺り一面を見渡すことができるようになるように、最高無上のさとりである仏覚まで到達した方だけが、大宇宙の真理全てを体得することができるのです。  この仏覚を開かれた方を、仏といわれるのであって、死人を仏というのは大違いであると、お分かりでしょう。
はい。 つまり、「死んだら仏」はホントではないということですね。 では、ウソではない、というのはどういうことでしょうか。
 お釈迦様が生涯説かれたのは「阿弥陀仏の本願」一つでした。  親鸞聖人は29歳の時、その阿弥陀仏の本願によって救われ、「正定聚(しょうじょうじゅ)」(正しく仏になることに定まった人たち)の位に入ったと、すごいことをおっしゃっています。  正定聚とは、下から数えて51段目、あと一段で仏という位です。一度この身になったら二度と退転する(崩れる)ことはありませんから正定聚不退転(しょうじょうじゅふたいてん)といわれます。今日の言葉でいえば絶対の幸福といえるでしょう。  このように、阿弥陀仏のお力によって51段高とびさせられた体験を、「信心決定(しんじんけつじょう)」とか「信心獲得(しんじんぎゃくとく)」(信を獲る)といいます。親鸞聖人は、こうおっしゃっています。 「真実信心うるひとは  すなわち定聚(じょうじゅ)のかずにいる  不退の位にいりぬれば  かならず滅度(仏のさとり)にいたらしむ」  信心獲得した人は、生きている間は五十一段の正定聚、死ぬと同時に弥陀の浄土に往生できる。その時、あと一段上がって仏のさとりを開かせていただくのだ、と教えられているのが、親鸞聖人のみ教えです。  ですから「死んだら仏」はウソではありません。ただそれは、この世で正定聚(仏になれる身)になった人だけ、です。だれでも死んだら仏になれるのではありません。
いろいろ難しい言葉が出てきましたが、つまり、 誰もが 死んだら仏になれる という訳ではないが、生きている時に、 死んだら仏になれる身 になれる、ということですね。 だから、
“死んで仏になれるかどうかは、平生の一念に阿弥陀仏の本願に救われているかどうかで決まるのだ。早く「仏になれる身」(正定聚)になれよ”と生涯、教えていかれたのが親鸞聖人
だということです。

関連記事かも?

  1. 王舎城の悲劇(2)
  2. とどろき / 平成21年1月号 – 1から分かる仏教講座 ~ 「私」ってどんなもの?
  3. とどろき / 平成21年7、8、9月号 – 光に向かって
  4. 蓮如上人のお言葉 / 仏法には世間の隙を闕きて聞くべし(『御一代記聞書』)
  5. とどろき ~ 平成19年8月

こちらの方が、より関連しているかも?

  1. とどろき ~ 平成19年8月 とどろき 平成19年8月号 8月といえばお盆、お盆といえば墓参り、墓参りの習慣は仏教から出ていると思いきや、意外や意外、「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」という言葉が紹介されていました。1から分かる浄土真宗というコーナーです。葬式は確かに、仏教から出ているものですが、その「こころ」が一般に思われているものとは違うようです。今月は「葬式・法事・墓参りの心がけ」というテーマで説明されていますので、以下、要点を書き出してみると、、、 ①追善供養を否定された親鸞聖人  世間では、「盛大な葬式をしないと死んだ人が浮かばれない」「墓も立派にせよ」「お経さまだけが死人のごちそうだ」などといわれます。また、そう教えるのが仏教だと思われています。  ところが、親鸞聖人は、 「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」(歎異抄)“この親鸞は、亡き父や母の追善供養に一回の念仏も、一巻のお経も読んだことがないのだよ”と、びっくりすることをおっしゃっています。しかし、これがお釈迦様の教えでもあるのです。 ②葬式や読経で死者は浮かばれない  ある時、お釈迦様に、「長いお経を読んでもらったら、地獄に堕ちている者でも極楽へ往けると言う人がいるのですが、本当でしょうか」とお弟子が尋ねました。  その時、釈尊は黙って小石を一つ拾われると大きな池に投げ込まれ、「この池の周りを、石よ浮かび上がれ、石よ浮かび上がれと言いながら回ったら、あの石が浮かんでくると思うか」と反問されました。「そんなことで石が浮かぶはずはありません」と答えると、「そうだろう。石は石自身の重さで沈んでいったのだ。人は己の過去に造った業によって次の世界に沈むのだ」とおっしゃっています。...
  2. とどろき / 平成20年11月号 とどろき 平成20年11月号 今月の巻頭は「老いを生き抜く」です。  避けることの出来ない人間の苦しみを「生」「老」「病」「死」と説かれたのは、今から2600年前、インドで活躍せられた釈尊。これは現代の日本でも変わらぬ真実です。  その中の「老」。平均寿命が伸びたのは喜ばしいことですが、一方で進む少子高齢化の現実は深刻で、『平成19年版 高齢社会白書』によると、 「高齢化率は今後も上昇を続け、平成67(2055)年には40.5%に達して、国民の2.5人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来すると推計されている。総人口に占める後期高齢者の割合も上昇を続け、67(2055)年には26.5%となり、4人に1人が75歳以上の高齢者となると推計されている」 ということですから、看過できない問題です。  年金はどうなる? 社会保険はどうなる? と報じられない日はないと言っても良いかもしれません。国に守られ、地域で支え合う社会の実現が、望まれるところです。  そして、各個人においては、肉体の年齢とは関係なく生涯現役、常に若々しくありたいものです。  本誌には、このような素晴らしいオバアチャンが紹介されています。 山口県の紙野マサさんは96歳。一昨年の春から地元のケアセンターに入所しています。寝たきりですが、一日中、ベッドの上で、机に向かい、お経や親鸞聖人、蓮如上人のお言葉を書写し、本誌をはじめ仏教の書物を読んで過ごしています。月に何度か車イスに乗り、娘さんの介助で聞法に出掛けます。...
  3. とどろき / 平成21年1月号 – 1から分かる仏教講座 ~ 「私」ってどんなもの? とどろき 平成21年1月号( -_-)ノ ---===≡≡≡ 卍 (-(-(-(-(-h-)-)-)-)-)忍法丸写しの術 卍 ≡≡≡===--- ヾ(-_-...
  4. とどろき ~ 平成19年9月 とどろき 平成19年10月号 今は亡き、父方の祖母が浄土真宗の門徒で、小さい頃、よく親鸞聖人に関する書物などを見せてもらったことがあります。だから、おぼろげながらに覚えているのが『正信偈(しょうしんげ)』というものです。「偈(げ)」というのは「歌」という意味だそうで、確かに単調ながらもリズム感、メロディがあるように思います。昔は、朝晩の食事の前に、仏壇の前で『正信偈』を拝読しないとご飯を頂けなかったと何度か聞かされました。  その冒頭が  帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)  南無不可思議光(なむふかしぎこう) というもので、TVの葬儀の場面などでたまに聞こえてきます。てっきりお経だと思っていましたが、お経ではありません。お経とは、釈迦が説かれた説法を書き残されたものですが、この『正信偈』は親鸞聖人が書き残されたもので、全く違うものです。  7文字×120行=840文字の漢字で書かれているので、はっきり言ってどんなことが書かれているか、相当の覚悟がないと読めないように思われます。その『正信偈』を毎月少しずつ解説されている「言葉の宝石 正信偈」も、今月79回を迎え、全体を俯瞰(ふかん)した説明がなされています。非常に分かりやすかったので、以下に要点を書き残しておきます。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ...
  5. とどろき / 平成20年5月 とどろき 平成20年5月号 1173年5月21日……浄土真宗の祖師親鸞聖人ご生誕の日です。  およそ800年前、親鸞聖人が京都にお生まれになったこの季節、浄土真宗では毎年、ご生誕を祝う「降誕会(ごうたんえ)」の法話が開かれます。親鸞さまなかりせば、到底知りえぬ教えを、知りえた喜びから催されるものです。  幼名「松若丸」と知られる親鸞聖人は、4歳で父君と悲しい別れを、8歳で母君と死別されました。  9歳となったある春の日、伯父の藤原範綱(のりつな)に手を引かれ京都東山の青蓮院を訪れた松若丸。天台宗の座主・慈鎮和尚に「明日、出家得度の式をあげよう」と言われたときに詠んだのが明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは 今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞きます。明日といわず、どうか今日、得度の式をしていただけないでしょうか 松若丸の深い無常観に、和尚も感銘し、すぐに儀式が行われたといいます。 「いつかは死なねばならぬ」と誰もが知ってはいますが、「明日、自分が死ぬかも知れない」と思う人は稀です。「明日あり」と思う心は、明日になっても変わらないでしょう。「今死ぬ」と思わない限り、明日になっても「明日あり」、明後日になっても「明日あり」、100日後も、1000日後も「明日あり」、、、死ぬまで「明日がある」と思っているのです。いつか必ず死なねばならない人間が、いつまでも生きておれると思っているのが全ての人の、矛盾に満ちた偽らざる姿です。本当に「今死ぬ」と思ったら大変です[emoji:v-11]  そんな、無常に鈍感な私達に「明日ありと思う心が仇になるぞ」と警告を発しているのが9歳の少年・松若丸だったのです。  仏教は「後生の一大事に驚き立つところから始まり、その解決で終わる」と言われます。降誕会のこの季節、自己の人生を静観し、無常を見つめるご縁としたいですね。...
Filed under: ★雑誌  タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , ,   charlie432 00:00
トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメントはまだありません »

コメントはまだありません。

コメントする





(一部のHTMLタグを使うことができます。)

    2009年4月
    « 3月   5月 »
     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    27282930