★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年05月31日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
とどろき / 平成21年5月号 – 知らずに犯す悪と、知って造る悪とどちらが恐ろしいか
「ここひとつ聞きたい」
というコーナーに、このような質問があります。
知らずに犯す悪と、
知って造る悪と
どちらが恐ろしいか
過失でやってしまった悪と、故意にやってしまった悪なら、
法的には故意の犯罪の方が重いですよね。
未必の故意というのもあります。
では、無自覚に行っている悪はどうでしょう?
他人から罰せられるとか、罰せられないとか、そういう事ではなく、
「悪因悪果」ですので、悪い行いに対しては悪い結果が返ってきます。
知らずに犯す悪の恐ろしさは如何ほどか。仏教では次のように教えられています。
そういえば、小学生の時、蜂の巣を見たことがない友人がいて、 平気でその巣を素手でつかもうとしたところを、周りの人が慌てて止めた、 ということがありました((((((((ノ;゚ο゚)ノ 無知とは恐ろしいものです。 自分も、気づかないところでどれだけ恐ろしい悪を犯しているか、分かりません。 極力「廃悪修善」に努めたいと思います。知らずに犯す悪と、知って造る悪とどちらが恐ろしいか
仏教では、悪を悪と知らずに犯す罪のほうが、より恐ろしい結果を生むと教えられています。 例えて申しますと、開放性結核を自覚している患者は自分がタンを吐くことは、どんなに恐ろしいことかということを知っていますから、むやみやたらにどこにでもタンを吐くことを慎みます。 たまたま外出した時に不注意でチリ紙もハンカチも忘れて、やむなく路上にタンを吐いたとしても、この人はその行為が悪だと知っているのですから、以後の外出には必ず注意深くチリ紙を忘れずに持参することになりましょう。 そうすれば、悪を知っていて犯す罪の結果は部分的であり一時的なものでおさまります。 これに反して開放性結核にかかり排菌しながらも、それを知らない患者は何の注意もせず、至るところでタンを吐いて回ることでしょうから、その結果は広くて永続的なものになるのです。知らずに犯す罪の恐ろしさ
阿難尊者がある時、釈尊に 「知って犯す罪と、知らないで犯す罪とどちらが恐ろしいのでしょうか」と、質問をしたことが『ミリンダ王所問経』の中に出ております。 その時釈尊は、 「それは知らないで犯した罪のほうが重くて恐ろしい」 と、キッパリと答えておられます。 阿難がその理由を尋ねると、 「おまえは焼け火箸を焼け火箸だと知って握る人と、焼け火箸だと知らないで握る人と、どちらが重い恐ろしい火傷をすると思うか」 と反問されました。 阿難は即座に、 「それはもちろん、焼け火箸と知らないで握った人のほうが、よりひどい火傷をいたします」 と答えると、釈尊は、 「そのとおりである。人は自分のしていることが罪悪だと知らないために、いつもその罪を重ねることになるから、一層罪が重く恐ろしいのだ」 とお諭しになています。シュリハンドクの悟り
あの有名なシュリハンドクが、釈尊のおっしゃるとおり20年間黙々と掃除三昧の結果、チリやほこりはあると思っている所ばかりにあるのではなく、かえってこんな所にあるものかと思っている所に、以外にあるものだということを知り、 「私は愚かであると思っていたが、私が愚かなのは愚かだと思っているところばかりではなく、むしろ自分の気づいていないところにこそ、どれほど愚かなところがあるかわからないのだ」 と知らされて悟ったといわれています。 私たちも同じことで、私たちが悪だと自覚している悪は、まさに氷山の一角で知らずに犯している罪悪がいかほど重く、恐ろしいものであるかを、仏法の法鏡によってよくよく見せていただかなければなりません。
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