釈迦と親鸞(1)

closeこの記事は 2 年 8 ヶ月 12 日 前に投稿されたものです。間違いに気づいたらその都度修正していますが、今読んだらおかしな点もあるかもしれません。ご了承ください。
釈迦と親鸞
釈迦と親鸞
親鸞聖人に学ぶ集いに参加してきました。
会場の国分寺労政会館は、JR国分寺駅から徒歩約5分のところにあります。


午後からは、かなり激しい雨が降りましたが、
学生から主婦、おじいちゃん、おばあちゃんお父さん、お母さんまで、老若男女、
会場一杯の参加者でした。


演題は、
仏法は聴聞に極まるについて。
蓮如上人のこのお言葉の解説でした。
至りて堅きは石なり、至りて軟かなるは水なり、水よく石を穿つ。「心源もし徹しなば菩提の覚道何事か成ぜざらん」といえる古き詞あり。いかに不信なりとも聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候間、信を獲べきなり。只仏法は聴聞に極まることなり。
(御一代記聞書)
が、内容があまりに深すぎるので、ここには書ききれません(^^;

ただ、始まる前に、「仏法とは何ぞや?」的な10分ほどのお話があったので、
思い出してその内容をまとめてみました↓

阿弥陀仏の本願について

  • 「仏教」とは、「仏」の説かれた「教」え、ということ。
  • ここでいう「仏」とは、約2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまのこと。
  • 35歳で「仏」という最高無上のさとりを開かれてから、80歳でなくなられるまでの45年間、釈迦が教えられた教えを今日「仏教」と言われている。
  • その教えは「一切経」といわれるものに書き残され、7000余巻もの膨大な数になる。
  • 難しい漢字ばかりで書かれており、誰でも全部読めるものではないが、親鸞聖人は「お釈迦さまの教えていかれたことは、こういうことなんだよ」と、『正信偈』にこう書かれている。
    如来所以興出世 唯説弥陀本願海
    「如来所以興出世」とは、お釈迦さまがこの地球上に現れて仏教を説かれた目的は、ということ。 「唯説」とは、ただ一つのことを説かれるためであった、ということ。
  • 7000冊以上のお経があり、45年間も教えられたと聞くと、お釈迦さまは沢山のことを説かれたのだろうと思われがちだが、そうではない。
  • そう親鸞聖人は断言されているが、一切経を99%読んでも、残りの1%に何が説かれているか分からないので、このような断言はできない。これは一切経を何度も読み破られての断言。
  • だから、そのたった一つのことを聞けば、仏教をすべて聞いたことになり、仏教の全てを知ったことになる。その唯一つのことほど大事なことはない。
  • 親鸞聖人は、それこそ「弥陀の本願」であると仰っている。
  • 「弥陀の本願」とは、阿弥陀仏の本願、阿弥陀仏が本当に願っていられること。その御心は大変広くて深いので、海に譬えて「本願海」と言われている。
  • 阿弥陀如来について、蓮如上人は
    ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば
    と『御文章』にハッキリ教えられている。
  • 「三世十方の諸仏」とは、大宇宙にまします数え切れないほどの仏方、 「本師本仏」とは、先生ということ。 阿弥陀如来という仏は、大宇宙の仏方の先生にあたる。
  • 地球上に現れたお釈迦さまも大宇宙の仏のお一人で、阿弥陀如来とお釈迦さまの関係は、先生と弟子ということになる。
  • 弟子の使命は、先生の御心を一人でも多くの人に伝えること。だから、お釈迦さまも45年間、阿弥陀如来の願っていられる御心(阿弥陀仏の本願)以外には教えられなかった。
  • 親鸞聖人90年の生涯も、弥陀の本願以外に教えられたことはなかった。


ということで、では「阿弥陀如来の本願」とは?
と聞きたくなりますが、それについては長くなるので、また機会があれば[emoji:v-222][emoji:v-411]

仏教で教えられていることは、唯一つのこと
というのがポイントですね。

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