- 2009-06-26 (金) 0:00
- む:村上春樹
いやぁ~~~、、、(  ̄_ ̄)。o0○ (深いため息)
非常に良かったです。
ラストは幻想的ですねぇ。
それと、
青豆の大仕事の前、直前、その後の描写は緊張感にあふれ、
心臓の鼓動が高まる興奮を持って活字を追っていました。
今まで読んだもの(数は少ないですが)の中で、かなり上位に来る本です。
示唆に富んで「考えさせる」側面と、
理解できなくても、良いと「感じさせられる」側面があったように思います。
ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる
It’s a Barnum and Bailey world,
Just as phony as it can be,
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me.
"It’s Only a Paper Moon"
(E.Y.Harold & Harold Arlen)
とは、『BOOK1』目次の前の、扉の言葉。
は美空ひばり ver ですが、
「紙で作られたはりぼての月」が象徴的に描かれています。
お互いに引き合い、一方が他方を内包すれども、
まるでねじれの位置のように交わらない、、、
つくりものと、本物の交錯する物語。
自分が今生きている世界とは如何なるところなのか?
自分が今見ているもの、考えていること、はどれだけ確かなことなのか?
どこまでが現実で、どこからがフィクションなのか?
同じものを、他人は同じ様に見えているのか?
立場を変えると、見方はどう変わるのか?
「空白」を埋め合わせるために、何かを求めて生きているのに、
その「何か」とは何か?
など、考えさせられました。
しかも、ストーリー展開が面白く、登場人物が魅力的なので、
グイグイ引き寄せられます。
思わず一気読みしたくなる作品ですね。
キーワードは「無力感」「喪失感」「空白」「影」「森」「月」などでしょうか?
『BOOK1』は、やや暴力的、現実的なのに対し、
『BOOK2』は内省的で、切なく、悲しく、美しく、幻想的な空気に覆われていると感じました。
『BOOK3』(続編)が出るかどうかは分かりませんが、
続くとすれば、奇数章はどんでん返しから始まるのでしょうか。
自分はこのまま終わっても良い気がします。
2冊とも24章からなるのはバッハの平均律クラヴィーア曲集を意識してのこと?
とすれば「第3巻」は出ない?
という訳ではないでしょうね(^^;
ラスト2章は、この曲↓を聴きながら読み終えたので、
感動が倍増でした。
(個人的好み)
Dream Theater – The Count Of Tuscany
作品とは何の関係もありません。↑
ただ、ジャケットのアートワークと「2つの月」に
類似性が見られるかも?
個人的に、BGMはラストに限っては
ヤナーチェクより、「The Count Of Tuscany」の方がイメージがぴったりきました。
出来ることならもう一度最初から読み返したい衝動に駆られます。
以下、『BOOK2』から気になるところを抜き出してみました。
『BOOK1』からはこちら、
ネタバレ要素も含むので、よろしくお願いします。
過去を書き換えたところでたしかにそれほどの意味はあるまい、と天吾は実感する。年上のガールフレンドの指摘するとおりだ。彼女は正しい。過去をどれほど熱心に綿密に書き換えても、現在自分が置かれている状況の大筋が変化することはないだろう。時間というものは、人為的な変更を片端からキャンセルしていくだけの強い力を持っている。それは加えられた訂正に、更なる訂正を上書きして、流れを元どおりに直していくに違いない。多少の細かい事実が変更されることはあるにせよ、結局のところ天吾という人間はどこまで行っても天吾でしかない。
天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。それよりほかに道はない。
第4章(天吾)そんなことは望まない方がいいのかもしれない p.97
しかしいったい――と天吾は思う――誰に世界のすべての人々を救済することができるだろう? 世界中の神様をひとつに集めたところで、核兵器を廃絶することも、テロを根絶することもできないのではないか。アフリカの旱魃(かんばつ)を終わらせることも、ジョン・レノンを生き返らせることもできず、それどころか神様同士が仲間割れして、激しい喧嘩を始めることになるのではないか。そして世界はもっと混乱したものになるかもしれない。
第6章(天吾)我々はとても長い腕をもっています p.124
四年前に父親はNHKを退職し、そのあとほどなく認知症患者のケアを専門にする千倉の療養所に入った。
(中略)
おれはこれから千葉県の海辺の町まで、認知症の父親に会いに行こうとしている。彼は息子のことを覚えているかもしれないし、覚えていないかもしれない。この前に会ったときだって、その記憶力はかなりおぼつかないものだった。今はおそらく更に悪化しているだろう。認知症には進行はあっても、回復はない。そう言われている。前にしか進まない歯車のようなものだ。それは天吾が認知症について持っている数少ない知識のひとつだった。
(中略)
その男は、彼が部屋に入っていっても、一度ちらりと視線をこちらに向けただけで、あとは外の風景を眺め続けていた。離れたところから見ると、人間というよりは、ネズミやリスの類に近い生き物のように見えた。あまり清潔とは言えないが、それなりにしたたかな知恵を具えた生き物だ。しかしそれは間違いなく天吾の父親だった。あるいは父親の残骸とでも言うべきものだった。二年の歳月が彼の身体から多くのものを持ち去っていた。まるで収税吏が、貧しい家から情け容赦もなく家財道具を奪っていくみたいに。天吾が覚えている父親は、常にきびきびと仕事をするタフな男だった。内省や想像力とは無縁だったが、それなりの倫理を具え、単純だが強い意思を持っていた。我慢強く、言い訳や泣き言を口にするのを、天吾は耳にしたことがなかった。しかし今目の前にいるのは、ただの抜け殻に過ぎない。温かみを残らず奪われてしまった空き屋に過ぎない。
(中略)
「お父さん」と天吾は呼びかけた。その言葉を口にするのはとても久しぶりのことだった。「僕は天吾です。あなたの息子です」
「私には息子はおらない」と父親はあっさりと言った。
「あなたには息子はいない」と天吾は機械的に反復した。
父親は肯いた。
「じゃあ、僕はいったい何なのですか?」と天吾は尋ねた。
「あなたは何ものでもない」と父親は言った。
(中略)
「僕は何ものでもない」と天吾は言った。「あなたの言うとおりです。たった一人で夜の海に投げ出され、浮かんでいるようなものです。手を伸ばしても誰もいない。声を上げても返事は返ってこない。僕はどこにもつながってはいない。まがりなりに家族と呼べるのは、あなたのほかにはいない。しかしあなたはそこにある秘密を握ったまま、一切を語ろうとはしない。そしてあなたの記憶は、この海辺の町で一進一退を繰り返しながら、日々確実に失われていく。僕についての真実もやはり同じように失われていく。真実の助けがなければ、僕は何ものでもないし、これから先も何ものにもなり得ない。それも実にあなたの言うとおりだ」
(中略)
「あんたを産んだ女はもうどこにもいない」
「どこにもいない。町のように失われる。つまりそれは、死んでしまったということなのですか?」
父親はそれには答えなかった。
天吾はため息をついた。「それでは、僕の父親は誰なんですか?」
「ただの空白だ。あんたの母親は空白と交わってあんたを産んだ。私がその空白を埋めた」
それだけを言ってしまうと、父親は目を閉じ、口を閉ざした。
「空白と交わった?」
「そうだ」
「そしてあなたが僕を育てた。そういうことですね?」
「だから言っただろう」、父親はしかつめらしく咳払いをひとつしてから言った。わかりの悪い子供に単純な道理を説くみたいに。「説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんということだ」
「僕は空白の中から出てきたんですか?」と天吾は尋ねた。
返事はない。
第8章(天吾)そろそろ猫たちがやってくる時刻だ p.162~
「世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めてはいない。真実というのはおおかたの場合、あなたが言ったように、強い痛みを伴うものだ。そしてほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地良いお話なんだ。だからこそ宗教が成立する」
男は何度か首を回してから話を続けた。
「Aという説が、彼なり彼女なりの存在を意味深く見せてくれるなら、それは彼らにとって真実だし、Bという説が、彼なり彼女なりの存在を非力で矮小なものに見せるものであれば、それは偽物ということになる。とてもはっきりしている。もしBという説が真実だと主張するものがいたら、人々はおそらくその人物を憎み、黙殺し、ある場合には攻撃することだろう。論理が通っているとか実証可能だとか、そんなことは彼らにとって何の意味も持たない。多くの人々は、自分達たちが非力で矮小な存在であるというイメージを否定し、排除することによってかろうじて正気を保っている」
(中略)
「実を言えば、わたしは自分のやっていることを宗教行為だとは考えていない」と男は言った。「わたしがやっているのは、ただそこにある声を聞き、人々に伝達することだ。声はわたしにしか聞こえない。それが聞こえるのは紛れもない真実だ。しかしそのメッセージが真実であるという証明はできない。わたしにできるのは、それに付随したささやかないくつかの恩寵を実体化することぐらいだ」
(中略)
「あなたは特別な能力を持っている」と青豆は乾いた声で言った。
「見ての通りだ」
「たしか『カラマーゾフの兄弟』に悪魔とキリストの話が出てきます」と青豆は言った。「荒野で厳しい修行をするキリストに、悪魔が奇蹟をおこなえを要求します。石をパンに変えてみろと。しかしキリストは無視します。奇蹟は悪魔の誘惑だから」
「知っているよ。わたしも『カラマーゾフの兄弟』は読んだ。そう、もちろんあなたの言うとおりだ。このような派手な見せびらかしは何も解決しない。しかし限られた時間のあいだにあなたを説得させる必要があった。だからあえてやって見せた」
青豆は黙っていた。
「この世には絶対的な善もなければ、絶対的な悪もない」と男は言った。「善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。ひとつの善は次の瞬間には悪に転換するかもしれない。逆もある。ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』の中で描いたのもそのような世界の有様だ。重要なのは、動き回る善と悪とのバランスを維持しておくことだ。どちらかに傾き過ぎると、現実のモラルを維持することがむずかしくなる。そう、均衡そのものが善なのだ。わたしがバランスをとるために死んでいかなくてはならないというのも、その意味合いにおいてだ」
「あなたをここで殺す必要を私は感じません」と青豆はきっぱりと言った。
(中略)
「それではこうしようじゃないか。一種の取り引きだ。もしここで私の命を奪ってくれるなら、(後略)」
(中略)
「わたしは君についての何もかもを知っている。そう言っただろう。ほとんど何もかもということだが」
「でもそこまであなたに読みとれるわけはない。(後略)」
「青豆さん」と男は言った。そしてはかない溜息をついた。「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しないんだ。(後略)」
青豆は言葉を失っていた。
男は言った。「(前略)君たちは入るべくしてこの世界に足を踏み入れたのだ。そして入ってきたからには、好むと好まざるとにかかわらず、君たちはここでそれぞれの役割を与えられることになる」
「この世界に足を踏み入れた?」
「そう、この1Q84年に」
「1Q84年?」と青豆は言った。顔はもう一度大きく歪められた。それは私の作った言葉じゃないか。
「そのとおり。君が作った言葉だ」と男は青豆の心を読んだように言った。「わたしはただそれを使わせてもらっているだけだ」
1Q84年、と青豆は口の中でその言葉を形作った。
「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない」とリーダーは静かな声で繰り返した。
第11章(青豆)均衡そのものが善なのだ p.234~
いつもどおりのぱっとしない住宅地の、ぱっとしない風景がそこに広がっているだけだ。歪んだ枝振りの街路樹は灰色のほこりをかぶり、ガードレールには多くのへこみがつき、錆を浮かべた自転車が何台か道ばたに放置されていた。「飲酒運転は人生の破滅への一方通行」という警察の標語が塀に掲げてあった(警察には標語をこしらえる専門の部署があるのだろうか?)。意地の悪そうな老人が、頭の悪そうな雑種犬を散歩させていた。頭の悪そうな女が、醜い軽自動車を運転していた。醜い電柱が、空中に意地悪く電線を張り巡らせていた。世界とは、「悲惨であること」と「喜びが欠如していること」との間のどこかに位置を定め、それぞれの形状を帯びていく小世界の、限りのない集積によって成り立っているのだという事実を、窓の外のその風景は示唆していた。
しかしその一方で、世界にはふかえりの耳と首筋のような、異議を挟む余地もなく美しい風景も存在していた。どちらの存在をより信じればいいのか、簡単には判断がつかないところだ。
第12章(天吾)指では数えられないもの p.256~
「光があるところには影がなくてはならないし、影のあるところには光がなくてはならない。光のない影はなく、また影のない光はない。カール・ユングはある本の中でこのようなことを語っている。
『影は、我々人間が前向きな存在であるのと同じくらい、よこしまな存在である。我々が善良で優れた完璧な人間になろうと努めれば努めるほど、影は暗くよこしまで破壊的になろうとする意思を明確にしていく。人が自らの容量を超えて完全になろうとするとき。影は地獄に降りて悪魔となる。なぜならなこの自然界において、人が自分自身以上のものになることは、自分自身以下のものになるのと同じくらい罪深いことであるからだ』
リトル・ピープルと呼ばれるものが善であるのか悪であるのか、それはわからない。それはある意味では我々の理解や定義を超えたものだ。我々は大昔から彼らと共に生きてきた。まだ善悪なんてものがろくに存在しなかった頃から。人々の意識がまだ未明のものであったころから。しかし大事なのは、彼らが善であれ悪であれ、光であれ影であれ、その力がふるわれようとする時、そこには必ず補償作用が生まれるということだ。(後略)」
第13章(青豆)もしあなたの愛がなければ p.275~
青豆は部屋の中を改めてゆっくりと見渡した。まるでモデルルームだ、と彼女は思った。清潔で統一感があって、必要なものはすべて揃っている。しかし無個性でよそよそしい、ただのはりぼてだ。もし私がこんなところで死ぬことになるとしたら、それはあまり心愉しい死に方とは言えないだろう。でもたとえ舞台背景を好ましいものに替えたところで、心愉しい死に方なんていうものが果たしてこの世界に存在するだろうか。それに考えてみれば結局のところ、我々の生きている世界そのものが、巨大なモデルルームみたいなものではないのか。入ってきてそこに腰を下ろし、お茶を飲み、窓の外の風景を眺め、時間が来たら礼を言って出て行く。そこにあるすべての家具は間に合わせのフェイクに過ぎない。窓にかかった月だって紙で作られたはりぼてかもしれない。
第15章(青豆)いよいよお化けの時間が始まる p.336~
金魚は小さく、自我や省察を欠いた無考えな魚のように見えたが、なんといっても完結したひとつの生命体だった。そこにある生命を、金を払って自分個人のものにするというのは、適切ではない行いのように彼女には思えた。それは幼いときの自分自身の姿を彼女に思い起こさせた。狭いガラスの鉢に閉じこめられたまま、どこに行くこともできない無力な存在。金魚自身はそんなことは気にもしていないように見えた。たぶん実際に気にしてもいないのだろう。とくにどこにも行きたくないのだろう。しかし青豆には、それがどうしても気になった。
第21章(青豆)どうすればいいのだろう p.433
数学に対する関心が薄れてしまうと、そして大学の卒業も目前に迫り、それ以上柔道を続ける理由が消滅してしまうと、これから何をすればいいのか、どんな道に進めばいいのか、天吾にはさっぱりわからなくなった。彼の人生はその中心を失ってしまったようだった。もともと中心のない人生ではあったけれど、それまでは他人が彼に対して何かを期待し、要求してくれた。それに応えることで彼の人生はそれなりに忙しく回っていた。しかしその要求や期待がいったん消えてしまうと、あとには語るに足るものは何ひとつ残らなかった。人生の目的もない。親友の一人もいない。彼は凪のような静謐の中に取り残され、何ごとに対しても神経をうまく集中することができなくなった。
(中略)
「(前略)小さい頃から、自分はこんな惨めな狭苦しいところにいるべき人間じゃない、もっと恵まれた環境に相応しい人間だと考えていた。自分がこんな扱いを受けるのはあまりに不公平だと感じてきた。同級生たちはみんな幸福な、満ち足りた生活を送っているみたいに見えた。僕より能力も資質も劣る連中が、僕とは比べものにならないほど楽しそうに暮らしていた。(後略)」
第24章(天吾)まだ温もりが残っているうちに p.481~
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徒然 村上春樹 / 1Q84
徒然 村上春樹 / 1Q84 (BOOK 1)
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村上春樹 「1Q84」 書評リンク集|苺猿の咆哮
k sob 村上春樹ファンのための”ヤナーチェック”入門
【追記】
村上春樹 / 1Q84
村上春樹 / 1Q84 (BOOK 1)
村上春樹 / 1Q84 (BOOK2 の途中まで)
クローズアップ現代 / 村上春樹 "物語" の力 – 『1Q84』
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