★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年08月14日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
ドストエフスキー / 死の家の記録
久々の(ような気がする)読書感想文。
『死の家の記録』というタイトルから
連想されるイメージと、
ペトラシェフスキー事件で逮捕されて、
シベリア(オムスク)に4年間抑留された体験記、
ということから、
どんなにか過酷な労働状況が書かれているのか、
と思っていましたが、
意外と淡々とした、第三者的な記述に貫かれた人間観察日記でした。
中には、不衛生な病院の実態の描写は生々しいものがありましたが、
それ以外は、娑婆の世界とさほど変わらないと思いました。
(娑婆とは本来「堪忍土(堪忍しつつ生きる世界)」という意味だそうです)
巻末の解説にもありましたが、
ここでの人達が、後の『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のモデルになったのだろう、
と想像させされます。
名誉や自尊の強い囚人が、何百、何千の笞(鞭:むち)打ちの刑に耐えるとか、
上官の目を盗んで酒やタバコ、博奕(博打:ばくち)を楽しんだり、
自分の過去物語を自慢げに語りあい、
言い争いが起きたり、友情や信頼関係が生まれるなど、
血の通った、生身の人間的なものを感じました。
そして、
冷酷なシベリアの地にあって、囚人たちの苦しみは、
肉体的な労働の厳しさにあるのかと思いきや、
そうでないことが知らされます。
生きる希望を剥奪され、 無目的な労働を強制的に課せられる事。
これは、囚人であろうがなかろうか、
人間なら共通に感じる苦痛だと思います。
そして、なぜ生きるかを知らず、生きるために生きている人生ならば、
どんな人であっても、意味の無い行為を余儀なくされている人と変わりが無いのでは、とも。
また、囚人たちの望むところは、共通して「自由」ではありますが、
完全なる自由を謳歌している人が世間にいるかといえば、
皆何かしらの不自由を感じている訳で、
本当の自由とは、仏教で説かれている「無碍の一道」であり、
それこそが人生の目的と言えるのだと思いました。
以下、長くなりますが、なるほど、と感銘を受けた箇所です。
最後の場面は、『歎異抄』第9章の
「苦悩の旧里はすてがたく、安養の浄土は恋しからず」
が思い出される、人間の心理ですね。
『死の家の記録』というタイトルから
連想されるイメージと、
ペトラシェフスキー事件で逮捕されて、
シベリア(オムスク)に4年間抑留された体験記、
ということから、
どんなにか過酷な労働状況が書かれているのか、
と思っていましたが、
意外と淡々とした、第三者的な記述に貫かれた人間観察日記でした。
中には、不衛生な病院の実態の描写は生々しいものがありましたが、
それ以外は、娑婆の世界とさほど変わらないと思いました。
(娑婆とは本来「堪忍土(堪忍しつつ生きる世界)」という意味だそうです)
巻末の解説にもありましたが、
ここでの人達が、後の『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のモデルになったのだろう、
と想像させされます。
名誉や自尊の強い囚人が、何百、何千の笞(鞭:むち)打ちの刑に耐えるとか、
上官の目を盗んで酒やタバコ、博奕(博打:ばくち)を楽しんだり、
自分の過去物語を自慢げに語りあい、
言い争いが起きたり、友情や信頼関係が生まれるなど、
血の通った、生身の人間的なものを感じました。
そして、
冷酷なシベリアの地にあって、囚人たちの苦しみは、
肉体的な労働の厳しさにあるのかと思いきや、
そうでないことが知らされます。
生きる希望を剥奪され、 無目的な労働を強制的に課せられる事。
これは、囚人であろうがなかろうか、
人間なら共通に感じる苦痛だと思います。
そして、なぜ生きるかを知らず、生きるために生きている人生ならば、
どんな人であっても、意味の無い行為を余儀なくされている人と変わりが無いのでは、とも。
また、囚人たちの望むところは、共通して「自由」ではありますが、
完全なる自由を謳歌している人が世間にいるかといえば、
皆何かしらの不自由を感じている訳で、
本当の自由とは、仏教で説かれている「無碍の一道」であり、
それこそが人生の目的と言えるのだと思いました。
以下、長くなりますが、なるほど、と感銘を受けた箇所です。
最後の場面は、『歎異抄』第9章の
「苦悩の旧里はすてがたく、安養の浄土は恋しからず」
が思い出される、人間の心理ですね。
監獄へ来て、私の第一印象は、全体としてじつにいやなものであった。ところが、それにもかかわらず――奇妙なことだが!――監獄の生活は、わたしが途々(みちみち)想像してきたよりも、はるかに楽なような気がした。囚人たちは、枷(かせ)をはめられてはいるが、監獄内を自由に歩きまわり、にくまれ口をきいたり、歌をうたったり、時分のしごとをしたり、煙草をふかしたりというふうで、酒を飲む者さえいたし(もっともこれはごく一部の者だが)、中には毎晩博奕(ばくち)をやっている者までいた。たとえば、労働そのものにしても、けっしてそれほど辛い苦役とは思われなかった。そしてこの労働の辛さと、苦役であることの特徴が、労働が苦しく、絶えまないものであるということよりは、むしろそれが強制された義務で、笞(むち)の下ではたらかなければならない、ということにあることをさとったのは、かなりあとになってからである。世間の百姓のほうが、おそらく比べものにならぬほど余計にはたらいているだろう、ときには、特に夏時分などは、夜なべまでしている。だが百姓は自分のために、筋道のとおった目的をもってはたらいているのであり、強制されて、自分のためにはまったく何の利益もない労働をしている囚人よりは、どれだけ楽かわからない。わたしはふとこんなことを思ったことがあった。つまり、もっとも凶悪な犯人でもふるえあがり、それを聞いただけでぞっとするような、恐ろしい刑罰を加えて、二度と立ち上がれぬようにおしつぶしてやろうと思ったら、労働を徹底的に無益で無意味なものにしさえすれば、それでよい。いまの監獄の苦役が囚人にとって興味がなく、退屈なものであるとしても、内容そのものは、しごととして、益も意味もある。囚人は煉瓦(れんが)を焼いたり、畑を耕したり、壁を塗ったり、家を建てたりさせられているが、この労働には意味と目的がある。苦役の囚人が、どうかするとそのしごとに熱中して、もっとうまく、もっとぐあいよく、もっとりっぱに仕上げようなどという気をさえ起す。ところが、たとえば、水を一つの桶(おけ)から他の桶へ移し、またそれをもとの桶にもどすとか、砂を搗(つ)くとか、土の山を一つの場所から他の場所へ移し、またそれをもとへもどすとかいう作業をさせられたら、囚人はおそらく、四、五日もしたら首をくくってしまうか、あるいはたとい死んでも、こんな屈辱と苦しみからのがれたほうがましだなどと考えて、やけになって悪事の限りを尽くすかもしれない。もちろん、このような刑罰は、何らかの合理的な目的を達しないから、拷問や復讐(ふくしゅう)と変るところがなくなり、無意味なものとなるであろう。ところが、わずかでもこうした拷問や、無意味や、屈辱の要素は、どんな強制労働にもかならずあるので、だから苦役は、強制されるというそのことによって、どんな自由な労働よりも、比較にならぬほど苦しいのである。第一部 二 最初の印象
彼は陽気な男で、よく笑った。しかしその笑いは、囚人特有の野卑な皮肉なわらいではなく、しずかな明るい笑いで、その笑いには子供のような素直さがあふれていて、白髪の顔に特によく映った。あるいは、まちがっているかもしれないが、わたしは笑い方でその人間がわかるような気がする。ぜんぜん知らない人にはじめて会って、その笑いが気持ちよかったら、それはいい人間だと思って差支えないと思う。老人は監獄じゅうのすべての人々から尊敬されるようになったが、それをすこしも鼻にかけなかった。囚人たちは彼をおじいさんと呼んで、けっして彼を辱(はずか)しめるようなことはしなかった。第一部 三 最初の印象
金というものは――もうまえにも言ったように――監獄ではひじょうに大きな意味と力をもっていた。絶対的に断言できるが、獄内ですこしでも金をもっている囚人は、ぜんぜんもっていない囚人の十分の一も苦しまずにすんだ。もっとも、もっていない者でも全部官給品で保証されているから、何のために金が必要なのだ?――これが上司の考えではあった。ところがそうではないのである。もう一度言うが、もし囚人たちが自分の金をかせぐいっさいの可能性を奪われたとしたら、彼はあるいは発狂するか、あるいは蠅(はえ)のように死んでしまうか(何もかも保証されているといっても、それは別である)、あるいは、ついには、いまだかつてないような凶悪犯になってしまうかもしれない。ある者はさびしさのあまり、またある者はどうでもいいから早く罰を受けてこの世から消してもらうか、あるいは囚人用語をつかえば、何とかして『運命を変え』たい一心からである。囚人がほとんど血のにじむような汗をしぼってわずかばかりの金を得て、あるいはそれを得るために途方もないことを考え出し、よく盗みやだましというてまでつかっても、そのくせはいった金はまるで無分別に、子供としか思われないほど無意味に浪費してしまう、しかしこれは、ちょっと見にはそう思われるかもしれないが、けっして囚人が金を重んじないことを証明しているのではない。金に対して、囚人はふるえが来るほど、前後の見さかいがなくなるほど貪欲(どんよく)である、そして実際に、浮かれ騒ぐとき、金をまるでこっぱのようにばらまくとすれば、それは金よりももひとつ上と認めるものがあるためである。囚人にとって金よりもひとつ上のものとは、いったい何だろう? 自由、あるいは自由に対するせめてもの憧(あこが)れである。囚人は空想が好きである。これについてはあとですこしふれようと思うが、言葉ついでに、信じられないかもしれないが、わたしは、二十年の刑に服している囚人から、ひどく落着きはらって、「まあそのうち、ありがたいことに、刑期が満了したら、そのときこそ……」というような話を、直接に何度も聞かされたのである。『囚人』という言葉の意味は自由意志のない人間ということである。ところが、金をつかうことによって、彼はもう自分の意志で行動しているのである。どんな刻印を押されていようが、足枷(あしかせ)をつけられていようが、呪(のろ)わしい監獄の柵(さく)で神の世界からさえぎられ、檻(おり)の中の獣のようにとじこめられていようが――彼はやはり酒のような、かたく禁じられている楽しみを買うことができるし、女を抱くこともできるし、ときには(いつもうまくゆくとはかぎらないが)廃兵や下士官のような身近な役人を買収することさえできるのだ。彼らは、彼が法や規則を破っているのを、見て見ぬふりをしてくれる。そればかりか、それらの下っぱの役人たちに対していばることだってできるのだ。ところで囚人たちは、このいばるということ、つまり自分には他人(ひと)が思うよりも何倍も自由意志と権力があるのだということを仲間に見せて、せめて一時でも自分をそう思いこむことを、おそろしく好んだ――一口に言えば、豪遊することも、ばか騒ぎをすることも、他人をくそみそにこきおろすことも、おれは何でもできる、何でも『おれの思うまま』なのだということを他人(ひと)に思い知らせることもできるのだ、つまり哀れな者なら考えることもできないようなことが、自分はできるのだと思いこみたいのである。ついでだが、おそらくここから、素面(しらふ)のときでさえ囚人に見られる、いばったり、自慢したり、たとい見えすいていても、滑稽(こっけい)に無邪気に自分をえらく見せようとしたりする一般的な光景が生まれてくるのであろう。最後に、こうしたばか騒ぎにはそれ相応の危険がある――ということは、はかないものにせよ、生活の幻影、遠い自由の幻影があるということである。ところで、自由を得るためには、人間はどんな代償を惜しまぬものだ! 首に縄(なわ)をかけられた場合、一口の空気を吸うために、全財産を投げ出さないような百万長者があろうか? 何年もおとなしく模範的な暮しをして、りっぱな行いのために囚人頭にさえ任命された囚人が、突然何のいわれもなく――まるで悪魔にとりつかれたみたいに――浮かれだして、酒を飲んだり、あばれたり、ときにはわけもなくいきなり刑法にふれるような犯罪を犯したり、あるいはあからさまに上司を侮辱するようなことをしたり、あるいはだれかを殺したり、暴力を振ったりなどして、役人たちをびっくりさせることがときどきある。みんなそれを見て、唖然(あぜん)とするが、しかし、だれよりもそんなことをしなさそうに思える人間に、突然こんな爆発が起る理由は、おそらく――個性のもだえるようなはげしい発現であり、自分自身に対する本能的な憂愁であり、自分を、自分の卑しめられた個性を示してやりたい願望であり、それが不意にあらわれて、憎悪、狂憤、個性の昏迷(こんめい)、発作、痙攣(けいれん)にまで高まったものであろう。それは、おそらく、生きながら埋葬されて、墓の中で意識をとりもどした亡者が、どんなにあがいてもむだだと、理性では知りながらも、夢中になって蓋(ふた)をたたき、押しのけようともがいているようなものかもしれない。だが、そこにはもう理性どころではない、狂おしい発作があるだけだというところに、問題があるのだ。さらに、およそ自由意志による自己表示というものが、囚人にあっては犯罪と見なされていることを考えてもらいたい。だから囚人にとっては表示が大きかろうが小さかろうが、まったくどうでもよいのである。酒を飲むなら――とことんまで飲めばいいし、危険をおかすなら――どんな危険でもおかし、人を殺そうとかまわない。要は、ただはじめさえすればいいので、そのうちに酔いがひどくなって、抑えがきかないようなことにもなる! だから、何としてもそこまでは行かないようにすることである。そのほうがみんなが安心していられる。 だが、それにはどうしたらよいのか?第一部 五 最初の一月(ひとつき)
二十人ばかりの囚人班の中にわたしもまじっていた。要塞(ようさい)の裏手の氷結した河に、二隻(せき)の官有の艀(はしけ)が浮いていたが、もう役に立たなくなったのでとりこわすことになっていた。古材だけでも助けようというのである。しかし、その古い材料は全部あわせてみたところで、いくらの値打ちもなく、手をかけるだけむだなように見えた。薪(まき)は町で捨て値も同然に売られていたし、森はまわりにいやになるほどあった。ここへよこされたのは、囚人たちに何もさせずにおかないためだけで、囚人たちもそれをよく心得ていた。こんな作業には、いつもだらだらと気のない様子でとりかかるが、作業それ自体が、有益で価値があり、しかもノルマをきめてもらえそうだとなると、気の入れ方がまったく別だった。そうなると、彼らはまるで何かに気合を入れられたようになって、たといそれが何の得(とく)にならなくても、すこしでも早く、すこしでもよく仕上げようと、ありたけの力を振絞るのだ。これはわたしが何度となく見たことである。そこには彼らの意地も出てくるらしかった。ところが、いまのような作業だと、必要よりはむしろ体裁のためにやらされるのだから、ノルマをきめてもらうのもむずかしいし、朝の十一時の帰営を知らせる太鼓が鳴るまで、びっしりはたらかねばならなかった。第一部 六 最初の一月(ひとつき)[つづき]
監獄生活の第一日目から、わたしはもう自由を空想しはじめた。刑期の終わる日を数えて、あれやこれやと限りない空想にふけるのが、わたしの大好きなしごとになった。わたしはこれ以外のことは何も考えられないほどだった。そしてある期間自由を奪われた者なら、だれでもこう思うにちがいないと思った。囚人たちが、わたしと同じように考えていたかどうか、計算していたかどうかは、知らないが、彼らの希望のおどろくべき無思慮に、わたしはまず唖然(あぜん)とさせられた。牢獄(ろうごく)につながれ、自由を奪われた者の希望は――自由な外界に生活をしている者のそれとは、ぜんぜん別種である。自由な人間にも、もちろん、希望はある(たとえば、運命が変わればいいとか、事業がうまくいけばいいとか)、しかし彼は生活し、活動している。現在の生活がその回転ですっかり彼の心をとらえている。囚人の場合はそうではない。そこにも生活――監獄の生活、苦役の生活があるとしよう、しかし囚人がどんな人間で、刑期がどれだけであろうと、彼は、自分の運命が肯定できる決定的なもの、つまり真実の生活の一部であると考えることは、ぜったいに本能的にできないのである。どの囚人も、自分の家にいるとは感じていない、客に来ているような気持ちなのだ。彼は二十年という年月を、二年ぐらいにしか考えていない、だから五十五で監獄を出ても、三十五のいまの若さと少しも変らない、とすっかり信じこんでいるのだ。『生活はこれからさ!』――彼はこう思って、いっさいの疑惑や、その他の腹立たしい考えを、かたくなに追い払う。特別監房の無期徒刑囚たちでさえも、ときには日をつくってみたりして、なあにそのうち、思いがけなくピーテル(訳注 ペテルブルグ)から『ネルチンスクの鉱山へ移す、刑期はこれこれ』なんて許可が来るかもしれない、などと考える。そうなったらすてきだぞ、だいいち、ネルチンスクまでは半年かかるし、仲間といっしょだし、こんな監獄にいるよりはよっぽどましだ! やがてネルチンスクで刑期を終えたら、そのときこそ……ときには白髪の老人までが、こんな空想にふけるのである。 トポリスクでわたしは壁につながれている囚人を見た。鎖は二メートルほどの長さで、そばに寝台がおいてあた。シベリアから来てから侵したけたはずれの大罪のために、こうしてつながれているのだった。五年の者もいるし、十年の者もいある。たいていは野盗であるが、わたしは一人だけ貴族の出らしい囚人を見かけた。昔どこかに勤務していたということだった。彼はひどく柔和な、ささやくようなものの言い方で、じつにやさしい微笑を見せた。彼はわたしたちに鎖を示して、寝台にどんな風に寝たらぐあいがいいかを見せてくれた。これも、きっと、たいへんな大物らしかった! 彼らはみな概して態度が温順で、満足そうに見えるが、しかしどの一人をとってみても、早く刑期がみちるのを一日千秋の思いで待っているのである。何が望みで、とけげんに思われるかもしれない。その望みというのは、そのときこそこの煉瓦(れんが)の天井の低い、息苦しいじめじめした監房から出て、監獄の庭を思いきり歩きまわってやろうという、ただそれだけなのである。監獄を出されることはもうぜったいにない。鎖をとかれた者は、もう死ぬまで監獄に幽閉されて、足枷(あしかせ)をはずされることはないということを、彼らはしっているのである。彼らはそれを知っているが、それでもなお、一日も早く鎖の期間の終ることを一途にねがっている。さもあろう、この希望がなかったら、彼らは死にもせず、発狂もせずに、五年も六年もじっとしていることができるだろうか? また、おとなしくこんなところへ来る者があるだろうか? 作業がわたしを救い、わたしを健康にし、身体(からだ)を強くしてくれるかもしれないと、わたしは感じていた。たえまない精神の不安、神経のいらだち、獄舎のすえた空気は、わたしを完全に破壊してしまうにちがいない。『なるべくひんぱんに戸外へ出て、毎日身体を疲労させ、重いものを運ぶけいこをすることだ――そして自分をだめにしないようにだけはしよう』とわたしは思った。『自分を鍛えて、丈夫な、元気な、たくましい、若い身体で監獄を出るのだ』。わたしはまちがっていなかった。労働と運動はわたしに非常に有益だった。第一部 七 新しい知人たち。ペトロフ
いったいに、人を見くだすようなぞんざいさや、気色わるそうな態度は、下級のものをいらいらさせるものだ。囚人たちには給与をよくし、設備をよくし、万事法律どおりにしていれば、それで文句はないと考えている者もいる。これもまちがいである。身分がどうであろうと、どんなに虐(しいた)げられた人間であろうと、だれでも、よしんば本能的にせよ、無意識にせよ、はやり自分の人格を尊重してもらいたいという気持ちがあるのである。囚人は言われなくても自分が囚人で、世間から見すてられた人間であることは知っているし、上官に対する自分の立場も知っている、しかしどんな刻印、どんな足枷(あしかせ)をもってしても、自分が人間であることを囚人に忘れさせることはできないのである。そして、囚人も実際に人間であるから、当然、人間なみに扱ってやらなければならない。おお、見よ! 人間らしい扱いは、いつか昔に神を忘れてしまったような者をさえ、人間にひきもどすことができるのである。こうした『不孝な人たち』にこそ、もっとも人間らしい扱いが必要なのだ。この救いこそ彼らの喜びなのである。わたしはこうしたりっぱな高潔な指揮官たちを見たことがある。わたしはこうした虐げられた人たちに対する彼らのあたたかい行為を見たことがある。ほんの二言三言のあたたかい言葉――もうそれで囚人たちはほとんど精神的によみがえったようになるのだ。彼らは、子供のように、喜び、子供のように、愛しはじめる。もう一つ奇妙なことを指摘しよう。それは囚人たちはあまりになれなれしく、親切すぎる態度をとられるのを好まないということである。囚人は上官を敬(うやま)いたいと思うが、そういうふうに出られると、どういうものか尊敬する気をなくしてしまうのだ。囚人が好むのは、たとえば、自分たちの上官が勲章をもっているとか、風采がりっぱで、長官におぼえがめでたいとか、いかめしく、堂々としていて、公正で、威厳を保っているというようなことなのである。囚人たちはむしろこういう上官のほうを好むのである。つまり、自分の威厳は守り、しかも彼らを辱(はずか)しめない、したがって、どっちもいいし、これにこしたことはないというわけである。第一部 八 命知らずな人々。ルーチカ
いまはどうかは知らないが、つい何年かまえまでは、自分のいけにえを笞打つことに、サド侯爵やブレンヴィリエ侯爵夫人(訳注 マリア・マドレーヌ・プレンヴィリエ侯爵夫人。遺産横領の目的で父、二人の兄弟、その他数名の親戚を毒殺。一六七六年に死刑)を思わせるような、ある種の快感をおぼえた紳士たちがいた。この感じには、甘美と苦痛がないまぜになって、こうした紳士方の心をしびれさせる何ものかがあるのだと、わたしは思う。血に飢えた虎(とら)のような人人がいる。一たびこの魔力を経験した者は、キリストの法則によればひとしく神に創造された兄弟、自分と同じ人間の肉体と血と精神に対するこの無限の支配を経験した者は、ひとしく神をその身につけているほかの存在をもっとも残酷な方法で侮辱する権力と完全な可能性を一度経験した者は、もはや自分の意志とはかかわりなく感情を自制する力を失ってしまうのである。暴逆は習慣である。それは成長する性質をもち、しまいには、病気にまで成長する。わたしが言いたいのは、どんなりっぱな人間でも習慣によって鈍化されると、野獣におとらぬまで暴逆になれるものだということである。血と権力は人を酔わせる。粗暴と堕落は成長する。知と情は、ついには甘美のもっとも異常な現象をも受容(い)れるようになる。暴逆者の内部の個人と社会人は永久に亡び去り、人間の尊厳への復帰と、懺悔(ざんげ)による贖罪(しょくざい)と復活は、ほとんど不可能となる。加えて、このような暴逆の例と、それが可能だという考えは、社会全体にも伝染的な作用をする。このような権力は誘惑的である。このような現象を平気で見ている社会は、すでにその土台が感染しているのである。約言すれば、他の人間に対する体刑の権利がある人間にあたえられるということは、社会悪の一つであり、社会がその内部にもつ文明のいっさいの萌芽(ほうが)と、いっさいのこころみを根絶するもっとも強力な手段の一つであり、社会を絶対に避けることのできぬ崩壊へみちびく完全な要因である。第二部 三 病院(つづき)
まったく希望を失っては生きていくことができない、そこで彼は自分からすすんで、むしろつくりあげた殉難に出口を求めようとしたのだった。彼は、証左をおそったのは憎悪のためではなく、ただ苦しみを受けたかったからだ、と説明した。どのような心理のうごきがそのとき彼の心の中で行われたか、神のみぞ知るである! 何かの目的がなく、そしてその目的を目ざす意欲がなくては、人間は生きていられるものではない。目的と希望を失えば、人間はさびしさのあまりけだものと化してしまうことが珍しくない……わたしたち囚人全体の目的は自由であった、監獄から解放されることであった。第二部 七 抗議
「ところで、なあみんな、ほんとにおれたちァここで生きているのだろうか?」と炊事場の窓際(まどぎわ)におとなしく腰かけていた四番目の囚人が、頬杖(ほおづえ)をついたまま、何となくしんみりと、しかし内心は自分に満足しているような様子で、すこし節をつけたような口調で沈黙をやぶった。「おれたちはいったい何だろう? 生きているとは言っても――人間じゃねえじ、死んでも――ほとけになれねえ。やれやれ!」 「靴じゃねえ。足からぽいとぬぐわけにゃいかねえさ。何がやれやれだ!」第二部 九 逃亡
こうしたいろいろなことが起こったのは、わたしの獄中生活の最後の年のことでった。この最後の一年は、入獄当初の一年とほぼ同程度に、わたしには忘れることができない。特に出獄を間近にひかえた最後の数日のことは、どうして忘れることができよう。しかし、詳細にとなると、何を語ったらよいのか。ただおぼえているのは、この一年は、一日も早く刑期を終えたいとねがうわたしの耐えがたい焦燥にもかかわらず、それまでの何年かの流刑生活に比べると、ずっと楽な気持ちで暮らすことができたということだけである。その第一の理由は、そのころはもう囚人たちの間に、わたしがよい人間だとはっきり認めてくれた親友たちが、たくさんできていたことである。その多くの人たちはわたしに信服して、心からわたしを愛していた。ある屯田兵(とんでんへい)などは、わたしと友人を監獄から送り出すとき、目をうるませていまにも泣きだしそうな顔をしていたし、その後、わたしは獄を出てからもこの町にとどまり、一月ほどある官舎に暮していたが、その間ほとんど毎日のように、べつに用もないのに、ただ顔を見に寄ってくれたのだった。
(中略)
囚人たちが作業に出かけてから十分ほどして、わたしたちはもう二度ともどらぬことをひそかに誓いながら、監獄の門を出た。わたしと、それからわたしといっしょに監獄に来た仲間の、二人だった。まず鍛冶場(かじば)へ行って、足枷をはずしてもらわねばならなかった。だが、もう銃を持った警護兵はつかなかった。下士官がわたしたちを案内した。工兵隊のしごと場ではたらいている囚人たちが、わたしたちの足枷をはずしてくれた。わたしは、いっしょの友人がはずしてもらっているあいだで、待っていて、やがて、自分も鉄敷(かなしき)のまえへ歩みよった。鍛冶工たちはわたしをうしろ向きにして、足をうしろに上げさせ、それを鉄敷の上にのせた……彼らはせわしなく動きまわった。すこしでも手際(てぎわ)よく、上手(じょうず)にやってのけようと思ったのであろう。 「鋲(びょう)だ、鋲をまずねじるんだ!……」と班長が指図した。「それをちゃんとのせる、そう、それでよし……そこで、今度は金槌(かなづち)で打つ……」 足枷が落ちた。わたしはそれをひろい上げた……わたしはそれを手に持って、見納めにじっくりながめたかったのである。これがいまのいままで足についていたのかと、まさにわたしは、いまさらながら驚きの目を見はった。 「じゃ、さようなら! さようなら!」と囚人たちはとぎれとぎれに、荒っぽいが、何か満足そうな声々で言った。 そうだ、さようなら! 自由、新しい生活、死よりの復活……なんというすばらしい瞬間であろう!第二部 十 出獄
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