★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年09月12日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
とどろき / 平成21年7、8、9月号 – 光に向かって
はい、3ヶ月分まとめて、です(^^;
親鸞聖人の教えが分かる月刊誌ということですが、
専門的に仏教の勉強をしていない人でも読める、易しい仏教入門として、
幅広い年代層に読まれていることが、随所に紹介されている読者からの便りで分かります。
仏教とは机上の学問ではなく、我々の生活の中で、実践的に生かされるものです。
日常生活の指針となり得るものは色々ありますが、
倫理や道徳と仏教との違いは、
根本的な生きる目的が教えられているか否か、
にかかっていると思われます。
それを端的に表しているのが冒頭のコラムのタイトル「光にむかって」。
人が生きるということは、
昨日から今日、今日から明日と、一箇所に止まっているのではなく、
どこかに向かって進んでいると言えます。
ではどこに向かっているのか?
そんな、生きる目的、光輝く未来を指し示し、
そこに向かうのに大切な心がけを明らかにしようという思いが、
この「光に向かって」に込められているのかもしれません。
以下、7、8、9月号の『光に向かって』です。
"ありがとう"の言葉
自分が一番苦労していると、各自思っている。
他人の良いところばかりが、目につき腹が立つ。
ホントは、一番のんびりしているのが私。
みんなは、ギリギリ一杯努力しているのだ。
これが事実と思えないから、
"おかげさまで"と感謝できず、
"ありがとう"の言葉が出ない。
これは耳が痛い言葉ですねえ f(-”-)>
例えば腹の立っているとき、やイライラしている時。
原因を考えてみると、自分が正しくて、相手が悪いと思っていますよね。
でも実際は、100%自分が正しいなど、ある筈はなく、
それが如何に自惚れた姿であるか、知らされたときは何とも惨めな気分になります。
まあ、自分が悪いと分かっているから余計に腹が立つ、ということもありますが、
感謝の心が失われると、苦しまねばならないのは確かなことです。
日頃から"ありがとう"の言葉を大いに使ってゆきたいと思います。
なぜ
"なぜ、人間の命は地球より重いのか"
"なぜ、人間に生まれてきたことを喜ばねばならぬのか"
"なぜ、親孝行しなければならぬのか"
ハッキリ答えられるか。
確かに、こうして「なぜ?」と突きつけられると考えてしまいます。
順境の時は、親孝行も出来るし、人間に生まれてきたことを喜べるかもしれませんが、
「死にたい」と思うほど苦しい時に、この「なぜ」が未解決だと、
本当に、自ら死を選んでしまうことになってしまいます。
逆に言えば、どんなに辛くとも死んではならない理由がある、
ということを示唆している言葉でもあります。
この「なぜ生きる」を明らかにされた親鸞聖人の教えを、
続けて学んでゆきたいと思います。
真実の厳粛さ
"真実"は、人間の考えや都合と関係がない。
思えるとか思えないとか、
驚くとか驚かんとか、
感ずるとか感じられないとか、
こちらの都合でどうにかなるものではないのだ。
ここに真実の厳粛さがある。
万人に共通の、厳粛な真実とは、恐らく「死」だと思います。
「死」のことを、
綺麗に掃除をした家に、土足でドカドカ入り込んでくる無法者、とか
突然にやってくる暴力、
と表現した人がありますが、
こちらの都合と関係ないのが真実であることが分かります。
学生時代、物理や化学の実験データが、こちらの望む結果でなかった時も、
痛切に感じました。
真実というものは、ある意味恐ろしいものだと思わずにおれません。
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