王舎城の悲劇(2)

(1)の続きです。
善導大師が、韋提希を「実凡」と明らかにされた意義は、
どんな極悪人をも救済の対象とするのが仏教である、
というところにあり、
韋提希が権化の人であるならば、
厳しい修行を積んだ、限られた人しか助からない、
ということになってしまいます。

「お山の仏教を庶民のものにした」と評される親鸞聖人が、
善導大師を褒め讃えるのは納得のゆくところです。

ところが、その親鸞聖人が、
韋提希を「実凡」ではなく「権化」と見ておられるのは
一体どういうことか?

実は、善導大師の教えを踏まえた上で、
より真意を明らかにされるためだったそうです。 (続きを読む…)

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