王舎城の悲劇(2)

closeこの記事は 2 年 4 ヶ月 23 日 前に投稿されたものです。間違いに気づいたらその都度修正していますが、今読んだらおかしな点もあるかもしれません。ご了承ください。
(1)の続きです。
善導大師が、韋提希を「実凡」と明らかにされた意義は、
どんな極悪人をも救済の対象とするのが仏教である、
というところにあり、
韋提希が権化の人であるならば、
厳しい修行を積んだ、限られた人しか助からない、
ということになってしまいます。

「お山の仏教を庶民のものにした」と評される親鸞聖人が、
善導大師を褒め讃えるのは納得のゆくところです。

ところが、その親鸞聖人が、
韋提希を「実凡」ではなく「権化」と見ておられるのは
一体どういうことか?

実は、善導大師の教えを踏まえた上で、
より真意を明らかにされるためだったそうです。
大聖おのおのもろともに 凡愚低下の罪人を 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり
(浄土和讃・観経意)
『観無量寿経』を読まれた親鸞聖人のご和讃です。

天台・浄影・嘉祥の3人は、
韋提希夫人を、ある程度高いさとりを開いていた人、
という意味で「権化」と言っていますが、
親鸞聖人は和讃にて「大聖おのおの」と仰っています。
大聖とは、仏様のこと。「おのおの」だから複数です。
「仏」については後述しますが、
親鸞聖人は、韋提希夫人だけでなく、王舎城の悲劇に出てくる人たち全員を、
皆、仏様の仮の姿(権仮)と 味わっておられることが分かります。
つまり、『王舎城の悲劇』は仏様の演じられるドラマである、と。


ドラマとは、観客に何かを訴えるためになされるものですが、
仏さまは何を訴えるために、このようなドラマを演じられたのか?

「凡愚低下の罪人を 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめ」るため、
と親鸞聖人は仰っています。

「凡愚低下の罪人」とは、韋提希のような極悪人、
仏教では全ての人が極悪人と説くので、全人類です。

「逆悪もらさぬ誓願」とは、
どんな極悪人をも救うと誓われた阿弥陀仏の本願のことです。





ここで、先ほど「後述します」と書いたことを。
「仏」とは、最高のさとりを開かれた方のことを言い、
数あるさとりの中で、最高の位を「仏覚」とか「無上覚」などと言われます。

「さとり(覚り)」といって、何を覚るのかというと、大宇宙の真理でありますが、
真理といっても、科学的真理とか、数学的真理のことではなく、
すべての人が本当の幸福になれる真理です。

さとりを開くことを山登りに譬えると、
2合目よりも3合目、3合目よりも4合目と、
登れば登るほど、見える景色は広がってゆき、
最後、頂上に登りつめたとき、
辺り一面を見渡すことが出来るようになるようなものです。

一般的には、死んだ人のことを「仏さま」と言われていますが、
それでは「仏教=死人の教え」ということになってしまいます。

地球上で仏のさとりを開かれた方は、お釈迦様しかおられません。
そこで、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」と言われるのですが、
大宇宙には、地球のような世界は数限りなくあります。
経典には、それぞれの世界に仏様がまします、と説かれており、
それらを「三世十方の諸仏」と言います。
その数、ガンジス河の砂の数ほど、と説かれ、
釈迦如来(如来とは仏のこと)や大日如来、薬師如来などが有名です。
それら無数の諸仏を、仏となさしめた根本の仏、
諸仏方が師匠と仰ぐ王様の仏が阿弥陀仏であり、
蓮如上人は阿弥陀仏のことを「本師本仏」と言われています。
ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なり。
(御文章二帖目八通)
その、阿弥陀如来が、
どんな人も必ず絶対の幸福に助けたい、と願をおこされ、建てられた誓いを、
「阿弥陀仏の本願」とも「弥陀の誓願」とも言われます。

仏教入門ビデオ「仏とは」





話を元に戻し、
親鸞聖人が、ご和讃で「逆悪もらさぬ誓願」と言われているのは、
この阿弥陀仏の本願のことです。

そして、王舎城の悲劇を知られた親鸞聖人は、
「どんな極悪人をも救い摂り、
難度海の人生を、光明の広海に浮かばせる、阿弥陀如来の本願。
この本願の厳存を、いかに十方衆生に周知徹底するか。
ひとえに念ずる諸仏方の、壮大無類のドラマである」
と仰せになっているのです。



個人的に感動したのは、最後の「方便引入せしめけり」。
善導大師の、実凡の救われる教えを曲げることなく、
韋提希を権化と見ることにより、
一切が総がかりで、救いの道へ導いて下さっていることも明らかになされたのでした。


善導大師が、逆悪もらさぬ誓願そのものを明らかにされたのに対し、
親鸞聖人はさらに、そこに至るまでの過程までも含めて教えられているところに、
この解釈の凄みがあるのだと思いました。

知人に善導大師を非常に尊敬している人がいますが、
親鸞聖人は、さらにそのみ心をよりえぐり出して鮮明にされた、
類稀な偉人なのだと思わずにおれません。


この『王舎城の悲劇』、仏教系の学校では、よく劇がなされるようですが、
オペラなどにもなったら面白いと思います(すでになっている?)。

その際、前回書くのを省略しましたが、
お釈迦さまを殺そうとした提婆達多(だいばだった)という男がいるのですが、
イメージ的に、
ロブ・ハルフォードとか、ロニー・ジェイムス・ディオとかが適任かと思われます(笑)


ほら、ディオ、いかにも悪役でしょ?(笑)

【追記】
ブルース・ディッキンソンも良いかも(^w^)

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