★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年10月13日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
The Spirit Carries On / 三世因果の道理
因果応報という言葉があります。悪い時に使われることが多いですが、良いも悪いも、原因に応じた結果を受ける、、、考えてみれば当たり前のことのようにも思われます。
ところで、
科学というのは、外界の事象を注意深く観察し、実験を繰り返して、計算、推論をし、普遍的な原因と結果の関係を追求する学問ということができると思います。
もちろん、科学では説明のできないことはたくさんあると思いますし、自分は科学万能主義者ではありません。
しかしそれは、原因不明ということがある、ということであって、それを、原因なく何かがおきた、と考えるのは、非科学的態度であり、感心できません。
つまり何が言いたいかというと、
原因なくして結果なし、原因が変わればそれに応じて結果も変わる、
「運命」という観点からさらにいえば、自分の受ける結果は自分が作り出したもの、
というのが真実ではないでしょうか。
仏教ではこれを
で、私達が人間に生まれてきたというのは、一つの結果であります。蟻とか蜘蛛とか、蛙とかゴキブリとか、鼠ではなく、人間に生まれてきた、というのは素晴らしい結果だと思います。猫に生まれたかった、と思う人も多いかもしれませんが、猫になったら、それはそれで大変そうなので、ここは、人間に生まれてきて良かったということにしておきましょう。
同じ人間でも、日本ではなく、アメリカに生まれていたら、中国に生まれていたら、アフリカに生まれていたら、フィンランドに生まれていたら、セントビンセント及びグレナディーン諸島に生まれていたら、、、女(男)に生まれていたら、明治や大正に生まれてたら、、、と考えると、今とは全く違った生き方をしていたに違いないと思います。
モーツアルトやベートーヴェンのように生まれながらに才能に恵まれた人もあれば、そうでない人もいます。裕福な家庭に生まれる人もあれば、貧しい国に生まれる人もあります。1000人いたら、1000通りの生まれ方があります。
では、これら、賢愚・美醜・貴賎・貧富・男女などの差はどうして生ずるのか? 結果に違いが生じたということは、原因に違いがあったと考えられます。中には、運命は神の御心によって与えられたものだと言う人がいますが、不幸な境涯に生まれた人は、神を心から祝福することができるのでしょうか。試練として受け入れられるのでしょうか。もし仮にそうだとしても、どうして自分がそのような者として「選ばれて」しまったのか。やはり、他人にはない自分固有の原因があった、と考えるのが妥当なようです。
とすると、そのような生まれ方をせざるを得ない原因を、自分が生まれる前に持っていた、ということになります。つまり、過去世(前世)の存在を認めざるを得ない、ということです。
次に、未来について。
例えばここに、人を1人殺した人、10人殺した人、100人殺した人がいるとして、全員死刑の判決を受けたとします。
果たしてこれは平等だと言えるでしょうか。1人殺した人も、100人殺した人も、受ける死刑は1回だけ。死んでしまえばさらに殺すことはできません。
仕方のないことだ、と納得するのはおかしなことだということは、逆のことを考えれば分かります。1日1万円の労働を100日やって、1万円の報酬しかもらわなくても、文句の言わないという人があるでしょうか。犯罪者が殺されたからといって、被害者が帰ってくる訳ではありませんが、心情的には、100人殺した人には、100回分の死の制裁が与えられなければ気が済まない、というのが人の心のはずです。
加えて、原因が異なるのに結果が同じ、というのは因果律にも反することです。100人殺して1回死刑を受けた人は、残りの99人分の報いを、死んだ後にでも受けねば道理に合いません。また、そうでなければ、「どうせ俺は死刑なんだ。全人類を道連れにしてやる!」という狂人の出現を、どうして食い止めることができるのでしょうか。
因果応報、因果の道理を真実とするならば、この世だけでは収まらなくなり、過去世、未来世(来世)の存在を認めないと説明のつかないことになってしまうのです。
昨日があるから今日があり、今日があるから明日があるように、
私達の生命は、生まれる前の世界から現世、そして死後の世界へと、時間の旅をしているのであり、
死んで焼かれて灰になる肉体は、魂の器、乗り物のようなものだと考えられます。
では、乗り換えた先、つまり死んだらどうなるのか?
経典には
現在のこの一瞬一瞬が過去と未来を包含しており、今を徹見することが、生命の謎を解く鍵になりそうです。
ということで、BGMは、輪廻転生をテーマとした、DREAM THEATER、『Metropolis Pt 2: Scenes from a Memory 』より、「The Spirit Carries On(魂は引き継がれる)」
このアルバムでは、
「Fatal Tragedy」と「Beyond This Life」の間で
ところで、
科学というのは、外界の事象を注意深く観察し、実験を繰り返して、計算、推論をし、普遍的な原因と結果の関係を追求する学問ということができると思います。
もちろん、科学では説明のできないことはたくさんあると思いますし、自分は科学万能主義者ではありません。
しかしそれは、原因不明ということがある、ということであって、それを、原因なく何かがおきた、と考えるのは、非科学的態度であり、感心できません。
つまり何が言いたいかというと、
原因なくして結果なし、原因が変わればそれに応じて結果も変わる、
「運命」という観点からさらにいえば、自分の受ける結果は自分が作り出したもの、
というのが真実ではないでしょうか。
仏教ではこれを
「善因善果 悪因悪果 自因自果」と教えられます。時に、「他因自果ではないか」と思われる時もありますが、これについては長くなるので別の機会に。
で、私達が人間に生まれてきたというのは、一つの結果であります。蟻とか蜘蛛とか、蛙とかゴキブリとか、鼠ではなく、人間に生まれてきた、というのは素晴らしい結果だと思います。猫に生まれたかった、と思う人も多いかもしれませんが、猫になったら、それはそれで大変そうなので、ここは、人間に生まれてきて良かったということにしておきましょう。
同じ人間でも、日本ではなく、アメリカに生まれていたら、中国に生まれていたら、アフリカに生まれていたら、フィンランドに生まれていたら、セントビンセント及びグレナディーン諸島に生まれていたら、、、女(男)に生まれていたら、明治や大正に生まれてたら、、、と考えると、今とは全く違った生き方をしていたに違いないと思います。
モーツアルトやベートーヴェンのように生まれながらに才能に恵まれた人もあれば、そうでない人もいます。裕福な家庭に生まれる人もあれば、貧しい国に生まれる人もあります。1000人いたら、1000通りの生まれ方があります。
では、これら、賢愚・美醜・貴賎・貧富・男女などの差はどうして生ずるのか? 結果に違いが生じたということは、原因に違いがあったと考えられます。中には、運命は神の御心によって与えられたものだと言う人がいますが、不幸な境涯に生まれた人は、神を心から祝福することができるのでしょうか。試練として受け入れられるのでしょうか。もし仮にそうだとしても、どうして自分がそのような者として「選ばれて」しまったのか。やはり、他人にはない自分固有の原因があった、と考えるのが妥当なようです。
とすると、そのような生まれ方をせざるを得ない原因を、自分が生まれる前に持っていた、ということになります。つまり、過去世(前世)の存在を認めざるを得ない、ということです。
次に、未来について。
例えばここに、人を1人殺した人、10人殺した人、100人殺した人がいるとして、全員死刑の判決を受けたとします。
果たしてこれは平等だと言えるでしょうか。1人殺した人も、100人殺した人も、受ける死刑は1回だけ。死んでしまえばさらに殺すことはできません。
仕方のないことだ、と納得するのはおかしなことだということは、逆のことを考えれば分かります。1日1万円の労働を100日やって、1万円の報酬しかもらわなくても、文句の言わないという人があるでしょうか。犯罪者が殺されたからといって、被害者が帰ってくる訳ではありませんが、心情的には、100人殺した人には、100回分の死の制裁が与えられなければ気が済まない、というのが人の心のはずです。
加えて、原因が異なるのに結果が同じ、というのは因果律にも反することです。100人殺して1回死刑を受けた人は、残りの99人分の報いを、死んだ後にでも受けねば道理に合いません。また、そうでなければ、「どうせ俺は死刑なんだ。全人類を道連れにしてやる!」という狂人の出現を、どうして食い止めることができるのでしょうか。
因果応報、因果の道理を真実とするならば、この世だけでは収まらなくなり、過去世、未来世(来世)の存在を認めないと説明のつかないことになってしまうのです。
昨日があるから今日があり、今日があるから明日があるように、
私達の生命は、生まれる前の世界から現世、そして死後の世界へと、時間の旅をしているのであり、
死んで焼かれて灰になる肉体は、魂の器、乗り物のようなものだと考えられます。
では、乗り換えた先、つまり死んだらどうなるのか?
経典には
汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。(因果経)とあります。
現在のこの一瞬一瞬が過去と未来を包含しており、今を徹見することが、生命の謎を解く鍵になりそうです。
ということで、BGMは、輪廻転生をテーマとした、DREAM THEATER、『Metropolis Pt 2: Scenes from a Memory 』より、「The Spirit Carries On(魂は引き継がれる)」
Dream Theater and Queensryche – The Spirit Carries On (live)
このアルバムでは、
「Fatal Tragedy」と「Beyond This Life」の間で
Now it’s time to see how you died. Remember that death is not the end but only a transition.というナレーションがあり、「死は終わりではなく変化である」というのが意味深に感じられます。
関連記事かも?
- The Spirit Carries On / DREAM THEATER
- 梅田望夫 / ウェブ時代5つの定理 この言葉が未来を切り開く!
- iPhoneに ゴキブリ入りて 罪観ず
- ポップコーン
- 蓮如上人のお言葉 / 仏法には世間の隙を闕きて聞くべし(『御一代記聞書』)
関連記事は無いと思います。




コメントはまだありません。