★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年11月22日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
蓮如上人のお言葉 / 仏法には世間の隙を闕きて聞くべし(『御一代記聞書』)
「仏法は聴聞に極まる」と言われますが、聞法の心がけについて、教えて頂いたことを以下にまとめます。
釈迦は『大無量寿経』に
これを受けて、親鸞聖人は、
いかに真剣に聞かねばならないか、ということですが、蓮如上人はこう仰っています。
しかし、これではピンとこないので、蓮如上人はこうも教えられています。

蓮如上人「世間の隙」とは、仕事のことです。「闕きて」とはやめて、ということです。
生きるためには働かねばなりません。生きるために一生懸命やっていること、絶対に必要なことをここでは「世間の隙」と言われています。「ヒマ」といったら、やってもやらなくても良いものですが、蓮如上人は、生きてゆく上で、必要なものを「世間の隙」と仰っているのです。
「ヒマ」に対しては「仕事」です。仕事のないときをヒマと言います。では、蓮如上人の仰る「仕事」とは何でしょう?
この世に何のために生まれてきたのか? なぜ生きているのか? 何兆年という年月からすれば、100年はあっという間です。その間、何をする為に生まれてきたのでしょう? やがて死ぬのに。
会社に勤めている人は、会社の仕事があります。農家の人は、田畑を耕すのが仕事です。その他、政治・経済・科学・医学……これらのものは皆仕事です。しかし、蓮如上人はこれらを「世間の隙」と仰っているのです。
では、どんな仕事をする為に生まれてきたのか? 蓮如上人は仏法を聞くために生まれてきた、と仰っているのです。なぜ生きるのか……仏法を聞くために生まれてきた、と。
仏法を聞くためには生きてゆかねばなりません。そこで、「世間の隙」が大事になってくるのです。「なぜ生きるか」が大事だから「どう生きるか」が大切になってくるのです。
蓮如上人は「世間の隙の為に生きているのではないですよ。仏法聞くために生きているのですよ」ということを仰っているのです。それが分かっていないと、このお言葉を聞くとびっくりするのです。ヒマな時に、教養程度に聞いておれば良いのが仏教、都合が悪くなれば先延ばしにすればよいもの、というのが世間の人の考えです。しかし蓮如上人はまるっきり逆です。仏教を聞くために田畑を耕し、食べ物を作らねばならないのですよ、会社に勤めなければならないのですよ、と。逆さまな考えを正しておられるのです。
皆、逆さまだから、死ねば頭下足上で地獄に堕ちると仏教では説かれています。頭下足上とはお経の中のお釈迦様のお言葉です。逆さまということです。「俺の考えは間違いない」と皆思っていますが、それは間違い、頭下足上のことを思っているぞ、と蓮如上人は「世間の仕事をやめて仏教を聞け」と仰っているのです。世間の仕事をやって、ヒマができたときに仏教を聞けば無碍の一道に出れる、と思っていたら大間違い、と言われているお言葉なのです。
蓮如上人のようなことを言うと、「仕事をやめたらどうして生きていけるのか」「仏教聞いていたら金が儲かるのか」と非難されますが、「火の中かきわけても聞かねばならないのが仏教」と教えられているのです。
その真剣さは、生きて行く上で必要な仕事と、仏教とどちらが重いのか、このような話があります。
ある和尚が小僧を連れて歩いていたときのこと。小僧がこのように言いました。「和尚様、今、狂人の描いた絵がありましたね」「どんな絵だった?」和尚が聞くと「ちょうちんとつりがねが、等間隔で天秤にかけられていたのに、ちょうちんが下がっている絵です」。小僧が答えると和尚「それはお前が狂人なのだ」とすかさず答た、という話です。
それは、当然下がらなければならないものが上がっており、当然上がらなければならないものが下がっている。皆狂人だということを描いた絵です。つりがねは仏法、ちょうちんは世間の仕事を表しています。仏法が軽くなって、世間のことが重くなっている、ということです。
私達はどんなに長く生きても100年かその位です。仏教は、何億年どころではない、比較にならないことを問題にしています。それを、「仕事が大事、仕事が大事、仕事をしなければ食べてはゆけないではないか」と言っているのです。では、食べていたらいつまでも生きてゆけるのか?
そういうことを蓮如上人は、一番大事だと思っている”どういきるか”を「世間の隙」と仰って「”どう生きるか”よりも大事なのは”なぜ生きるか”でしょ?」と、頭上足上の逆さまな私達に、本当の姿を明らかにされているのが
釈迦は『大無量寿経』に
設有大火 充満三千大千世界 要当過此 聞是経法 歓喜信楽 受持読誦 如説修行と説かれています。
設ひ大火有りて三千大千世界に充満せんに、要ず当に此を過ぎて是の経法を聞き、歓喜信楽し、受持読誦し、如説に修行すべし。
これを受けて、親鸞聖人は、
たとい大千世界にと仰っていますが、大宇宙が火の海になっても、その中をくぐりぬけて聞きなさい、と言われているお言葉です。
満てらん火をも過ぎゆきて
仏の御名を聞くひとは
ながく不退にかなうなり(浄土和讃)
いかに真剣に聞かねばならないか、ということですが、蓮如上人はこう仰っています。
火の中を分けても法は聞くべきに 雨風雪はものの数かはお釈迦様、親鸞聖人、蓮如上人、言葉は違っていても同じことを教えられています。他には考えられない聞法の真剣さです。
しかし、これではピンとこないので、蓮如上人はこうも教えられています。
仏法には世間の隙を闕きて聞くべし。 世間の隙をあけて法を聞くべきように思うこと、浅ましきことなり。(御一代記聞書)

蓮如上人
生きるためには働かねばなりません。生きるために一生懸命やっていること、絶対に必要なことをここでは「世間の隙」と言われています。「ヒマ」といったら、やってもやらなくても良いものですが、蓮如上人は、生きてゆく上で、必要なものを「世間の隙」と仰っているのです。
「ヒマ」に対しては「仕事」です。仕事のないときをヒマと言います。では、蓮如上人の仰る「仕事」とは何でしょう?
この世に何のために生まれてきたのか? なぜ生きているのか? 何兆年という年月からすれば、100年はあっという間です。その間、何をする為に生まれてきたのでしょう? やがて死ぬのに。
会社に勤めている人は、会社の仕事があります。農家の人は、田畑を耕すのが仕事です。その他、政治・経済・科学・医学……これらのものは皆仕事です。しかし、蓮如上人はこれらを「世間の隙」と仰っているのです。
では、どんな仕事をする為に生まれてきたのか? 蓮如上人は仏法を聞くために生まれてきた、と仰っているのです。なぜ生きるのか……仏法を聞くために生まれてきた、と。
仏法を聞くためには生きてゆかねばなりません。そこで、「世間の隙」が大事になってくるのです。「なぜ生きるか」が大事だから「どう生きるか」が大切になってくるのです。
蓮如上人は「世間の隙の為に生きているのではないですよ。仏法聞くために生きているのですよ」ということを仰っているのです。それが分かっていないと、このお言葉を聞くとびっくりするのです。ヒマな時に、教養程度に聞いておれば良いのが仏教、都合が悪くなれば先延ばしにすればよいもの、というのが世間の人の考えです。しかし蓮如上人はまるっきり逆です。仏教を聞くために田畑を耕し、食べ物を作らねばならないのですよ、会社に勤めなければならないのですよ、と。逆さまな考えを正しておられるのです。
皆、逆さまだから、死ねば頭下足上で地獄に堕ちると仏教では説かれています。頭下足上とはお経の中のお釈迦様のお言葉です。逆さまということです。「俺の考えは間違いない」と皆思っていますが、それは間違い、頭下足上のことを思っているぞ、と蓮如上人は「世間の仕事をやめて仏教を聞け」と仰っているのです。世間の仕事をやって、ヒマができたときに仏教を聞けば無碍の一道に出れる、と思っていたら大間違い、と言われているお言葉なのです。
蓮如上人のようなことを言うと、「仕事をやめたらどうして生きていけるのか」「仏教聞いていたら金が儲かるのか」と非難されますが、「火の中かきわけても聞かねばならないのが仏教」と教えられているのです。
その真剣さは、生きて行く上で必要な仕事と、仏教とどちらが重いのか、このような話があります。
ある和尚が小僧を連れて歩いていたときのこと。小僧がこのように言いました。「和尚様、今、狂人の描いた絵がありましたね」「どんな絵だった?」和尚が聞くと「ちょうちんとつりがねが、等間隔で天秤にかけられていたのに、ちょうちんが下がっている絵です」。小僧が答えると和尚「それはお前が狂人なのだ」とすかさず答た、という話です。
それは、当然下がらなければならないものが上がっており、当然上がらなければならないものが下がっている。皆狂人だということを描いた絵です。つりがねは仏法、ちょうちんは世間の仕事を表しています。仏法が軽くなって、世間のことが重くなっている、ということです。
私達はどんなに長く生きても100年かその位です。仏教は、何億年どころではない、比較にならないことを問題にしています。それを、「仕事が大事、仕事が大事、仕事をしなければ食べてはゆけないではないか」と言っているのです。では、食べていたらいつまでも生きてゆけるのか?
そういうことを蓮如上人は、一番大事だと思っている”どういきるか”を「世間の隙」と仰って「”どう生きるか”よりも大事なのは”なぜ生きるか”でしょ?」と、頭上足上の逆さまな私達に、本当の姿を明らかにされているのが
仏法には世間の隙を闕きて聞くべし。 世間の隙をあけて法を聞くべきように思うこと、浅ましきことなり。のお言葉なのです。
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