★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年11月30日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
『歎異抄』勉強会 / 善人よりも悪人 – 阿弥陀仏の本願の真骨頂
『歎異抄』という本に、阿弥陀仏の本願について
今から約2600年前、お釈迦様が説かれた教えが仏教です。その根幹は「因果の道理」。
これを教えられたのが仏教であり、大宇宙の仏はすべてこれを教えられています。
それなのに、阿弥陀仏という仏様だけが、歎異抄で言われているようなことを誓われているのです。
大宇宙には数限りない仏様がおられますが、阿弥陀仏は本師本仏といって、すべての仏の先生にあたる仏様です。その、本師本仏の仏様が「善人よりも悪人」とおっしゃっているのです。
仏のさとりを開いた方は、皆、本願を建てておられます。本願とは誓い、約束のことです。そして、阿弥陀仏以外の仏様に共通している誓いは、「善人になりなさい、そうすれば助ける」というものです。
ところが「善人よりも悪人」と、大宇宙の仏方が建てることの出来なかった本願を、阿弥陀仏は建てておられるのです。これが、阿弥陀仏の本願の特徴の中の特徴、最も素晴らしい所以です。他の仏の出来なかったことを、阿弥陀仏のみが約束することが出来た、そして実行することが出来た。だからこそ本師本仏と賞讃されるのです。阿弥陀仏の本願の真骨頂は、まさにここにあるのです。
真骨頂とは、阿弥陀仏という仏でなければ出来ないこと、ということです。そこで、大宇宙の仏方が阿弥陀仏を本師本仏と褒め称えておられるのです。
親鸞聖人は
「無明の闇」とは、すべての人間の苦しみの根元のことです。「金がないから」「怪我をしたから」という苦しみがなくなってもなくならない、人間存在そのものの苦しみ、人類の苦しみの元凶です。
その人間の苦しみの元をなくす、人間を本当の幸せにするというのが「破する」です。
そういう力を持っている仏は、大宇宙広しといえども阿弥陀仏しかおられない。だから、大宇宙の仏方が「智慧光仏」と言うのだ、と言われているのです。無明の闇を破る力を智慧光と言います。
一切諸仏とは、すべての仏方。三乗衆とは、仏のさとりまで至っていない声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩(ぼさつ)。そういう方々が、阿弥陀仏を褒め称えておられるのです。
そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします。とあります。
なぜ悪人でも、本願を信ずるひとつで救われるのかといえば、煩悩の激しい最も罪の重い極悪人を助けるために建てられたのが、阿弥陀仏の本願の真骨頂だからである。(歎異抄第一章)
今から約2600年前、お釈迦様が説かれた教えが仏教です。その根幹は「因果の道理」。
善因善果 悪因悪果 自因自果善い事をすれば善い結果が、悪い事をすれば悪い結果が、自分のやった行いは自分に返ってくる。この道理が分かれば廃悪修善となり、悪をやめて、善をしようという心になります。
これを教えられたのが仏教であり、大宇宙の仏はすべてこれを教えられています。
それなのに、阿弥陀仏という仏様だけが、歎異抄で言われているようなことを誓われているのです。
大宇宙には数限りない仏様がおられますが、阿弥陀仏は本師本仏といって、すべての仏の先生にあたる仏様です。その、本師本仏の仏様が「善人よりも悪人」とおっしゃっているのです。
仏のさとりを開いた方は、皆、本願を建てておられます。本願とは誓い、約束のことです。そして、阿弥陀仏以外の仏様に共通している誓いは、「善人になりなさい、そうすれば助ける」というものです。
ところが「善人よりも悪人」と、大宇宙の仏方が建てることの出来なかった本願を、阿弥陀仏は建てておられるのです。これが、阿弥陀仏の本願の特徴の中の特徴、最も素晴らしい所以です。他の仏の出来なかったことを、阿弥陀仏のみが約束することが出来た、そして実行することが出来た。だからこそ本師本仏と賞讃されるのです。阿弥陀仏の本願の真骨頂は、まさにここにあるのです。
真骨頂とは、阿弥陀仏という仏でなければ出来ないこと、ということです。そこで、大宇宙の仏方が阿弥陀仏を本師本仏と褒め称えておられるのです。
親鸞聖人は
無明の闇を破するゆえと言われています。
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり(浄土和讃)
「無明の闇」とは、すべての人間の苦しみの根元のことです。「金がないから」「怪我をしたから」という苦しみがなくなってもなくならない、人間存在そのものの苦しみ、人類の苦しみの元凶です。
その人間の苦しみの元をなくす、人間を本当の幸せにするというのが「破する」です。
そういう力を持っている仏は、大宇宙広しといえども阿弥陀仏しかおられない。だから、大宇宙の仏方が「智慧光仏」と言うのだ、と言われているのです。無明の闇を破る力を智慧光と言います。
一切諸仏とは、すべての仏方。三乗衆とは、仏のさとりまで至っていない声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩(ぼさつ)。そういう方々が、阿弥陀仏を褒め称えておられるのです。
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阿弥陀仏では幸せを築けません。
阿弥陀仏は架空の仏であり、しかも正法誹謗する人は救えないと誓願の中で断言してます。
正法とは法華経であり、法華経は日蓮大聖人の教えによってのみ正しく通解できるのです。
よって阿弥陀仏は謗法であり、悪の根源です。
いちはやく改心し、正法に帰することを心から念じます。
通りすがり様
コメント有難うございます!
大乗非仏説とか色々な説がありますよね。
正法を誹謗する人については、確かに「唯除五逆誹謗正法」とありますが、その前の「若不生者不取正覚」が気になります。
法華経について調べてみると、
深智で、「利根にして智恵明らか」で「多聞強識にして仏道を求むる者」には最高の教えのようですね!
「室・衣・座の三軌」できるかどうか、頑張ってみます! レ(゚o゚レ)
で、ムリなら嘱累品の「法華経を信じえない者の為には如来の余の深法を教えよ」をあてにして、、、(^_^;
ご縁が出来て何よりです。
『四十余年未顕真実』
この伝承を、下種の教相判釈の辺から行学されると、有難く感じることが出来ます。
それは、数多ある宗論に微塵たりとも惑わされる事の無い、日蓮大聖人の仏法を渇仰恋慕し、自ら実践する事で、唯一確実に体得可能と成ります。
末法は折伏。
法華折伏破権門理です。
重ねて正法帰依をお祈り申し上げます。
通りすがり様
コメントありがとうございます!
仏縁に恵まれたことは、お互い幸せなことだと思います。
『四十余年未顕真実』は、四十年余り「真実を顕わさず」ではなく、「真実を体得する人が顕われなかった」だと思っていました。
また、『無量義経』は中国でできたもので、釈迦の仏説ではない、という文献があるとも聞いたことがあります。
そこら辺がどうなのか、また機会があれば調べてみたいと思います。
教学、行学のどちらかにかたよることなく、教えるに則した体験大切なんですよね。
今後もよろしくおねがいします(・ω・)ノ