紅楳英顕先生学習会(1)[後半(1)] @築地本願寺 2011.03.12

closeこの記事は 1 年 2 ヶ月 1 日 前に投稿されたものです。間違いに気づいたらその都度修正していますが、今読んだらおかしな点もあるかもしれません。ご了承ください。


前回の続きです。

学習会の後半、、、の前半の記録をまとめましたので、紅楳先生に許可を得て、以下に公開します。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


親鸞聖人(1173-1263)は平安時代の終わり、やがて源頼朝が鎌倉幕府を開く時代に、公家の子供として生まれました。そして9歳で出家、比叡山に登りました。天台宗、自力の仏教です。当時、仏教の勉強をしようと思ったら比叡山に登るのが普通でした。ところが、どうしても煩悩を断ち切ってさとりを開くことが出来ないという悩みを持つようになりました。これは、親鸞聖人の先生の法然上人も同じでした。一生懸命修行に励んでも、煩悩を断ち切ることが出来ないという悩み。これは、怠けたとか落第したということではないと思います。真剣に取り組むが故の悩みというべきだと思います。真面目に自分自身を振り返るが故の悩みのお言葉、沢山あります。代表的なのは、
悪性さらにやめがたし
心は蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに
虚仮の行とぞなづけたる
煩悩を断ち切れない私がいくらさとりを求め修行に励んだとしても、それは煩悩の毒の混じった修行でしかない、嘘の修行でしかない、とてもさとりを開ける私ではない、と。
地獄は一定すみかぞかし
最も罪の深い者がいかなくてはならないところであり、もっとも多くの苦しみを受けなければならない世界を仏教で地獄といいます。自分のような罪の深いものは、地獄より他にゆきばのないのだ、というお言葉です。

このように、自分自身を深く深く見つめて、自分は罪深きものであり煩悩具足である、自分のようなものは比叡山でいくら修行してもどうにもならないという気持ちになり、比叡山で20年間自力の修行をしましたが、その道を離れようとしたのです。そして、当時「日本のお釈迦様」と敬われていた聖徳太子にお尋ねしようと、聖徳太子のゆかりのお寺、京都の六角堂に参籠しました。29歳のときです。

そして95日目の朝方、聖徳太子より(法然上人を訪ねよ、という)夢告を受け、法然上人を訪ねます。それまでやっていた自力の仏教では自分はさとりを獲ることは出来ない、と、法然上人の教えにより、自力の力を捨てて他力(仏力による救い、弥陀の本願力)の道に入るのでした。弥陀の本願力とは四十八願、生きとし生けるものを救って、仏のさとりへ導いてやろうという願いです。その中で中心となるのが十八願です。よく「私の十八番」などといいますが、これが元です。

それで親鸞聖人は、我々が修行してさとりを獲るのではなく、必ず救い摂るという阿弥陀如来の願の願いによって救いを頂くのだ、と説いたのです。これが浄土真宗です。

本願を信じて念仏する、阿弥陀如来の本願を信じて念仏する、これが非常に大切なところです。念仏念仏と一般的に言われ、その通りなのですが、特に浄土真宗において大切なことは、本願を信じて念仏する、と、信心が非常に大事にされているのです。それで蓮如上人はこれを受けまして、『御文章』の中には「御恩報尽の念仏と心得べきなり」とおっしゃっています。念仏するのは阿弥陀如来に対するご恩報謝だ、と。

信心正因 称名(念仏)報恩

信心によって救いが定まり、念仏はご恩報謝である。ここが、親鸞聖人が非常に強調されたところです。法然上人も同じですが、親鸞聖人は信心を非常に強く言われました。

本当のよろこびというのは信から出てくる、と言えると思います。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


(続いて、本願寺出版社から出ている『浄土真宗聖典』にも収録されている『親鸞聖人御消息』について聞かせていただきました。)


【親鸞聖人御消息】

 本書題号の「御消息」とは、親鸞聖人が関東から京都に帰られ、遷化されるまでに、関東各地の門弟に与えられた手紙のことである。43通あって、そのほとんどは『御消息集』『血脈文集』や従覚上人が編集された『末灯鈔』などに収録されているが、近年公表された真蹟消息や古写本等も含まれている。その内容は門弟の質問に対する返事や聖人の身辺のことであり、門弟からの懇志に対するお礼に添えてかかれたものなどもある。これらの消息集におさめられたものには、互いに重複するものや、真蹟などとの異同が認められるものがある。このため『原典版』では、近代の確定できるものおよび年代の推定が確実視されるものを年代順に、次いで年代の推定に疑問が残るものおよび年代が不明のものを月日順に配列する編綴方法をとった。そして本聖典では、各消息の簡単な内容紹介と消息集諸本における該当通数とを各通の初めに示した。
 この消息を通して、関東の門弟たちの間で、教義的にどのようなことが問題になっていたかを推測することができある。誓願名号同一や「如来とひとし」ということについての説明、また造悪無碍の異義に対する厳しい批判などがそれである。さらに念仏停止の訴訟に関することや善鸞義絶と関連するものがいくつかみられることも注意すべきである。その他、「自然法爾章」のような短篇の法語も収録されている。
 全体としては、晩年の聖人の信心の領解がうかがわれるとともに、指導者としての聖人の態度や門弟の信仰態度などを知ることができ、初期の真宗教団の動静をうかがうのに欠かせないものである。


親鸞聖人御消息

 有念無念の事。
 来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終ということは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。


有念無念の事。臨終のときに我々はどういう思いをもったら良いのか、ということについて。親鸞聖人はこのことを否定されました。

浄土教、、、浄土宗でもそうですが、臨終来迎が非常に大きな問題とされていました。これは、日頃から仏さまを大事にし、お念仏を一生懸命称えていなたらば、まさに命が終わろうとしている時、臨命終時に、お浄土から救いに迎えにきてくれるということです。これは経典にも書かれていることで、当然問題にされていた訳です。

それに対し親鸞聖人は
来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終ということは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。
命の終わり際に仏さまが助けにお迎えに来てくださるんだという考え方は、諸行往生(色々な自力の修行を積むことによって浄土に生まれようとする考え方)の人の言うことである。そういうことを言っている人は、真実の信心をまだ獲ていないのだ。阿弥陀さまの救いを本当に信じた心というのが定まっていないのだ、と言われています。
また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。
これは、罪深い人が命が終わるときに初めて教えを説く人にあって、すすめられるときにいうことなのだ。本当の信心を獲ている人とは違うのだ。
真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。
阿弥陀さまの本願を信ずる心が定まっている人は、すでに阿弥陀さまの救いのなかに摂められて捨てられないのだから、正定聚に住すのだ。

正定聚というのは、まさしく仏になることに定まったなかま、ということです。ここでいう仏とは、さとりを開いた人です。聖人は、それまでは死後浄土に生まれてから住すと考えられていた正定聚を現生正定聚楽とし、現世で信心をえたときに住すと説かれました。現生で正定聚の位になれる、と。これは聖人の独自の釈顕です。
このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。
命が終わるときになって、阿弥陀さまの救いのお迎えがあるのだろうか、なかろうかと、気にしながら待たなければならないということはない。仏さまのお迎えをあてにすることはないのだ。阿弥陀さまの救いを信じる心の定まったとき、往生も定まるのだ。浄土に生まれて仏にさせていただくことは、信心定まるときに定まるのだ。
来迎の儀則をまたず。
その当時、命終わるときにはこのようにしなければならないと、非常に細かく言われていました。枕元に阿弥陀さまを据えて、阿弥陀さまの手と病人の手を結んで「この人が死んだときに浄土に連れて行ってください」「私が死ぬときは間違いなく浄土へ連れて行ってください」と一生懸命お願いするということが行われていました。有名なのは、藤原道長がいよいよ命終わるときに、枕元に阿弥陀さまを据えて阿弥陀さまの手と自分の手を結んで一生懸命念仏して救いを願ったということがありました。このように、儀則(儀式)があったのですが、親鸞聖人はそういうことは一切いらない、信心定まるときに往生は定まるのだ、現生正定聚、現世からの救いなのだ、と説かれたのです。

ここで、信心というのは、信心念仏も自分の力によるものではない、如来よりたまわったものであるとする、他力回向の信心念仏です。信ずる心も称える念仏も、普通に考えると自分のしていることに間違いないのですが、全部、仏さまがしてくれているのだ、全てが他力なのだ、ということです。

そして特に現生正定聚、仏の救いは現世からなのだ、と強調されたのが親鸞聖人でありました。


(御消息は)今日はここまでとして、続きは次回に致したいと思います。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 



【質疑応答】(の前半)

(質問)阿弥陀さまが救ってくださるということを、自分が信じたら現生正定聚とさせていただけるのでしょうか。

(お答え)仏さまの本願は、必ず救いとってやるぞ、というものです。それを、自分がそのまま受け止めた。それを信心定まった人、と言われています。自分が受け止めたことには間違いないのですが、親鸞聖人はそれを他力廻向の信心と言われました。自分の心が受け止めたとは説明されません。これは実感の問題です。『歎異抄』には「如来よりたまわりたる信心」とあります。信ずる心も如来さまから頂いたものだという言い方です。
「弥陀の廻向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」私の口から出ているものではあるけれど、阿弥陀さまからいただいたお念仏だからこの功徳は十方にみちたまうのだ、と。

(質問)阿弥陀さまが浄土に連れて行って下さるのは未来のことなのに、なぜ、現在ハッキリと断言できるのでしょうか。

(お答え)今もありましたように、これは実感です。例えば「お前は自分の子供を可愛いと思うか」と聞かれたら、実際子供を持つ人なら可愛いと躊躇なく言うでしょう。よその子供だったら口では「可愛い」というかも知れませんが、我が子に対して言うのと明らかに実感が違いますよね。

(質問)法然上人も親鸞聖人も同じ本当のよろこびを味わっておられたと思いますが、なぜ親鸞聖人だけがこのよろこびは正定聚なのだとハッキリおっしゃったのでしょうか。

(お答え)法然上人も現世の救いという思いもあったと思いますが、正定聚に関しては彼土正定聚(浄土に生まれてからの正定聚)と、経典や七祖の教えではそうなっていますから。法然上人は現生とは言われませんね。しかし救いの実感はあったと思いますよ。現世で仏さまの救いの中に入らせていただいたという実感はあったと思いますが、説明の仕方は浄土に生まれてから、となっています。

(質問)夢で法然上人のところへ行けと告げられたということですが、我々現代人は、それは一種の妄想くらいにしか思えないのですが、、、。類推するに、それ以前に、法然上人という素晴らしい先生がいらっしゃるんだという情報を少しずつ得ていて、最後のきっかけとして夢となったのかな、と思ってしまいます。

(お答え)それはそうだと思います。もちろん法然上人のことはすでに聞いておられたのですから。行ってみたいなあ、という気持ちはすでにあったと思います。それで、夢で決心がハッキリしてけじめがついたということでしょう。

(質問)「中心は十八願」とは、どういうことでしょうか。

(お答え)七高僧の中でも十八願が大事だということは言われてきましたし、法然上人も「選択本願」とか「王本願」という言い方はされていました。十八願には「若不生者 不取正覚」とあります。「若しその人が私の国に生まれることが出来なかったら私は仏に成りません」ということですので、親鸞聖人に限らず法然上人も七高僧も十八願を非常に注目していました。

(質問)その場合、本願が48あるということなのか、それとも本当は十八願だけで、それを広げると48の願になるということなのか、如何でしょうか。

(お答え)浄土というところはこういうところでありたい、と浄土の荘厳がずっと述べられているのです。

ここで、「生因三願」と言いまして、浄土に生まれるという往生の因について述べられているのが十八願、十九願、二十願です。これを生因三願と言います。この中でも特に、「若不生者 不取正覚」が注目されました。

(質問)真実の信心は難しいと思うのですが、諸行往生は臨終の人でもできるということでしょうか。

(お答え)親鸞聖人は諸行往生を否定しておられます。臨終に信心決定することが間に合わなければ諸行往生で良いのではないか、と思われるかもしれませんが、諸行往生によるべきではないと親鸞聖人はおっしゃっています。方便化土ということを聞いたことがあると思います。諸行往生の人は真実の浄土に生まれることはできません。自力往生をするようなことでは方便化土にしか往かれないぞ、真実報土へは往けないぞ、と親鸞聖人は戒めておられます。それではダメだぞ、と言われているのです。一旦化土に往って、それからゆっくり、、、とは言われていません。

現世において本当のよろこびを頂くのが十八願の世界です。それは大慶喜心です。それに対し、二十願(十九願も含まれる)は大慶喜心を獲ず、と言われています。

十八願 → 真実報土、大慶喜心を獲る
十九願、二十願 → 方便化土、不獲大慶喜心

親鸞聖人は、十九願、二十願に入らず、十八願に入りなさいと言われているのです。


先ほどの御消息でいうと
真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。
と言われているところです。


(つづく)



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