宗祖讃仰作法(音楽法要)@築地本願寺 2011.04.29

4月29日、築地本願寺にて、
宗祖讃仰作法(音楽法要)で歌われる御文の説明を聞かせていただきました。

(関連)名号を となえんものをば (真宗の味わい)

宗祖讃仰作法(音楽法要)

弥陀の本願ともうすは 名号をとなえんものをば
極楽へむかえんと ちかわせたまひたるを
ふかく信じて とのうるが めでたきことにて候なり


有阿弥陀仏という、この一通だけで知られているご門弟が親鸞聖人に出された質問に対する御返事です。

有阿弥陀仏というお名前から、天台宗の坊さんが親鸞聖人のお弟子になったのではないかという学者さんもいます。

「浄土真宗では念仏で往生すると説いているが、念仏称えて往けるところは辺地(極楽の片隅)だけだ」と他の宗派から言われ、親鸞聖人にお尋ねしようと有阿弥陀仏が出された質問です。

それに対して親鸞聖人が、そんなことはありません、と、キッパリ答えられているのがことお言葉です。

続きを読んでみると、、、
信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にて候ふべき。このやうをよくよく御こころえ候うて御念仏候ふべし。

念仏を声に出して称えないならば、また、念仏を称えても信心が浅かったら往生は難しいと言われています。

名号を称えて、ご信心も深ければ必ず往生することは疑いありません。


他力本願を信じさせていただくことは、お念仏を称えさせていただくことが大切です。


そして、

この身はいまはとしきはまりてそうらえば
さだめてさきだちて往生し候わんずれば
浄土にてかならずかならず
まちまいらせそうろうべし


と続きます。


「ふかく信じて」というのが大切だと思います。

浅い、深いとは何なのか。それが問題です。

「あの人は信心が深い」とか「あの人は信心浅い」とよく言われますがそういうことではありません。

深いとは、「自力の心をふり捨てて」とか「疑いなく」ということです。

『疑惑和讃』という和讃があります。仏智の不思議を疑うと辺地に生まれるのだ、と教えられた和讃です。


浅いというのは、自分で阿弥陀様をこしらえる、念仏をこしらえる、信心がないということです。

浄土真宗は、愚か者になって聞かせて頂く教えです。ただただ愚痴で愚かな者と思っているのが本当に念仏を喜んでいる人で、「阿弥陀様こうだ」「念仏はこうだ」と説明し出す人は大丈夫だろうか、と親鸞聖人は御手紙に書かれています。



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十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる


『阿弥陀経』には、なぜ阿弥陀と名付けられたのかが説かれています。

『阿弥陀経』は、舎利弗尊者のご臨終の、お釈迦様のご説法です。舎利弗はお尋ねするお元気もなかったのでしょう。無問自説のご説法で、なぜ阿弥陀と名づけられたのか説いておられます。

十方を微塵にしたほどの無数の世界の、念仏をのお心を頂いて称える衆生を、抱きとめて捨てない仏様、それを阿弥陀様というのだよ、というご説明です。

仏様から逃げて逃げて逃げ回ろうとする私たちの前に、すっと現れて抱きとめてくださる。それが阿弥陀と名付けられた理由です。




宗祖讃仰作法(音楽法要)

宗祖讃仰作法(音楽法要)

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