報恩講に行ってきました(2)

11月28日、築地本願寺とは別に、誓願寺の報恩講に行ってきました。






頂いたお斎(おとき)の写真。





【食前のことば】
(合掌)
●多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
◎深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
(礼拝)

【食後のことば】
(合掌)
●尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
◎おかげで、ごちそうさまでした。
(礼拝)


尊いおめぐみをおいしくいただいた後は、お氣の毒な人たちのためにおめぐみを出させてもらいました。




実はこの日は日程を間違えて、少し遅れてしまったため、すでに板書に
涅槃真因唯以信心

涅槃―さとり(浄土)

信心
澄浄心、清浄心、勝解

と書かれてありました。

以下、途中からの、聞かせて頂いたメモです。

講師は高田慈昭師でした。


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信心について、『大無量寿経』には「至心」「信楽」「欲生」と説かれてあり、
『観無量寺経』には「至誠心」「深心」「回向発願心」とあります。

では、私たちは本当の真実心になれるのでしょうか。

善導大師は
不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮

と言われています。
外に賢善精進の相をを現じ、内に虚仮を懐いてはいけない、内外一致するのが真実心だ、と。

ところが現実を見ると、外は賢そうに見えても内は貪瞋邪偽で、奸詐百端、心は蛇蠍の如しです。

頭燃を払うが如く修行をやっても、雑毒の善で虚仮の行、このような心で善に励んでも、浄土往生すること、これ必ず不可なり、と親鸞聖人は仰っています。

親鸞聖人は善導大師の読み方を変えられました。

「外に賢善精進の相を現せ」と言われた善導大師のお言葉を、親鸞聖人は「外に賢善精進の相を現すな」と読まれました。何故かというと、上辺は善人そうな見かけをしても、それはウソっぱちだから。内に虚仮を懐いているから、外に賢善精進の相を現すな、と言われているのです。

至誠心、深心、回向発願心の三心になるのは我々凡夫には不可能です。如来の南無阿弥陀仏を頂くしかないのです。

そこで「機無円成回施の成信」、と他力回向の信心を明らかにされたのです。

機無円成回施の成信とは、
 機無―私(凡夫)の上に本来ありえない
 円成―だから仏様(阿弥陀仏)が円満に成就して
 回施―衆生に与えて
 成信―私の信心が成立する
ということです。

南無阿弥陀仏の大功徳が私の中に届いてくださったのが信心。
だから信心とは何かといったら、南無阿弥陀仏です。空中に浮いているものではなく、私の中にある南無阿弥陀仏です。

それは煩悩に染まることはありません。如来のお慈悲の中に抱かれて、浄土への道は変わらないのです。

ハスの花は泥沼に咲くけど泥に染まりません。そのように、南無阿弥陀仏は煩悩に染まることはありません。

阿弥陀如来によって成就された大善大功徳が南無阿弥陀仏です。
だから南無阿弥陀仏をいただいたら「便同弥勒」と説かれています。

まことに知んぬ、弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるがゆゑに、竜華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。ゆゑに便同といふなり。


他力回向の信心を横超の金剛心と言われています。

弥勒菩薩は次の世、仏になる菩薩です。我々も南無阿弥陀仏を頂いたら次の世、仏になります。だから弥勒菩薩と同じになるのです。

地獄往きのの浅ましい凡夫でも、他力金剛の信心を頂いたら、兜率天どころでない、大般涅槃を超証する、と言われているのです。




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