【動画】ANDULATION @仙台 FLYING STUDIO 2011.08.27

撮らせてもらった動画(手違いにより(2)から)です。



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DREAM THEATER / Meet And Greet – A Dramatic Tour of Events (4) 愛知県芸術劇場 2012.04.28

Dream Theater / 愛知県芸術劇場 2012.04.28
Dream Theater 来日公演4番目は愛知県芸術劇場。前日発の夜行バスで安く行こうかと思いましたが、仕事の都合で当日朝出発し、名古屋駅に着いたのは昼の12時頃でした。今回はMeet And Greetに参加するので集合が15:30。その間3時間半ありましたが、意外と慌ただしく時が過ぎてしまいました。

というのも、ジョン・ペトルーシの『Suspended Animation』を購入するためにレコード店をハシゴしたからです。なぜかというと、このアルバムは電子データとして音源は持っていたものの、CDでは持っていなかったと前の日の夜に気づいたからです。んで、なぜそのCDが必要なのかというと、つまりMeet And Greetだからです。

Meet And Greet 参加者
(参加者の面々)

Poster
(ポスター)

Meet And Greet pass
(パス)
Meet And Greetとは、ライヴが始まる前の、メンバーとの記念撮影、サイン会、そして限定番号入りツアーポスターをもらえるというもの。そのサイン用アイテムとして、ペトルーシのソロ・アルバムを持って行こうと考えていたのです。結局はタワーレコード2店、HMV1店を回って無かったので、あきらめましたが。

参加費は$200。約16,000円ですが、決して高いとは思わず躊躇せずに申し込みました。愛知を選んだのは、日程的な都合です。今回は19人が集まっており、その中の少なくとも2名は大阪から全部参加でおそらく横浜も参加すると思われます。すごい人もいるものだと感服しました。

参加者同士「緊張しますね~。何と声かけましょうか。サインはどこにもらいます?」などと、初対面ながら和気藹々と話をしていたら、スタッフの説明があり、いよいよメンバーが現れました。皆すごくリラックスした表情で、マイク・マンジーには片手に紙コップを持っています。

撮影会は、1人2ショット。このうち1枚がVipnationのパスワードつきホームページに期間限定でアップされます(早速見ましたが、感激です!)。ギターを持って来た人はペトルーシと一緒に持って。ドラムを持ってきた人はマンジーニの隣に行って(そのときジョーダンがファンの頭を叩くポーズをしていて笑えました)。私は、1枚目、にやける表情をなんとか抑えて普通にメロイックサインを。2枚目はどういうポーズにしようかと考えていたら、右隣のペトルーシが私の前で拳を握ってくれたので、それに合わせて手をグーにしました。すると、左隣のジョーダンも手を出してくれ、そのさりげない気遣いに、すでに200ドルのファンサービスを受け取った気分でした。

続いてサイン会。テーブルにはジョン・マイアング、マイク・マンジーニ、ジョーダン・ルーデス、ジョン・ペトルーシ、ジェイムズ・ラブリエという順に並びました。事前にスタッフより「これだけの人数がいますので、あまり長時間話をしないようにお願いします」とあったので、そのプレッシャーもあって緊張は高まるばかり。

あらかじめ紙に自分の名前を書いて、1人目のマイアングに「Hello. My name is Kenji」と言うと、「Hi Kenji」と穏やかに答えすらすらとサインを書いてくれました。こちらの緊張とは対照的に、ステージ上とまったく変わらない冷静な対応です。それでいて、淡々というわけではなく誠実な印象を受けました。でも、たくさん話しかけるのが申し訳なく思えるような不思議で物静かなオーラ。
この時、確かプレイ前であることを配慮してか握手ではなくグータッチにするよう事前の説明があったと思う(興奮のため余り覚えていない)のですが、つい誤って手を出してしまいました(実は他の人にも)。しかし、慌てて手を引っ込めようとしましたが、マイアングの方から握手に応じてくれ、しかもその握力が非常に強く、これまた200ドルのサービスを受け取った気分でした。でも、ありがとうと同時に開演直前に余計な体力を使わせてごめんなさい、マイアン。

次はマイク・マンジーニ。紙に書いた自分の文字が震えていて読みにくかったのか、「My name is Kenji」と言ったら「To Kensi」とサインをもらいました。実はマンジーニがまだDT加入前の頃、別バンドで来日した時に彼とは新宿ワイルドサイドで話をしたことがあります。二人で肩を組んで写っている写真を見せたら「Wow!! wow wow!」と喜んでくれました。「Do you remember me?」と言うと「Yes」と。仮に社交辞令だとしても、あのオーディション映像から伝わってくる人柄そのまんまの反応で、ここで600ドル目のサービスを頂きました。

次はジョーダン・ルーデス。マンジーニに写真を見せるために出したiPhoneをしまったり、サインをもらうアルバムを変えたりするのにもたついて焦りました。「Thank you for the beautifull tune when there was an big earthquake in Japan.(大地震の時に美しい曲を日本にありがとうございます)」と言うと「Yeah, that was awful.(ほんと、ひどかったよね)」と神妙に答えてくれました。ここで800ドル目の、、、(以降、略)。

ジョン・ペトルーシ。これまで、黒のペンで書いてもらっていましたが、少し見にくかったのであらかじめ用意していた白ペンで書いてもらうことにしました。ところが、終わったあと乾かないうちに他のものと重ねてしまったので、一部汚れてしまいました。何に書いてもらったかというと、ジョーダンとのソロアルバムです。「I've been listening to Dream Theater for more than 20 years since Charlie Dominici was singing,(Dream Theaterは、チャーリー・ドミニシが歌っていた頃から20年以上聴いています)」と言うと、「Oh, really? That's nice」と答えてくれました。本当は、マイキーにもこれを言いたかったんですけどね~、、、。あ、マイアングに言い忘れました、頭が真っ白になって。

最後はジェイムズ・ラブリエ。マイク・マンジーニが参加したMullmuzzlerのアルバムにマンジーニと連名でサインもらおうとしたらジャケットの左の男を指差して「Who is this?」と言われました。「え?この人って、誰かがモデルだったの?しまった予習不足だった」と慌てていたらもう一度「Who is this?」。今度はマンジーニのサインを指差しているように見えたので「あ、すでに書いてあるサインは誰の?と聞いているのだな」と思い「Mike Mangini」と答えたら「What?」。あれれ?あ、マンジーニの「To Kensi」のこと?と思って「My name is Kenji」と言ったら「Kenji?」とサインを書いてくれました。ところが書き終わってもまた「Who is this?」。どういうことだろう?とうろたえていたら「MULLMUZZLER,,, oh, I see」と。もしかしたら指差していたのは「MULLMUZZER」の文字で、「なにこれ?あ、俺が歌っているやつか」とボケていて、ツッコミを待っていたのかもしれません。しまった。噛み合わなかったです。じゃあ今度また機会があったらWinter Roseを持って行こうと思いました(実は今回念のために持って行っていました)。
挽回するために「I'm very glad to meet you」と言うと「Me too」と拳を出してきたのでグータッチで終了。

はあ~、この時、汗びっしょりでした。

●ジョン・マイアングのサイン
Autograph of John Myung

●ジョン・ペトルーシ、ジョーダン・ルーデスのサイン
Autograph of John Petrucci and Jordan Rudess

●ジェイムズ・ラブリエ、マイク・マンジーニのサイン
Autograph of James LaBrie and Mike Mangini


書いてもらったサインを大切にカバンにしまい、他の参加者と「いや~、全然喋れなかったですね~」と話していたら、サインを書き終えたマイアングが忍者のように音もなく去って行きました。我々が拍手で見送る隙を与えず出て行く様は、プレイ終了後舞台袖に引っ込んで行くマイアングそのものでした。どれだけ人前に出るのが嫌なのか、あるいは寸暇を惜しんで練習したいのか。
あ、関係ないですが、髪の毛がツヤツヤで綺麗でした。

それ以外のメンバーは、こちらに手を降ってにこやかに出て行きました。マンジーニは帰りも紙コップ片手に。


わずかに20分あまりの出来事でしたが、プレイ直前の大切な時間を割いてくれて、ありがとうございました!


長くなりましたので、ライヴ内容は以下、手短に行きます。

席は2階席5列目。2階席といっても1階席の延長のようなもので、傾斜のあるフロアの前から3/4くらいの感覚でした。愛知県芸術劇場は5階席まであってまるでオペラハウスのよう。MCでジェイムズも言っていましたが非常に綺麗で上品なホールです。音響も、福岡市民会館に負けず劣らじ。今回は後ろの方だったので、福岡の時に比べ音に立体的な厚みを感じました。「向こうから届いてくる」と言えば良いでしょうか。残響の程度も心地良く、そこに2階席後方までびっしり詰まった客の歓声が加わると凄まじい迫力になります。まさにコール&レスポンスのぶつかり合い。耳で聴くのではなく身体で感じるライヴでした。

今回も聴きどころはジェイムズのヴォーカル、そして「The Spirit Carries On」前のペトルーシ・ソロ、、、というか全部。キーボードを傾けたり膝まづいて弾くジョーダンのパフォーマンスは次回も見れるかも?

スクリーンが6角形の平面に見えたり立体のキューブに見えたり、また照明が豪華だったり、などの副次的楽しみもあります。

毎回「横浜アリーナで会おう」とジェイムズは言っていますが、アリーナでサプライズを切実に期待したいほど、セットリストは変わらずでした。今のところ渋谷だけが微妙に違うにとどまっています。

ハプニング的な事として、「横浜アリーナで会おう!(クルリ)」とジェイムズが振り返ると、マンジーニと激突。マンジーニが吹き飛ばされてしまいました。しかし、それがまるで小学生がはしゃいでいるかの如く、楽しそうに見えました。

ドラムセットの前に置いてある、ジャケットのピエロの赤い帽子は、(気づいた限りで)それまでずっと置いてあるだけでしたが、今回ようやくジェイムズが被りました。その姿はまるで可愛い外人さんのようで、、、あ、元々外人でした。

ジョーダンのショルダー・キーボードは依然使われていません。マイアングにチャップマン・スティックを期待するのと同じくらい、使用可能性は低いだろうと思うようになりました。


最後に、前座のAndy Mckeeですが、今回セットリストを変えてきました。多分2曲目は初めて聴く曲です。曲名は、隣の人のおしゃべりと重なって聞き取れませんでした。それと、ハープギターでも「Into the Ocean」という、これも恐らく初めて聴く曲を弾いていたと思います。南国のビーチでのんびりくつろいでいるような、心地良い曲で気に入りました。

それ以外は、「ワタシハ、アンディ・マッキーデス」というのが「私は襟巻きです」と聞こえたことや、最後を「A Change of Seasons」で締めたことなど、今まで通りです。
  1. Drifting
  2. (sorry I don't know)
  3. Into the Ocean
  4. THE FRIEND I NEVER MET
  5. TIGHT TRITE NIGHT


早いもので、いよいよ次回が最後の横浜アリーナとなってしまいました。少し寂しい気もしますが、めちゃくちゃ楽しみです!

長文、失礼しました。

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【追悼】中西和上ご往生 ~ 中西智海 / 親鸞教学入門(0)

4月27日の朝、お同行の純朗房義信さんよりメールがあり、中西智海和上が20日にお亡くなりになられたことを知りました。

中西和上とは直接のご縁はありませんでしたが、『親鸞教学入門』というご著書で浄土真宗の教えについて丁寧に教えて頂いております。その中から、自分なりに心に残ったことをこのブログに書き留めてきましたが、最近も投稿したばかりなので悲しく思います。

今回は、和上がどのようなお気持ちで筆を執られたのか、今一度「はじめに」を味わってみたいと思います。

はじめに

 親鸞聖人とその教えについて書かれた本はまことに多いといわねばなりません。また本来「入門」を書くということはその道のいわば権威者がなすべきことなのかもしれません。そういう意味で、多くある事に、また一冊を加えるということ、権威者のなるべきことなどと考えると、ここにこのようなかたちで世におくることは文字どおり汗顔のいたりであります。
 ただ、私を決断させたものは、私の後から、何とかして親鸞聖人の教えの内実に接近しようとする人たちへの捨て石になればとの思いだけであります。
 この本を書くにあたって、いかかさでも私の頭の片隅にあったのは次のような点であります。
  1. 親鸞聖人の教えは、現代に生きるかけがえのないいのちにどのようなメッセージとなるのか。人生とのかかわりの中で、考えてみたい。
  2. 親鸞聖人の血と涙の体験から生まれた結論のことばをいきなり解説するのではなくて、それに至るプロセスを考えてみたい。
  3. できるだけ専門語をさけて、ことばを暗記するのではなくて、思索する材料となるよう考えてみたい。
などのことであります。
 いまこの本が上梓される運びになったのは永田文昌堂主のあたたかいご厚意のほかありません。ここに記して深く感謝申上げます。
 尚、校正の労を煩わした土岐慶正、吉良和憲、鎌田宗雲学契に心から謝意を表します。
 何卒、みなさまのご𠮟正、ご批判をいただきますよう、切にお願いいたします。
   昭和50年4月8日
著者


「捨て石になれば」との中西和上のご苦労があればこそ、浄土真宗の教えを知ることが出来たと感謝しています。

以下、過去に書いた文章を紹介し、読み返すことをもって追悼とさせて頂きます。

徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(1)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(2)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(3)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(4)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(5)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(6)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(7)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(8)
徒然 - 中西智海 / 親鸞教学入門(9)


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、




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DREAM THEATER / A Dramatic Tour of Events (3) 福岡市民会館 2012.04.26

Dream Theater 福岡市民会館 2012.04.26
Dream Theater日本公演3日目は、福岡市民会館です。開場2時間前の16:30頃に会場に到着したときは、すでに30人くらい人が並んでいました。いつものごとく一人でブログ用の写真を撮っていたら、新! DREAM THEATER部屋&趣味の管理人、なるおさんに声をかけられ、行動を共に。初対面にもかかわらず、DTネタですぐに話が盛り上がれるというのはネット社会のありがたさです。

17:00に先行物販が開始され、自分たちは結構前のほうに並んでいたのですが、ツアーパンフはすでに売り切れ。2chでも結構話題になっていました。自分はTシャツだけで満足していたので良いですが、欲しかった人はかわいそうです。

記念写真
長崎から2時間かけてきたなるおさん。初DTということで「緊張で足がガタガタ震える~」と言っていましたが、6回目の私も同じです。

席は前から10列目。2日前の渋谷の時よりもさらに近めでペトルーシの真正面。「携帯などの簡易カメラでなら」撮影OKみたいのようです(後から知りましたが、渋谷でもそうだったらしい?)。「我先に!」という殺伐とした感じではなくお互いに譲り合いながら、多くの人が最前列まで行って撮っていました。もちろん私も。

●John Petrucci 機材
John Petrucci 機材


●John Myung 機材
John Myung 機材
↑真ん中に見えるのはマイクではなくカメラです。


●Andy Mckee ギター
Andy Mckee ギターF


19:00に前座のAndy Mckee登場。5曲を25分ほど演奏しましたが、4曲目だけが大阪、渋谷の時と違ったと思います。すなわち、
  1. Drifting
  2. Ebon Coast
  3. The Friend I Never Met
  4. (UNKNOWN)
  5. Tight Trite Night
。4曲目は曲名を言わなかったのでタイトルが分かりませが、好きになりました。


Andyの後は幕が下がり、ドラムセットに感嘆の声が漏れます。そして撮影タイムの始まりです。

●Mike Mangini ドラム
Mike Mangini ドラム


●James LaBrie マイク
James LaBrie マイク

このマイクスタンドを撮っているときに係員に「そろそろ始まりますよ」と声をかけられたので、ジョーダンのキーボードは終了後に撮りました。本当はマイクスタンドの土台の「MAJESTY」ロゴも撮り直したかったのですが、それは叶わず。


●Jordan Rudess キーボード
Jordan Rudess キーボード / Mike Mangini ドラム
↑ショルダーキーボードがあるものの、今回も使わず。




ステージ進行は大阪の時と全く同じでしたが、今回強く思ったのは、大阪よりも渋谷、渋谷よりも福岡の方が音が良かったのではないかということ。バンド側の出音が良いのが最大の理由でしょうが、ホール自体の音響も良かったように思いました。今回の日本公演に限らず、今まで経験したDream Theaterライヴで一番良かったと思える程でした。

振り返ると後方の空席が少し気になりはしましたが、客のノリが非常によく、メンバーの煽りに素直に拳を上げ、皆、大なり小なり体でリズムをとっていました。高校生くらいのファンも多く、少なくとも自分の周辺には、心底Dream Theaterが好きでたまらないという人ばかりが集まっているようで、居心地の良さを感じるライヴでした。

メンバーの表情も良く見え、特にジェイムズ・ラブリエとジョン・ペトルーシとは何度も目が合ったような気がします。ジョーダン・ルーデスは毎度のことながらマイク・マンジーニと絡んで、この二人は本当に楽しそうに演っているのが良く分かります。ジョーダンが屋台に片足を乗せてシンバルを指で叩く時もありました。そして今回、ようやくジョン・マイアングの笑顔を拝むことができました(笑)。

ジェイムズのヴォーカルは歌以外の仕草も含め、相変わらず絶好調で本当に良かったです。ジョーダンに間違いを指摘されていたようにみえる一幕もありましたが(^_^;それでもやはり素晴らしかったです。

それと、ドラムのハットのねじが緩んで「危ない!」と思う瞬間もありましたが、ローディがすかさず直しに来て事なきをえました。そして圧巻のドラムソロは大成功。

最後、メンバー全員が最前列の一人一人と握手(タッチ)していたのですが、それだけオーディエンスの反応が好印象だったのかもしれません。あの、いつもなら恥ずかしそうに小さく手を叩いているだけのマイアングも、ほかのメンバーに倣って、笑いをこらえるような表情で一人一人とタッチしていました。


この勢いで行ったら、名古屋、横浜もさらに良くなり、最後のアリーナではサプライズ的な何かがあるかも?と妄想させるに十分な福岡市民会館でした。



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【動画】MURDER HEAD @仙台 FLYING STUDIO 2011.08.27

撮らせてもらった動画です。



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DREAM THEATER / A Dramatic Tour of Events (2) 渋谷 AX 2012.04.24

A Dramatic Tour of Events - Shibuya AX 2012.04.24
大阪Orix Theaterからの帰りに高速バスが事故渋滞に巻き込まれ、普段の1時間前に会社に着く予定が2時間遅れの出勤となった、Dream Theater来日2日目。早くも朝から心身共に疲れていましたが、午後から何とか持ち直して定時で仕事を終わらせ、原宿駅に18:30過ぎに到着しました。

初めて行く渋谷AXは、18:00オープン19:00スタートなので焦りつつ速歩きをしていると、遠くの方に長蛇の列が。もとよりギリギリ到着を覚悟はしていましたが、長い列が会場の外に並んでいるの見ると悔しさがこみ上げて来ます。

ところが。よく見ると、列にいるのはほとんどが60代以上と思われるおじさん、おばさんばかり。アーティストシャツを来ている人も皆無。大阪から帰ってきたら浦島太郎状態になってしまったのか!?いくらファンの年齢層が高いといっても、、、と混乱していたら、それは「NHK歌謡コンサート」の列でした(^_^;)

汗をかきながらさらに小走りで進んで、ようやくAXにたどり着きました。結構スーツ姿の人もいます。かくいう自分もスーツだったので、300円のロッカーにカバンとスーツを入れてTシャツ姿で入場。500円のドリンクを10秒くらいで飲んで、トイレを済ませて急いで1階席へ。そういえば大阪ではライヴ中にトイレに行きたくて仕方がありませんでした。

中は、時々行く渋谷o-westより少し広いくらいの「狭さ」。ここでDTライヴが楽しめるとはかなり贅沢、とテンションが上がります。スタンディングということもあり、前日の大阪以上の熱気。開演前のこの緊張感がたまりません。場所は前から3/4くらいのPA席付近を確保。そこそこ近めでしたが前に背の高い人が来たので、エサを待つひな鳥のように終始首を伸ばしっぱなしでした。

19:00。前座のアンディ・マッキーが登場です。昨日と同様、最初の1~2音だけで驚嘆の歓声を浴びていました。今回違うのは、最初の曲から手拍子で迎えられたこと。自分にはそれが普通の感覚ですが昨日の大阪にはありませんでした。でも東京にも「手拍子イラネ。聴こえねーよ」という人がいて、人それぞれ色々な楽しみ方があるものだと思いました。また、「もう、そのくらいでいいでしょ。早くDream Theaterに行ってよ」と言う人がいましたが、アンディが最後A Change of Seasonsのフレーズを弾くと「うぉー!もっと演って!最後まで演って!」と、その人は大喜びしていました(笑)。終了後「アンディ!アンディ!」の大歓声で見送られるところは、大阪でのクラシック・コンサートのような空気とは大違いでした。

そんな渋谷のオーディエンスが次に大歓声を上げるのは、正面の幕が降りたとき。3つの立方体をイメージしたスクリーンに「うおぉ!」と叫び、マイク・マンジーニの屋台のようなドラムセットが全貌を表わした時は嵐のような拍手がわき起こりました。

RUSH, AEROSMITH, GUNS 'N' ROSES, AC/DCなどのBGMを聴きながら、恐らく19:45頃、いよいよ暗転します。オール・スタンディングの1階席だからかもしれませんが、昨日の3階席と比べ、興奮の度合いが格段に違います。今回のチケット購入時、見やすい2階席にするか、後ろの方でも1階席にするか迷いましたが、1階席で良かったと思いました。

オープニングのアニメーションに続いて1曲目は「Bridges in the Sky」です。うむむ!音が非常に良い!昨日はわずかに(ごくごくわずかに)聴きにくいところもあった重低音が、くっきりと、そして腹にずっしり響く感じです。ギターの音も1音1音鮮明に聴こえました。PAの近くだからなのか、全体的に良いのか、分かりませんが、昨日より良いです。昨日も普通に(普通以上に)良かったのですが、今日は更に良いと思いました。Dream Theaterのライヴは演奏そのものも驚きのハイクオリティですが、音作りの良さも好きなところです。

昨日よりも更に良いといえば、ジェイムズのヴォーカルが本当に良かったです。一番印象に残っているのが彼かもしれません。病気で喉を痛めていた頃とは全く別人の、『Images and Words』が出た頃の「Dream Theaterのヴォーカルすげえ!」と思っていたあのジェイムズ・ラブリエが帰ってきたようです。

楽器隊が驚異的な演奏を見せたのは書くまでもなく、どの瞬間をとってもため息をつくものばかりでした。各人の演奏スタイルの違いは面白く、ペトルーシは客席をじっくりと見渡すタイプ、マイアングは自分の世界にどっぷり浸り、ジョーダンはとにかく楽しそう。彼は客だけでなくマンジーニとも頻繁にコンタクトを交わしていました。そのマンジーニは渾身の力で一生懸命叩き、たまにお茶目におどけた表情で客を指差して楽しんでいました。

セットリストは昨日とほぼ同じですが、「The Silent Man」「Beneath the Surface」だったところが「Wait for Sleep」「Far from Heaven」になり、アンコールは「Pull Me Under」ではなく「As I Am」。「As I Am」は『Train of Thought』が今ひとつ分からなかった時に、武道館のライヴDVDで観てその良さを分からせてくれた曲なので、今回生で聴けたのは非常に感激しました。あの武道館のDVDがきっかけで、今では『Train of Thought』は数あるDTアルバムでも1番好きなくらいです。ただ「なぜアンコール?」という疑問はありますが。

終了後、拍手は鳴り止まないどころかいっそう大きくなり、「もしや、アンコール2曲目あるか!?」と本気で期待しましたがありませんでした。帰るとき色々なところで「少ないわぁ」「もっと演ってくれんかなぁ」と聞こえましたが、充実の内容でしたので、自分も同じく、満足が故に逆に物足りない心境です。19:45頃から22:00までの2時間余りは、DTライヴとしては短か過ぎます。

そういえば、MCでBURRN!のReader's Pop Poleで何とかかんとかと言っていたので後でチェックしてみたいと思います。

それと噂で、マサ・イトー先生が来ているとのことで探してみたところ、2階席最前列にそれらしき人がいましたが、人違いでしょうか?来ていたことには違いないようなので、政則氏のライヴ・レポートも楽しみです。


演奏、音響、オーディエンスの雰囲気、諸々、すべてが前日の1~2割増しの満足度で、十二分に楽しめた渋谷AXでした。次回、福岡市民会館はどのようなセットリストで来るのか楽しみです。

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DREAM THEATER / A Dramatic Tour of Events (1) 大阪 Orix Theater 2012.04.23

Orix Theater
(注意)ネタバレありなので、これからライヴに行くという人は読まない方が良いかも知れません。


DREAM THEATER来日の初日。東京での仕事を昼で切り上げ、大阪に行って来ました。18:30開場の一時間前に到着した頃、隣の公園にはすでにぼちぼちと人が集まっており、物販コーナーも開いていました。そこですかさずツアーTシャツを購入。いつもライヴではバタバタと余裕がないのですが、今回は逆に時間を持て余すほどでした。

A Dramatic Tour of Events


旧大阪厚生年金会館であるOrix Theaterは、4月8日にオープンしただけあってかなり綺麗。どれだけ写真を撮りたいと思ったことか(本当は終了後撮っちゃいましたが(^_^;)公開はやめておきます)。

先行予約で取ったチケットは3階席4列目で、見やすいといえば見やすいですが、少し距離がありました。が、上からステージ全体を見下ろすことが出来、ギターアンプの後ろに構えられた「隠れ家」にジェイムズが入る様子がよく分かって面白かったです。後ろ向きに(大便器に座るように(笑))入るのですが、何やってるんだろう?と思いました。

その前に、前座はAndy Mckee。普通のアコースティック・ギターにパープ・ギターを交え5曲を30分間演奏しました。距離があってよく見えなかったですが、ハープ・ギターによる3、4曲目の静謐な響きの曲と、最後にアコギに持ち替えての疾走感のある曲が気に入りました。特に最後の曲はテクニック的にベースの早弾きみたいなところがあったのと、「A Change of Seasons」フレーズを演ってくれたところが良かったです。人によっては「寝てしまった」という人もいましたが、個人的にはクラシック・コンサートのようで好きです。客席からの「アンディ!」コールに「コンバンハ。ワタシ、スコシ、ニホンゴ、ハナセマス。デモ、アマリウマクアリマセン」と答えていました。

アンディ終了後、20分ほどの転換があり、いよいよDream Theater開始です。昨年夏にロンドンで観た時と同じ「Dream Is Collapsing」で始まりますが、今回はオープニング・アニメーション付き。忍者風のマイアング、ハクション大魔王風登場のマンジーニのキャラが笑える可愛いものでした。Octavarium等の時と同じタッチで、怪物を倒していました。

「Bridges in the Sky」からのスクリーンは、ジャケットの一輪車ピエロになり、それも見ていて楽しいです。

音響はやや響きすぎる感じがしないこともなかったですが、聴きにくいこともなく、素晴らしい演奏に酔いしれました。ただ、サマソニ、High Voltage Festivalの方が音が良かったように思えたのは、ホールの広さに対する音量のバランス、もしくは3階席という場所が影響しているからでしょうか。

照明に使われているLEDはかなり明るく、時に逆光でステージが見えなくなることもありましたが、輝度が高く鮮明な光線が、生きているみたいに分散したり一点に集中したりする様は、見ていて美しかったです。

演奏面で特筆すべきはジェイムズのヴォーカル。今まで観た中で一番良かったです。音程も声量も安定していて、初来日の頃の若々しさすら感じました。

ヴォーカルといえば、アコースティックの「The Silent Man」におけるジョン・ペトルーシのバッキング・ヴォーカルも上手くて聞き惚れました。

ベースのマイアングはいつも通り淡々としているように見えましたが、前の方の人のレポートによるとペトルーシと微笑みながら弾いていた時があったようです。

キーボードのジョーダンは、手が空いている時はマンジーニの方に体を向けて、ガッツポーズのような格好でリズムをとっており、彼と楽しそうに会話をしているようでした。そういえば、ショルダー・キーボードが置いてありましたが今回使うことはなかったです。

マンジーニのドラムは非常にパワフルでテクニカル。両手で叩いているとしか思えない高速ドラミングを片手でやっているの見て驚きました。ギネス記録保持者のドラミングはマイク・ポートノイとは違う意味での存在感がありました。

MCで覚えているのは、まず第一声目が「オッサカ!」。その後、戻って来れて嬉しい、という内容のことを言っていたと思います。
「Build Me Up, Break Me Down」の前では突然「Hey!! That young girl!!」とジェイムズが一階席中ほどを指差して叫ぶので、誰だろう、羨ましいな~と思って探していたら、お父さんに肩車された4~5歳の女の子でした。でも本人は自分のことを言われていると分からなかったのか、何の反応もなく、ジェイムズも「O.K. I like you」と言っただけでそれ以上の発展はありませんでした。
「Surrounded」前では「この曲は1992年から歌っている。20周年の曲だ」というような紹介。
椅子に座って歌うアコースティック・セットでは「初めて日本に来た時は、寿司が食べられなくてねぇ」と楽しそうに話していました。
「The Spirit Carries On」では、魂が何とかかんとか、と言っていましたが、聞こえないことろがあって分かりませんでした。

その「The Spirit Carries On」は、ジョーダンとペトルーシのソロで始まり、これが非常に美しく感動的でした。

「6:00」はCDと同じ演奏なのにCDとは違う新鮮さで楽しめました。イントロのドラムが印象的だったからかも知れません。

「A Fortune in Lies」は、2ndアルバムが出る前に聴いて感動したアルバムの最初の曲なので、思い出深く聴かせてもらいました。相当体力を酷使する曲だと思います。

自分の周辺で一番盛り上がったのは「The Root of All Evil」のSEが始まった時だったと思います。一斉に手拍子が始まり、客のリズムが走りすぎはしまいか心配したほどです。

でも、全般的に大阪のオーディエンスは比較的大人しめだったと思います。ライヴで大阪に来る時はいつも思うことですが、演奏中、微動だにしない人がかなり多いのです。東京から初めて来た時は結構カルチャーショックを受けました。今回も座っている人が思いの外多くびっくりしましたが、終了後、あちこちから喜びの声が聞こえて来るので、静かにしていてもそういう楽しみ方なのだろうと思いました。

とはいえ、全く身体を動かさないライヴには少々違和感を感じるので、次の渋谷AXでは大いに首を降っていきたいと思います。


以上、東方神起ファンに囲まれての帰りの夜行バスの中で、思い出されるままに書いてみました。

Set List
  1. Dream Is Collapsing [Hans Zimmer]
  2. Bridges in the Sky
  3. 6:00
  4. Build Me Up, Break Me Down
  5. Surrounded
  6. The Root of All Evil
  7. Drum Solo
  8. A Fortune in Lies
  9. Outcry
  10. The Silent Man
  11. Beneath the Surface
  12. On the Backs of Angels
  13. War Inside My Head
  14. The Test that Stumped Them All
  15. The Spirit Carries On [with Petrucci and Rudess Intro]
  16. Breaking All Illusions
  17. Pull Me Under [Encore]


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中西智海 / 親鸞教学入門(9)

(8)の続きです。

「他力」の源流と人間への眼

 他力ということばは仏教、特に浄土教において大切なことばとして広く用いられ、教えの重要なしくみをあらわしています。
 ところで、浄土教で「他力」という語句をはっきり使われたのは曇鸞大師がはじめてであります。曇鸞大師は、師の菩提流支が梵語パラタントラ(paratantra)を翻訳して「他力」とされたのにはじまるとされています。このパラタントラは後世、中国の唐代の実叉難陀の訳(新訳といっています)では「縁起」または「依他」と翻訳されていることばなのであります。「縁起」「依他」ということばからは直ちに依存主義とか怠け主義を連想しないのに「他力」というといかにも依存主義とか怠け主義に連結されるのも皮肉なことといわねばなりません。ともあれ、原語は同じであり、この翻訳の相違はものの関係しあうあり方を理的に(静的に)表現すれば「縁起」「依他」ということになろうし、人格的(動的)に把握すれば「他力」ということになるというようにうけとめてよいでしょう。
 そうしますと、他力とは縁起の実践形態であって我執(自己中心性)が限りなく破斥されてゆくはたらきを意味するものとなります。してみれば、「本願」の原意と合致いたします。本願とは衆生(sattva 生きとし生けるもの)は我執(自己中心性)が破斥せられねばならないように前から縁起の理の必然性の上におかれていることを意味し、そのような約束のうちにあることをいうのでありました。つまるところ、「他力」というのも、「本願」というのも縁起の実践形態ということにほかなりません。
 そういたしますと、「他力」という語句は曇鸞大師がはじまりではありますが、『無量寿経』の「其仏本願力」ということも、龍樹菩薩の「本願力を帰命す」ということも、天親菩薩の「仏の本願力を観ずるに遇ふて空しく過ぐる者なし、能く速かに功徳大宝海を満足せしむ」といわれるのもすべて「他力」のことがらをいいあてられていたこと、そして「他力とは如来の本願力なり」(『教行信証』)といわれるのもその意味からもうなずくことができるように思われます。(後略)

「仏に成る」「救い」という次元でいわれる他力

 ところで、「他力」とはもともとどのような次元で使われることばなのでしょうか。
 「他力」とは「自力」に対することばであることはたしかであります。「自己の智慧・能力・功徳など、自己にそなわった力を自力といい、こうした自力をたのみとして修行に励み、さとりをえようとする教えが自力の教え」であり「自分以外の仏・菩薩などの力を他力という、仏・菩薩の力をたよりとする教えは他力の教えである」(『新・仏教辞典』)というようなものであります。ともあれ、自力とか他力ということばは原則的には「仏に成る」か「成れないか」という一点で使うことばであったということを確認しておかねばなりません。真宗的にいえば「救い」の一点で使うことばであります。弥陀同体の証を得させていただくかどうかの次元の問題であるということであります。もとより、そこの次元を通過した念仏者のよろこびとしては「たしなむ心も他力なり」とか、「萬事に付て、よき事を思ひ付るは御恩なり、悪ことだに思ひ捨てたるは御恩なり。捨るも取るも、何れもいずれも御恩なり」という世界がひらけてくるのであります。しかし、原則的には「自力」とか「他力」とかいうことばは「仏に成る」か「成らぬか」「救われるか」「救われないか」という一点において使われるきびしいことばであることをはっきりうけとめなければなりません。
 更に親鸞聖人が「自力」「他力」といわれたのには教義的歴史があるのであります。「定散自力」といわれ、「定散の自心」ということばがありますようにわれわれが悟りをひらく因果について、定散二善をはたらかすことを自力といい、定散二善を脱却して仏の本願にまかせることを他力といわれているのであります。ですから「定に非ず、散に非ず」ということによって他力の信心という内容をいいあてられているのであります。「定散二善」といういい方は善導大師が自力諸善をこの二つに分類されたもので、定善とはみずから心を静めて智慧をみがき、仏の世界を観察し、仏を捉えようとすることであり、散善とは仏の世界を観察して仏を把えるというところまでは行けないが、せめてりっぱな心になって仏に近づこうとすることであります。
 しかし、「三願転入」のところでたしかめましたように自我ののこる心によっては仏に成ることはできないという次元で仏力をいただき、仏のいのちにふれて救われてゆくという「他力」の世界があったのであります。
 このように親鸞聖人において、「仏に成る」ことの因果について、定散を主体とするか仏力を主体とするかという次元で自力とか他力ということばが使われていることを注視しなければならないとおもいます。

他力廻向

 浄土真宗では「定散自力」とか「定散の自心」といわれるレベルのことでこの私が仏に成ることはとてもできないというめざめから、仏に成るすべてのはたらき、因法が仏の方から廻施されることによって救いは成就するのであると説かれるのであります。これを「他力廻向」というのであります。
 他力ということだけでなく他力廻向と「廻向」がつけられて熟語となっているのは、それなりの意味がなければなりません。
 他力といわれるだけでは如来のこころはうなずけても、この私とどうかかわるのか、その関係を明らかにするために如来の廻向をかたり、私が領受していることを示そうとされたというべきでありましょう。更に、廻向というと、それこそ生者が亡者に追善の供養をするという発想や、自分の善根を他人に与えるという理解があることを思うとき、名号廻向とか信心廻向というとなにか特別な「もの」でもいただくような発想に陥りやすいのですがそれはまったく的がはずれているといわねばなりません。南無阿弥陀仏の名号は如来が私の往生の因も果も、ことごとく成就されたことを告げてくださる呼び声でありますから、それを如実に聞かせていただき、信じさせていただく現実を廻向というのであります。このように廻向と説かれる意味は私と関係のない名号ではなく私のうえに脈々とはたらく名号であることを示されようとなされたのであります。このように他力廻向を説かれる内容は如来のいのちの現実化ともいうべき世界をさし示そうとされたものであります。この私の我執(自己中心性・私有性)を無限に否定する如来の清浄願心が私の主体となることによってはじめて仏に成ることがはっきりするのであります。
若は因、若は果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の廻向成就したまへるところに非ざることあることなし(『教行信証』)
といわれるゆえんであります。また
弥陀の廻向成就して 往相還相ふたつなり
これらの廻向によりてこそ 心行ともにえしむなれ(『高僧和讃』)
とうたわれるこころであります。
 ですから、真宗では我執(自己中心性)の混入することのないみ仏の力を純他力とか、絶対他力というのであります。絶対他力といういい方にはいろいろと議論されるところもあるのですが、歴史的背景としては浄土宗鎮西派でいうこの世での念仏は自力で、その自力の念仏によって浄土に迎えられるのを他力というなどという立場を比較的他力というのに対して真宗の立場を絶対他力といったということも考えられますし、また教学的内容としては、自我(自己中心性)の無限否定ということをさし示しているといってよいでありましょう。

「他力」の徹底としての具体的教え

 この徹底した他力の内容を明らかにしたものに「三心釈」と「絶対三法の法門」といわれる教えがあります。
 「三心釈」とは衆生の往生の因として第十八願に誓われた至心・信楽・欲生の三心についての解釈であります。もともと、衆生が往生するための因としての心ですから、それは衆生の三心でなくてはならないのであります。ところが、親鸞聖人は字訓釈というところでは衆生の三心としながら次にそれを解釈して「この心はすなはちこれ、不可思議、不可称、不可説、一乗大智願海の廻向利益他の真実心なり。これを至心と名く」とされ、また「信楽といふは、すなはちこれ、如来の満足大悲円融無碍の信心海なり」とされ、更に「欲生といふは、すなはちこれ、如来諸有の群生を招喚したまふの勅命なり」と三心ともに阿弥陀如来のこころであるとされています。
 つぎに「絶対三法の法門」について考えてみましょう。
 三法の法門とは、教、行、証の法門であり、その中の行を称名とする場合を相対三法といい、行を名号とする場合を絶対三法というのであります。すなわち、教えによって(教)称名念仏して(行)、仏に成る(証)というのを相対三法といい、教えにより(教)、名号の独用によって(行)仏に成る(証)を絶対三法というのであります。そこで絶対三法の場合は衆生の信心も称名も、往生の因として説かないで仏に成ることの因はすべて名号のひとりばたらきであるというのであります。
 ですから、その場合、私の信や念仏がどこかに散乱してしまったのではなくて、名号のはたらきとしてうけとめるのであります。つまり信心も称名の念仏も南無阿弥陀仏の名号の活動にほかならなかったとうなずくことができるのであります。
 このように真宗では我執(自己中心性)から出た一切のはたらきを無限に否定する仏力のはたらきが主体となることによって救いが成就されるとするのであります。
 このような立場に立ちますから、真宗では廻向といえば如来からの廻向であって、衆生の方からの廻向はないというのであります。これを廻向・不廻向というのであります。親鸞聖人は、念仏には自力の廻向はいらないから不廻向といい、雑行(念仏以外の行)には自力の廻向が必要だから廻向というのだとされ、さらに念仏は如来からの廻向であり、衆生からは不廻向であると徹底されたのであります。
如来二種の廻向によりて、真実の信楽をうる人は、かならず正定聚のくらゐに住するがゆへに他力とまふすなり(『浄土三経往生文類』)のことばをかみしめてみたいものであります。
(『他力廻向と私』より90~98頁)




つづく



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中西智海 / 親鸞教学入門(8)

(7)の続きです。

如来

 ところで、この永遠の真実・法の動態、すなわち仏のあり方を示すのがまさに「如来」であると思うのであります。
 「如来」とはタターガタ(tathagata)の漢訳であります。このことばは tatha-gata と分解するか tatha-agata とみるかによって意味がちがうのであります。前者の場合は真如(実)に到達したものの意味となり、後者の場合は真如(実)より来ったもの、すなわち真如に従ってこの世に来ったものを意味します。漢訳の「如来」は「如より来生したもの」であり後者の意味を示しております。この「如来」こそ、仏のあり方をよくさし示しているといわねばなりません。真実は不真実を発見し、不真実を痛み、真実へとかえなすはたらきであります。そういう意味で真実はつねに不真実なものへ来るのであり、はたらくのであります。自我を中心としてしか生きられない私を根底から照破し、転じかえなすはたらきこそ、仏そのものであります。
 「永遠なる真実あり、されど我らに真実なし、拝めばわれらに真実あらわる」ということばを想いおこすことであります。そして「真実といふはすなはちこれ如来なり、如来はすなはちこれ真実なり」と説かれた意味をかみしめてみたいのであります。

阿弥陀如来

 この永遠なる真実・仏こそ「私」の命となり光となるのであります。命となるということは私の心身にほんとうのよろこびをもたらし、順境も逆境ものりこえてゆく生命力を湧きおこすものといってもよいでありましょう。ほんとうに私のいのちとなるもの――それはまことなるものであります。そこに仏は私のいのちとなるという世界があります。それは常識的なことばでいえば愛ということになるのでしょうが、仏教ではこれを慈悲というのであります。
 また、永遠なるまことが光となるというのは、私が行きづまったときに道を開くものであります。それは別のことばでいえば、人生のゆくえを知る智慧となります。またほんとうの未来をもつことができるということでありましょう。人間だけが未来をもつことのできる生きものであるともいわれます。そのことはたしかな未来をもたねば、生きるよろこびを感じない生きであるということでありましょう。このようにうけとめてみますと、命となり光なるまことがなければ生きてゆけない、死んでゆけないというのが「私」のいのちのしくみなのであります。
 この命かぎりなく光かぎりないものを阿弥陀如来というのであります。
 阿弥陀(Amita)の阿(A)はうちけしの言葉で「無」ということであり、弥陀(mita)は「量る」でありますから、量ることができない、すなわち「無量」であります。ですからそれは無限といわれ、限りなきものといわれるのであります。しかしこのことばの原語はアミターバ(Amitabha・無量光仏)・アミターユス(Amitayus・無量寿仏)すなわち無量覚者を意味することばであります。そうしてみれば阿弥陀とはひかり限りなくいのち量りなしということになるのであります。
 光といのちがなければ、すなわち、ほんとうの智慧と慈悲がなければ生きられなかったのはこの「私」であります。「私が生きてゆけなくなったのは食べものがないからではありません。着物がないからではありません。家がないからではありません。そうではなくて、私のこころの底をほんとうに知りつくすもの(智慧)、人生の底の底にうらぎらない愛(慈悲)が感じられないから生きてゆけなくなったのです。たった一つ気にかかることはただ一人の息子のことである……」という手記を残してこの世を去った一老人のことばは人間のいのちのしくみと現実を告白したものであります。このようないのちのどんぞこに来れるものこそ無量光仏、無量寿仏といわれる阿弥陀如来であったのであります。阿弥陀如来の体徳として四十八願のうち十二願(光明無量の願)・十三願(寿命無量の願)が示されていることをいまさらながら深くうけとめてみたいものであります。
 限りなき光は限りある闇を破るはたらきであります。光は人間の素顔を浮彫りにし、めざめをもたらすものであります。闇は光によって破られねばならないものであります。そのように衆生はもともと、縁起の光の前に破斥せられねばならない存在であります。阿弥陀は私のめざめと運命を共にする存在であります。それは自利(不取正覚)・利他(若不生者)の完成という仏教の基本路線の実践形態であるといわねばなりません。

久遠仏

 ところで、親鸞聖人は罪深く悪重い凡夫を、いつでも、どこでも、だれでもめざめさせることのできる阿弥陀如来は、完全なる存在でなければならないとうけとめられました。それは時間的にも、空間的にも完全な存在でなければなりません。もとより寿命無量がそのまま時間的完全性をあらわし、光明無量がそのまま空間的完全性をあらわすものでありますが、これを徹底され「久遠仏」の教えとして説かれたといわねばなりません。
 阿弥陀如来の成道について『無量寿経』や『阿弥陀経』には十劫の昔といわれています。(中略)
 ではなぜ、そのような久遠の如来を『無量寿経』や『阿弥陀経』に十劫と説かれて法蔵菩薩が阿弥陀仏に成ったと説かれなければならなかったのでしょうか。それは仏教の原則を示され、ここでもキリスト教の神の立場との相違を示したものといわねばなりません。すなわち、因果の法則は衆生の側のみではなく如来の救いの上でもうち消すことのできない原理であることを明らかにされたという重大な意味があるのです。

方便法身

 この救いの因果を具体的に示されたのが方便法身としての阿弥陀如来なのであります。
この一如よりかたちをあらはして方便法身とまうす、その御すがたに法蔵比丘となのりたまひて不可思議の四十八の大誓願をおこしあらはしたまふなり。この誓願のなかに、光明无量の本願、寿命无量の誓願を本としてあらはれたまへる御かたちを、世親菩薩は尽十方无碍光如来となづけたてまつりたまへり(『唯信鈔文意』)
とのべられています。
 方便とは原語をウパーヤ(upaya)といい、「近ずく」「到達する」の意味で、名詞には「道」といわれる意味があり、その道をたよりとして真如に到らしめるという意味があるといわれます。
 このように親鸞聖人は、阿弥陀如来とはこの私を真如に到らしめるために法蔵比丘となり、久遠の真実を知らしめ、そこにいたらしめる方便法身であることを明らかに示されたのであります。
 このように永遠の真実は「私」のめざめをもたらすために如来し、果から因におりて(従果降因)はたらくいのちであることを徹底して説きあかしてくだされたのであります。
(『如来と私』より81~86頁)




つづく



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高森顕徹 / 歎異抄をひらく

歎異抄をひらく
高森顕徹
歎異抄をひらく
著者とされている高森顕徹氏の出版物には、他にも『親鸞聖人の花びら』という書名のものがあります。
「歎異抄」「親鸞聖人」と聞くと、浄土真宗のご法義が書かれているように思いがちですが、これらは氏が会長を勤める「浄土真宗親鸞会」の教義徹底に使われている本、と言えると思います(といっても最近では「教義はどうでも良い」と、弁当事業や会館建設に力を入れているようですが)。

どういうことかというと、「浄土真宗親鸞会」の教義は、一見、親鸞聖人のお言葉によって成立しており、その論理体系をまとめた『聖典』も存在していますが、よく調べてみると、それは「捏造」「改竄」「断章取義」や誤解に満ちているというのです。

その結果、浄土真宗・他力本願の御法と異なるどころか、正反対のものとなっているならば注意が必要です。そういえば『高森顕徹 / 光に向かって100の花束』で、「向きが逆ではないか」と書きました。

断章取義については、会員との問答(聖教の読み方について): 飛雲を読むと、
親鸞会は、断章取義が徹底しています。聖教の一部分だけを取り出して、前後を無視するものです。
判りやすくいえば、

左へ行きなさい

と書かれてあれば、左へ行けということだと思えるのですが、前後をよく読んでみると、

「左へ行きなさい」という人がいるが、それでは遠回りだから右へ行きなさい

とあり、結局は右に行くことを勧められていることになります。
これが親鸞会には一杯あるのです。故意に断章取義をしている場合と、知らずに勘違いしている場合があります。伊藤康善師や大沼法竜師の著書に、たまたま引用してあった根拠を意味も判らずにパクリ損ない、両師の誤字がそのまま高森会長の著書に書いてあることも
あるそうです。

実際、親鸞聖人が勧められなかったことを勧め、勧められたことを軽んじていると受け止められるところがあり、藁人形論法(詭弁)によって他力念仏を説く人を批判し、自力修善を強調する姿勢が感じられるのが高森氏の特徴と言えるかもしれません。

最近ではそのカラクリを見破らせない為に、会で認められている以外の仏教書を読むことを禁じているとか、いないとか。

他にも、聖人が特定の人に言われたことをすべての人のことを言われたお言葉のように紹介したり、強引な解釈をしているところもあると聞きます。

具体的な、親鸞聖人と高森氏の違いについては、親鸞会の信心偽装・教義偽装の手口: 飛雲
1.獲信していない人の死後はどうなるか
親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について
親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について
親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か
親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは
親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について
親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について
親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について
親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない
とまとめられており、その後、
9.機の深信について
親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか
親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ
の項目が追加されています。

これらはすべて、梯實圓氏の言葉を借りれば「自分だけではなく人びとの心の拠り所を破壊し、惑わせる」謗法と言えるかもしれません。


どうしてそう言えるのか、詳しいことは
飛雲
安心問答(浄土真宗の信心について)
真偽検証
元会員から見た浄土真宗親鸞会
親鸞会邪義を破る
などを参照すると理解できるのではないかと思います。


もし、本書を手にする人があれば、最低限この事実くらいは知っておいた方が良いだろうと思い、参考サイトを紹介させてもらいました。

最後に、蓮如上人風に書くと、「宿善の機においては左右なく之を許すべからざるものなり」ということになるのでしょうか。「正反対」ということにおいては、ことごとく徹底しているように思えてなりません。





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