ドストエフスキー / 死の家の記録

久々の(ような気がする)読書感想文
『死の家の記録』というタイトルから
連想されるイメージと、
ペトラシェフスキー事件で逮捕されて、
シベリア(オムスク)に4年間抑留された体験記、
ということから、
どんなにか過酷な労働状況が書かれているのか、
と思っていましたが、
意外と淡々とした、第三者的な記述に貫かれた人間観察日記でした。

中には、不衛生な病院の実態の描写は生々しいものがありましたが、
それ以外は、娑婆の世界とさほど変わらないと思いました。
(娑婆とは本来「堪忍土(堪忍しつつ生きる世界)」という意味だそうです)

巻末の解説にもありましたが、
ここでの人達が、後の『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のモデルになったのだろう、
と想像させされます。

名誉や自尊の強い囚人が、何百、何千の笞(鞭:むち)打ちの刑に耐えるとか、
上官の目を盗んで酒やタバコ、博奕(博打:ばくち)を楽しんだり、
自分の過去物語を自慢げに語りあい、
言い争いが起きたり、友情や信頼関係が生まれるなど、
血の通った、生身の人間的なものを感じました。

そして、
冷酷なシベリアの地にあって、囚人たちの苦しみは、
肉体的な労働の厳しさにあるのかと思いきや、
そうでないことが知らされます。

生きる希望を剥奪され、 無目的な労働を強制的に課せられる事。

これは、囚人であろうがなかろうか、
人間なら共通に感じる苦痛だと思います。
そして、なぜ生きるかを知らず、生きるために生きている人生ならば、
どんな人であっても、意味の無い行為を余儀なくされている人と変わりが無いのでは、とも。


また、囚人たちの望むところは、共通して「自由」ではありますが、
完全なる自由を謳歌している人が世間にいるかといえば、
皆何かしらの不自由を感じている訳で、
本当の自由とは、仏教で説かれている「無碍の一道」であり、
それこそが人生の目的と言えるのだと思いました。



以下、長くなりますが、なるほど、と感銘を受けた箇所です。


最後の場面は、『歎異抄』第9章の
「苦悩の旧里はすてがたく、安養の浄土は恋しからず」
が思い出される、人間の心理ですね。 (続きを読む…)

ドストエフスキー / カラマーゾフの兄弟(まんがで読破)

 原作は光文社古典新訳文庫から出ている亀山郁夫さんの訳で読みました。昨年秋のことです。「読みやすい!」ということで評判でしたので。通勤電車の中で、読破するのに4~5ヶ月かかったと思います。
 そして、、、
 この度、マンガ版をたまたま見つけたので、興味本位で買って読んでみると、、、非常に分かりやすいのに驚きました。原作を一度読んだけでは、正直なところ消化不良のところもありましたが、普通のマンガ(たとえば「DMC」など)を読むような感覚ですらすらと、1時間ほどで読了しました。各場面が、どのような必然性から描かれているのか、よく分かりました。実にすっきりまとめられています。
 読む前は、あの大部な『カラマーゾフの兄弟』を本当にこんな1冊にまとめられるのだろうかと思っていましたが、読み終えるとよくぞここまで簡潔に編集したものぞ、と感心させられます。中には「薄っぺらい」「中身がない」「原書に対する冒涜だ」と思われる方もありましょうし、圧巻の大審問官やゾシマ長老の死臭騒動などが端折られていますが、これはこれで良く出来た本だと思います。「分かりやすく読ませる」ことの難しさを克服していると思います。
 背景となる宗教的な知識がなくても充分理解でき、むしろテンポよく読めて爽快です。そもそもこの小説は、3日間の出来事ですし。これを読んで「へぇ~」と思って原作を読み始めるきっかけとなるなら、こういう本は大いにアリだと思います。 
 各キャラクターの絵はこんな雰囲気です↓ 酒に溺れ、金銭、女性をめぐって争う父親ヒョードルと長男ミーチャ、無神論者の次男イワンと純真な三男アリョーシャ、カテリーナとグルーシェニカなど、イメージとピッタリでした。臆病者スメルジャコフも。
カラマーゾフの兄弟 主な登場人物
カラマーゾフ2  カラマーゾフ1


 俺は明日、君(カテリーナ)に3000ルーブル返す。それで俺たちは終わりだ。確かなところから手に入る金だ。心配はいらない。しかし仮にその金が手に入らなくても親父の部屋に3000ルーブルはある! 俺は親父を殺してでも金を手に入れて君に返す。必ずだ!!
ドミートリー・カラマーゾフ
 今この国は病んでいる! 国も人民も省みず、金と利権を貪る腐敗した貴族ども。そいつらに政治は支配され、貧困と差別は増長するばかり。それを野放しにする無能な皇帝! (富めるものだけが富み、貧しい者は搾取され朽ちていく)  こんな不平等な社会は間違っているとは思わないのか!? この国を救うためだ…人民を救うためだ…。悪を滅ぼすんだ! そのとおりだ! 正義は俺たちにある! 神にも裁けぬ悪を裁く! 正義の審問官だ!  イヤ…ちょっと違うな…。真の正義に神など必要ない! 神に祈りを捧げたところで…誰も救われはしないのだ!  俺たちは神をも裁く…いわば――…大審問官だ!  人々に気づかせるんだ! 神の無力さに! 帝政の間違いに! しかし人は信じるものを簡単には捨てられない…。だからこそ我々の手で救わなければならない! あらゆる不幸と悪を廃絶し…すべての人民が平等に暮らす…新たな国を作るんだ!!  革命だ 神を裁け! 皇帝を倒せ! 自由と幸福を手に入れるんだ!
イワン・カラマーゾフ
 兄さん(イワン)にも良心があるでしょう! 良心こそ心の中にある神の姿です。人はお互いを許し合えない生き物なのかもしれない。それでも…それでも人間は心の中の神に従い、正しくありたいと願っているのです。僕は人間を信じます。兄さんを信じます。
アレクセイ・カラマーゾフ

 出来れば、未完成の部分も有力な説をまとめて描きあげてもらいたい、と思ってしまいました。
 あと、イワンの見る悪魔は、まるでデス・ノートみたいだ、とも(笑)

ドストエフスキー ~ カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫・訳)

 哲学者ウィトゲンシュタインが「最低でも50回は精読した」と言い、全文を諳(そら)んじるほど細部を読み込んだ(゚д゚;)とされる、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、亀山郁夫さんの訳が読みやすいということで通勤の行き帰りで挑戦しました。途中で挫折することなく、何とか読み終えるのに4~5ヶ月かかりました。  確かに日本語としては読みやすいのですが、内容が奥深く、込められたメッセージも盛りだくさんで消化不良のところが多くあります。知人の解説によれば、この小説は「キリストはなぜ復活しなかったのか」「キリスト教の孕む矛盾点」「宗教と人間との関わり」などに明確な解答を与える世界文学の最高峰!だそうですが、そこまで理解するには背景となる当時のロシア情勢やキリスト教などの知識がないと無理だと思いました。また、癲癇(てんかん)を患い、シベリアで服役経験をもつ作者の自伝的要素も強いので、先に5巻目の「ドストエフスキーの生涯」や「解題」、また各巻末の「読書ガイド」を先に読んでから本文を読むと少しは理解の助けになるかと思います。
「父殺しの犯人は誰か?」「フョードル、ミーチャと、カテリーナ、グルーシェニカの恋の行方はいかに?」あるいは、「“わたしの主人公”アリョーシャと、彼との婚約を解消したリーザ、また、少年イリューシャやコーリャとその友達、との関わり」など、ストーリー的に読んでいて面白いところは沢山ありました。スメルジャコフとイワンとのやり取りなども引き込まれるものがあります。登場人物一人一人が個性的なのが、難解ながらも面白く読める魅力だと思います。他にもゾシマ長老やイッポリート検事、フェチュコーヴィチ弁護士など挙げればきりがありません。こちらにも書きましたが、それぞれの巻のしおりに、おもな登場人物の説明が書かれているので、光文社古典新訳文庫の良心に助けられました。
『カラマーゾフの兄弟』は、“エピローグ付、4部からなる長編小説”ですが、その前の「著者より」という序文にあるように、エピローグの後には更に“第二の小説”が書かれる予定でしたが未完で終わっています。小林秀雄はそれを「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」と評していますが、訳者・亀山郁夫氏も以下のように「あとがき」で述べています。分からないなりに何となく共感できる気になるのは、それだけ氏の解説に説得力があるということでしょうか。
 わたしはいま、読者のすべてに代わって、この小説が未完に終わったことを惜しむ。未完の音楽は数知れずある。モーツァルトの『レクイエム』、マーラーの『第10番』──。しかしドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』こそは、人類がついに手にできなかった、もっともまばゆい遺産のひとつであるにちがいない。ドストエフスキーの60歳の死は、その意味であまりにも惜しまれる、あまりにも早すぎる死であった。
 なお、同じく5巻目の解題から、この小説の構想メモが興味深かったので、少し長いですが引用させていただきます。
 知られるかぎり、『カラマーゾフの兄弟』の最初の稿が書きとめられたのは1878年4月のことだが、その構想のヒントを得たのははるかに古く、1850年代にさかのぼる。当時、オムスクの「死の家」に流刑中のドストエフスキーは、そこで出会った囚人仲間のドミートリー・イリインスキーから、次のような話を知らされることになった。  かつてトボリスクの国境大隊に勤務していたこの男は、父殺しの罪を着せられて、懲役20年の判決を言い渡され、オムスクの監獄ですでに何年間か徒刑の苦しみを嘗めていた。ところが、刑期半ばにして、実際の犯人はその弟であることが判明し、刑期を10年つとめた段階で釈放された。
(中略)
 彼(ドストエフスキー)は、現実的な意味ではまだ『カラマーゾフの兄弟』への結晶を夢見ることなく、次のようなメモを書きとめることになった。(中略)
「悲劇。トボリスクで、約20年間。イリ(イン)スキーの物語のようなもの。二人の兄弟、年老いた父親、一人には許婚(いいなずけ)がいて、その女に弟がひそかに横恋慕している。しかし、彼女は兄を愛している。にもかかわらず、兄の、若い少尉補は放蕩したり、愚行に走ったり、父親と喧嘩したりする。父親が消える。ニ、三日、なんの音沙汰もない。兄弟が遺産の話をしているときに、とつぜん、官憲が地下室から死体を探し出してくる。兄の犯行の証拠があがる(弟はいっしょに暮らしていなかった)。兄は裁判にかけられ、懲役を言い渡される……世間の連中には、犯人はだれかたしかなところはわからない。舞台は監獄。みんなが彼を殺そうとする。上官、彼は裏切らない。囚人たちは彼に兄弟の誓いを立てる。上官は父親を殺したことを責める。12年が経って、弟が彼に会いにやってくる。沈黙のうちにたがいに理解しあう場面。それからさらに7年、弟は官職についているが、苦しんでいて、ヒポコンデリー患者。妻に自分が殺したと言明する。『どうしてわたしに言ったの?』彼は兄のところに行く。妻も駆けつける。妻は懲役囚に何もいわず、夫を救ってほしいと膝を折って頼む。懲役囚は『おれはもう慣れっこになってしまった』と言い、和解する。『おまえはそんなことしなくとも、もう罰せられている』と兄が答える。弟の誕生日。客が集まっている。外に出る。おれが殺したのだ。みんなは精神錯乱だと思う。ラスト。ひとりは家に帰され、ひとりは罪人護送所に送られる。彼は解雇される……弟は兄に、自分の子どもの父親になってくれと頼む。『正しい道に踏み出したのだ』」
 ちょうど、聴きなれた曲のデモテープを知ったときのような新鮮な味わいでした。  この走り書きの内容は、シラーの戯曲『群盗』と驚くほど似ているそうですが、そう知ると『群盗』も読みたくなってきます。「はは~ん、このギターソロは、あの曲からヒントを得たな」と気づいて結構嬉しくなるときがありますが、果たして『群盗』から同質の発見が得られるかどうか、楽しみです。

Link: 読まずに死ねるかドストエフスキー~『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』亀山郁夫著(評:山本貴光+吉川浩満)

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