小泉純一郎 / 音楽遍歴

 政治のことは疎いし、特に好きな政治家がいるという訳ではないのですが、小泉元首相だけは、政策云々は抜きにして、一人の魅力ある人間として好きでした。  その小泉さんの本を書店で見たとき思わず衝動買いをしてしまいました。正直、「買ってまでしなくても」という後悔もありましたが、実際読んでみると、なかなかの好印象、マイミクさんの日記やブログを読んでいるような感覚で楽しめました。普通にクラシック音楽が好きな人なら、「そうそう、そうですよね!」などと言いながら読みたくなると思います。「元首相」ではなく、「音楽友達」という感覚です(失礼!)。
 中学校でヴァイオリンを手にしたのがきっかけでヴァイオリン協奏曲ばかり聴くところから入られたそうです。そして、それとは別にオペラへの傾倒。  私の場合は「協奏曲」とか「交響曲」などのジャンルではなく、ウィーン古典派を出発点とした、作曲者単位で好みを増やしていったので、その点異なりますが、指揮者、演奏者に対するこだわりが少ないところは聴き方が似てると思いました。あくまでも曲そのもの重視です。
 指揮者に対しても、あまりこだわりはない。同じ曲であっても、指揮者によってこうも違うかと感じることはある。でも、この指揮者でなければだめだということはない。カラヤンとフルトヴェングラー、トスカニーニ、こうも違うとわかっていても、どちらがいいというのではなく、両方ありだな、それぞれ違いがあっていいなと思う。
(p.51~52)
小泉純一郎「Ⅱ オペラは愛である」の章が特に面白かったです。  ワーグナー「ローエングリン」團伊玖磨「夕鶴」を結びつけて“言わぬが花、聞かぬが花”と、また、歌舞伎や映画の「勧進帳」「忠臣蔵」「砂の器」から、ウソと愛についての所見を述べている個所も興味深いです。  ある意味、政治家とは叩かれるのも、、、否、叩かれるのが仕事のようなものだと思います。日々、相当なプレッシャーがあったと思いますが、小泉さん特有のマスコミへの対応が、人生劇場の主人公を楽しんでいるかのような印象を受けるのは、オペラ好きの体質が表れたのかもしれません。
 終章は「Ⅲ エルヴィス、モリコーネ、そして遍歴の騎士」と題してプレスリーや演歌、ミュージカルなどの好みも書いておられますが、察するに、プログレやメタルもきっとお好き(になられるであろう)に違いないと感じました。個人的には DREAM THEATERSYMPHONY X についての感想を聞きたいところです。X JAPAN はバラードが好きだと書かれてありますが、それは全く同感です。
 音楽だけに限らず、芸術一般が好きで造詣が深いと思われる、小泉さんの、親しみやすく人間性あふれる魅力が引き立った1冊だと思いました。「短くてあっけない」という感じはありませんでした。“言わぬが花”で、ほんの一部を飾り気なく、さらりと披露された程度なのが良かったと思います。
 音楽は押しつけないのがいい。またはレコードを渡し、「好きなときに聴いてごらん」と勧めるのがいい。音楽は鑑賞している時点の精神状態にも左右される。  人によって感性は違う。 (中略)  音楽でも本でも、自分がいいと思えばそれでいい。それがまた楽しい。
(p.46~47)
 音楽だけだったら、政治、宗教、政党は関係ない。もともと音楽には宗教性があり、宗教曲というのも存在するけれど、よい音楽ならそれでいい。  聴く人は「この曲はキリスト教だから、イスラム教だから」とか、関係ない。同様に政治家がワーグナー好き、あるいはベートーヴェン、マーラー好きだからと言っても、政治とは本来、関係ない。  音楽はその人の感性の領域。自民党だろうが共産党だろうが、好きな曲は好き。それでいいはずだ。
(p.82~83)
 聴衆の中には歌や演奏が終わった後、「ブー」と行って不満を表現する人がいる。いわゆるブーイングである。  これは私は嫌いだ。不愉快でもある。  歌手に対してもっと敬意と、おおらかな、いたわりの気持ちをもってはどうかとよく思う。気にくわなかったり、不満だったら拍手しなければいいし、本当にひどかったら退場すればいい。
(p.88~89)

柳宗民 / 園芸博士の百花歳時記

柳宗民 園芸博士の百花歳時記
 5~6年前までは、植物には関心なかった方でしたが、最近は美しい風景、動植物などを見ると、写真に撮りたい衝動に駆られるようになりました。といっても、未だに花の名前は一向に覚えられないのですが(^^;
 そんな時に役立つのがこの『百花歳時記』。季節ごとにまとめられているので探しやすいです(写真を見る)。カラー写真とその植物の説明文(写真を見る)、そして「四季のワンポイント」(写真を見る)という園芸上のアドバイスが書かれています。著者は園芸家、園芸評論家の柳宗民氏です(写真を見る)
 実はこの本、母から借りたものですが、表紙をめくると著者のサインが(写真を見る)。「柳先生の本だから、大切に読んでよ!」と何度も念を押されたのを思い出します。
 そんな母も、数年前、大腸ガンを患い、今はもう故人となってしまいました。そして著者の柳氏も2006年2月21日に逝去。  返却できなかったこの本は、母の形見ともいうべきものですが、返せなかったものといえば、他にも、育ててくれた大きな恩があると思います。自分が悔いの残らない人生を送ることが最大の親孝行と思っておりますが、せめて、もっと花の名前を覚えないと申し訳ないな、と思う今日この頃です。

Filed under: や:柳宗民  タグ: , , , , , ,   charlie432 00:00  Comments (5)

新渡戸稲造 / 武士道(まんがで読破)

 藤原正彦さんの『国家の品格』がベストセラーになってから、「武士道」という言葉が頻繁に聞かれるようになった気がします。
 でも、そうでなくても「武士」とか「サムライ」という言葉には惹かれるものがあります。ジョーイ・ディマイオの気持ちは分からなくありません(笑)、いやに真面目に。
 この本は、旧5000円札に描かれていた新渡戸稲造の『武士道』を分かりやすくマンガにしたものです。一人の武士の行動を追いながら、「イナゾウ」が武士道の精神を解説する形式をとっています。  また、巻末には武士道精神の一例として、有名な、赤穂浪士の仇討ちの話も描かれています。
 太平洋の架け橋になろうとドイツ留学中のこと。新渡戸稲造はベルギーの法学者にこう言われ、愕然とします。
「日本の学校には宗教教育がない? 宗教がないとは! いったい日本人は何をベースに子孫に道徳教育を授けるのですか?」
 今も昔も変わらないのだと思いました。現在でも宗教とは無縁だと言う人が多いのではないでしょうか。そして、怪しい新興宗教や邪宗教に、無知なるがゆえにのめり込んでしまう人も。  確かに危ない宗教や思想は世に百鬼夜行しているかもしれません。ただ、それらからの被害を減らすには、その危険性を訴えるより、文字通り宗となる素晴らしい教えを徹底した方が良いと思われます。ちょうど「濁った水を飲むな」と言うより、美味しい清水を与えれば自然と不味い水は飲まなくなるようなものです。
 さて、では、日本人は何をベースに子孫に道徳教育を授けてきたのか?
 母国の道徳観……。  国教のない日本で「善悪」の観念をさずけた、宗教以外のものとは、いったい何か?
 ヨーロッパ人は薔薇を愛するように「騎士道」を愛しますが、  桜を愛する日本人が誇りとする教えは何か?
 新渡戸稲造がたどり着いた結論、それが「武士道」だったのです。
「武士道」とは、ひとりの人物が決めた思想ではなく、武士社会の成長とともに口伝えされていった格言のようなもので、サムライだけでなく、広く庶民にも浸透し、やがて「大和魂」…すなわち日本人の魂となった
といわれます。
 こうして書かれたのが『武士道』『Bushido: The Soul of Japan』)でせす。著者はこの中で、武士道精神を「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」と分けて解説しています。
「義」
「義」とは人間としての正しいみち…つまり正義を指すものであり、武士道でのもっとも厳格な徳目である。  義を貫く…武士道の基本はフェア・プレイの精神である。 (中略)  ある武士は「義」についてこう語っている。 「義」は体に例えるならば骨である。骨がなければ首も正しく胴体の上につかず手も足も動かない。  つまり…たとえ才能や学問があったとしても「義の精神」がなければ武士ではない!(中略)武士にとってお金などは二の次である。打算や損得から離れ、自分が正しいと信じる道を貫くことが武士の正しい姿とされた。
「勇」
「勇」とは義を貫くための勇気のことである。  勇気と言っても、わざと危険を冒し討ち死にすれば単なる「犬死に」である。武士道ではこれを「匹夫(ひっぷ)の勇」と呼びさげすんだ。  勇気とは、恐れるべきこととそうでないことがわかることだ! 古代ギリシャの哲学者プラトンも言っている。黄門さまで有名な水戸藩二代目藩主、徳川光圀のもこう言った…本当の勇気とは、生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことである! (中略)  武士にとって「犬死に」はつまらない行為だが、自分が間違いと思うことに対しては、ためらうことなく命をかけて戦わなければならなかった。(中略)義をみてせざるは勇なきなり。「勇」とは勇気!正義を敢然と貫く実行力である。
「仁」
「仁」とは人間としてのl思いやり──…他者への哀れみの心のことである。弱き者や負けた者を見捨てない心。高潔で厳格な「義」と「勇」を男性的な徳とするなら……「仁」は女性的なやさしさ、母のような徳である。  戦国大名の伊達正宗はこう言った。義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる。「義」と「仁」のバランスが大事ということである。(中略)「仁」の精神は人の上に立つ者の必須徳目である。
「礼」
「仁」の精神を育て他者の気持ちを尊重することから生まれる謙虚さがつまり「礼」の根源である。(中略)「礼」とは他者に対するやさしさを型として表したものである。  日本では古来よりお辞儀のしかた、歩きかた、座りかた…など細かな規範がつくられ、かつ学ばれていた。食事の作法は学問となり、茶の湯は儀式を越え芸術となった。茶の湯の作法は初心者にとって退屈なものだが、この定められた方法が結局、時間と手間を省く最上の方法であることを発見する。 礼儀作法はさまざまな流派が存在しているが…心で肉体をコントロールし、心を磨く…という点において、目的の本質はひとつである。
「誠」
「武士に二言なし」という言葉は…武士道の徳目のひとつ「誠(まこと)」から生まれた。「誠」とは文字通り言ったことを成すことである。  武士にとって嘘をつくことやごまかしは臆病な行為とみなされた。(中略)真実性と誠意が武士の行動規範そのものなのだ。
「名誉」
士農工商。この身分制度は知恵のある序列だったと思う。貴族を商業からしめ出すことは、権力者に富を集中させないためのすばらしい政策である! モンテスキューはこう明言している。(中略)権力者に金を持たせるとロクなことにはならないのだ。富の道が名誉の道ではない。サムライたちはそれを知って名誉の道にこだわった!(中略) 「名誉」とは自分に恥じない高潔な生きかたを守ることである。(中略)「名誉」の観念は、外聞や面目などの言葉で表されるが、裏を返せばすべて「恥」を知ることである。(中略)「恥」は道徳意識の基本であり、武士道における「名誉」とは、人としての美学を追求するための基本の徳である。(中略)  武士たちは「どう美しく死ぬか」を追求したが…それは同時に「なんのために生きるか」………という哲学に帰着する。
「忠義」
「忠義」とは、主君に対する絶対的な従順のことである。(中略)主君の命令は絶対だったが、武士は主君の奴隷ではなかった。主君の間違った考えに対して、本物の武士たちは、命をかけて己の気持ちを訴えた。忠義とは強制ではなく、自発的なものである。武士たちはあくまで己の正義に値するものに対して忠義を誓ったのだ。

    2012年5月
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