【法話】「願い続けて下さる願いは、確かにこの私に届いている」 2012.02.05 築地本願寺

前回の続きです。

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十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづけたてまつる


(中略)

それでは次に、慈悲について話をしたいと思います。

慈悲とは、単純に今の時代の言葉で言えば「思いやる」ということになると思います。しかしその心と味わいを少し深めて頂くためにこれからお時間を頂戴したいと思います。

皆さん、アインシュタインという科学者をご存知でしょうか。ノーベル物理学賞を受賞した世界的な科学者であります。相対性理論で有名です。このアインシュタインは、ノーベル物理学賞を受賞した年、大正11年に来日をしています。その来日の時に、こんな体験をしています。どのような体験かというと、当時、真宗大谷派の僧侶で真宗学寮、つまり今京都にある大谷大学の教授をされていた近角常観先生と対談することになったのです。それまでアインシュタインはいわゆる無心論者で、宗教に心を奪われるというのは子供じみた大人の遊びである、悪戯ごとであるという言葉を残していたくらい宗教を毛嫌いしていたそうです。そのアインシュタインが、何のご縁か近角先生と対談することになりました。近角先生は、当時5カ国語を駆使されるほどであったと言われます。世界的に認められている科学者と宗教者でありますから、お互い認めあう中に会話は進んで行ったそうです。そんな会話の中でアインシュタインが近角先生にこんなことを言いました。「先生、仏教で言うところの仏様という方は、どんな方でしょうか。仏様の心というものはどんなものでしょうか」。そうしましたら近角先生、少し考えて間を置かれてからこんな話をされたそうです。

「この国も、最近は少しずつ物の豊かな時代を迎えてきましたけれども、これからお話しすることは、この国がまだまだ貧しかった頃、その日食べてゆくのにも精一杯だった頃の、昔々のお話です。この国のある地域では、お年寄りが一定年齢になると山に捨て去られてゆくという悲しい伝説がありました。そこに、母親思いの息子と母親が、2人仲良く暮らしていたそうです。ところが、その母も人の子ゆえ、とうとう山に捨ててゆかれなければならない年齢の時期がやってきました。息子は、大好きなお母さんをとても山には捨てておけない。しかし一方で、自分だけ村の掟を破ることも出来ない。その狭間に立って大変苦しむ日々を送ります。そうこうしているうちに、時が流れ、息子は止むに止まれず年老いた母を背負って山に入って行きました。どれだけ歩いたことか、ようやくしかるべき場所を見つけて、ここならば良かろうと思って母を背中から下ろし、そして断ち切れぬ思いを抱えながら、母に背を向けて歩みだしたその後ろ姿に、肩越しに母からのこんな声が聞こえてきました。『もうすぐ日が暮れようとしている。お前はこの暗闇を再び家に帰って行かなければならない。ここまでいくつもの山を越え谷を超えて来た。その険しい山道を再びお前は帰って行かねばならない。無事、家にたどり着けるか? ワシはそのことが心配でな。最後に、せめて何かお前にしてやろうと思ったのだが、大したことは出来なかった。ただ、手に届くところにあった枝葉を折って道端に落としてきたから、お前がもしこの暗闇や山道に迷うことがあれば、その枝葉をたどって行って欲しい。そうしたら必ずお前は家にたどり着けることができるよ。送ってくれてありがとう。さあ、早く行きなさい。お前の幸せを願っている。素晴らしい人生を過ごしてくれよ』。去り行く息子の背中に両手を合わせて母は『なんまんだぶ、なんまんだぶ』と念仏を称え、その念仏は山にこだまし、いつまでも絶えることなく変わることなく響いていました」

と。そして、ここまで話をされてから近角先生はアインシュタインにこう言います。「この母の心こそ、仏の心です。この母の姿こそ、仏の姿です」。アインシュタインは静かに耳を傾けて近角先生の話を聞いていました。そしてその目には涙がたまっていたそうです。後日談ですが、アインシュタインが日本を離れるとき、「色々な人に会い、色々な所に連れて行ってもらったが、日本人の心豊かな優しい心を支えている仏教の、人を思いやるという慈悲の心に触れられたことが、何よりも勝る、私にとっての日本の手みやげです」という言葉を残したと言われます。

この物語、皆さんすでにお気付きかと思いますが、姨捨山伝説の話を基に近角先生は話をされたのです。そしてその姨捨山伝説というのは、私の故郷である信州長野の昔話であります。

それでは、この話の味わいを話させて頂きます。なぜ、母の姿が仏の姿であり、母の心が仏の心であるのか。母は息子に背負われて山道をたどって行きました。その道はどんな道だったか。それは、自分の死が目の前に定まって、引き返すことの出来ない一方通行の道でした。普通、それが分かっていれば、頼むから助けてくれ、引き返してくれ、と子供ですからいくらでも甘えられる筈ですから、命乞いや延命を願ったりねだったりするのが関の山であります。ところが、このとき母がしたことは何だったでしょうか。自分も辛い。でも、自分を背をって行かねばならないこの子も辛かろう、と、母は自分の痛みや苦しみを置いておいて、そこにいるその子の痛み・悲しみに自分の心を寄せたのです。寄せて、その心を自分の心のように受け止められたからこそ、母は自分の命を奪おうとするその子を許したいと思い、更には、この子を生かしたいと思うが故に、自分に残されたほんのわずかな時間を自分のために使うのではなく、その思いから発露された「この子に何かしたい」という思いを、枝葉を折って道端に置き道しるべとする、という行為に及んでいったのです。つまり「自分が、自分が」という考え方ではなく、そこから少し離れて、まずそこにあった痛みに心を寄せて、その者のために何かをしたいという心の中に自分の行動を示していった。これが仏の姿、仏の心です。この心を仏教では慈悲というのです。

では一方で、母を捨て、しかしながら母に背中を拝まれた子供とは。ここがこの話の肝要として味わいをさせて頂きます。私にもかけがえのない親、母がいて、父がいました。皆さんもそれぞれに、この命を授けて下さった親がいたということに違いありません。自分が子という立場に立って親に向き合った時、私たちは親に対してどんな向き合い方をして、どんな過ごし方をして、生きてきたでしょうか。振り返ってみますと、私は親がいることが当然だと思っていました。そして親が子のために心を砕き、人生を犠牲にし、尽くしてくれることは当然だと思っていました。当たり前だと思い、当然だと思うからこそ、その尊さ・かけがえのなさに気付くことは出来ませんでした。そして自分の人生の中でかけがえなく尊いのは、自分が人生の目的を持って、その目的のために一生懸命に頑張って生き抜くこと、と信じて生きてきました。だからどんなに離れても、どんな状況でも、親の願いに向き合ってゆこうとする意識すらありませんでした。背を向けて生き続けてきました。それが私の人生だったと思います。ところが、私の親も然り、皆さんの親御さんもそうだと思いますが、どんなに振り向いてもらえなくても、向き合ってもらえなくても、背を向けて遠ざかって行く私たち子供の後ろ姿を、親は思い続け、この後ろ姿に両手を会わせて「お前の幸せを願っているぞ。素晴らしい人生を、尊い命を生き抜いておくれよ。この願いに生きてくれよ」と絶えずこの背中に手を合わせ続けて下さる。それが私たちの親ではないでしょうか。

私は、今はこうやって衣を付けておりますけれども、お寺の子供の長男として生まれたのですがお寺を継ぐのがすごく嫌でした。ですからお寺の学校には行きませんでした。お寺さんになるつもりもありませんでした。東京の大学に来て就職を決めていました。ところが、卒業の3日前に父親が倒れまして、色々な事情の中に長野の実家に帰らざるを得ませんでした。その時は、寺を継がなくても良い、帰ってこなくても良い、と両親は言ってくれたのですが、住職である父が倒れて法務が行き詰まっています。その中で苦労をしている母の姿を見ている時に、正直に、きれいごとを言う訳ではありませんが、これ以上迷惑をかけてはならない、という思いがありました。また同時に、病に倒れた父がリハビリがしっかりできれば社会復帰出来るとお医者様から言われていたものですから、いずれ再び東京には帰って来れるだろう、という打算的な思いがあって一時しのぎで長野に帰りました。ところが、そうは言いましても父の病状は重く、結果的には10年ほぼ寝たきりの中で亡くなって逝くのですが、リハビリがなかなか出来ない父の姿を毎日毎日目にしていました。学生時代一緒だった友達から東京や海外での勤務の話を色々聞かせてもらう中で、私は慣れない衣を着て、そして田舎ですからおじいちゃんおばあちゃんに交わりながら、からかわれながら、生活している。凄く自分が虚しく寂しく思いました。そんなやるせない思いを、だんだん私は父親に矛先を向けていったのです。お父さんがきちっとリハビリして社会復帰してくれれば僕は自分の夢や希望にたちかえることが出来る、なのにどうして社会復帰してくれないのだ、子供の人生を大事に思ってくれないのか。そんな思いでいました。そして父親に厳しい言葉をぶつけてゆきました。そのうちに私は、自分の父親をいつしか「お父さん」と呼べない人間になっていたのです。そうやって10年ほどが流れてゆくのですが、いよいよ父親が亡くなる時の話です。集団の部屋から病院の片隅の個室に移されます。人工呼吸器が付けられる状況の中で、母と毎晩入れ替わりながらの看護をしました。夜中だったと思います。うつらうつらしていたそのとき、ふと、何かが私の耳に聞こえてきました。何だろうと思って父親の口元に耳を当ててみました。そうしましたら父親が「あきこ、あきこ」と私の姉の名前を呼んでいます。私には2歳上の、ダウン症という知的障害者の姉がいます。まさに命が終わろうとしているその状況の中で父親が口にした言葉は姉の名前だったのです。その名前を聞いた時に、その場で、堪えることの出来ない涙が流れました。しばらく涙していたような気がします。最後に自分の名前が呼ばれなかったから悲しかった訳ではありません。嬉しかったのと悔しかったのと、その両方ではなかったかと今では思います。なぜか。自分の人生を受け止めることが出来ずに父親の状況だけを厳しく責め立てていた自分。そして、ずっと自分のこと、子供たちのことや周りの者のことを思い続けてくれた父親。最後の時に臨んで、障害を持ってこの世に残してゆかねばならない姉のことを思ってその名を呼び続けていた父の姿。そこに、間違いなく、まぎれもなく、何を差し置いてでも子のことを思う親心を見ることが出来ました。その親心を知らずに振り向くことなく父親ばかりを責め立てていた。親心という、まことに触れて初めて、自分の不実さを知らされました。だからこそ、振り向くことなく生きた自分に悔しかったのです。と同時に、その親心と生き様を最後に伝えてくれたのが嬉しかったのです。親子という名の下に、真実にあうことによって、自分中心の考え方の中で生きてきた、願いに振り向くことなく生きてきた不実な私の姿を初めて知らされました。そして、しばらくして父は亡くなるのですが、葬儀のとき「お父さん、本当にありがとう」という気持ちで父を「お父さん」と呼べるようになりました。

私事を申し上げて大変失礼致しましたが、姨捨山の中で説かれている母と子の間柄というのは、阿弥陀様と私の間柄そのものではなかろうかと思うのです。願い続けて下さる願いは、確かにこの私に届いているのに、そのことに気付けず、そのことに振り向くことなく背を向けて生き続けてきた。それが私でありました。しかし、私たちは人生の様々な縁の中に悲しみや出会いがあり、その縁を頂く中に、ようやく阿弥陀様の願いを受け止めることができた。振り向くことが出来た。そしてそのご縁の中に「あなたを願い続けている。そしてあなたを見放さない」という真実の阿弥陀の願いと呼び声に照らされて初めて、私たちは、自己中心的に生きてきた人生や、周りの愛しい者に思いやりの欠けた言動をした生き方、不実さに気付かされてゆく。その姿そのままが、この姨捨山の母と子の姿、つまり阿弥陀と私の関係だと、なぞらえて受け止めることが出来ると思います。

阿弥陀様は背く者・逃げる者を救おうとされています。そして更に言えば、背けば背くほど、逃げれば逃げるほど、それを追い、必ず胸の中に抱き摂って決して見放さない、捨て去らない、と願う中に私を抱き摂って下さいます。その願いの中にある私でありました。その願いに生かされる私を知り、その私がどう生きるのか、という中に、自分の命を見つめてゆくという大事な視点を、慈悲、近角常観先生のお話の中から学ばせて頂きたいと思うのであります。

最後に、親鸞聖人は慈悲をどう受け止められたか。『歎異抄』には
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり
という言葉が出てきます。お慈悲には、聖道の慈悲と浄土の慈悲の2つがあるのですよ、という受け止め方で教えて下さっています。

聖道とは、分かりやすく言うと私たちの日常における慈悲と受け止めて頂ければよろしいかと思います。日常の慈悲とはどんなものか。例えば病に苦しむ人がいた、愛しい人と別れた方がいた。その痛みや悲しみを知ったときに、ああ辛いだろうなあ、悲しいだろうなあ、苦しいだろうなあ、という思い、つまり同情を感じずにはおれません。それが私たち人間です。しかしその同情する心を感じてみても、何かしたいと思ってはみても、実はそれは完結しません。何か手を差し伸べたい、何か悲しみを無くさせたいと思ってはみても、実はそれは叶わぬことなのだ、日常の私たちの慈悲には限界があるのだ、貫き通せる慈悲の姿ではないのだ、と、残念ながら私たちの日常的慈悲の有限性を親鸞聖人はここで教えて下さっているのです。

それに対して浄土の慈悲とは、阿弥陀様の願いを主体として、お念仏頂く我が身を通して頂くお慈悲です。言葉面として分かっても、意味合いとしては難しいとは思いますが、どういうことかというと、相手の事実、現実を否定するのではなく、ありのままの現実を受け止めて、それを私が生きる生き方の上に恵んでゆく、というのが浄土の慈悲の姿だと親鸞聖人は受け止められている訳です。理解は出来ても実際はどういうことなのだろう、と思われる方があるでしょうし、私自身もはっきりと伝えることがなかなか出来なかったのですが、最近こんな話を聞かせて頂きました。ある看護師さんとお話をさせて頂いた時なのですが、その現場には命の先がもう見えてしまった若い女性がいらっしゃったようです。その方は癌に冒されている状況の中で子供を出産されたそうです。しかし自分の命はもう幾許もない。そういう厳しい状況の中で必死に自分の命に向き合い、生きられていました。その状況を知れば誰もが声を掛けたい、何か手を差し伸べたい、助けてあげたいと思います。しかし、それを助けることの出来ない苦しみを抱えながらその方(看護師さん)は日々過ごされていたそうです。そして深夜の勤務の中で、病院ですからベッドにカーテンが巻かれます。そのカーテンの先に、厳しい現実の中で命に向き合われている方がいらっしゃる。何かしたい。しかし手を差し伸べることが出来ない。それはなぜか。厳しい現実かもしれないけれども、その(癌の)方には、心の中に生きるための支えを用いていたから。その方を支える大事な何かに、自分(看護師さん)が触れてはならないと感じられたからだそうです。言葉を与え、手を差し伸べるのは簡単ですが、その行為は終始完結できるものではありません。その方を支えている大事なものに触れることの出来ない痛みを抱え続けながらも、何も出来ない自分と実感しながらも、その方と同じ方向を向いて、たとえ自分が傷つき苦しむことがあったとしても、生きることを分かち合おうとする。そんなお話を(看護師さんから)聞きました。このお話を聞かせて頂いたとき、これが「ありのままの現実を受け止め、それを我が生きることに恵んでゆく姿」なのだと学ばせて頂きました。手を出せば良い、口を出せば良い、ということではない、ということです。その事実に共にあろうとし、同じ方向を向いて行こうとする。それが浄土の慈悲の姿なのかもしれません。

今日は、智慧と慈悲をテーマにお取り次ぎをさせて頂きました。阿弥陀様の、私たちを真実に導いてゆく願いは、絶えず私たちに注がれています。それに背き通しの私たちでありましたけれども、尊いものを頂いて、その願いに今であわせて頂きました。そして、であったからこそ、私の至らないところに大きな慚愧が生まれてきます。しかしその慚愧があればこそ、「申し訳ありませんでした、しかし勿体ないことでありました」という思いの中から、今その願いにあえた喜びの中に報恩のお念仏を頂いて、お念仏と共に世の中のすべての痛みや悲しみや苦しみと一緒に生き抜こうとするところに、お念仏を頂いた現世の利益になってゆく、と教えられるのです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、。


築地本願寺 2012.02.05



【法話】「人間の最期を死ととるのが人間の眼差し、人間の最期を往生ととるのが念仏者の眼差し」 2012.02.05 築地本願寺

2012年2月5日、本願寺築地別院にて長原真了師から聞かせて頂いたお話の記録です。

築地本願寺 2012.02.04


十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづけたてまつる
今日、こうやって皆さんにお会いすることができましたけれども、昨日寝られる時に、今朝、またこの時間、今日という日が果たして来るのだろうかという疑いをもって命に向き合われた方がいらっしゃるでしょうか。この世の習いとして、始めあるものはすべてに終わりがあります。そして、諸行無常と言われるようにすべてのものは移ろい変わって失われてゆくのがこの世の道理であります。その道理の中に、すべてのもの、この私もあるということは間違いのないことで、私もひとたび無常の風が吹けば、そこにどんな事情があったにせよ、この世からすべてを手放してこの命を滅してゆかねばなりません。しかし、普段の日常の中で死の自覚を持たないのも私たちであります。

十返舎一九という人がいましたが、辞世の句でこんな詠をよんでいます。
今までは 人のことと思へども 俺が死ぬとは これはたまらん
あまりに滑稽で笑いが出そうな詠ではありますが、滑稽と笑う前に、まさにそれは私のことであった、他人事、他人事と受け流してきていた命の問題が、実は私のことであった、と受け止めてゆかねばならないと思います。

私は実は数年前まで「おおぢぬし」だったんです。「大地主」ではありません。「大痔主」です。「痔」というのは「病だれ」に「寺」と書きますが、どうやらお寺さんの職業病のようです。お寺さんと話をしていると結構多いのです。なぜ「病だれ」に「寺」と書くのか、その意味は定かではありませんが、昔から本堂は寒いと言われますし、そこで長い間正座をするとお尻が鬱血しますので、どうしても切れやすい。そこにお酒をたくさん飲む。こういったことが重なり重なって、寺の病が痔になった、とまことしやかに言われています。その「大痔主」に私も大変苦しんだことがあります。最初は放っておいたのですが、何年かした結果、単なる痔では済まなくなりまして肛門直腸膿腫という腫瘍になってしまいました。これは大変だと病院に行ったのですが、慌ただしく動かれる看護師さんを見てハッと思いました。当時、下の子が生まれたばかりでしたし、私は新しいお寺を作りたいと思いまして銀行から借金をしていたものですから、もし自分に何かがあったらこれからどうやって行きてゆこう。本当に、人生で初めて自分の死に向き合ったときでした。その時は住職になって14~15年経っていましたので、たくさんの葬儀に出会ってきました。それなのに、ご縁を頂いた葬儀の命の問題がすべて他人事であった、と感じました。

「人間の最期を死ととるのが人間の眼差し、人間の最期を往生ととるのが念仏者の眼差し」そうおっしゃって下さった先達の方がいらっしゃいます。私たちは、死んでしまえばおしまい、死にたくない、という小さな殻に閉じこもり、そして生死流転にある身であります。だからこそ、そんなお前を見放すことなく救い摂るという阿弥陀様の働き、そしてそのご信心を賜ることによって、死んでおしまいではない、浄土という世界に参らせて頂く。それが念仏の大きなお徳でありました。だからこそ浄土というのは単なる死後の世界ではありません。死後、私たちが生きる世界が定まればこそ、その浄土という世界は今この時を生きる私に働きかけて下さっているのです。その働きと、恵まれて注がれている光の中に、どう自分の人生と命を受け止めて過ごしてゆくか。そのことが求められているのが私たち念仏者であると思っています。

今日は、阿弥陀様の肝心要の智慧と慈悲をテーマにお取り次ぎをさせて頂きたいと思います。

住職を務めておりますので、色々なご縁を頂いて、そのご縁の中で思いを共にし、苦悩を共にし、共に泣き、笑い、その中で多くの学びをさせて頂いております。

智慧というのは、ありのままに物事を見つめてゆく、という仏の視点、眼差しのことです。その仏の眼差しの中に開かれて行った世界、そこに気付かれてゆかれた方のお話をします。私が出会った葬儀の中で学ばせて頂いた実際の話です。数年前の暮れに、一本の電話がお寺にありました。「子供が亡くなりましたので、門徒ではありませんが葬儀を勤めて頂くことは出来ないでしょうか」というご相談でした。そういうことは東京等ではもっと顕著なのかもしれませんが、長野とはいっても県庁所在地の長野市ですから、門徒さんの流入といいますか、檀家制度にとどまらずお寺と宗派と住職を選ぶという動向が長野でもあります。ですからお取り次ぎをする葬儀も、半分は、色々なご縁の中で選んで頂いてのこと、ということが多くなってきました。そういったご縁でありますので、できるだけそういった声に応えたいということでお家に伺いました。そこには3歳の男の子のご遺体がご安置されてあります。小さなお子さんのご葬儀のご縁でした。勤めさせて頂いてご葬儀の打ち合わせに入るのですが、その打ち合わせの冒頭、ご両親からこんなご相談がありました。「実はこの子は亡くなるまで家に帰って来ることが出来なかったのです。ようやく亡くなってこういった形で帰って来ることが出来たのですが、そういった事情で、この子のために用意したベッドも部屋も一度も使われることがありませんでした。もし出来れば、この子をこの部屋のこのベッドに寝かせてやりたいのですが、都合がつきますでしょうか」。親御さんの気持ちはよく分かります。都合がついたものですから、じゃあそうしましょうということで、寒い時期であったから出来たのですが、2晩仮通夜をして、3日目に本通夜、4日目にご葬儀を勤めました。その間、若いご両親と色々な話をすることが出来ました。そうやって迎えたご葬儀の当日。通常、東京等では葬式が勤まってから出棺というのが当たり前だと思います。しかし長野の葬式の仕方は少し変わっておりまして全国的には「長野方式」と言われることもあるようですが、出棺をして、そして斎場に行ってお骨をご安置してからご葬儀をするのが長野流です。ですから葬儀が終わりますと、すぐお斎(会食の席)が始まります。そこで喪主さんやお家の方々から色々なお言葉を頂きます。その時は、ご両親それぞれからお言葉を是非みなさんに伝えたいということで、お父さん、お母さんという順番でお話しになりました。今日はそのお母さんのお話を皆さんに聞いて頂きたいと思います。

皆さんの前に立たれてお母さんはいきなりこう言われました。「この子は3年という時間を生きました」。正直に言えば非常に違和感を感じました。そこにいらっしゃった方々もきっと同じような思いだったと思います。なぜか。通常人前に立てば、色々な事情や思いはあるでしょうけれども、まずある程度のご挨拶、定型のものがあって、その後言葉が始まりますが、その時にはお母さん、即座に「この子は3年という人生を生きました」とおっしゃったのです。続いて「この子が亡くなって、皆さんから色々な言葉をかけて頂きました。『幼かったのにね』『早かったね』『残念ですね』『もっと一緒にいたかったでしょ』。色々な言葉をかけて頂きましたが、その言葉をかけられればかけられるほど、『そうじゃない、違う』と皆さんの心を素直に受け止めることの出来ない私がいたのです。申し訳ありませんでした。許して下さい」そう言ってお母さんはしばらく泣かれました。涙がおさまってから、こんな思い出話をして下さいました。「この子が私のお腹の中に宿った時、私の人生の中で一番の大きな幸せでした。ところがお腹の中で大きくなるにつれて、障害があることが分かりました。最後は危険を承知で出産をしました。普通は子供が授かると、先生や看護師さんから『男の子ですよ』『女の子ですよ』と言われるのでしょうが、私たちは違いました。先生に呼ばれて『いいですか、非常に厳しいことを申し上げますが、障害の度合いが非常に重いのであまり長くは生きられないでしょうから、覚悟をして下さい』と言われました」。命を授かったという大きな喜びが、その言葉で一瞬にして奈落の底に叩き付けられた、そんな苦しみを抱かれたはずです。それからしばらくして、2人で我が子のところに行ってみたそうです。そこには何本かの管につながれて、保育器という容器に入ってはいるけれども、懸命に心臓を動かして息をしている我が子の姿がある。それはまさに「お父さん、お母さん、僕は生きたいんだ、僕は生きるんだよ」という思いの中で懸命に息をし、心臓を動かしている我が子の姿に間違いない。そう思った時にご両親はハッとされたそうです。「厳しい事実ではあるけれども、その事実に、たとえわずかであっても、向き合うことの出来ない私たちがいた。子供がこんなに一生懸命生きようとしている。しかしその心に寄り添うことが出来なかった。親として何としても申し訳ないことだった。これからどれだけの時間が残されているか分からないけれども、親子3人の時間を大事にしながら、お互い命に向き合いながら、これからの時間を過ごしてゆこう」そう誓ったのだそうです。それから「闘病」というよりは、お互いの命に向き合って生きる家族の時間・人生が始まりました。お母さんは毎日介護をされながら、お父さんは仕事が終わると毎日病院に向かって、そして家族で色々な話をしたそうです。きっと、その日あったことの嬉しかったことや悲しかったことや辛かったことや愚痴などを交えながら、言葉にしてそれを分かち合ったのだと思います。そして言葉にならない時にはあえて言葉にせずに、皆で手を握りあって、握りあう手の中から伝わってくる温もりや力を通じて、みんなここにいるね、みんな一緒だね、と日暮らしを送ったと思います。「そうやって、それぞれの、巡り会った家族の縁というものの中に、命を通して過ごしていった3年という時間が流れてゆきました」。こんなことをお母さんが一通り話して下さって、こうおっしゃるのです。

「世の中には、長生きをすることや、健康であることが素晴らしいという価値観、それが幸せであるという考え方がまかり通っていますが、それは本当でしょうか。それが幸せの絶対条件なのでしょうか。もしそれが本当だとしたら、そこから漏れてしまう人たちや人生、、、まさに私たちがそうでした。障害を持って生まれ、3年という短いわずかな時間の中で生きた命、、、もしそれが本当だとしたら、私たちやこの子の人生、私たち家族の時間が不幸だったと言われなければならないのでしょうか。長生きが素晴らしい、健康であることが素晴らしいという言葉で人はどれだけ、そう思えない人の心を簡単に傷つけいるのでしょうか」。そう言われて私もハッとしました。「その一般的な物差し、命の価値観というものに測られて、私はこの家族の命とかけがえのない時間を推し量って欲しくないと思っていたのです。だから『短かったね』『幼かったね』『早かったね』という言葉を素直に受け止めることが出来ませんでした」。そして、私が一生懸命話をしたことをそのお母さんなりに咀嚼をして下さいまして、こうおっしゃいました。「浄土真宗の阿弥陀様という仏様は、人の命は長さではないとおっしゃって下さる仏様だと聞きました。生まれて、生きて、その人に出会って、その人のことが好きになって、たくさんの思い出を作った時に、ずーっと一緒にいたい、ずーっとこの幸せを手にしていたい、と思うのは人として当たり前のこと。しかしそう思ってみてはいても、それを許さない厳しい現実や事実が私たちにはあります。実際には、死という絶対にすべての人に避けられない現実の中で、すべてを失い、すべてを手放して別れてゆかなければなりません。幸せのために長生きをしたい、健康でありたい、と思うのは人として当たり前のことです。でも、願いが当たり前だとしても、その願いが叶うか叶わないかは全く別のことであって、叶うことよりもむしろ叶わないことの方が多い人生の中に私たちは生きています。だから仏様は、私たちがどうしようも出来ないこと、叶えられないこと、力の及ばぬことに価値を見いだしてはならないとおっしゃって下さるのです。大事なことは命の深さと、輝きに目覚めることだとおっしゃって下さる仏様が阿弥陀様だと聞きます。生まれたということを素直に喜ぶ。出会えたという喜びをお互いが分かち合ってそれを抱きしめてゆく。そうやって、今を、この人生を、この命を生きられたならば、それが比べられることのない何よりの輝き、そして深い深い尊い命に出会えたということになります。そう聞かせて頂いて本当に救われました」と、お母さんはおっしゃって下さいました。そして最後にこう話をまとめて下さるのです。「この子が亡くなるまで、私は、人間というものは生きているということが当たり前だと思っていました。しかし我が子を亡くして初めて、この悲しみの中にあって初めて、人の命は永遠ではないということ、そして同時に、生きていることは当たり前ではないことを知りました。そのことを住職に話すと『そうですね。だから有り難い、有ることが難い私たちの命ですね。有ることが難しい命、しかし願われ生かされ支えられてここにある私の命であるからこその"有り難うございました"という感謝の言葉ではないですか』と聞かせて頂きました。私たちを支えて下さった皆さんに、何一つ恩返しできることを持ち合わせていませんが、この息子から、この別れから教えられた"有り難う"という思いを皆さんに伝えたいと思います。有り難うございました」。

この言葉を聞きながら、涙を止めることが出来ませんでした。そしてそこにいらっしゃった多くの方々が、やはり涙をされていました。私は多くの葬儀に立ち会いますので、いわゆる先生と言われる職種の方々や地元の名士と言われる方々や、色々な方々とお話をしたり、挨拶を聞かせて頂くことがありますが、正直言ってあまり心に響いたことはありませんでした。それを引き合いに出す訳ではありませんが、これほど素晴らしい言葉を聞いたことはありませんでした。そして、私自身の大きな学びのご縁とさせて頂きました。

この話は、別れ行く命と出会った中に、仏の目線・仏の視点からありのままに命・物事を見つめていった智慧に、悲しみに打ちひしがれるのではなくその縁をどう受け止めてゆくかという中に、自分の心をみ教えを依りどころにして、目線を上げてゆかれた一人のお母さんの話ですが、実はこれには後日談があります。私がご葬儀の中で話をさせて頂いた中で、これだけのことを感じられるそのお母さんの感性は凄い、どういう人なのだろう、とすごく興味があったのですが、その後、月参りがありましたので色々話をさせて頂くご縁がありました。そこで分かったのは、このお母さんは元々富山県のご出身で、小さい頃からお寺の日曜学校に通っていたのだそうです。小さい頃からお寺で、家で、おじいちゃん・おばあちゃん・お母さん・お父さん、家族みんな揃って、必ずご飯を食べる前には「帰命無量寿如来」と『正信偈』をお勤めしてからご飯を頂くという生活が日常だったようです。つまり、一つ一つ、一息一息の中に、自分の心に蓄積されていった宗教的情操と言いますか感性があったればこそ、きっとそれが言葉になって出たのがこの話であったと受け止めて、なるほどと思った次第であります。

そのときにこんな言葉を聞きました。「恩送り」。これは富山のある地方の方言だそうです。普通「恩返し」といったら頂いた恩をその方に返すことです。恩返しは、頂いて返すという相互関係の中でしか行ったり来たりしません。しかし恩送りというのは、自分が辛い時や悲しい時に誰かが手を差し伸べてくれた、その心によって私の心が温められた、その喜びや思いを今度はその人に返すのではなくて、悲しみを知ったればこそ、今までは気付けなかった身近な時代や社会の悲しみにその恩を送ってゆく、そのことが尊いことなのだ、という教えのこもった言葉だそうです。私たち真宗門徒にはとても温かい言葉だと味わい学んだご縁でした。まさに亡くなった父親から聞かせてもらった通りでした。住職や僧侶というのは育てられるものなのだ、と。

それでは次に、慈悲について話をしたいと思います。

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(次回につづく)


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お経の出るお線香 – 南無阿弥陀佛

お経の出るお線香、「南無阿弥陀佛」というものを頂きました。

お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛3


早速火をつけ(ながら写真を撮るのは難しい)、、、
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


しばらく待つと(供物の果物が買ったままの状態ですみません^_^;。奥の人形は故人のものです)、、、
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


何やら見えてきました。
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


おおぉ!
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


仏様です。立撮即行の阿弥陀如来。
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


つづいて、


な、
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


む、あ、
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


み、だ、
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


ぶつ。
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛


煙は出ず、ほのかにお香が漂う上品なお線香。この中にご絵像、ご名号として阿弥陀如来が現れられました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


途中で灰が崩れはしまいかとドキドキしましたが、分厚いのでしっかりしています。
お経の出るお線香 - 南無阿弥陀佛



そのお姿をみて
心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。
(教行信証)
のお言葉を思い出しました。


さて、”お経の出るお線香”ということですが、「南無阿弥陀仏」はお経のどこに出てくるかといえば、例えば『観無量寿経』には「称南無阿弥陀仏」とあります。

『観無量寿経』については、

仏説 観無量寿経

 『無量寿仏観経』ともいい、略して『観経』とも称される。この経は釈尊在世当時、王舎城におこった事件を契機として説かれたもので、はじめに次のような事情が示される。悪友の提婆達多にそそのかされた阿闍世という王子が、父頻婆娑羅王を幽閉し、その王のために食物を運んだ王妃の韋提希夫人をも宮殿の奥に閉じこめた。夫人は遠く耆闍崛山におられる釈尊を心に念じ、仏弟子を遣わして説法してくださるよう求め、これに応じて釈尊みずから王宮の夫人の前に姿を現された。そこで夫人は、この濁悪の世を厭い、苦悩なき世界を求め、特に阿弥陀仏の極楽浄土を選んで、そこに往生するための観法を説かれるように請うた。

 こうして、まず精神を統一して浄土と阿弥陀仏や菩薩たちを観想する13の観法が説かれる。この観法の中心は第九の真身観(阿弥陀仏の相好を観ずること)である。

 さらに、釈尊はみずから精神を統一しないままで修する善について、上品上生から下品下生までの九品に分けて説かれる。まず、上品には大乗の善が説かれ、中品には小乗の善や世間の善が説かれる。そして下品にはこれらの善を修することができない悪人のために念仏の教えが説かれるのである。

 ところが、このようなさまざまな観法や善を説き終ったあとで、最後に阿難に対して無量寿仏の名号を心にとどめよと説かれている。そこで親鸞聖人は、釈尊の本意がこれまで説かれてきた観法や諸善にはなく、他力念仏の一行を勧めることにあると見られた。
ということですが、他にも観無量寿経を読みましょうというサイトに詳しく書かれています。それは少々難しいですが、その中から深川倫雄和上の『観経拝読についての要点』を引用させて頂きます。ゆるゆるお読み下さい。

『観経拝読についての要点』 勧学 深川倫雄

一、経典

私どものご法義は『浄土三部経』のご法義です。この『三部経』をどう解釈するかというと、親鸞聖人のご指南に従うものです。聖人を宗祖と仰いで、そのご教化に従ってまいります。この聖人の『三部経』解釈は『ご本典』や『ご和讃』に示されてあります。
浄土三部経はお釈迦さまがお説きになったものです。お釈迦さまは仏さまです。『三部経』は仏さまのお言葉です。お釈迦さまは澤山のお経をお説き下さいましたが、この『三部経』がお釈迦さまの本懐です。お釈迦さまが『三部経』の中にお説き下さった内容は。阿弥陀さまという仏さまのことです。即ち、『三部経』のご法義は阿弥陀さまのご法義です。この度はその中の一つ、『観無量寿経』略して『観経』のお説教を解説いたしましたので、ゆるゆるこの本をお読み下さい。
経典解釈というものは素人が取りかかってはならないものです。経典は達人の指導によって理解すべきものです。私どもは親鸞聖人という達人のご指導に従います。この本の中の趣旨は、一つ一つに指示はなくても、全部、親鸞聖人の解釈の通りです。執筆者の意向は入っていません。

二、阿弥陀さまの願心

『三部経』の第一である『無量寿経』略して『大経』には阿弥陀さまの衆生済度が説かれてあります。阿弥陀さまの四十八願の中第十八願が中心です。願というのは、如来さまが、こういう仏になりたい、こういうお浄土にしたいという願いです。第十八願は名号ナマンダブになって一切衆生に宿り称えられて、衆生を仏にしたいというものであって、四十八願の願心の根本ですから、第十八願を本願と申します。如来さまは私どものことを隅から隅まで洞察、研究なさいました。それを五劫思惟と申します。私どもの智慧も心も行いも、すべて愚鈍にして不実、虚妄である、衆生は功徳を積むこと不可能である。一切衆生は貪欲、瞋恚、愚痴という煩悩に引きずられ、罪業に縛られて、流転輪廻限りないものである。この者たちが虚妄の世界を流転してゆく繋縛から解放され、智慧の悟りの者になることは、如来さまのお力による外はないと考えました。如来さまの仏徳の全部は同時にナマンダブという、称えられる声の仏さまになって、衆生に自分のこととして信受させ、称えさせて、この名号ナマンダブの功徳の力によって、衆生を極楽浄土に往生させ、覚りの仏にしようと願われました。これが第十八の本願です。名号ナマンダブを信受、称名するということは、この本願の仰せをそのまま受け入れることです。即ち、自分の智慧も思いも行いも、力のないものとし、用いないことにして、私に来て下さった名号ナマンダブただ一つを、受け入れ称えて生きるのであります。
如来さまは、この名号でのお救いによって、一切衆生一人残らず仏にすることに自ら絶対の信をお持ちです。
ところで、この仰せの通りの名号、ご苦労の願心のこめられたナマンダブを仰せの通りに信受しない人がいるであろう。即ち仏さまの前に自分の智慧を無価値のものとして投げ捨てることが出来ない人、自分の思いを価値ありとして大切にする人、自分の行いを功ありと思う人たちです。その人たちの中、自己のすべてを無価値とし得ないで、名号に自分を託することの出来ない人々は、自分の善根、自分の功徳、自分の智慧を誇って、第十八願の宗教である名香の法を受けつけないでしょう。如来さまはそのような、仏心に添わない人々のことを予想されました。しかしこの人々を見放しません。いま、仏力=他力にまかせよといっても、その大慈大悲の仏心に背く者たちを暫く許して、そのような者のために第十九願をお立てになりました。即ち自分の智慧と思いを意味ありとして何らかの善根を励み、その功徳によって浄土に往こうとする者、それは実は如来さまには不本意の人々ですが、不本意の人々の為に不本意の宗教を用意されたのが第十九願です。従って第十九願の願心には、如来さまのご本心の宗教である第十八願のご法義に、自力を捨てて、早く立ち帰ってほしいというお心があります。純粋他力の念仏は素晴らしい宗教です。自分の智慧の力を捨てきれない人々が、善をなし、念仏を称えて、その功を誇ろうとするのは、自力善根の人です。宗教として不純であり、不淳ですので、如来さまは不本意な道であるとされます。そこで、第十九願には、第十八願の他力の法から外れた人々に用意下さった、不本意なお心と、第十八願に帰入せよというご本意と、二つの願心があることになります。

三、お釈迦さまの教意

お釈迦さまは仏さまですから、以上の阿弥陀如来の願心をよくご承知です。お釈迦さまは阿弥陀さまのご本意、、第十八願のご法義、名号ナマンダブの法を『大経』にまさしくお説きになりました。即ち『大経』は第十八願ー名号法を開設された経です。第十九願の宗教も説かねばならないお釈迦さまは、王舎城の王宮で興った逆害の事件をチャンスとして、『観経』を説かれました。即ち『観経』は第十九願開設の経です。第十九願は阿弥陀さまが不本意の人々のために立てられた不本意の願です。従って第十九願の正面は不本意の法であり、背後に隠れてご本意の願心があります。ご承知のお釈迦さまは、『観経』の教意に二つを説かねばなりません。即ち『観経』の正面の教説は自力諸善をして往生しようというご法義、背後には他力信心のお念仏を彰してあります。『観経』の教意にニ面があることを見抜いて下さったのは善導大師と親鸞聖人です。これらのお話を整頓して表にしますと、次のようになります。
(略)
そういう意味でこの『観経』は解釈して示すことの困難なお経です。この本では、第十八願の他力念仏をお勧めの面、即ち阿弥陀さまのご本意の側に立って書き進めて参りましたから、そのつもりでお読み下さい。

四、『観経』の大概

『観経』の全体をあらましで示しますと次のようです。

序文(序分)
王宮の逆害と教説の起縁

本文(正宗分)
禅定の心でする善(定善)
散雑の心でする善(散善)
念仏

結び(流通分)
他力念仏の勧め

お経は千五百年の昔、中国仏教このかた、序分・正宗分・流通分の三つに区分して解釈することになっています。流通分とは、一経の教説を結論し、後世に伝え弘めることを命じられる所ですから付属流通と申します。会座の長老及び阿難尊者にそのお経をお渡しになって、流通を命じられるわけです。お経の結論を説示し、後世への流通を説かれる所ですから、流通分は大層大切です。殊に『観経』では、長時間にわたって説かれた定善、散善という教説は差し置いて付属せず、
「阿難よ、お前は如来さまの名号を大切に頂いて生きなさい」
と結ばれます。『観経』はこの流通分を大切にし、これから反顕して読むものです。流通分の教意でもって、序分から理解してゆくものです。

五、悪人正機とお示し

序分に述べられてある王舎城の逆害は悲しい出来事です。頻婆娑羅王の王子阿闍世太子が、お釈迦さまの従兄弟である提婆達多にそそのかされて、王権を手に入れるクーデターを起こしました。父王を幽閉し、母后・韋提希夫人をも軟禁しました。耆婆、月光、雨行という大臣達もこの騒ぎに巻き込まれます。血生臭い中に蠢く凡夫達の浅ましい姿です。韋提希夫人が軟禁された王宮の一室にお釈迦さまがお降りになって、夫人に対してお説法をなされたのが『経』の大部分です。
『大経』はナマンダブのご法義の原則の全体を阿難尊者や弥勒菩薩に対して説かれたものです。『観経』では浅ましい人間模様を織りなす人々にお念仏が説かれました。韋提希夫人その他みな凡夫であって、歴史上初めて念仏を称えて喜ぶ凡夫が現れたことを示すお経です。『観経』は凡夫の為に説かれたお経です。たとい定善の高度な禅定の行が説かれてあっても、あれも凡夫の中の積学の人達のすることであって、菩薩のために説かれてあるのではありません。積学の凡夫にして、自力で定善を行って往生しようとする人は、如来さま不本意の道をゆく姿です。積学の人で他力信心の人は、ご恩を思いながら定善段を行って念仏生活の楽しみとするでしょう。即ち他力の人から言えば定善、散善はご報謝のたのしみです。
お釈迦さまが韋提希夫人に対して、「汝は凡夫にして心想劣悪である」と仰せの場面があります。『観経』は凡夫の為の経であることが知れます。親鸞聖人は右の経語を重視して、「悪人が往生の機であることを彰わす」と仰せです。『大経』では名号法が悪人を正機とすると思われる文はありません。上輩を可とし、下輩を不可とし、悪人を不可とし、善人を可とする文勢です。『観経』を拝読して夫人のような浅ましい凡夫、下品五逆の者が念仏して救われるということが知られます。それで『大経』は真実法の法を説き、『観経』は真実法の機を顕わすと申します。親鸞聖人は『観経』によって第十八の本願は悪人を正機とするご法義を誓われてあると理解されました。
更に、『観経』に登場する人達はすべて浅ましく罪深い凡夫であるが、このお方々は凡夫の姿を示現した聖者方の仮の姿であると見られました。即ち権仮方便をもって罪業の凡夫の姿をあらわし、悪人凡夫がナマンダブで救われるのであると教えて下さったものと教えて下さいました。『ご和讃』に、
大聖おのおのもろともに
凡愚底下のつみひとを
逆悪もらさぬ誓願に
方便引入せしめけり
と詠ぜられましたのがそれです。『ご本典』の序にもこの意味を仰せです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、



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