【法話】「願い続けて下さる願いは、確かにこの私に届いている」 2012.02.05 築地本願寺

前回の続きです。

―――――――――――――――――――
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀となづけたてまつる


(中略)

それでは次に、慈悲について話をしたいと思います。

慈悲とは、単純に今の時代の言葉で言えば「思いやる」ということになると思います。しかしその心と味わいを少し深めて頂くためにこれからお時間を頂戴したいと思います。

皆さん、アインシュタインという科学者をご存知でしょうか。ノーベル物理学賞を受賞した世界的な科学者であります。相対性理論で有名です。このアインシュタインは、ノーベル物理学賞を受賞した年、大正11年に来日をしています。その来日の時に、こんな体験をしています。どのような体験かというと、当時、真宗大谷派の僧侶で真宗学寮、つまり今京都にある大谷大学の教授をされていた近角常観先生と対談することになったのです。それまでアインシュタインはいわゆる無心論者で、宗教に心を奪われるというのは子供じみた大人の遊びである、悪戯ごとであるという言葉を残していたくらい宗教を毛嫌いしていたそうです。そのアインシュタインが、何のご縁か近角先生と対談することになりました。近角先生は、当時5カ国語を駆使されるほどであったと言われます。世界的に認められている科学者と宗教者でありますから、お互い認めあう中に会話は進んで行ったそうです。そんな会話の中でアインシュタインが近角先生にこんなことを言いました。「先生、仏教で言うところの仏様という方は、どんな方でしょうか。仏様の心というものはどんなものでしょうか」。そうしましたら近角先生、少し考えて間を置かれてからこんな話をされたそうです。

「この国も、最近は少しずつ物の豊かな時代を迎えてきましたけれども、これからお話しすることは、この国がまだまだ貧しかった頃、その日食べてゆくのにも精一杯だった頃の、昔々のお話です。この国のある地域では、お年寄りが一定年齢になると山に捨て去られてゆくという悲しい伝説がありました。そこに、母親思いの息子と母親が、2人仲良く暮らしていたそうです。ところが、その母も人の子ゆえ、とうとう山に捨ててゆかれなければならない年齢の時期がやってきました。息子は、大好きなお母さんをとても山には捨てておけない。しかし一方で、自分だけ村の掟を破ることも出来ない。その狭間に立って大変苦しむ日々を送ります。そうこうしているうちに、時が流れ、息子は止むに止まれず年老いた母を背負って山に入って行きました。どれだけ歩いたことか、ようやくしかるべき場所を見つけて、ここならば良かろうと思って母を背中から下ろし、そして断ち切れぬ思いを抱えながら、母に背を向けて歩みだしたその後ろ姿に、肩越しに母からのこんな声が聞こえてきました。『もうすぐ日が暮れようとしている。お前はこの暗闇を再び家に帰って行かなければならない。ここまでいくつもの山を越え谷を超えて来た。その険しい山道を再びお前は帰って行かねばならない。無事、家にたどり着けるか? ワシはそのことが心配でな。最後に、せめて何かお前にしてやろうと思ったのだが、大したことは出来なかった。ただ、手に届くところにあった枝葉を折って道端に落としてきたから、お前がもしこの暗闇や山道に迷うことがあれば、その枝葉をたどって行って欲しい。そうしたら必ずお前は家にたどり着けることができるよ。送ってくれてありがとう。さあ、早く行きなさい。お前の幸せを願っている。素晴らしい人生を過ごしてくれよ』。去り行く息子の背中に両手を合わせて母は『なんまんだぶ、なんまんだぶ』と念仏を称え、その念仏は山にこだまし、いつまでも絶えることなく変わることなく響いていました」

と。そして、ここまで話をされてから近角先生はアインシュタインにこう言います。「この母の心こそ、仏の心です。この母の姿こそ、仏の姿です」。アインシュタインは静かに耳を傾けて近角先生の話を聞いていました。そしてその目には涙がたまっていたそうです。後日談ですが、アインシュタインが日本を離れるとき、「色々な人に会い、色々な所に連れて行ってもらったが、日本人の心豊かな優しい心を支えている仏教の、人を思いやるという慈悲の心に触れられたことが、何よりも勝る、私にとっての日本の手みやげです」という言葉を残したと言われます。

この物語、皆さんすでにお気付きかと思いますが、姨捨山伝説の話を基に近角先生は話をされたのです。そしてその姨捨山伝説というのは、私の故郷である信州長野の昔話であります。

それでは、この話の味わいを話させて頂きます。なぜ、母の姿が仏の姿であり、母の心が仏の心であるのか。母は息子に背負われて山道をたどって行きました。その道はどんな道だったか。それは、自分の死が目の前に定まって、引き返すことの出来ない一方通行の道でした。普通、それが分かっていれば、頼むから助けてくれ、引き返してくれ、と子供ですからいくらでも甘えられる筈ですから、命乞いや延命を願ったりねだったりするのが関の山であります。ところが、このとき母がしたことは何だったでしょうか。自分も辛い。でも、自分を背をって行かねばならないこの子も辛かろう、と、母は自分の痛みや苦しみを置いておいて、そこにいるその子の痛み・悲しみに自分の心を寄せたのです。寄せて、その心を自分の心のように受け止められたからこそ、母は自分の命を奪おうとするその子を許したいと思い、更には、この子を生かしたいと思うが故に、自分に残されたほんのわずかな時間を自分のために使うのではなく、その思いから発露された「この子に何かしたい」という思いを、枝葉を折って道端に置き道しるべとする、という行為に及んでいったのです。つまり「自分が、自分が」という考え方ではなく、そこから少し離れて、まずそこにあった痛みに心を寄せて、その者のために何かをしたいという心の中に自分の行動を示していった。これが仏の姿、仏の心です。この心を仏教では慈悲というのです。

では一方で、母を捨て、しかしながら母に背中を拝まれた子供とは。ここがこの話の肝要として味わいをさせて頂きます。私にもかけがえのない親、母がいて、父がいました。皆さんもそれぞれに、この命を授けて下さった親がいたということに違いありません。自分が子という立場に立って親に向き合った時、私たちは親に対してどんな向き合い方をして、どんな過ごし方をして、生きてきたでしょうか。振り返ってみますと、私は親がいることが当然だと思っていました。そして親が子のために心を砕き、人生を犠牲にし、尽くしてくれることは当然だと思っていました。当たり前だと思い、当然だと思うからこそ、その尊さ・かけがえのなさに気付くことは出来ませんでした。そして自分の人生の中でかけがえなく尊いのは、自分が人生の目的を持って、その目的のために一生懸命に頑張って生き抜くこと、と信じて生きてきました。だからどんなに離れても、どんな状況でも、親の願いに向き合ってゆこうとする意識すらありませんでした。背を向けて生き続けてきました。それが私の人生だったと思います。ところが、私の親も然り、皆さんの親御さんもそうだと思いますが、どんなに振り向いてもらえなくても、向き合ってもらえなくても、背を向けて遠ざかって行く私たち子供の後ろ姿を、親は思い続け、この後ろ姿に両手を会わせて「お前の幸せを願っているぞ。素晴らしい人生を、尊い命を生き抜いておくれよ。この願いに生きてくれよ」と絶えずこの背中に手を合わせ続けて下さる。それが私たちの親ではないでしょうか。

私は、今はこうやって衣を付けておりますけれども、お寺の子供の長男として生まれたのですがお寺を継ぐのがすごく嫌でした。ですからお寺の学校には行きませんでした。お寺さんになるつもりもありませんでした。東京の大学に来て就職を決めていました。ところが、卒業の3日前に父親が倒れまして、色々な事情の中に長野の実家に帰らざるを得ませんでした。その時は、寺を継がなくても良い、帰ってこなくても良い、と両親は言ってくれたのですが、住職である父が倒れて法務が行き詰まっています。その中で苦労をしている母の姿を見ている時に、正直に、きれいごとを言う訳ではありませんが、これ以上迷惑をかけてはならない、という思いがありました。また同時に、病に倒れた父がリハビリがしっかりできれば社会復帰出来るとお医者様から言われていたものですから、いずれ再び東京には帰って来れるだろう、という打算的な思いがあって一時しのぎで長野に帰りました。ところが、そうは言いましても父の病状は重く、結果的には10年ほぼ寝たきりの中で亡くなって逝くのですが、リハビリがなかなか出来ない父の姿を毎日毎日目にしていました。学生時代一緒だった友達から東京や海外での勤務の話を色々聞かせてもらう中で、私は慣れない衣を着て、そして田舎ですからおじいちゃんおばあちゃんに交わりながら、からかわれながら、生活している。凄く自分が虚しく寂しく思いました。そんなやるせない思いを、だんだん私は父親に矛先を向けていったのです。お父さんがきちっとリハビリして社会復帰してくれれば僕は自分の夢や希望にたちかえることが出来る、なのにどうして社会復帰してくれないのだ、子供の人生を大事に思ってくれないのか。そんな思いでいました。そして父親に厳しい言葉をぶつけてゆきました。そのうちに私は、自分の父親をいつしか「お父さん」と呼べない人間になっていたのです。そうやって10年ほどが流れてゆくのですが、いよいよ父親が亡くなる時の話です。集団の部屋から病院の片隅の個室に移されます。人工呼吸器が付けられる状況の中で、母と毎晩入れ替わりながらの看護をしました。夜中だったと思います。うつらうつらしていたそのとき、ふと、何かが私の耳に聞こえてきました。何だろうと思って父親の口元に耳を当ててみました。そうしましたら父親が「あきこ、あきこ」と私の姉の名前を呼んでいます。私には2歳上の、ダウン症という知的障害者の姉がいます。まさに命が終わろうとしているその状況の中で父親が口にした言葉は姉の名前だったのです。その名前を聞いた時に、その場で、堪えることの出来ない涙が流れました。しばらく涙していたような気がします。最後に自分の名前が呼ばれなかったから悲しかった訳ではありません。嬉しかったのと悔しかったのと、その両方ではなかったかと今では思います。なぜか。自分の人生を受け止めることが出来ずに父親の状況だけを厳しく責め立てていた自分。そして、ずっと自分のこと、子供たちのことや周りの者のことを思い続けてくれた父親。最後の時に臨んで、障害を持ってこの世に残してゆかねばならない姉のことを思ってその名を呼び続けていた父の姿。そこに、間違いなく、まぎれもなく、何を差し置いてでも子のことを思う親心を見ることが出来ました。その親心を知らずに振り向くことなく父親ばかりを責め立てていた。親心という、まことに触れて初めて、自分の不実さを知らされました。だからこそ、振り向くことなく生きた自分に悔しかったのです。と同時に、その親心と生き様を最後に伝えてくれたのが嬉しかったのです。親子という名の下に、真実にあうことによって、自分中心の考え方の中で生きてきた、願いに振り向くことなく生きてきた不実な私の姿を初めて知らされました。そして、しばらくして父は亡くなるのですが、葬儀のとき「お父さん、本当にありがとう」という気持ちで父を「お父さん」と呼べるようになりました。

私事を申し上げて大変失礼致しましたが、姨捨山の中で説かれている母と子の間柄というのは、阿弥陀様と私の間柄そのものではなかろうかと思うのです。願い続けて下さる願いは、確かにこの私に届いているのに、そのことに気付けず、そのことに振り向くことなく背を向けて生き続けてきた。それが私でありました。しかし、私たちは人生の様々な縁の中に悲しみや出会いがあり、その縁を頂く中に、ようやく阿弥陀様の願いを受け止めることができた。振り向くことが出来た。そしてそのご縁の中に「あなたを願い続けている。そしてあなたを見放さない」という真実の阿弥陀の願いと呼び声に照らされて初めて、私たちは、自己中心的に生きてきた人生や、周りの愛しい者に思いやりの欠けた言動をした生き方、不実さに気付かされてゆく。その姿そのままが、この姨捨山の母と子の姿、つまり阿弥陀と私の関係だと、なぞらえて受け止めることが出来ると思います。

阿弥陀様は背く者・逃げる者を救おうとされています。そして更に言えば、背けば背くほど、逃げれば逃げるほど、それを追い、必ず胸の中に抱き摂って決して見放さない、捨て去らない、と願う中に私を抱き摂って下さいます。その願いの中にある私でありました。その願いに生かされる私を知り、その私がどう生きるのか、という中に、自分の命を見つめてゆくという大事な視点を、慈悲、近角常観先生のお話の中から学ばせて頂きたいと思うのであります。

最後に、親鸞聖人は慈悲をどう受け止められたか。『歎異抄』には
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり
という言葉が出てきます。お慈悲には、聖道の慈悲と浄土の慈悲の2つがあるのですよ、という受け止め方で教えて下さっています。

聖道とは、分かりやすく言うと私たちの日常における慈悲と受け止めて頂ければよろしいかと思います。日常の慈悲とはどんなものか。例えば病に苦しむ人がいた、愛しい人と別れた方がいた。その痛みや悲しみを知ったときに、ああ辛いだろうなあ、悲しいだろうなあ、苦しいだろうなあ、という思い、つまり同情を感じずにはおれません。それが私たち人間です。しかしその同情する心を感じてみても、何かしたいと思ってはみても、実はそれは完結しません。何か手を差し伸べたい、何か悲しみを無くさせたいと思ってはみても、実はそれは叶わぬことなのだ、日常の私たちの慈悲には限界があるのだ、貫き通せる慈悲の姿ではないのだ、と、残念ながら私たちの日常的慈悲の有限性を親鸞聖人はここで教えて下さっているのです。

それに対して浄土の慈悲とは、阿弥陀様の願いを主体として、お念仏頂く我が身を通して頂くお慈悲です。言葉面として分かっても、意味合いとしては難しいとは思いますが、どういうことかというと、相手の事実、現実を否定するのではなく、ありのままの現実を受け止めて、それを私が生きる生き方の上に恵んでゆく、というのが浄土の慈悲の姿だと親鸞聖人は受け止められている訳です。理解は出来ても実際はどういうことなのだろう、と思われる方があるでしょうし、私自身もはっきりと伝えることがなかなか出来なかったのですが、最近こんな話を聞かせて頂きました。ある看護師さんとお話をさせて頂いた時なのですが、その現場には命の先がもう見えてしまった若い女性がいらっしゃったようです。その方は癌に冒されている状況の中で子供を出産されたそうです。しかし自分の命はもう幾許もない。そういう厳しい状況の中で必死に自分の命に向き合い、生きられていました。その状況を知れば誰もが声を掛けたい、何か手を差し伸べたい、助けてあげたいと思います。しかし、それを助けることの出来ない苦しみを抱えながらその方(看護師さん)は日々過ごされていたそうです。そして深夜の勤務の中で、病院ですからベッドにカーテンが巻かれます。そのカーテンの先に、厳しい現実の中で命に向き合われている方がいらっしゃる。何かしたい。しかし手を差し伸べることが出来ない。それはなぜか。厳しい現実かもしれないけれども、その(癌の)方には、心の中に生きるための支えを用いていたから。その方を支える大事な何かに、自分(看護師さん)が触れてはならないと感じられたからだそうです。言葉を与え、手を差し伸べるのは簡単ですが、その行為は終始完結できるものではありません。その方を支えている大事なものに触れることの出来ない痛みを抱え続けながらも、何も出来ない自分と実感しながらも、その方と同じ方向を向いて、たとえ自分が傷つき苦しむことがあったとしても、生きることを分かち合おうとする。そんなお話を(看護師さんから)聞きました。このお話を聞かせて頂いたとき、これが「ありのままの現実を受け止め、それを我が生きることに恵んでゆく姿」なのだと学ばせて頂きました。手を出せば良い、口を出せば良い、ということではない、ということです。その事実に共にあろうとし、同じ方向を向いて行こうとする。それが浄土の慈悲の姿なのかもしれません。

今日は、智慧と慈悲をテーマにお取り次ぎをさせて頂きました。阿弥陀様の、私たちを真実に導いてゆく願いは、絶えず私たちに注がれています。それに背き通しの私たちでありましたけれども、尊いものを頂いて、その願いに今であわせて頂きました。そして、であったからこそ、私の至らないところに大きな慚愧が生まれてきます。しかしその慚愧があればこそ、「申し訳ありませんでした、しかし勿体ないことでありました」という思いの中から、今その願いにあえた喜びの中に報恩のお念仏を頂いて、お念仏と共に世の中のすべての痛みや悲しみや苦しみと一緒に生き抜こうとするところに、お念仏を頂いた現世の利益になってゆく、と教えられるのです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、。


築地本願寺 2012.02.05



高森顕徹 / 歎異抄をひらく

歎異抄をひらく
高森顕徹
歎異抄をひらく
著者とされている高森顕徹氏の出版物には、他にも『親鸞聖人の花びら』という書名のものがあります。
「歎異抄」「親鸞聖人」と聞くと、浄土真宗のご法義が書かれているように思いがちですが、これらは氏が会長を勤める「浄土真宗親鸞会」の教義徹底に使われている本、と言えると思います(といっても最近では「教義はどうでも良い」と、弁当事業や会館建設に力を入れているようですが)。

どういうことかというと、「浄土真宗親鸞会」の教義は、一見、親鸞聖人のお言葉によって成立しており、その論理体系をまとめた『聖典』も存在していますが、よく調べてみると、それは「捏造」「改竄」「断章取義」や誤解に満ちているというのです。

その結果、浄土真宗・他力本願の御法と異なるどころか、正反対のものとなっているならば注意が必要です。そういえば『高森顕徹 / 光に向かって100の花束』で、「向きが逆ではないか」と書きました。

断章取義については、会員との問答(聖教の読み方について): 飛雲を読むと、
親鸞会は、断章取義が徹底しています。聖教の一部分だけを取り出して、前後を無視するものです。
判りやすくいえば、

左へ行きなさい

と書かれてあれば、左へ行けということだと思えるのですが、前後をよく読んでみると、

「左へ行きなさい」という人がいるが、それでは遠回りだから右へ行きなさい

とあり、結局は右に行くことを勧められていることになります。
これが親鸞会には一杯あるのです。故意に断章取義をしている場合と、知らずに勘違いしている場合があります。伊藤康善師や大沼法竜師の著書に、たまたま引用してあった根拠を意味も判らずにパクリ損ない、両師の誤字がそのまま高森会長の著書に書いてあることも
あるそうです。

実際、親鸞聖人が勧められなかったことを勧め、勧められたことを軽んじていると受け止められるところがあり、藁人形論法(詭弁)によって他力念仏を説く人を批判し、自力修善を強調する姿勢が感じられるのが高森氏の特徴と言えるかもしれません。

最近ではそのカラクリを見破らせない為に、会で認められている以外の仏教書を読むことを禁じているとか、いないとか。

他にも、聖人が特定の人に言われたことをすべての人のことを言われたお言葉のように紹介したり、強引な解釈をしているところもあると聞きます。

具体的な、親鸞聖人と高森氏の違いについては、親鸞会の信心偽装・教義偽装の手口: 飛雲
1.獲信していない人の死後はどうなるか
親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
- – - – - – - – - – -
高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について
親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
- – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - -
高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について
親鸞聖人 善人と悪人とがいる
- – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - -
高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か
親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
- – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - -
高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは
親鸞聖人 自力の心にあらず
- – - – - – - – - – - – - – -
高森会長 自力

6.定散二善について
親鸞聖人 定散二善を捨てよ
- – - – - – - – - – - – - – -
高森会長 定散二善をせよ

7.19願について
親鸞聖人 19願を捨てよ
- – - – - – - – - – - – - – -
高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について
親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
- – - – - – - – - – - – - – -
高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない
とまとめられており、その後、
9.機の深信について
親鸞聖人 自力では出離できない
- – - – - – - – - – - – - – - – - -
高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか
親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
- – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – - – -
高森会長 善知識に無条件服従せよ
の項目が追加されています。

これらはすべて、梯實圓氏の言葉を借りれば「自分だけではなく人びとの心の拠り所を破壊し、惑わせる」謗法と言えるかもしれません。


どうしてそう言えるのか、詳しいことは
飛雲
安心問答(浄土真宗の信心について)
真偽検証
元会員から見た浄土真宗親鸞会
親鸞会邪義を破る
などを参照すると理解できるのではないかと思います。


もし、本書を手にする人があれば、最低限この事実くらいは知っておいた方が良いだろうと思い、参考サイトを紹介させてもらいました。

最後に、蓮如上人風に書くと、「宿善の機においては左右なく之を許すべからざるものなり」ということになるのでしょうか。「正反対」ということにおいては、ことごとく徹底しているように思えてなりません。





東日本大震災一周忌法要 築地本願寺 2012.03.11

東日本大震災から1年後の3月11日、東京築地本願寺で行われた東日本大震災一周忌法要へお参りしてきました。

14時46分の開始直前に着いた頃、会場の仮本堂は外まで人があふれるほどの人数で、入り口の階段付近からは聞き取りにくい所もありましたが、以下のような内容でした。



大慈大悲の阿弥陀如来の御前に申し上げます。
本日、本願寺築地別院に於いて、恭しく本殿を荘厳し、皆様と共に東日本大震災犠牲者の一周忌にあたり、懇ろに聖教を読誦して追悼の法要を厳修致します。
謹んで思いますに、阿弥陀如来は、無常の世に生きる私たちを済い遂げるため大悲の本願を成就されました。宗祖親鸞聖人は本願念仏のみ教えを苦難の人生を生きる私たちの前に明らかにして下さいました。
顧みますと、昨年3月11日午後2時46分、東日本大震災により未曾有の災害が発生し、15000有余人の尊い命が失われ、津波によって家を失い、さらには原子力発電所の被災により郷を離れての生活を余儀なくされた人々の姿は、痛恨の極みとしか表現できません。被災者の方々は、日本全国はもとより世界各地からの支援の活動が展開されていますが、一年が経過した今も計り知れない悲しみや苦しみと不安を抱えつつ、困難な生活を送られています。ここに命を失われた方々へ追悼の意を表すとともに、すべての被災された方々の悲しみに寄り添い、共に分かち合いたいとの願いをもって、これからも支援に努めて参ります。阿弥陀如来のみ光に照らされ、念仏申しつつ共に寄り添える御同朋・御同行として、残された者の責務を共に果たして参りたいと思います。

(阿弥陀経作法)


(法話)本願寺派布教使・小野線信師(愛知県教蓮寺)
慈悲に聖道・浄土の変わり目あり。聖道の慈悲というは、ものを哀れみ、悲しみ、育むなり。然れども、思うが如く助け遂ぐること、極めて有り難し。
浄土の慈悲というは、念仏して、急ぎ仏になりて、大慈大悲心を以て、思うが如く衆生を利益するをいうべきなり。
今生に、いかに、いとおし不便と思うとも、存知の如く助け難ければ、この慈悲始終なし。
然れば、念仏申すのみぞ、末徹りたる大慈悲心にて候べきと云々(歎異抄)



死者1万5854人、行方不明の方3155人、避難されておられます方は34万3000人と聞くところであります。現地の方はこの悲しみ・不安の中で一周忌を迎えられる姿を報道等で知らせていただいております。ご門徒の方々は、、、私も門徒でありますが、、、してあげたくてもしてあげられないもどかしさ、何かさせてもらわなければならないと思いながらどうすることも出来ない思い、そのことを親鸞様は『歎異抄』の第四条の中でお示しを下さっています。

親鸞様も戦乱の中、餓死される姿を年間に2万、3万人と目の当たりにされて、この苦しみをどう乗り越えて行こうかと悩まれました。また釈尊も2500年前に父・浄飯王、母・摩耶夫人のご縁の中で王子としてお生れになったのですが、苦悩に満ちた青春、そして人間の生老病死の辛さ、悲しさを、どう乗り越えて行くことが出来るのだろうかと、問いを抱えて立ち上がって下さいました。

そのことを頂きますと、私の命の行方また深さは、亡くなられた方のご縁を頂いてそのことに出遭わせて頂かなかったら、他人ごとになってゆくのだろうと思います。この震災の中で「こんなに災害が起きるということは、神や仏もあったものか」という声も聞いたことがあります。しかし、亡くなった方に供養してあげると往生してもらえるという心は、他人ごとであろうかと思います。

この厳しいご縁の中で親鸞様は、思いやり・慈悲に2通りありますよ、と言われています。一つは、自力を元にした思いやり。もう一つは、それを超えて行く、どうしてやることもできない限界の中から如来様の働きが届いて下さるのですよ、というもの。私が今、迷いの真っ只中にいて、せっかく命を賜りながら苦しみの中に生きていることを、共に涙し共に苦しんで下さる思いがありますよ、とお示し下さることです。

少し前に、京都に行った時に新聞を読んでいましたら、大津の方の投書がありました。題からして「これは普通とは違う」と読ませて頂いたのですが、「悲しい気持ちを全部もらってあげるよ」という題でした。大津市の32歳の若いお母さんの投書です。

些細なことではあるが納得できないことに、ふいに涙が出てしまった。そんな私を見た4歳の長男が「お母さんの悲しい気持ちを全部もらってあげるよ」と言った。”慰める”でも”励ます”でもない、ただ寄り添って、弱い私の心を小さな両手で受け止めようとするかのような言葉であった。嬉し涙はいつしか消えて感謝の涙に変わり、幾筋も頬を伝わっては落ち、そして思ったのだ。30年以上生きてきて私は、こんな風に他人の痛みを丸ごと受け入れようとしたことがあっただろうか、と。特に、自分の子供の幼さ故の小さな過ちに対して、まず、叱ることで正しさだけを押し付けてはいなかっただろうか。傷ついている子供の気持ちよりも自分の気持ちを優先させてはいなかっただろうか。「お母さんはあなたが悲しいとき、あなたの悲しい気持ちをもらっていないよ、ごめんね」と謝る私に「そんなことはないよ」と言ってニッコリ笑う息子。ただただ私を信じきっているその顔に、許されていたのは、甘えていたのは、実は私だったのだ、と初めて気がついた。この日のことを忘れないでおこう。


「犠牲」という字を辞書で引きましたら、「物事の達成のために身命を投げ打って顧みないこと」と出ていました。私の命の深さ・尊さ、ましてや命終わったら必ず仏にせしめるのだという誓いの成就された如来様。そのことを忘れたら、ずっと迷い・苦しみの世界を歩んで行かなければならないのだ、と、今このお母さんが4歳の息子さんから、如来様の慈悲の心との出遭いをして下さいました。

他人の痛みを丸ごと受け入れようとする言葉、「お母さんの悲しい気持ち、全部もらってあげるよ」という心持ち、亡くなった方々も生きている私も必ず浄土に往生せしめると願って止まない働きを、「南無阿弥陀仏」と申し上げるのだと聞かせて頂きます。

出来ることからお手伝いをさせて頂き、それと同時に私の命を手がかりに、あなたの命の深さに出遭って下さいよ、という願いと受け止めさせて頂いて、本日のご縁と致したいと思います。

ようこそのお参りでございました。





    2012年5月
    « 4月    
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031