CORRUPTED / El Mundo Frio

 スペイン語はできないのですが翻訳ソフトで英訳すると「El Mundo Frio」とは、「The Cold Worl」、すなわち「冷たい世界」のようです。
 限りなく静かで美しく、この上なく重い、そして時間の遅い流れが、1トラック71分のなかで再現されます。この中に描かれているのは、音楽とか芸術という範疇ではなく、哲学あるいは宗教として語られるべき内容かもしれません。気づけば、じっと手を止め、スピーカーの前で正座している自分がそこにいます。「自分の存在意義とは何ぞや?」「生と死とはこれ如何?」と否応なしに考えさせられます。
 CORRUPTED。この日本のバンドは最近まで知りませんでした。紹介している人たちは口をそろえて「ライヴを体験すべし」と言いますが、CDだけでも大変なインパクトを受けました。
「褪せた光に晒された人々よ 我々と同じ道を歩んではならない」
 感情を殺したヴォーカルのささやくような語りをはじめ、一つ一つの音が、人間の創り出す音楽というよりも、人格化された大宇宙の叫びのように思われます。そして10分過ぎの爆音は、心の中に原爆が投下されたような衝撃でした。  一切の雑音を排除してこの作品と向きあったとき、最後に感じるのは、人間存在の小ささ、脱力感、無力感、そして大地にひれ伏して懺悔したくなるような、えも言われぬ罪悪感ではないでしょうか。
 下に引用した歌詞(語り)はスペイン語と英語に翻訳されており、モノクロ写真と共にブックレットに記載されています。  詩、音、写真、どれもとてつもなく重く深いです。

 この作品を紹介してくださったtommyちゃん、有難うございました。

Links: With Latimer! Locust Star CD Review BLOG 酒と煙草と女と藝術 DIOS INJUSTO disk review 栗毛アコきゅんハァハァ 真夜中に鴉啼く この曲を聴け!
褪せた光に晒された人々よ 我々と同じ道を歩んではならない 二度の悲劇は終わり 時は流れ 薄れゆく人々の記憶 書き換えられた平和
旅の果てに待つのは どこまでも続く闇 そこには何も残らない 大地を照らす光もない 静寂の中 彼の流した涙は血の色 空の果ての希望 正義という名の絶望
躁鬱に支配された心 止めどなく溢れ出る虚栄 繰り返される破壊と混沌 射し込む希望の光は刃となって俺の肌を刺す 信じた筈の未来を黒く染める 許される事のない愚行 大地は永久に閉ざされる 黙して崩壊を恐怖するだけの時間
操作された現実 闇に支配された楽園 眼前の快楽を求め続けて 朽ち果てた栄光に縋り続ける 旅人は立ち止まり 不穏な色の空を仰ぐ 幾重にも覆われた枯れ果てた大地 取り戻す時を求めて再び旅立つ
愚か者が裁かれる時が来る 崩れ落ちた生命の均衡 奇形してゆく人々を見よ 最後の時は近いのだと悟る
感情さえコントロール出来ず 己の為のルールさえ見つからない 人々の視線の先にあるもの 時の終わりを知る
沈黙を守ろうとする影 希望に怯えるのなら すぐにここから立ち去るがいい 足跡さえ残さず 傷跡さえ残らず





褪せた光に晒された人々よ 我々と同じ道を歩んではならない 二度の悲劇は終わり 時は流れ 薄れゆく人々の記憶 書き換えられた平和
旅の果てに待つのは どこまでも続く闇 そこには何も残らない 大地を照らす光もない 静寂の中 我々の流した涙は血の色 空の果ての希望 正義という名の絶望
狂気に満ちた表情 独裁者の恍惚の笑み 血塗られた歴史の闇に蠢く 勝者を名乗る影 策略、そして略奪 恐怖と盲信 偽善と情報操作 全てを握りしめた
冷酷な現実 失われた魂の輝き 眼前の子供達の表情を見よ その視線は硬く閉ざされたまま 残酷な現実に叛旗を翻せ 俺は再び立ち上がる 神々の鉄槌が振り降ろされ この光が失われようとも
沈黙を守ろうとする影 希望に怯えるのなら すぐにここから立ち去るがいい 足跡さえ残さず 傷跡さえ残らず
影の落ちた遥かな旅路 失った筈の自由の日々よ 俺はこの大地に横たわり 安らかなる時を待ちわびて…

Filed under: CORRUPTED  タグ: , , , , , , , , , , , ,   charlie432 20:46  Comments (4)

今日も大掃除

 昨日は会社の大掃除でしたが、今日は自宅の掃除をしました。主に、窓拭き、草むしり、風呂・トイレ掃除、掃除機がけでしたが、一番やりがいがあったのが意外と掃除機がけでした。
 ところで、tommyちゃんに教えてもらった掃除にまつわる『法華経』の話、現代人向けに書かれているものが見つかったので以下に引用します。『光に向かって100の花束』という本で、小話が100載っています。どれも2~3ページの短いものばかりで、読みやすいのが特徴かと思います。
(97)上達よりも大切なこと
シュリハンドクのひたむきな精進
 釈尊の十大弟子の一人、シュリハンドクは、自分の名前も覚えられぬ生来のばかだった。  さすがの兄も愛想をつかし、家を追い出した。  門の外で泣いているシュリハンドクに、 「なぜ、そんなに悲しむのか」  釈尊は、親切におたずねになった。  正直に一切を告白し、 「どうして私は、こんなばかに生まれたのでしょうか」  さめざめとハンドクは泣いた。 「悲しむ必要はない。おまえは自分の愚かさを知っている。世の中には、賢いと思っている愚か者が多い。愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ」  釈尊は、やさしくなぐさめられて、一本のほうきと『ちりを払わん、あかを除かん』の言葉を授けられた。  シュリハンドクは清掃しながら、与えられた聖語を必死に覚えようとした。
『ちりを払わん』を覚えると『あかを除かん』を忘れ、『あかを除かん』を覚えると『ちりを払わん』を忘れる。
 しかし彼は、それを20年間続けた。その間、一度だけ、釈尊からほめられたことがあった。 「おまえは、何年掃除しても上達しないが、上達しないことにくさらず、よく同じことを続ける。上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは、もっと大事だ。これは他の弟子にみられぬ殊勝なことだ」  釈尊は彼の、ひたむきな精進を評価せられたのである。  やがて彼は、ちりやほこりは、あると思っているところばかりにあるのではなく、こんなところにあるものか、と思っているところに、意外にあるものだということを知った。  そして、 「オレは愚かだと思っていたが、オレの気づかないところに、どれだけオレの愚かなところがあるか、わかったものではない」 と驚いた。  ついに彼に、阿羅漢のさとりが開けたのである。
 よき師、よき法にあい、よく長期の努力精進に耐えた結実にほかならない。
 たまたま動かした食器棚の裏に、驚くほどのほこりがありましたが、さとりは開けませんでした、、、(笑) (^o^;ゝ

Filed under: ★徒然  タグ: , , , , , , , , , , , ,   charlie432 19:08  Comments (2)

とどろき ~ 平成19年11月

『下流社会』という本が、良くも悪くも話題になったからでしょうか、「格差社会」という言葉をよく聞くようになりました。“1億総中流階級”という時代は過ぎ、「勝ち組み」「負け組み」という二極分化が進んでいます。
 しかし、どんな境遇に生まれようと、どんなに社会が変わろうと、全人類に平等な事があります。それは1日は24時間であること、そして1日生きたらもうその日は繰り返すことが出来ないということです(相対性理論によれば、タイムマシンが、、、という話は抜きにして)。
 世界の二大聖人、三大聖人と言われるとき、必ず名前の挙げられるお釈迦様は、悉達多太子(ゴータマ・シッタールタ)すなわち王様の息子として生を受けました。  幼少の頃から聡明で運動も万能、家庭教師が罷免を申し出た程だと言われます。才能にも、地位・名誉、財産にも恵まれた悉達多太子、今の時代を生きていたら超勝ち組み、セレブな人種に属する事でしょう。
 ところが、そんな悉達多太子にも大きな悩みがあったのです。
 ある時、虫をついばむ鳥が、さらに強い鳥に襲われるのを見て、自然界の弱肉強食の現実を知る。 「これは動物の世界だけのことだろうか」
(中略)
 奴隷は市民に使われ、その市民に武士は権力を振りかざす。武士の中でも王族が最も強いが、常に大国の脅威にさらされている。弱者は虐(しいた)げられ、強者だけが生き残るのは、人間界も全く変わらないではないか。 「では、強い者は本当に幸せなのか」  金や権力がなければ苦しむが、有れば奪われはしないかとまた苦しむ。有っても無くても、苦しんでいることに変わりはない。世の矛盾を感じ、変わらぬ幸せがどこかにないものか、幾日も考え込まれる日が続いた。
 また、「四門出遊」のエピソードは有名です。  気晴らしに城の東門を出ると、城内では見た事のない人に太子は遭遇します。顔にシワが寄り、歯は抜け、腰は曲がって杖をついて歩く老人です。「ああ、私は今は若く体力はあるけれど、やがてあのように衰える、老苦に合わねばならないのか」。太子は嘆きました。  また、南の門を出ると、道端でうめき苦しむ病人に出会います。「健康な体も、いつ病に襲われるか分からない」。  西の門を出たときは、葬式の列に出くわします。「生あるものは、必ず死に帰す。私もいつか死んで、あのように野辺送りされる日がくるのか」。  人間として絶対に避けることの出来ない、老・病・死の苦しみを知ったのです。  最後、北の門を出たとき会われたのは、法服姿の修行者でした。このとき以来、悉達多太子は老・病・死に直面しても変わらない幸福を求めたいと強く願われるようになったのです。そして、、、
 ある日、意を決し、父王の前に手を突いて出家を申し出る。王は驚き、 「お前はわしの跡を継いで、この国を治めねばならんのだぞ。何が不足でそんなことを言いだすのだ。望みは何でもかなえてやる。だから、城を出て行くなどと言わないでくれ」。 「父上、それでは申しましょう。私の願いは三つです。  一つは、決して老いない身になること。  一つは、決して病にかからぬ身になること。  そして、決して死なない身になること。  この三つの願いをかなえてくださるならば、出家を思いとどまりましょう」。 「ばかな!何と無茶なことを言うのだ。そんなことできるものか」。  父王はあきれて、その場を立ち去った。
(中略)
 父王は、太子が怏々(おうおう)として楽しまない様子を見て、時節に適した四季の御殿を建てて、500人の美女をかしずかせ、昼夜歌舞を奏して太子を慰めようとした。 「私の考え過ぎなのか?この美しい女たちといれば、悩みも晴れるのかもしれない……」。
 戯れの数年が過ぎた。
 ある真夜中。ふと目を覚まされた太子は、周りを見渡して驚愕する。500人の女たちが、昼間の美しい容姿は見る影もなく形を乱し、眠りこけていたのである。 「ああ、だまされていた。この女たちの醜い姿こそ、本当の人間の姿なのだ」。  もはや居ても立ってもいられない。今こそ出家の好機なりと決断なされた。
 時に悉達多太子29歳、2月8日の事でした。
 そして、勤苦6年、35歳12月8日。
 厳しい修行の末、悉達多太子は「仏」という最高無上のさとりを開かれ、仏陀釈迦牟尼世尊となられたのです。  以後、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、「老・病・死」がきても崩れない、本当の幸せを説かれたのが仏教だと言われます。釈迦の説法は、お弟子方によって書き残されました。それが「お経」です。その数7000巻余りにもなり、一切経と言われています。
「仏」と聞くと、死人のことを言っているように思われますが、本来は、老・病・死を超越した真理を体得した“さとり”のことを指すようです。

Filed under: ★雑誌  タグ: , , , , , , , , , , , ,   charlie432 00:00  Comments (6)
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