★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2012年05月13日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
【法話】智慧と慈悲の生き様というものを見つめ直し、それを拠り所として生きる道 2012.02.04 築地本願寺
2012年2月4日、本願寺築地別院にて長原真了師から聞かせて頂いたお話の記録です。
私は長野から参りましたが、今年の冬は平成18年の豪雪以来6年ぶりの大雪と言われ、東北、北陸、雪国と言われる地域は大変な雪害を受けました。私も東京に来るまで寺の境内で雪かきを妻と二人でするのですが、次から次へと降って来るものですから、雪かきも大変です。たまにするのは楽しい作業ですが、毎日大量の雪かきをしなければならないというのは大変苦痛でもあり、また骨の折れることです。そんな状況で、一昨日から東京に来ましたから、私は身体的に非常に楽です。ただ、まだ長野で妻や母が境内の雪かきをしていると思いますと、何かしら後ろ髪引かれる思いがするというのも間違いのない事実であります。雪国では行政が年間数十億かかるという地域もあります。ただ雪かきだけのためにそれだけの行政がつぎ込まれるのです。何か建物を建てたり道を造ったりすれば、後世伝えてゆくものがそこに残りますけれど、雪かきはどんなにお金をかけてもかいてしまえばそれまでです。そういった面でも本当に大変な話であり、今回この雪害によって多くの方が亡くなられていますので、あまり浮かれてばかりはおれない。そういうことを報道、また身近な生活の中で感じる次第であります。
雪の話をさせて頂きましたので、今日は、皆さんと一緒に季節柄・時節柄の歌を味わってみたいと思います。
告知の問題、今でも解決は見られませんけれども、「あなたは癌です。もう助かりません」。告知をする相手が家族であったり本人であったりするケースがあるかもしれませんが、病院で医師や看護師さんから病状の真実を告げられる。それは確かに真実ではあります。しかしそこに真はあっても実がないと感じるのは私だけでしょうか。実がないというのはどういうことか。病状の真実を伝えるのは確かに真実ですが、しかし伝えると同時に派生するのが死別の苦しみと別れの悲しみであります。そこに、寄り添う、思いを共にするという実が伴ってこなければ、告知の問題は解決方向につながらないのではないかと思うのです。
まさに実を稔らせて告知をされたこの語句だったのではないかと受け止めさせて頂いております。では、この歌を味わってゆきたいと思うのですが、春の雪。皆さん、想像できると思います。雪国に住んでいますので、変わりゆく雪の景色は存じ上げておりますが、真冬に降る雪というのは粒子が細かくてしんしんと降り積もってゆく雪です。ところが春先の雪は、羽毛布団の羽毛のように大きく、ひらひらと舞い落ちてゆきます。その雪はひとたび物に触れたり地面に落ちてしまったならば、さっと、積もることなく、淡く儚く一瞬のうちに消えてしまいます。つまり春の雪というのは、命あるもの形あるものの儚さを象徴した言葉であります。そしてその命の儚さは、あなただけではない、つまり「善友、お前だけではないのだよ。人の世は皆、この世にあるものはすべて、つまり往かなくてはならないあなたも、見送る私も、儚く頼りない春の雪のような命であったのだ」と、まさに命の終わりに際して、病苦の苦しみと別れの悲しみを共にしてゆこう、という心、思い、共感がここには込められているというものです。
そして、この歌の一番の大事なところ、目の付け所というのは「さりながら」にあると私は受け止めております。「さりながら」とは今の言葉にすると「しかしながら」という逆接の言葉であります。ですからこの歌を単純に理解すると「しかしながら、人の世にあるもの、命あるもの、形あるものはすべて、まるであの春の雪のように儚く頼りない命でありました」という意味になります。では、何に対して「しかしながら」と逆接にこの言葉を置かれたのでしょうか。
それは、私たち一人一人の、日常における命の向き合い方だと思うのです。私たちは、振り返ってみると、元気であればあるほど、若ければ若いほど、自分の死を見つめてそれに向き合って生きるという術を持ちません。「歳を取ったから死ぬんでしょ」「病気になったから死ぬんでしょ」「私はまだ若い」「私はまだ元気」「死なんてものは関係ない」と同時に「死なんて縁起でもないものが、私の身内に身近にあってはならない」そう受け止めて、命の事実に目を背け、日常を平々凡々と生きてゆきたい、と生きている私の命の向き合い方に対して「しかしながら」という言葉を置かれたのだと思います。
ですから、この歌は彰如上人が出雲路先生に贈られた歌ではありますけれども、それはそのまま私自身が受け止めさせて頂いて、私の命の問題として味わいをさせて頂くご縁の歌ではないかと感じさせて頂いております。
私の父親も平成16年に亡くなったのですが、10年間ほぼ寝たきりの状態でありました。大動脈瘤という病気で倒れまして、2回ほど、成功は難しいという手術で何とか助かって、10年の闘病生活となったのですが、その後のリハビリや思い通りになってゆかない心と身体を抱えて送った日々は大変なものがありました。父親自身の憤りや苦しみ・悲しみもあったでしょうし、家族として看護してゆく、そして看取ってゆかねばならない日々は大変でした。その時に私はこう思いました。生きることも大変だけれども、死ぬということも大変なのだな、と。昔ある時期、PPK(ピンピンコロリ)という言葉が流行りました。ピンピンコロリ地蔵にお参りして、集団で行った観光バスが帰りに事故に遭って、瀕死の状態の方が「まだ死にたくない」と言ったという、そんな笑い話のような滑稽のようなおかしな話は話として聞くところではありますけれども、「簡単に死にたい」「誰の世話にもならずに死にたい」と願いながらも、実は、生きることと自分の命の終わりはこの自分にはどうしようも出来ないことなのです。釈尊がさとりを開かれたその第一声は何だったでしょうか。「人生は苦である」と言っています。「苦」というのは当時のサンスクリット語で「デュッカ」と発音します。デュッカというのは意訳をすれば「思い通りにならない」「我が身に任せない」ということです。生老病死を通して、人間の人生というものは、命というものは、本当に思い通りにならないものなのだったのだ、というのが釈尊第一のさとりであったと言われます。生きることも死ぬことも思い通りにならない、そのことを深く受け止めさせて頂いた日々でありました。生きることも死ぬことも簡単ではない、苦しみである、ということです。
生きることも死ぬことも、という話の中で、今は命の終わりについてのことでしたが、少し話を進めて、今度は誕生、命の生まれについてお話ししたいと思います。
今、私には二人の子供がいます。長男が小学校1年生で長女が幼稚園に通っています。7歳と4歳ですから毎日家の中は動物園状態です。毎日にぎやかな家庭生活を営んでいるのですが、私たちは長男を授かるまでに6年の歳月がかかりました。不妊の期間が長かったのです。私は子供が好きで、妻も幼稚園の保母というか教諭をしておりましたので、結婚したら早く子供を授かりたいと言っていたのですが。最初のうちは新婚生活で毎日楽しい生活がありましたので良かったのですが、なかなか子供が授からないことで、特にお寺ですから、毎日大きなプレッシャーがかかってきます。6年という月日を前期・中期・後期と分けますと、こんな流れがありました。前期、1~2年。普段のお付き合いやお寺の永代経とか報恩講とか、色々な行事の時に沢山ご門徒さんが来られますので、皆さんから声をかけて頂きます。新婚早々ですから、声をかけるネタはズバリそこにある訳でして「お子さん、まだですか」と聞かれます。「いやぁ、まだなんです」と答えますと「まだまだ新婚だから、今のうちは二人で楽しい生活を送れば良いよ」と皆さん言って下さいます。有り難いことであります。ところが、中期、3年4年になりますと、ちょっと変わってきます。「お子さん、できました?」「いやぁ、まだなんです」そうしますと「あ、そうなんだぁ」と。口の悪い人になりますと、特に男性は「やることやってんのかよ」と言う人がいます。さらに、気の利いたというか遠慮のない方は「俺が教えてやろうか。教えてやろうにも教えてやることも出来ないけど」と言う方もあります。本当に余計なお節介なのですけれども、そのなかで笑いながら「まあ、そのうち、そのうち」と笑って下さいます。それが進んで後期になると、どういう会話になるかといいますと、「お子さんできましたか」この言葉も聞いて良いのか悪いのか、という雰囲気を醸し出してくるのですが、「まだなんです」と言いますと、必ず向いていた目線を背けられまして、言葉にはしないのですが、聞いてはならないことを聞いてしまったという顔をされます。そして「私の知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いに、十何年してやっと子供ができたという人を知っているから、大丈夫だよ」と慰めてくれるのです。ちょうどあのとき、雅子さまが不妊治療をされた後にお子様を授かったという話題と同じ時期だったので、「雅子さんだって8年かかったじゃない」と比較をされるなど、そんなことがありました。私は男性ですからそんなことを笑って言えるのですが、男性と違って女性は非常にナイーブで大きなプレッシャーがかかります。一人だったらまだしも、何か行事のとき次から次と、来られる方が同じ話題を振りますから、妻は心が折れてしまっていました。ですから、玄関先でにこやかに対応しながらも、奥に入って涙している、そんなことがよくありました。そんな時は、子供が授かるというのは一つの縁ではあるけれども、二人が出会ってこうして生活しているということにしっかり意味を見いだして生きてゆくことが大事ではないか、と夫婦で語り合いながら過ごしてきた時期があります。
そんな苦悩の日々があったのですが、これは私だけの話ではありません。今でもこの日本では子供が欲しいと願う夫婦のなかにあって、およそ200万組、確率で言いますと夫婦の10組に1組は子供が授からない、不妊で苦しんでいる、という統計が出ていると聞きます。私たちは何気ない会話の中で「お子さんは?」と聞きます。しかし求めても求めても願っても、授からないという苦しみや悲しみ、痛みを抱えておられる方がいらっしゃいます。結果的にその命を授からなかった方々もいらっしゃいます。その痛みに対して私たちが無反応・無関心、そして何気ない言葉で傷つけてしまう。私たちの言葉や仕草にはそういう危険があるということを少しでも知ってゆかねばならない、と思います。
と、まあ、なんだかんだで2004年4月8日、お釈迦様の誕生日、花まつりに長男が誕生しました。仏教やお寺にご縁を頂いている方であれば、4月の8日に子供が授かるというのは、本当に縁の深い意味合いを感じずにはおれない日であります。ただし、妻の右脇から生まれて、生まれた瞬間に7歩歩いて、、、というようなことはありませんでした。普通にしかるべき場所から生まれて、普通にギャアギャアと泣いて生まれました。
ちなみにお釈迦様が摩耶様の右脇から生まれてすぐに7歩歩いて、右手を上に上げ、左手を下に下げて
そうやって生まれた長男ですが、当然子供が授かりますと名付けをします。お寺の子供ですので、お聖教にちなんだ名前が良いのではないかとお聖教や辞書を引いていました。そんな折り、たまたま広辞苑を引いていましたら「誕生」という言葉にあいました。「誕生」とは、広辞苑を引いてみますとこんな意味があります。
人の生まれること
広辞苑の書き方というのは、そもそもの語源や時代遍歴を伴って記載されてあるそうなのです。ですから「誕生」のもともとの意味は、人が生まれること、ということだそうです。誕生とは人の生まれること。これを聞いて皆さん少し違和感を感じないでしょうか。私たち、日常で例えば猫とか犬を飼っていたら、そこに仔猫や仔犬が生まれた時に「うちに仔犬が誕生した」「仔猫が誕生した」と言わないでしょうか。あるいは結婚式に行くと「●●さんと○○さんの新しいカップルが誕生しました」ということは月並みに聞きます。しかし、誕生とは「人の生まれること」であって犬や猫がうまれることやカップルが出来ることに使われる言葉ではないということです。元々は人の生まれることに対して使われる言葉であったのです。
そういうことを初めて知りましたので、これはもしかしたら深い意味があるのかもしれない、と続いて漢和辞典を引いてみました。まず「生」という字。おおよそ3つほどの意味が出てきました。
1、生まれる
2、生きる
3、生(なま)
これはまあ、異議はないですよね。では「誕」はどうか。人の生まれるということに限定されていても、子供や新しい命が生まれるということは家族・縁者にとっては尊い縁ですから、何か祝福をされるような意味が含まれるのではないか、と感じていました。ところが引いてびっくり。このような意味が出てきたのです。
1、あざむく
2、いつわる
3、うそ
えぇ~っ。うそ~ぉ。という顔をしていらっしゃる方が何人か見受けられますが、よかったらあとで辞書を引いてみて下さい。私も知りませんでした。つまり、この「誕生」という言葉を理解してゆきますと、人のうまれること、それは「何かを、誰かを欺き、偽わり、嘘をついて生きている」それが人間の、私の姿である。それを言い当てている言葉が「誕生」であると理解させて頂きました。
びっくりするような意味ですが、ではこれが本当かウソか。確かめてみましょう。今日こうやってたくさんの方が聴聞に来られていますが、皆さん生まれてこのかた今日まで一度もウソをついたことがないという方がおられましたら手を挙げてみて下さい。本当にウソをついたことがないという方は、褒められることですから自信を持って手を挙げて頂きたいのですが、、、皆さん大変正直ですね。もしここで手を挙げることが出来たら、それは仏様か大ウソつきのどちらかであると思います。その方はここで新たなウソをついたということに他なりません。私たちはそんな人生を生きているということです。
仏法を日本に説いて下さり、まず日本の国の教えにしてゆこうとされ、親鸞聖人が「倭国の教主」とおっしゃった聖徳太子はこう言われています。
嘘というのはこれで理解できたのですが、では、欺く、偽るというのはどういうことなのでしょう。自分自身がこれを受け止め理解するには少し時間がかかりましたが、このように味わってみました。
私たちは人生の中で色々な分かれ道を経験してきた筈です。自分の夢や希望があって、それに向かった人生を生きてきた。しかしあるときそこにふと分かれ道が迫ってくる。自分の夢や希望の道、しかしそれを許すことのない厳しい現実の道、という分けれ道が、皆さん数々あった人生であったと思います。その時に皆さんはどうされたでしょうか。もちろんケースとして自分の願う道を歩むこと、選ぶことを許されたこともあったかもしれませんが、しかし一方で、自分は本当はこの道を行きたい、この人生を選択したいのだけれども、この目の前の現実、事実に対して生きようとするならば、残念ながらそれを選ぶことは出来ない、愛する人のため、何かのため、家族のため、そこに色々な理由や原因はあったかもしれませんが、このたびはこの人生を選んで行こう、と自分の本当の願いに自分自身で欺いて、自分自身を偽って、そしてこれで良かったのだと思いとどめて頷きながら、その道を懸命に歯を食いしばって生きてきた、それが私たちの人生そのものではなかったではないでしょうか。
その人生を生き抜いてきた時に、ではその人生を宗教は、仏様はどう受け止めて引き受けて下さるのか。例えば、思い通り生きる人生こそ素晴らしい、願いを叶えますよ、という宗教にあってはこんな言い回しがあるのかもしれません。「思い通りに生きなければだめだ。願い通りに願いを叶うべき、こうしなければだめだ。自分の心を曲げて、自分の心を欺いて偽る生き方は真実の生き方ではない。こうしなさい、ああしなさい」そう言われる宗教や仏様がいたらどうでしょうか。私ならばたぶん背を向けてしまいそうになると思います。そんなことは自分だって分かっている。でも、それを許すことのない事実があって、その事実を引き受けてここまで頑張って生きてきたのだ。それを、いくら仏といえ神といえ、私の過去を否定し、こうしなければダメだと言われてしまったら、私はそこに大きな怒りと悲しみを感じざるを得ないと思います。
しかし一方で私の抱えている悲しみや苦しみや過去生きてきた人生をそのまま受け止めて下さって「辛いこともあった人生だったね。苦しいことも、人に言えないことも色々あったね。でも、よく頑張って生きてきた」とこの私を抱きしめて下さる。そんな仏様、そんなみ教えがあったらどうでしょうか。私は素直にその仏様に、そのみ教えにこの人生をゆだねたいと思います。そして、そのままに受け止めて下さる仏を阿弥陀といい、その阿弥陀の願いに身を任せて生き抜かれたのがご開祖・親鸞聖人であったと私は受け止めています。
仏教には同治と対治という考え方があるのですが、これは今、医学の世界にも生かされ、通用している言葉として理解されています。対治というのは、例えば風邪を引いたとき、熱を持ったこの身体を一所懸命冷やして熱を下げて行こうとするのが対治という対処方法です。一方で、同治というのは、熱が出たら温かいものを食べて布団を被って自分自身の熱を上げて一杯汗をかかせて、そして熱を下げてゆこう対処方法です。もう一つ例えて言うと、例えば大事な方を失って悲しみに暮れている人に、対治というのは、泣いてはいけない、泣いては亡くなった方が悲しがるよ、顔を上に上げて頑張って生きてゆきなさい、と励ますこと。一方で同治というのは、悲しみに暮れる人のそばにいて、肩を抱いてあげて、伝える言葉はないかもしれないけれども、共にその心を寄せて悲しみに涙して行く姿をいいます。同治・対治。医療でもこの二つの方法を使って治療がなされるそうですが、対治よりも同治の方が実は治療効果があるという結果が出ているそうです。まさに、阿弥陀様の私たちに対する向き合い方は同治の姿であると思います。何があっても決してあなたを見放すことなく胸に抱き取って行こう、悲しみも苦しみも辛いことがあった人生だったとしても、そっくりそのまま抱き取って、支えて行くぞ、必ず摂め取って捨てないぞ、と。それが絶対他力であり、なにものにも妨げられることのない、私目当てに寄り添い働き続けて下さる如来の本願・願いを同治の姿ととらえてゆけるのであります。その同治の姿を親鸞聖人は正信偈にこのように味わっておられます。
さて、私は住職になって18年になります。そのなかで、沢山のご縁の中で色々と育てられてきました。僧侶というのはご門徒に育てて頂くものだ、ご法事やお斎の席で床柱を世話させてもらう身であるけれど、それはお前の力ではない、衣によって座らせてもらっているだけだと心得なさい、頭を下げて、心の視点を下げて多くを学ぶことを心がけなさい、と父から言われました。そんな中での一つの出会いを最後にお話させて頂きます。
今から遡ること1998年。長野では長野オリンピックが開催されました。覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、長野オリンピックに引き続きまして3月にはパラリンピックが開催されました。パラリンピックとは、身体や知能に障害を持たれた方々が世界から集まって、スポーツを通じての交流・親睦を図る世界大会です。私のすぐ上の姉はダウン症という知的障害者です。そんなご縁もあって、パラリンピックのお手伝いをさせて頂くことになりました。個人一人としてボランティアをするというところもありましたが、障害を持った方と健常者がペアになってボランティアをするという活動もありました。その中で、小児麻痺で車椅子であった、当時40代後半の女性と一緒にボランティアをさせてもらいました。何かと不自由なところがありますので、私たちは気を遣うことが多いと思っていたのですが、しかしその女性は非常に明るくてとても元気な方で、魅力的な素晴らしい方でした。あるとき不審に思って聞いてみました。まあ、そういう先入観、偏見が私にあったということですが「なんでそんなに明るくできるのですか?なんでそんなにイキイキと生きられるのですか?」と。そうしましたらその方、「私は私を生きているからです」と答えられました。「私は私を生きているからです」。衝撃的な言葉でした。みんなそう生きたいと願いながらそれが出来ない私がいる筈です。だからこそ、その言葉の素晴らしさ、輝きに打ちのめされたようなショックを今でもよく覚えています。障害を持って不自由なことがあったり、世間的な偏見・先入観による心の傷の日々もあったはず。そう思って彼女にどうしてそんな気持ちになれたのか、聞いてみたのです。そうしましたら、こう話をしてくれました。彼女は優秀な方で、大学を出られて本当は教員になりたかったそうです。しかし色々な事情で教員の職を得ることができませんでした。そこで、自宅を開放して小さな学習塾を経営しておられます。そんなおり、あるとき、自分の感じることを素直に言葉にしてみよう、という授業をしたそうです。その時のテーマは「山」でした。子供達に1枚1枚が用紙を配って「これから山の詩を書こう。みんなが思い浮かべる山の姿をまずここに描いてみて」とまず言いました。子供達は一生懸命に山の絵を描いたそうです。色々な描き方があるとは思いますが、そこに来た子供達はだいたい富士山のような姿を描きました。ところが、そこにたまたまダウン症の子がいて、その子はこのような、微生物、アメーバのようなものを描いていました。彼女がそれを見て感じたことは、「あ、この子には私の言った意味が通じなかったのだろう」と思ったそうです。そしてその子のところに行って「今日は、山の詩を書くので、山の絵を描いて欲しかったんだけど、これは何?」と聞いたそうです。するとその子、何と言ったかというと「山の絵描いたよ。山を上から見た絵を描いたんだよ」と。その言葉に彼女は愕然としたそうです。そして「長年生きてきて、自分の中で形作られた心というものが一瞬で崩れて行くのを感じた」そうです。「振り返ってみれば、私は、障害があるということで色々な悲しみや苦しみを背負ってきました。そして、やり場のない悲しみや怒りを、なぜこのような人生を持った私を生んだのか、と両親が傷つく言葉を投げかけました。そうやって生きてきたのが私でした。障害があって他人と同じように生きられないから不幸な人生だと思ってきました。しかし、この子の描いた絵、そしてその視点は、人生には色々な見方、色々な生き方があって、色々な捉え方がある、という命のありようを教えてくれました」。その時に彼女は思ったそうです。「自分は自分の人生を生きよう」と。
自分の身に寄せて考えてみた時にどうでしょうか。私たちは、例えば人生の経験とか、学びと言えば言葉づらは良いですが言ってみればそういう蓄積された出来上がった心の中で、歪んだ物差しによって価値観を測ってみたり、偏見・先入観の中でものを見たり、人を判断したり、日々の日暮らしを送ってはいないでしょうか。しかし視点は一つではありません。一つではないけれども、一つにより歪められた目線で物事を見つめ人生を生きる私がいればこそ、そうではなかった、もっともっと大きな目線で命をとらえて下さい、そしてそこに開かれた大事な命に輝きながらその人生を生き抜いて欲しい、というのが阿弥陀様が私たちに注がれている仏の目線ではないかと思うのです。そのご縁にあうということは、自分のその有り様というものを悔い改めて、、、仏教ではそれを慚愧といいますが、、、その慚愧のなかから開かれてくる仏の目線で自分の命を、世の中を、社会を見つめ、そこに関わって生きようとする歓喜と喜びに生きることこそ、浄土真宗のお念仏のみ教えにあわせて頂いた者の生き方になってゆくのではないかと思われてなりません。
仏教では「如実知見」と言われています。これはありのままに物事を見つめて行く視点のことです。ありのままに物事を見つめていった時に、すべてのものが関わり存在している、というのがこの世の、そして命の有り様だと仏様は見抜かれています。そしてすべてのものが関わりつながっているのことを「縁起」と言っています。縁起があればこそ、私たちは生まれ、私はあなたと出会い、そして私は死してゆく。だからよく「死ぬなんて不吉なことは縁起でもない」と言われる方もいらっしゃいますが、そうではないのです。死はまさに、生まれたという原因の結果としてもたらされてゆく、間違いのない、私が背負った縁起のご縁なのです。縁起というのは、私たちは単純に「あなたがいてくれて私がいる」とお互い持ちつ持たれつの関係というように受け止めていますが、それは一般的な話の上でのことです。仏教はもう一歩この縁起を深めてくれます。持ちつ持たれつの関係、あなたがいて私がいる、ではなくて、「あなたがいてくれるからこそ、私の存在が意味付けられてゆく」というのが縁起の世界です。「私がいて、あなたがいて」ではなく「あならがいてくれるからこそ、私の存在がある」この微妙な感覚の違いがお分かりになるでしょうか。「あなたがいてくれるからこそ、私の存在がある」ということを仏教では「自他一如」と言います。私もあなたも、このものもあのものも、それは他人ではなく一つのようなものだ、そういう教えで命の有り様を伝えています。ですから私たち、平生の日暮らしの中で、自分さえ良ければ、という自己中心的な考えの中に、小さな殻に閉じこもって幸せを願い、その為に生きていますが、そういう生き方が本当の生き方ではないということを、ここから知ることが出来る筈なのです。そこにある悲しみや痛みというものを、他人事として見過ごしてきた私たちではないでしょうか。しかし、自他一如である私たちの存在です。どんな小さな悲しみも痛みも、私と無縁のものはないのだ、ということを仏教では自他一如という言葉で教えているのです。宗教は違いますが、キリスト教の聖者マザー・テレサはこんな言葉を残しています。「愛という言葉の反対は憎しみではない。無関心だ。無関心を装い、他人事として関わることをしない姿勢が、人間として最もあってはならない罪深い姿なのです」と。仏教とキリスト教と、宗教は違いますが、大いなるものを頂いて生きようとする信心の世界には深く大事なものがつながっていると教えられた一言でもあります。
智慧と慈悲。智慧というのは、如実知見の話ではありませんが、ありのままに物事を見つめてゆく視点のことです。ありのままにものを見つめたら、私は一人で生きるのではなく、すべてのものに関わって生きていることが知らされます。だから、他人のところにある痛みや悲しみは他人事ではなかった。とすれば、私は率先してそこに手を差し伸べ心を砕いてゆかねばならない、そこにある悲しみや痛みに私の心を寄せてゆく。同悲・同感の心という智慧があります。悲しみを共にし、感じることを共にするということです。そう生きることによって、あなたの真実の命が開かれて、そして生まれて良かったという人生が開かれてくるのですよと教えられます。まさに阿弥陀様は智慧と慈悲の姿をしていらっしゃいます。阿弥陀に帰依をするということは、智慧と慈悲の教えと願いに生きるということです。今一度、念仏に生かされている共々であるからこそ、改めて智慧と慈悲の生き様というものを見つめ直し、それを拠り所として生きる道を、これからも日々尊く、力強く、誇り深く、歩ませて頂きたい。それが念仏の行者の無碍の一道、なにものにも妨げられることのない道になるのですと、親鸞聖人は教えて下さっておられます。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもってそら言・戯言、真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします昨日は節分でした。皆さん、しっかりと鬼払いをされましたでしょうか、、、と言うのには、実は伏線がありまして、昨日は節分の味わいという話をさせて頂きました。私たちは「鬼は外、福は内」と言って、節分に邪気払い・鬼払いをしますが、果たしてそれで良いのでしょうか、という話でした。妙好人の浅原才市さんは、節分飾りを見て「鬼はワシじゃった」とおっしゃいました。阿弥陀様のみ教えに自らの姿を照らし合わせた時、その法の鏡に映った私の顔は怒りに角を生やし、苦悩に顔を歪め、欲望に食らいつかんが為の牙を口に携えていた。まさに私の姿が鬼だったと。そして鬼である私と認識した上で、もし私を鬼として扱い、邪気として扱い、それを放り出してゆかねばならないとしたら、私が私でなくなってしまう。鬼の自覚は法の中にあって、自分の身が迷える姿であったという自覚そのものであった、という話を昨日させて頂きました。真宗のみ教えの中に、習俗としての節分を受け止めるのではなくして、改めてお念仏のみ教えを通して味わってゆく大事なご縁が昨日の節分であったと。昨日の夕方のテレビ、今朝のニュースを見ていますと、多くの寺院や寺社に芸能人の方が参られて、皆さんが豆を争うように取って行った姿が映っていました。それを見ますと、一粒の豆を取る為に皆が顔色を変えてキャーキャー言っているところがまさに修羅場そのものではないかと思いました。そんな訳で、今日は立春です。季節を分けるから「節分」と言って、季節の分かれ目には邪気が現れる。だからその邪気払いを立春の前日に行うのが節分の元々の意味だそうです。
私は長野から参りましたが、今年の冬は平成18年の豪雪以来6年ぶりの大雪と言われ、東北、北陸、雪国と言われる地域は大変な雪害を受けました。私も東京に来るまで寺の境内で雪かきを妻と二人でするのですが、次から次へと降って来るものですから、雪かきも大変です。たまにするのは楽しい作業ですが、毎日大量の雪かきをしなければならないというのは大変苦痛でもあり、また骨の折れることです。そんな状況で、一昨日から東京に来ましたから、私は身体的に非常に楽です。ただ、まだ長野で妻や母が境内の雪かきをしていると思いますと、何かしら後ろ髪引かれる思いがするというのも間違いのない事実であります。雪国では行政が年間数十億かかるという地域もあります。ただ雪かきだけのためにそれだけの行政がつぎ込まれるのです。何か建物を建てたり道を造ったりすれば、後世伝えてゆくものがそこに残りますけれど、雪かきはどんなにお金をかけてもかいてしまえばそれまでです。そういった面でも本当に大変な話であり、今回この雪害によって多くの方が亡くなられていますので、あまり浮かれてばかりはおれない。そういうことを報道、また身近な生活の中で感じる次第であります。
雪の話をさせて頂きましたので、今日は、皆さんと一緒に季節柄・時節柄の歌を味わってみたいと思います。
さりながら 人の世はみな 春の雪詠まれたのは、真宗大谷派、お東のご門主でありました彰如上人という方です。この方は沢山の名句を残されており、別称、句仏様と言われた方です。この方が雪になぞらえて残された歌です。少し背景をご紹介しますと、お東に出雲路善友という当代きっての名布教師さんがいらっしゃったそうです。この方は福井県の方です。ところがこの出雲路先生、43歳で胃癌で亡くなっていらっしゃいます。当時、まだまだ医療技術が進まず、癌に対する社会的理解もなかった時代ですから、すでに出雲路先生の中で進行していた癌は手の施しようのなかった状態だったと言われています。そういった状態の中で入退院を繰り返されるのですが、体力的に衰えてゆく中での先生の生きる希望はただ一つ。是非病気を治し、元気になって法務の現場に復帰するのだ。その思いだけが先生の日常を支えておられたそうです。ところが家族は病院から告知を受けています。「癌が進行していてもう施しようのない状態にあります。ですから、残された日々を悔いのないように生きて下さい」そう言われていたのだそうです。そう受け止めておられた奥様でありましたが、是非元気になって社会復帰をする、法務復帰をする、それだけが心の支えとして日々生きられる出雲路先生に、とても奥様は「もういくばくもない命なのです。助からないのです」とは言えなかったそうです。そこには壮絶な家族の苦しみの日々があったと思いますが、そんな日々の中、出雲路先生の奥様がたまたまご縁があって京都の本願寺に参られました。そのときにこの彰如上人にあわれたそうです。彰如上人も出雲路先生の状態を気にされていたようで、見かけた奥様をよびとめて「善友の様子はどうだ」と聞かれたそうです。そうしまたら、答えるより前に、言葉より先に、奥様の目から涙がポロポロと流れ出しました。それを見てさとった彰如上人が「ちょっと来なさい」とご自分のご自宅に招かれて「少し待っていておくれ」と居間に奥様を残されて、しばらく時間を費やされたそうです。そして、帰ってきてから「国に帰ったら、これを善友に渡してほしい」と言って風呂敷に包まれた短冊を奥様に託されたのです。それを預かって奥様が福井のご自坊に帰られました。そして善友先生に渡された。身だしなみを整え、短冊を開けてみると、そこには「さりながら 人の世はみな 春の雪」の句がしたためられてありました。伝える側も受け取る側も、当代きっての僧と言われた方々です。これですべてが通じ合いました。出雲路先生、何と言ったか。「これで肩の荷が下りた。間に合って良かった」。あとはただただお念仏を頂いて、与えられた日々を大事に過ごして行こうと思うとおっしゃられ、しばらくしてご往生されたという話です。
告知の問題、今でも解決は見られませんけれども、「あなたは癌です。もう助かりません」。告知をする相手が家族であったり本人であったりするケースがあるかもしれませんが、病院で医師や看護師さんから病状の真実を告げられる。それは確かに真実ではあります。しかしそこに真はあっても実がないと感じるのは私だけでしょうか。実がないというのはどういうことか。病状の真実を伝えるのは確かに真実ですが、しかし伝えると同時に派生するのが死別の苦しみと別れの悲しみであります。そこに、寄り添う、思いを共にするという実が伴ってこなければ、告知の問題は解決方向につながらないのではないかと思うのです。
まさに実を稔らせて告知をされたこの語句だったのではないかと受け止めさせて頂いております。では、この歌を味わってゆきたいと思うのですが、春の雪。皆さん、想像できると思います。雪国に住んでいますので、変わりゆく雪の景色は存じ上げておりますが、真冬に降る雪というのは粒子が細かくてしんしんと降り積もってゆく雪です。ところが春先の雪は、羽毛布団の羽毛のように大きく、ひらひらと舞い落ちてゆきます。その雪はひとたび物に触れたり地面に落ちてしまったならば、さっと、積もることなく、淡く儚く一瞬のうちに消えてしまいます。つまり春の雪というのは、命あるもの形あるものの儚さを象徴した言葉であります。そしてその命の儚さは、あなただけではない、つまり「善友、お前だけではないのだよ。人の世は皆、この世にあるものはすべて、つまり往かなくてはならないあなたも、見送る私も、儚く頼りない春の雪のような命であったのだ」と、まさに命の終わりに際して、病苦の苦しみと別れの悲しみを共にしてゆこう、という心、思い、共感がここには込められているというものです。
そして、この歌の一番の大事なところ、目の付け所というのは「さりながら」にあると私は受け止めております。「さりながら」とは今の言葉にすると「しかしながら」という逆接の言葉であります。ですからこの歌を単純に理解すると「しかしながら、人の世にあるもの、命あるもの、形あるものはすべて、まるであの春の雪のように儚く頼りない命でありました」という意味になります。では、何に対して「しかしながら」と逆接にこの言葉を置かれたのでしょうか。
それは、私たち一人一人の、日常における命の向き合い方だと思うのです。私たちは、振り返ってみると、元気であればあるほど、若ければ若いほど、自分の死を見つめてそれに向き合って生きるという術を持ちません。「歳を取ったから死ぬんでしょ」「病気になったから死ぬんでしょ」「私はまだ若い」「私はまだ元気」「死なんてものは関係ない」と同時に「死なんて縁起でもないものが、私の身内に身近にあってはならない」そう受け止めて、命の事実に目を背け、日常を平々凡々と生きてゆきたい、と生きている私の命の向き合い方に対して「しかしながら」という言葉を置かれたのだと思います。
ですから、この歌は彰如上人が出雲路先生に贈られた歌ではありますけれども、それはそのまま私自身が受け止めさせて頂いて、私の命の問題として味わいをさせて頂くご縁の歌ではないかと感じさせて頂いております。
私の父親も平成16年に亡くなったのですが、10年間ほぼ寝たきりの状態でありました。大動脈瘤という病気で倒れまして、2回ほど、成功は難しいという手術で何とか助かって、10年の闘病生活となったのですが、その後のリハビリや思い通りになってゆかない心と身体を抱えて送った日々は大変なものがありました。父親自身の憤りや苦しみ・悲しみもあったでしょうし、家族として看護してゆく、そして看取ってゆかねばならない日々は大変でした。その時に私はこう思いました。生きることも大変だけれども、死ぬということも大変なのだな、と。昔ある時期、PPK(ピンピンコロリ)という言葉が流行りました。ピンピンコロリ地蔵にお参りして、集団で行った観光バスが帰りに事故に遭って、瀕死の状態の方が「まだ死にたくない」と言ったという、そんな笑い話のような滑稽のようなおかしな話は話として聞くところではありますけれども、「簡単に死にたい」「誰の世話にもならずに死にたい」と願いながらも、実は、生きることと自分の命の終わりはこの自分にはどうしようも出来ないことなのです。釈尊がさとりを開かれたその第一声は何だったでしょうか。「人生は苦である」と言っています。「苦」というのは当時のサンスクリット語で「デュッカ」と発音します。デュッカというのは意訳をすれば「思い通りにならない」「我が身に任せない」ということです。生老病死を通して、人間の人生というものは、命というものは、本当に思い通りにならないものなのだったのだ、というのが釈尊第一のさとりであったと言われます。生きることも死ぬことも思い通りにならない、そのことを深く受け止めさせて頂いた日々でありました。生きることも死ぬことも簡単ではない、苦しみである、ということです。
生きることも死ぬことも、という話の中で、今は命の終わりについてのことでしたが、少し話を進めて、今度は誕生、命の生まれについてお話ししたいと思います。
今、私には二人の子供がいます。長男が小学校1年生で長女が幼稚園に通っています。7歳と4歳ですから毎日家の中は動物園状態です。毎日にぎやかな家庭生活を営んでいるのですが、私たちは長男を授かるまでに6年の歳月がかかりました。不妊の期間が長かったのです。私は子供が好きで、妻も幼稚園の保母というか教諭をしておりましたので、結婚したら早く子供を授かりたいと言っていたのですが。最初のうちは新婚生活で毎日楽しい生活がありましたので良かったのですが、なかなか子供が授からないことで、特にお寺ですから、毎日大きなプレッシャーがかかってきます。6年という月日を前期・中期・後期と分けますと、こんな流れがありました。前期、1~2年。普段のお付き合いやお寺の永代経とか報恩講とか、色々な行事の時に沢山ご門徒さんが来られますので、皆さんから声をかけて頂きます。新婚早々ですから、声をかけるネタはズバリそこにある訳でして「お子さん、まだですか」と聞かれます。「いやぁ、まだなんです」と答えますと「まだまだ新婚だから、今のうちは二人で楽しい生活を送れば良いよ」と皆さん言って下さいます。有り難いことであります。ところが、中期、3年4年になりますと、ちょっと変わってきます。「お子さん、できました?」「いやぁ、まだなんです」そうしますと「あ、そうなんだぁ」と。口の悪い人になりますと、特に男性は「やることやってんのかよ」と言う人がいます。さらに、気の利いたというか遠慮のない方は「俺が教えてやろうか。教えてやろうにも教えてやることも出来ないけど」と言う方もあります。本当に余計なお節介なのですけれども、そのなかで笑いながら「まあ、そのうち、そのうち」と笑って下さいます。それが進んで後期になると、どういう会話になるかといいますと、「お子さんできましたか」この言葉も聞いて良いのか悪いのか、という雰囲気を醸し出してくるのですが、「まだなんです」と言いますと、必ず向いていた目線を背けられまして、言葉にはしないのですが、聞いてはならないことを聞いてしまったという顔をされます。そして「私の知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いに、十何年してやっと子供ができたという人を知っているから、大丈夫だよ」と慰めてくれるのです。ちょうどあのとき、雅子さまが不妊治療をされた後にお子様を授かったという話題と同じ時期だったので、「雅子さんだって8年かかったじゃない」と比較をされるなど、そんなことがありました。私は男性ですからそんなことを笑って言えるのですが、男性と違って女性は非常にナイーブで大きなプレッシャーがかかります。一人だったらまだしも、何か行事のとき次から次と、来られる方が同じ話題を振りますから、妻は心が折れてしまっていました。ですから、玄関先でにこやかに対応しながらも、奥に入って涙している、そんなことがよくありました。そんな時は、子供が授かるというのは一つの縁ではあるけれども、二人が出会ってこうして生活しているということにしっかり意味を見いだして生きてゆくことが大事ではないか、と夫婦で語り合いながら過ごしてきた時期があります。
そんな苦悩の日々があったのですが、これは私だけの話ではありません。今でもこの日本では子供が欲しいと願う夫婦のなかにあって、およそ200万組、確率で言いますと夫婦の10組に1組は子供が授からない、不妊で苦しんでいる、という統計が出ていると聞きます。私たちは何気ない会話の中で「お子さんは?」と聞きます。しかし求めても求めても願っても、授からないという苦しみや悲しみ、痛みを抱えておられる方がいらっしゃいます。結果的にその命を授からなかった方々もいらっしゃいます。その痛みに対して私たちが無反応・無関心、そして何気ない言葉で傷つけてしまう。私たちの言葉や仕草にはそういう危険があるということを少しでも知ってゆかねばならない、と思います。
と、まあ、なんだかんだで2004年4月8日、お釈迦様の誕生日、花まつりに長男が誕生しました。仏教やお寺にご縁を頂いている方であれば、4月の8日に子供が授かるというのは、本当に縁の深い意味合いを感じずにはおれない日であります。ただし、妻の右脇から生まれて、生まれた瞬間に7歩歩いて、、、というようなことはありませんでした。普通にしかるべき場所から生まれて、普通にギャアギャアと泣いて生まれました。
ちなみにお釈迦様が摩耶様の右脇から生まれてすぐに7歩歩いて、右手を上に上げ、左手を下に下げて
天上天下 唯我独尊とおっしゃったという説話は有名ですが、実際にお釈迦様は実存の方ですから、本当にそんなことがある訳がありません。ただこの仏教説話は何を伝えているかというと、7歩歩いたということは、この世の迷い、六道と言いまして地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界、、、命あるものは迷いの世界、六道を輪廻しており、その苦しみから解脱して浄土往生させて頂くことが仏教の目的でありますが、この六道を一歩踏み出して超えて行く、我はその者なり、という釈尊の人生を象徴しているお話であります。と同時に、だからこそ「天上天下 唯我独尊」、この世において我が命、私の存在ただ一つが尊い。これはすべての命に共通している命のとらえ方です。そのことを声高らかに詠われた説話であったといわれています。
そうやって生まれた長男ですが、当然子供が授かりますと名付けをします。お寺の子供ですので、お聖教にちなんだ名前が良いのではないかとお聖教や辞書を引いていました。そんな折り、たまたま広辞苑を引いていましたら「誕生」という言葉にあいました。「誕生」とは、広辞苑を引いてみますとこんな意味があります。
人の生まれること
広辞苑の書き方というのは、そもそもの語源や時代遍歴を伴って記載されてあるそうなのです。ですから「誕生」のもともとの意味は、人が生まれること、ということだそうです。誕生とは人の生まれること。これを聞いて皆さん少し違和感を感じないでしょうか。私たち、日常で例えば猫とか犬を飼っていたら、そこに仔猫や仔犬が生まれた時に「うちに仔犬が誕生した」「仔猫が誕生した」と言わないでしょうか。あるいは結婚式に行くと「●●さんと○○さんの新しいカップルが誕生しました」ということは月並みに聞きます。しかし、誕生とは「人の生まれること」であって犬や猫がうまれることやカップルが出来ることに使われる言葉ではないということです。元々は人の生まれることに対して使われる言葉であったのです。
そういうことを初めて知りましたので、これはもしかしたら深い意味があるのかもしれない、と続いて漢和辞典を引いてみました。まず「生」という字。おおよそ3つほどの意味が出てきました。
1、生まれる
2、生きる
3、生(なま)
これはまあ、異議はないですよね。では「誕」はどうか。人の生まれるということに限定されていても、子供や新しい命が生まれるということは家族・縁者にとっては尊い縁ですから、何か祝福をされるような意味が含まれるのではないか、と感じていました。ところが引いてびっくり。このような意味が出てきたのです。
1、あざむく
2、いつわる
3、うそ
えぇ~っ。うそ~ぉ。という顔をしていらっしゃる方が何人か見受けられますが、よかったらあとで辞書を引いてみて下さい。私も知りませんでした。つまり、この「誕生」という言葉を理解してゆきますと、人のうまれること、それは「何かを、誰かを欺き、偽わり、嘘をついて生きている」それが人間の、私の姿である。それを言い当てている言葉が「誕生」であると理解させて頂きました。
びっくりするような意味ですが、ではこれが本当かウソか。確かめてみましょう。今日こうやってたくさんの方が聴聞に来られていますが、皆さん生まれてこのかた今日まで一度もウソをついたことがないという方がおられましたら手を挙げてみて下さい。本当にウソをついたことがないという方は、褒められることですから自信を持って手を挙げて頂きたいのですが、、、皆さん大変正直ですね。もしここで手を挙げることが出来たら、それは仏様か大ウソつきのどちらかであると思います。その方はここで新たなウソをついたということに他なりません。私たちはそんな人生を生きているということです。
仏法を日本に説いて下さり、まず日本の国の教えにしてゆこうとされ、親鸞聖人が「倭国の教主」とおっしゃった聖徳太子はこう言われています。
世間虚仮 是真唯仏この世で唯一つ真実なるものは仏のみであって、この世は仮の世界、嘘・偽わりの世界である、と。そして宗祖・親鸞聖人は何とおっしゃったか。
悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもってそら言・戯言、真実あることなきに煩悩や苦悩が身に満ち満ちて、火宅のような怒りに悶え震えながら生きるこの世間にあって、一体何が真実と言えるであろうか、何も真実と言えるものはない。そう見抜かれていらっしゃいます。まさにそのような世界に私たちは生きているのです。
嘘というのはこれで理解できたのですが、では、欺く、偽るというのはどういうことなのでしょう。自分自身がこれを受け止め理解するには少し時間がかかりましたが、このように味わってみました。
私たちは人生の中で色々な分かれ道を経験してきた筈です。自分の夢や希望があって、それに向かった人生を生きてきた。しかしあるときそこにふと分かれ道が迫ってくる。自分の夢や希望の道、しかしそれを許すことのない厳しい現実の道、という分けれ道が、皆さん数々あった人生であったと思います。その時に皆さんはどうされたでしょうか。もちろんケースとして自分の願う道を歩むこと、選ぶことを許されたこともあったかもしれませんが、しかし一方で、自分は本当はこの道を行きたい、この人生を選択したいのだけれども、この目の前の現実、事実に対して生きようとするならば、残念ながらそれを選ぶことは出来ない、愛する人のため、何かのため、家族のため、そこに色々な理由や原因はあったかもしれませんが、このたびはこの人生を選んで行こう、と自分の本当の願いに自分自身で欺いて、自分自身を偽って、そしてこれで良かったのだと思いとどめて頷きながら、その道を懸命に歯を食いしばって生きてきた、それが私たちの人生そのものではなかったではないでしょうか。
その人生を生き抜いてきた時に、ではその人生を宗教は、仏様はどう受け止めて引き受けて下さるのか。例えば、思い通り生きる人生こそ素晴らしい、願いを叶えますよ、という宗教にあってはこんな言い回しがあるのかもしれません。「思い通りに生きなければだめだ。願い通りに願いを叶うべき、こうしなければだめだ。自分の心を曲げて、自分の心を欺いて偽る生き方は真実の生き方ではない。こうしなさい、ああしなさい」そう言われる宗教や仏様がいたらどうでしょうか。私ならばたぶん背を向けてしまいそうになると思います。そんなことは自分だって分かっている。でも、それを許すことのない事実があって、その事実を引き受けてここまで頑張って生きてきたのだ。それを、いくら仏といえ神といえ、私の過去を否定し、こうしなければダメだと言われてしまったら、私はそこに大きな怒りと悲しみを感じざるを得ないと思います。
しかし一方で私の抱えている悲しみや苦しみや過去生きてきた人生をそのまま受け止めて下さって「辛いこともあった人生だったね。苦しいことも、人に言えないことも色々あったね。でも、よく頑張って生きてきた」とこの私を抱きしめて下さる。そんな仏様、そんなみ教えがあったらどうでしょうか。私は素直にその仏様に、そのみ教えにこの人生をゆだねたいと思います。そして、そのままに受け止めて下さる仏を阿弥陀といい、その阿弥陀の願いに身を任せて生き抜かれたのがご開祖・親鸞聖人であったと私は受け止めています。
仏教には同治と対治という考え方があるのですが、これは今、医学の世界にも生かされ、通用している言葉として理解されています。対治というのは、例えば風邪を引いたとき、熱を持ったこの身体を一所懸命冷やして熱を下げて行こうとするのが対治という対処方法です。一方で、同治というのは、熱が出たら温かいものを食べて布団を被って自分自身の熱を上げて一杯汗をかかせて、そして熱を下げてゆこう対処方法です。もう一つ例えて言うと、例えば大事な方を失って悲しみに暮れている人に、対治というのは、泣いてはいけない、泣いては亡くなった方が悲しがるよ、顔を上に上げて頑張って生きてゆきなさい、と励ますこと。一方で同治というのは、悲しみに暮れる人のそばにいて、肩を抱いてあげて、伝える言葉はないかもしれないけれども、共にその心を寄せて悲しみに涙して行く姿をいいます。同治・対治。医療でもこの二つの方法を使って治療がなされるそうですが、対治よりも同治の方が実は治療効果があるという結果が出ているそうです。まさに、阿弥陀様の私たちに対する向き合い方は同治の姿であると思います。何があっても決してあなたを見放すことなく胸に抱き取って行こう、悲しみも苦しみも辛いことがあった人生だったとしても、そっくりそのまま抱き取って、支えて行くぞ、必ず摂め取って捨てないぞ、と。それが絶対他力であり、なにものにも妨げられることのない、私目当てに寄り添い働き続けて下さる如来の本願・願いを同治の姿ととらえてゆけるのであります。その同治の姿を親鸞聖人は正信偈にこのように味わっておられます。
不断煩悩得涅槃悩みを断たで、救いあり。悩むなら悩むままに、苦しみ悩みを抱えているなら抱えているままに、あなたを救って行く。だから救われる私がありました、とその喜びを言われている御文として味わうことが出来るのです。
さて、私は住職になって18年になります。そのなかで、沢山のご縁の中で色々と育てられてきました。僧侶というのはご門徒に育てて頂くものだ、ご法事やお斎の席で床柱を世話させてもらう身であるけれど、それはお前の力ではない、衣によって座らせてもらっているだけだと心得なさい、頭を下げて、心の視点を下げて多くを学ぶことを心がけなさい、と父から言われました。そんな中での一つの出会いを最後にお話させて頂きます。
今から遡ること1998年。長野では長野オリンピックが開催されました。覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、長野オリンピックに引き続きまして3月にはパラリンピックが開催されました。パラリンピックとは、身体や知能に障害を持たれた方々が世界から集まって、スポーツを通じての交流・親睦を図る世界大会です。私のすぐ上の姉はダウン症という知的障害者です。そんなご縁もあって、パラリンピックのお手伝いをさせて頂くことになりました。個人一人としてボランティアをするというところもありましたが、障害を持った方と健常者がペアになってボランティアをするという活動もありました。その中で、小児麻痺で車椅子であった、当時40代後半の女性と一緒にボランティアをさせてもらいました。何かと不自由なところがありますので、私たちは気を遣うことが多いと思っていたのですが、しかしその女性は非常に明るくてとても元気な方で、魅力的な素晴らしい方でした。あるとき不審に思って聞いてみました。まあ、そういう先入観、偏見が私にあったということですが「なんでそんなに明るくできるのですか?なんでそんなにイキイキと生きられるのですか?」と。そうしましたらその方、「私は私を生きているからです」と答えられました。「私は私を生きているからです」。衝撃的な言葉でした。みんなそう生きたいと願いながらそれが出来ない私がいる筈です。だからこそ、その言葉の素晴らしさ、輝きに打ちのめされたようなショックを今でもよく覚えています。障害を持って不自由なことがあったり、世間的な偏見・先入観による心の傷の日々もあったはず。そう思って彼女にどうしてそんな気持ちになれたのか、聞いてみたのです。そうしましたら、こう話をしてくれました。彼女は優秀な方で、大学を出られて本当は教員になりたかったそうです。しかし色々な事情で教員の職を得ることができませんでした。そこで、自宅を開放して小さな学習塾を経営しておられます。そんなおり、あるとき、自分の感じることを素直に言葉にしてみよう、という授業をしたそうです。その時のテーマは「山」でした。子供達に1枚1枚が用紙を配って「これから山の詩を書こう。みんなが思い浮かべる山の姿をまずここに描いてみて」とまず言いました。子供達は一生懸命に山の絵を描いたそうです。色々な描き方があるとは思いますが、そこに来た子供達はだいたい富士山のような姿を描きました。ところが、そこにたまたまダウン症の子がいて、その子はこのような、微生物、アメーバのようなものを描いていました。彼女がそれを見て感じたことは、「あ、この子には私の言った意味が通じなかったのだろう」と思ったそうです。そしてその子のところに行って「今日は、山の詩を書くので、山の絵を描いて欲しかったんだけど、これは何?」と聞いたそうです。するとその子、何と言ったかというと「山の絵描いたよ。山を上から見た絵を描いたんだよ」と。その言葉に彼女は愕然としたそうです。そして「長年生きてきて、自分の中で形作られた心というものが一瞬で崩れて行くのを感じた」そうです。「振り返ってみれば、私は、障害があるということで色々な悲しみや苦しみを背負ってきました。そして、やり場のない悲しみや怒りを、なぜこのような人生を持った私を生んだのか、と両親が傷つく言葉を投げかけました。そうやって生きてきたのが私でした。障害があって他人と同じように生きられないから不幸な人生だと思ってきました。しかし、この子の描いた絵、そしてその視点は、人生には色々な見方、色々な生き方があって、色々な捉え方がある、という命のありようを教えてくれました」。その時に彼女は思ったそうです。「自分は自分の人生を生きよう」と。
自分の身に寄せて考えてみた時にどうでしょうか。私たちは、例えば人生の経験とか、学びと言えば言葉づらは良いですが言ってみればそういう蓄積された出来上がった心の中で、歪んだ物差しによって価値観を測ってみたり、偏見・先入観の中でものを見たり、人を判断したり、日々の日暮らしを送ってはいないでしょうか。しかし視点は一つではありません。一つではないけれども、一つにより歪められた目線で物事を見つめ人生を生きる私がいればこそ、そうではなかった、もっともっと大きな目線で命をとらえて下さい、そしてそこに開かれた大事な命に輝きながらその人生を生き抜いて欲しい、というのが阿弥陀様が私たちに注がれている仏の目線ではないかと思うのです。そのご縁にあうということは、自分のその有り様というものを悔い改めて、、、仏教ではそれを慚愧といいますが、、、その慚愧のなかから開かれてくる仏の目線で自分の命を、世の中を、社会を見つめ、そこに関わって生きようとする歓喜と喜びに生きることこそ、浄土真宗のお念仏のみ教えにあわせて頂いた者の生き方になってゆくのではないかと思われてなりません。
仏教では「如実知見」と言われています。これはありのままに物事を見つめて行く視点のことです。ありのままに物事を見つめていった時に、すべてのものが関わり存在している、というのがこの世の、そして命の有り様だと仏様は見抜かれています。そしてすべてのものが関わりつながっているのことを「縁起」と言っています。縁起があればこそ、私たちは生まれ、私はあなたと出会い、そして私は死してゆく。だからよく「死ぬなんて不吉なことは縁起でもない」と言われる方もいらっしゃいますが、そうではないのです。死はまさに、生まれたという原因の結果としてもたらされてゆく、間違いのない、私が背負った縁起のご縁なのです。縁起というのは、私たちは単純に「あなたがいてくれて私がいる」とお互い持ちつ持たれつの関係というように受け止めていますが、それは一般的な話の上でのことです。仏教はもう一歩この縁起を深めてくれます。持ちつ持たれつの関係、あなたがいて私がいる、ではなくて、「あなたがいてくれるからこそ、私の存在が意味付けられてゆく」というのが縁起の世界です。「私がいて、あなたがいて」ではなく「あならがいてくれるからこそ、私の存在がある」この微妙な感覚の違いがお分かりになるでしょうか。「あなたがいてくれるからこそ、私の存在がある」ということを仏教では「自他一如」と言います。私もあなたも、このものもあのものも、それは他人ではなく一つのようなものだ、そういう教えで命の有り様を伝えています。ですから私たち、平生の日暮らしの中で、自分さえ良ければ、という自己中心的な考えの中に、小さな殻に閉じこもって幸せを願い、その為に生きていますが、そういう生き方が本当の生き方ではないということを、ここから知ることが出来る筈なのです。そこにある悲しみや痛みというものを、他人事として見過ごしてきた私たちではないでしょうか。しかし、自他一如である私たちの存在です。どんな小さな悲しみも痛みも、私と無縁のものはないのだ、ということを仏教では自他一如という言葉で教えているのです。宗教は違いますが、キリスト教の聖者マザー・テレサはこんな言葉を残しています。「愛という言葉の反対は憎しみではない。無関心だ。無関心を装い、他人事として関わることをしない姿勢が、人間として最もあってはならない罪深い姿なのです」と。仏教とキリスト教と、宗教は違いますが、大いなるものを頂いて生きようとする信心の世界には深く大事なものがつながっていると教えられた一言でもあります。
智慧と慈悲。智慧というのは、如実知見の話ではありませんが、ありのままに物事を見つめてゆく視点のことです。ありのままにものを見つめたら、私は一人で生きるのではなく、すべてのものに関わって生きていることが知らされます。だから、他人のところにある痛みや悲しみは他人事ではなかった。とすれば、私は率先してそこに手を差し伸べ心を砕いてゆかねばならない、そこにある悲しみや痛みに私の心を寄せてゆく。同悲・同感の心という智慧があります。悲しみを共にし、感じることを共にするということです。そう生きることによって、あなたの真実の命が開かれて、そして生まれて良かったという人生が開かれてくるのですよと教えられます。まさに阿弥陀様は智慧と慈悲の姿をしていらっしゃいます。阿弥陀に帰依をするということは、智慧と慈悲の教えと願いに生きるということです。今一度、念仏に生かされている共々であるからこそ、改めて智慧と慈悲の生き様というものを見つめ直し、それを拠り所として生きる道を、これからも日々尊く、力強く、誇り深く、歩ませて頂きたい。それが念仏の行者の無碍の一道、なにものにも妨げられることのない道になるのですと、親鸞聖人は教えて下さっておられます。




