10月の三連休は、京都・大阪へ、ぶら~り一人旅に行ってきました。
昼に新大阪に着いてまず行ったのが、
本願寺津村別院、別名・北御堂です。
まるで城のような石の階段です。
その途中に、尊いお言葉がありました。
家族
親子 夫婦 兄弟 姉妹、
あなたたちがいたわり合い、愛し合わないで、
どうして本当に幸せになりますか?
「でも、孤独(ひとり)なら?」
いいえ、いつも佛さまは御同伴です。
門をくぐると、右側に、親鸞聖人、左側に蓮如上人が立っておられます。
さらに階段を上ると3階の本堂に行き着きます。風格のある建物に圧倒されました。
さて、2階、1階では読経会、結婚式、コンサートなど、色々な催し物がなされていましたが、メインは御法座。
この日は、行信教校講師・中西昌弘師のお話を聞かせていただきましたが、電車を乗り間違えて、一時間ほど遅刻してしまったため、後半の30分ほどしか聞けませんでした。
以下、如是我聞録ですので、間違いがあるかもしれません。
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「阿弥陀経のこころ」(途中から)
普通、お経はある人の質問に答える形になっていますが、阿弥陀経の特徴は無問自説であります。お釈迦さまが、誰から聞かれることもなく、自ら説いていかれた。これは、お釈迦様の出世本懐だということができます。お念仏がなければ、本当の意味で生きることも死ぬことも出来ない、だからお念仏を称えてくださいよ、これがお釈迦様の言われたかったことであります。
お経では、最初に、その時集まってきた人々の名前が書かれた後、お浄土の世界を、目に見えるような姿形で説かれています。極楽の中心に阿弥陀仏がおられることや、七宝の池など。
そして次に、なぜ阿弥陀仏といわれるのか、阿弥陀仏のお徳(光明無量・寿命無量)について説かれます。
舍利弗、汝が意に於いて云何.彼の佛を何が故ぞ阿彌陀と號する。
舍利弗、彼の佛の光明は無量にして十方の國を照らすに障礙する所無し。是の故ゆ號して阿彌陀と爲す。又舍利弗、彼の佛の壽命、及び其の人民も無量無邊阿僧祇劫なり、故に阿彌陀と名く。
名義段と言われるところです。ここは姿形で説かず、名前のいわれをもって説いておられます。
この後、ガンジス河の砂の数程の仏様が、異口同音に守り念じられている内容となっています。
阿弥陀経は、この3つの構成になっているのですが、詳しい内容は次回に致しましょう。
このお経では、お釈迦さまが舎利弗に36回呼びかけておられます。ところが、舎利弗は返事をしていません。お釈迦様のなされるお話が、私たちの知恵で理解できないので返事ができなかったのでしょう。そして普通だったら名前を呼んで返事がなかったら腹を立てるところでしょうが、お釈迦様は構わず続けられています。ここに、仏のお慈悲の深さを味わうことができます。
善導大師は『法事讃』という書物の中で、
仏、身子(舎利弗)に告げたまふは、末代苦悩の衆生に告げたもうなり
と言われています。これは、「舎利弗よ」と呼びかけられているのは、舎利弗を通して、私たち一人一人に対して、時代を超えて説法しておられる、ということです。まさに、今現在説法であります。
そのお心が分かると、お経に入り込むことができます。そして、お経に入り込んだら、お慈悲に包まれていることが実感できるのではないでしょうか。
ちなみに、『阿弥陀経』では、最初に16人の羅漢の名前が挙げられています(舎利弗、摩訶目犍連、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、摩訶倶絺羅、離婆多、周利槃陀伽、難陀、阿難陀、羅睺羅、憍梵波提、賓頭盧頗羅堕、迦留陀夷、摩訶劫賓那、薄拘羅、阿ぬ[「少」の下に「兎」]樓駄)が、これはさとりを開いた順番です。それに対し『大無量寿経』は入門順になっています。
それと、『阿弥陀経』という題は、サンスクリット語から中国語に訳した人がつけたもので、本当は『称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経』と言います。でもそれでは長いから、『阿弥陀経』と訳されました。
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終了後は京都四条河原町へ移動し、「都雅都雅(トガトガ)」というハコのライヴへ行きました。
詳細は後日書きます。


