芥川龍之介 ~ 羅生門

 ルーマニアって国の名前かと思っていましたが、本当はこういう意味だそうです。→ルーマニアルーマニアルーマニア
 今日は、日本が誇る芥川龍之介の代表作『羅生門』を、ルーマニアの人向けに翻訳してみようかと思います。まずは原文から。
羅生門  芥川龍之介
 ある日の暮方の事である。一人の下人(げにん)が、羅生門(らしょうもん)の下で雨やみを待っていた。  広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗(にぬり)の剥(は)げた、大きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
【中略】
 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微(すいび)していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申(さる)の刻(こく)下(さが)りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日(あす)の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
【中略】
 老婆の話が完(おわ)ると、下人は嘲(あざけ)るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰(にきび)から離して、老婆の襟上(えりがみ)をつかみながら、噛みつくようにこう云った。 「では、己(おれ)が引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」  下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色(ひわだいろ)の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。  しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。  下人の行方(ゆくえ)は、誰も知らない。
(大正四年九月)
 さて、いきなりルーマニア語に翻訳するのもきついので、まずは大阪弁で読んでみましょう。
羅生門  芥川龍之介
 ある日の暮方の事なんや。一人の下人(げにん)が、羅生門(らしょうもん)の下で雨ちゃんやみを待っとった。  広い門の下には、この男のほかにどなたはんもおらへん。そやけど、所々丹塗(にぬり)の剥(は)げた、大きな円柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっとる。羅生門が、朱雀大路(すざくおおじ)にある以上は、この男のほかにも、雨ちゃんやみをする市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)が、もう二三人はありそうなもんなんや。それが、この男のほかにはどなたはんもおらへん。
【中略】
 作者はさっき、「下人が雨ちゃんやみを待っとった」と書いたちうわけや。せやけどダンさん、下人は雨ちゃんがやんそやけど、格別どないしょと云う当てはあらへん。ふだんやったら、勿論、主人の家へ帰る可き筈なんや。所がその主人からは、四五日前に暇を出されたちうわけや。前にも書いたように、当時京都の町は一通りやったらず衰微(すいび)しとった。今この下人が、永年、使われとった主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかいなりまへん。やから「下人が雨ちゃんやみを待っとった」と云うよりも「雨ちゃんにふりこめられはった下人が、行き所があらへんから、途方にくれとった」と云う方が、適当なんや。その上、今日の空模様も少からへんし、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響したちうわけや。申(さる)の刻(こく)下(さが)りからふり出した雨ちゃんは、いまんなっても上るけしきがあらへん。ほんで、下人は、何をおいても差当り明日(あす)の暮しをどうにかしたろおもて――云わばどうにもならへん事を、どうにかしたろおもて、とりとめもへん考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨ちゃんの音を、聞くともなく聞いとったのなんや。
【中略】
 老婆の話が完(おわ)ると、下人は嘲(あざけ)るような声で念を押したちうわけや。そないにして、一足前へ出ると、不意に右翼の手を面皰(にきび)から離して、老婆の襟上(えりがみ)をつかみながら、噛みつくようにこう云ったちうわけや。 「では、己(わし)が引剥(ひはぎ)をしたろおもて恨むまいな。己もそうせな、饑死をする体なんや。」  下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとったちうわけや。ほんで、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒したちうわけや。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばっかりなんや。下人は、剥ぎとった檜皮色(ひわだいろ)の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りたちうわけや。  ちーとの間、死んやように倒れとった老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したんは、ほんで間もなくの事なんや。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えとる火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行ったちうわけや。そないにして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門の下を覗きこんや。外には、そやけど、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばっかりなんや。  下人の行方(ゆくえ)は、どなたはんも知らん。
(大正四年九月)
 さあ、いよいよ“声に出して読みたいルー語”です。感情を込めてお読み下さい。
羅生門  芥川龍之介
 ある日のイーブニングの事である。一人の下人げにんが、羅生門らしょうもんの下で雨やみを待っていた。  ワイドな門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗にぬりげた、大きなコラムまるばしらに、蟋蟀きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀メインストリートすざくおおじにある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠いちめがさ揉烏帽子もみえぼしが、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
【中略】
 作者はサムタイムアゴー、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、マスターの家へゴーバックする可き筈である。所がそのマスターからは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一ストリートならず衰微すいびしていた。今この下人が、ロングタイム、使われていたマスターから、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さなメモリーにほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、ウェイにくれていた」と云う方が、適当である。その上、トゥデイウェザーも少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme にエフェクトした。さるこくさがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差ヒット明日あすの暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀メインストリートにふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
【中略】
 オールドウーマンの話がおわると、下人はあざけるような声で念をプッシュした。そうして、ステップ前へ出ると、サドンに右の手を面皰にきびからパートして、老婆の襟上えりがみをつかみながら、噛みつくようにこう云った。 「では、おれ引剥ひはぎをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」  下人は、すばやく、老婆の着物をティアーオフしとった。それから、足にしがみつこうとするオールドウーマンを、手荒くボディーの上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩をカウントするばかりである。下人は、ティアーオフしとった檜皮色ひわホエアろの着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけゲットオフした。  しばらく、死んだようにブレイクダウンしていた老婆が、ボディーの中から、その裸の体をレイズしたのは、それから間もなくの事である。オールドウーマンはつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだバーンしている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、ショート白髪しらがさかさまにして、門の下をルックインしこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる夜があるばかりである。  下人の行方ゆくえは、誰も知らない。
(大正四年セプテンバー)
 これがスラスラ読めるようになった方は、こちらのブログも挑戦してみてください。私はすでに、憲法9条や、お詫び状・始末書例文集、安倍総理就任会見をルー語で読んで、頭の中がとろけてしまいましたので、遠慮させていただきます。 o(~。~;)o
・ ・ ・
とかセイ(ライト)しながらメニーのアーティクルをリードしてしまいました。タイフーンがニアーになるにつれてリトルビットクールになったからオーライだったけれど、ホットなサマーにこれをリードしたらどんな風にフィールするのでしょう?

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芥川龍之介 ~ 夢

芥川龍之介
 夢の中に色彩を見るのは神経の疲れてゐる証拠であると云ふ。が、僕は子供の時からずつと色彩のある夢を見てゐる。いや、色彩のない夢などと云ふものはあることも殆(ほとん)ど信ぜられない。
……続きを読む (芥川龍之介『夢』より)

 最近、夜「さ~て、寝……Zzz(-。-)」と思った瞬間に、翌朝になり、眠い目をこすりながら出勤する毎日が続いています。久しく夢を見ていないような気がします。疲労がたまっているのか、いないのか、良く分かりません。起きているときに夢劇場にいるからでしょうか。
 それはさておき、「僕は夢の中でも歌だの発句だのを作つてゐる。が、名歌や名句は勿論、体を成したものさへ出来たことはない。その癖いつも夢の中では駄作ではないやうに信じてゐる」という芥川の言葉は、共感できるものがあります。化学の世界では、Cベンゼン環の分子構造を、夢をヒントに解明したという話がありますが、それ以外のところでは、夢とは儚いものの代名詞とされていますね。
「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
秀吉の言葉然り、多くの辞世の句には「夢」という単語が出てきます。「夢」とか「ドリーム」と聞くと、明るく前向きな印象を受けますが、現実はどうやらそれとは反対のようです。未来に向くと明るくなり、過去に向かうと暗くなるもの、それが夢なのかも知れません。
(参考) 人生は「浮生なる相」 からっ風くらぶ! 夢十夜

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芥川龍之介 ~ 地獄変

地獄変 地獄変 ↑ どちらかというと 左の装丁の方が好きです。
 小学生だったか中学生だった頃、テレビで非常に怖い映画をやっていました。途中から見たのですが、火のついた牛車の中で若い女性がもがき苦しみ、その前で獣のような男が恐ろしい形相でそれを見つめているのです。やがて猛火は女性を包み込み……。強烈なインパクトでした。 最後「原作:芥川龍之介 音楽:芥川也寸志」とテロップが出ていたので、恐らく『地獄変』の映画だったのだと思います。
「見たものしか描けない」という当代随一の絵師・良秀。“地獄変の屏風”を描くよう命じた堀川の大殿様に、「あらましは出来上りましたが、唯一つ、今以て私には描けぬ所がございまする」と言ったのは、牛車に乗った女が猛火に苦しむ姿でありました。そこで大殿がが用意したものは……。
 芸術至上主義の是非云々というよりは、「地獄」とは一体何か、大変考えさせられる作品でした。最後、「如何に一芸一能に秀でやうとも、人として五常を弁(わきま)へねば、地獄に堕ちる外はない」とよく仰っていた横川(よがわ)の僧都様が、完成した地獄絵図を実際に見られて「出かし居つた」と言われたのが意味深でした。私見ですが、地獄とは各人の心が作り出すもので、それを如実に表した絵図だったのではないか、と思わずにおれません。
 いずれにしても、芥川龍之介のえぐりだす、人間の心の奥底に潜む鬼の心に戦慄をおぼえずにおれません。有名な『蜘蛛の糸』も然りです。そんな芥川のせめてもの救いは『杜子春』に見られる人間性だったのでしょうか。
 ちなみに、私が読んだのは青空文庫からでした。DLして通勤電車の中、携帯で読みました…… (^^;ゞ


(参考) 渡辺知明さんの朗読ブログ 渡辺知明さんの朗読ブログ(2) aotuka202さんのブログ miwabookさんのブログ 湖山 芽依さんのブログ 悠里さんのブログ 幸田回生さんのブログ 芥川龍之介研究 地獄変/芥川龍之介のあらすじと読書感想文 青空文庫

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