梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (12)[「五逆罪」について]

梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (11)[「乃至十念」の称名]の続きです。

十六、「五逆罪」について

第十八願の最後に、「ただ五逆と正法を誹謗せんとをば除く(唯除五逆、誹謗正法)」と誓われていますが、それはどういう意味ですか。

五逆罪を犯し、仏のみ教えを誹り、人びとの心の拠り所を失わせるような行為をしている者は、救いから除外するという意味です。



五逆罪とは、どういう罪のことですか。

五種類の反逆罪ということで、「父を殺す」「母を殺す」「阿羅漢を殺す」「仏身より血を出だす」「和合僧を破る」という五種の犯罪をいいます。これを逆罪というのは、反逆罪だからです。すなわち自分を愛し、幸せを願ってくれた人の愛情を善意を裏切り、恩を仇で返す行いであるからです。



五逆罪について詳しく説明してください。

まず父親や母親は、私を生み、深い愛情をこめて育ててくれた、この世で一番深い恩を受けている方です。その父や母を、自分にとって都合が悪いからというので殺してしまうのですから、この世の中では一番重い罪であるというのです。『観無量寿経』や『涅槃業』に、マガダ国の皇太子であった阿闍世が、提婆達多に唆されて父の頻婆娑羅王を殺害して王位を奪い、それを止めようとした母の韋提希夫人までも殺そうとした事件が説かれています。「阿羅漢を殺す」という阿羅漢(最高の聖者)とは、愛欲や憎悪といった醜い煩悩をすべて断ち切って、仏弟子としては最高の境地まで達し、人びとを導いていかれる聖者のことです。
 釈尊の弟子の中でも、舎利弗尊者と並んで神通力第一と崇められていた目連尊者は、晩年、王舎城内を托鉢されていたとき、仏教に反感をもつ異教徒のために殴り殺されています。暴漢は町の人の通告で官憲に逮捕されましたが、目連尊者は瀕死の重傷を受けながらも官憲に対して、「その人を決して死刑にしないでください、よく話せば必ず心を改めて正道に目覚めてくれるはずだから」と、言い残してなくなります。尊者のその言葉を聞いて、やがて暴漢も心を改めて仏教に帰依し、罪の償いをしながら多くの人びとを導いていったといわれています。目連尊者のような尊い阿羅漢を、自分の主義主張に合わないというだけで殺してしまうような人もいたのです。
 「仏身より血を出だす」というのは、提婆達多の故事によっています。釈尊の従弟であり仏弟子にまでなった提婆達多ですが、釈尊が多くの人に尊敬されているのを妬んで、殺そうとして、崖の下を歩いておられる釈尊をめがけて大きな岩を落としたことがありました。幸い岩は途中で岩と岩の間に挟まれて落下しなかったので、釈尊は助かりましたが、落ちてきた岩の破片で足に傷を受けられたといわれます。
 「和合僧を破る」という和合僧とは、僧伽(サンガ)の訳語です。仏陀の誡めを守って生きる修行者たちの「和やかな集い」という意味で、自我を主張して争うということがない集団ですから和合衆とも訳しています。それは釈尊の教えを正しく伝えていくと同時に、仏弟子を育て導き、迷える人びとの心の依り所となる「仏教集団」のことです。提婆達多は、その和やかな集いを攪乱し、さまざまな策略をめぐらして、集団を分裂させたといわれています。もっとも提婆達多に従って分派行動をとった人たちも、最終的には舎利弗の説得によってほとんどが帰参して、たくらみは失敗したといわれています。
 この五逆罪の中、父を殺し、母を殺すことを、恩田に背くといい、あとの三種を福田に背くと呼んでいます。よく耕された田畑は、素晴らしい収穫を与えてくれるように、父や母は自分を生み育ててくれた、この世での最高の恩人だから恩田というのです。仏陀・釈尊はいうまでもなく、阿羅漢と呼ばれる聖者や、仏弟子たちの集い(和合僧)は、私たちに真実の安らぎを与えようと教育してくださる方々ですから、福田(まことの幸せをもたらしてくださる方々)と呼んでいます。このような五逆罪を犯す者は、自分はそれで幸せになれると思って行ったのでしょうが、罪を犯したときから、現世から来世にかけて、一瞬の間断(絶え間)もなく重い責め苦を受け続ける無間地獄に堕ちますから、「五無間業」(無間地獄に堕ちる五種の悪行)ともいわれています。

(「【二】阿弥陀仏の本願」より)



(つづく)




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梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (11)[「乃至十念」の称名]

梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (10)[第十八願の信心]の続きです。

十五、「乃至十念」の称名

「すなわち十念に至まで(乃至十念)せん」とはどういうことを表わしているのですか。

本願を信じて、浄土を目指して生きる人の最も正しい生き方は称名念仏することであると信心の行者の行業(おこない)を選び定められた言葉です。



「すなわち十念に至るまで」という言葉が、一生涯にわたる称名を指しているとは、どうしていえるのですか。

もともと「乃至十念」の「乃至」とは、一乃至十とも、千乃至十ともいえるように、数量や時間を限定しないときに用いる言葉でした。ですから一念(一声)、十念(十声)に限らず「いのち」の限り相続すべき称名行であることを表わされていたのです。
 また「念」には、さまざまな解釈がありますが、善導大師は称念の意味とされました。すなわち本願の「乃至十念」を「上は一形を尽し、下は十声に至るまで(一生涯にわたる称名から、わずか十声の称名に至るまで)」、一声一声がことごとく正定業(正しく往生が決定する徳をもった行)であるという道理を表わしていると見られたのでした。それは『観経』の下品下生に、「十念を具足して南無阿弥陀仏と称す」といわれた教説と合わされたところから出てくる十念釈でした。
 詳しい説明は今は省略しますが、要するに善導大師は、本願の十念とは、南無阿弥陀仏と十声称える称名念仏のことであると確定されたのでした。法然聖人はそれを伝承して、本願の念仏は称名念仏であるといい、専修念仏説を確立されたのです。



十念が、南無阿弥陀仏と十遍となえることであるということはわかりましたが、それに「乃至」という数量を限定しない言葉を付けて誓われていることには、どういう意味があるのですか。

それには実は深い意味があります。まずその一つは、念仏する人の「いのち」の長短は、誰もどうすることもできないからです。一声称えただけで死ぬ人もあれば、何十年も称え続けることのできる長命のひともあります。しかし一声で終わった人生も見事な念仏の人生であり、決定往生の行者だったのです。一声が少なすぎることもなく、百千万遍称えたからといって称えすぎるわけではないというのは、称えた私の力が問題となるような自力の行ではなくて本願他力の念仏だからです。
 二つには、そのようなことが成立するのは、本願の念仏は、一声一声、如来から賜っている行であって、一声、一声が如来そのものであるような無上の功徳をもっている行だからです。如来は一声、一声の念仏となって私の上に現われ、「必ず往生させる」と大悲をこめて喚び覚まし続けておられるのです。
 ですから念仏していることは、如来の本願招喚の勅命を聞いているほかにないのです。それを本願力回向の念仏と呼んでいます。すなわち称えて功徳を積んでいくというような自力の行ではなく、一声一声が無量の徳をもった、絶対の如来行であり、「必ず救う」という如来の仰せが響いている念仏ですから、数量を超えた念仏であることを表わすために「乃至」という言葉を付けて誓われたわけです。
 このように念仏とは、本願の名号(如来の勅命)を一声、一声、如来より賜っているのですから、その如来の仰せを、疑いなく聞き受けている念仏者の想いをいえば、「阿弥陀さま、お救いくださってありがとうございます」とご恩をよろこぶ意味があることがわかりましょう。それを仏恩報謝の念仏といい、「信心正因、称名報恩」の宗義として伝承されてきたのでした。



「もし生まれずは正覚を取らじ(若不生者不取正覚)」とは、どういううわれを表わしているのですか。

本願を信じて、往生できるとおもって、念仏している者が、もし往生できないようなことがあれば、正覚者(阿弥陀仏)にならない、絶対的な救いの確証を与える力強いお言葉です。それは衆生の往生と、仏の正覚とが一体不二に誓われているというので、往生正覚一体の誓願といい慣わしています。これは阿弥陀仏の本願が、衆生と仏、自己と他者の分け隔てを超えた生仏一如、自他不二の真如の顕われであることを如実に表わしていることばであります。

(「【二】阿弥陀仏の本願」より)



(つづく)




梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (10)[第十八願の信心]

梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (9)[第十八願中心の本願観]の続きです。

十四、第十八願の信心

その中で「至心信楽して、わが国に生れんと欲へ(至心信楽欲生我国)」とは、どういう意味を表わされているのですか。

法然聖人は、本願の三心について詳しい釈はなされていませんので、親鸞聖人の三心(信)釈を紹介します。親鸞聖人は、これは一つの信心を、至心・信楽・欲生という三心(三信)に開いて表わされたもので、それによって、如来さまから与えられた他力の信心の内容を詳しく示されたものであると言われています。



それをわかりやすく説明してください。

まず至心というのは、嘘・詐りのない真実心のことです。次に信楽とは、信心のことであって、阿弥陀仏の本願まことと疑いなく聞き受けている無疑心のことです。欲生とは、必ず浄土へ往生することができると期待している心のことです。



至心が真実心であるというのは、どんな心をいうのですか。

至心を真実心といわれたのは善導大師の至誠心釈によられたものです。至誠とは究極の「まこと」心のことであるといわれた解釈によったものです。しかし普通ならば自分の起こした信心に、嘘も詐りもないことを真実心というのですが、親鸞聖人は、第十八願の至心、すなわち真実心とは、私どもを救って浄土へ生まれさせようと願っておられる阿弥陀仏の本願のお心に嘘も詐りもないことをいうと言われています。たとえば『尊号真像銘文』に
「至心」は真実と申すなり、真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と申すなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆゑなり。
(『註釈版聖典』643頁)
といわれています。私どもは、いつも自分中心の見方をし、愛と憎しみに濁った煩悩を起こし続けています。ですから清らかなさとりの領域である浄土にふさわしい清浄真実な心はもっていませんし、これからも起こすことはできません。それゆえ本願に「至心信楽せよ」といわれたのは、私どもに「真実心を起こして信楽しなさい」といわれたのではなくて、「阿弥陀仏の真実なる本願を疑いをまじえずに受け容れなさい」といわれた言葉であると領解されたのです。



それでは次の「至心信楽せよ」というのは「如来の至心を信楽せよ」といわれているというのですか。

その通りです。ですから、信楽とは、如来様の本願のみ言葉に嘘も詐りもないと疑いなく受け容れている状態をいうのです。それで信楽を釈して、
「信楽」といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。この「至心信楽」は、はなはち十方の衆生をして、わが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽なり、凡夫自力のこころにはあらず。
『同上』
といわれたのです。すなわち十方世界の生きとし生けるすべてのものに向かって、私の誓願には、嘘も詐りもないから、この言葉の通り疑いなく受け容れなさいとお勧めになっているのが「至心信楽」という言葉であるというのです。ですから凡夫に自力で真実な信心を起こせと勧められた言葉ではないといわれるのです。
 このように味わえば「信楽」は凡夫が自力で起こす信心ではなくて、私を救おうと願っておられる如来の真実心(まことの親心)が私に届いて私の疑い心を除いてくださった心であるということがわかりましょう。



次に「欲生」とは、どういう心ですか。

「欲生」とは、「わが国に生まれんとおもへ(欲生我国)」を略した言葉です。それは阿弥陀仏の真実なる本願の仰せの内容です。すなわち自分の人生の行方を見定めることができないで迷っている私に向かって「安楽浄土へ生まれることができると思いなさい」と慈愛をこめて呼びかけてくださる言葉です。そのことを聖人は『教行信文類』「信文類」の欲生釈の初めに、
次に欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり。
(『同上』241頁)
と仰せられたのでした。すなわち「必ず浄土へ生れさせる」と喚(よ)んでいてくださる真実なる本願(至心)のみ言葉を聞いて、その仰せを「まこと」と疑いなく受け容れた(信楽)とき、そこには「必ず、往生させていただける」(欲生)という思いが私に恵まれてきます。それを「欲生心」とも願生心ともいうのです。それを『尊号心像銘文』には、
浄土に生れんとおもへとなり。
(『同上』643頁)
といわれたのでした。
 このように見ていきますと、三心といっても、必ず浄土に往生させて涅槃のさとりを完成させると仰せられる「まごころ」のこもった本願招喚(招き喚び続ける)の勅命を、仰せの通りに疑いをまじえずに聞き受けている信楽のほかにはないことがわかります。
 すなわち本願の真実(至心)のみ言葉を、疑いなく聞き受けている(信楽)ところに、往生一定と浄土を期するこころ(欲生)が自然に具わっているわけです。これを親鸞聖人は、如来よりたまわった「三信即一の信楽(信心)」と言われたのでした。そしてそのような本体は仏心(仏智)である信心が恵まれたときに、往生し、成仏する因が完成しますから、「信心正因」と言われるのです。それを信心が決定したとき、現生(現在の生存中)において、すでに仏になることが決定した正定聚の位に入れしめられているとも言われたのでした。

(「【二】阿弥陀仏の本願」より)



(つづく)




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