明橋大二 / 『なぜ生きる』『10代からの子育てハッピーアドバイス』

【2010.09.02 追記】 これを書いていたときは知りませんでしたが、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。 ・明橋大二医師と親鸞会 ・・高森顕徹著「光に向かって100の花束」は大沼法龍の著作のパクリです: さよなら親鸞会
 6月17日、宮崎勤(元)死刑囚に死刑が執行されました(関連記事)。埼玉県と東京都で幼女連続誘拐殺人事件が起きたのは1988年から89年にかけてのこと。
 そして先日8日、秋葉原通り魔事件
 この20年の間には、 ・地下鉄サリン事件(1995)神戸連続児童殺傷事件(1997)池袋通り魔殺人事件(1999)下関通り魔殺人事件(1999)附属池田小事件(2001)秋田小1男児殺害事件(2006) など、、、様々な通り魔バラバラ殺人、その他異常な犯罪が起き、その度毎に、多くの人が心を痛めました。
 これらは、個人的な怨恨や人間関係のもつれからくる悲劇とは違い、見知らぬ他人や力のない幼児が被害者となっており、加害者に対し「どうして?」と怒りや疑問が投げかけられます。しかも、犯人には罪の意識や反省が見られないことが多く、不気味な印象を与えます。
 このような、人命軽視の傾向はどこから来るのか? 精神科医でベストセラーシリーズの著者、また、小学校におけるスクールカウンセラーや児童虐待の対応相談、各地講演などで活躍中の明橋大二さんの書籍2冊から、関連すると思われる記述を集めてみました。
 戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きる意味があるのか」「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが、生み出す悲劇とは言えないだろうか。  たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」、「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるであろう。 「人生に目的はあるのか、ないのか」 「生きる意味は何なのか」  人類は今も、この深い闇の中にある。
 人命軽視を象徴する事件がつづいています。愛知県の高校3年生が65歳の主婦を40数ヶ所も刺して惨殺し、翌日、自首しました。「人を殺す経験をしたかった」と、反省のそぶりは、まったくなかったといいます。アメリカの学校では、銃の乱射が絶えません。凶弾の犠牲になる未成年者は、平成12年の数字では、1日14人にも及んでいます。  小学生を殺害し頭部を切断した14歳の少年は、世間を震撼させました。しかしこの少年の「ボクの存在は透明だ」という言葉に、共感を覚える若者は少なくありません。 「誰からも必要とされていない私。ガラクタだもの。生まれてこなければよかった」 「なんで生きなきゃいけないのかな。サッサと生きて、サッサと死にたい」  私の存在は無意味、そんなむなしさを深めている子供たちは、「忘れ物をしたから」「運動会があるから」「先生に叱られたから」と、信じられない理由で命を捨てています。  自分の命の大切さを知らねば、他人の命も尊重できないでしょう。「死んでもいいじゃん」の無知が、「殺してもいいじゃん」の暴論に、すり替わってゆくのではないでしょうか。 「どうして人を殺したらいけないんですか?」  高校生がボソッと漏らしたテレビ番組で、シーンと静まり返った出演者たち。パタッと番組が終了し、さまざまな議論をよびました。 「人命は地球より重いからだ」といくら言っても、無駄でしょう。 「どうして地球より重いの?」と突っ込まれたら、終わりだからです。  どんな人でも、答えに窮するのではないでしょうか。哲学者も、お手上げです。なぜ命が尊いか、説明できた哲学者を知らないと、P・フット(カリフォルニア大学教授)は、論文「道徳的相対主義」に書いています。哲学書を何百冊読んでもわからないのです。
『なぜ生きる』43、44ページ
●人生の目的に渇き切った心は、泥水でもすする
 平成7年の地下鉄サリン事件は、5000人以上の被害者を出しています。オウム信者の中には「自分の存在意義に、正面から答えてくれたのは教祖麻原だけだった」と漏らした青年もいました。人生の目的に渇き切った心は、泥水でもすすらずにいられなかったのでしょう。  卒業生が未曽有の無差別殺人をはかったことに、最高学府に籍をおく教授がどう責任を感じているのか、講義に筆者は耳をそばだてていました。ところがどの教官も、いつもと変わらぬ授業をつづけていたのです。一人だけ、「どうしてあんな教祖についていったのかな。見るからに汚らしいのに」と最高に低レベルなコメントをしましたが、これが知識人の実態か、とガッカリさせられました。こんな現状に、科学がどれだけ進歩しても、占いはなくならず、迷信邪教がはびこる理由の一端を見る重いがします。  本当に尊い命と知らされるのは、いつのことなのでしょうか。
『なぜ生きる』46、47ページ
 たしかに世の中、便利になったが、「ああ、幸せだ」という実感がわかないのは、なぜだろうか。欲しいものを次から次へと獲得しているが、際限なくひろがる欲望に、どこまで走っても満たされず、渇しているといえよう。  日本をはじめ先進国で自殺者が増加し、異常な犯罪や悲惨な事故が多発している。新潟での9年間の少女監禁などは、犯罪史上、例を見ない凶悪事件だ。28歳男の殴打やスタンガンによる暴力にも、悲鳴さえゆるされなかった9歳の少女は、自分の腕や毛布にかみついて耐えたという。  平成12年は、少年の暴走も加速した。主婦を殺害した少年は、「人を殺す経験がしたかった」とうそぶいた。それを聞いて、「先を越された」とくやしがった17歳の少年は、バスを乗っ取り1人を惨殺、5人に重軽傷を負わせ、長時間乗客を恐怖にたたき込みながら、「何か悪いことでもやったというのか」と供述したという。15歳の男子生徒が、友人一家の皆殺しを計画し、サバイバルナイフで3人を刺殺、残り3人にも重傷を負わせた、と聞くにいたっては言葉をのむよりほかはない。
『なぜ生きる』110、111ページ
「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに、大人たちはギクリとたじろいだ。大人も子供も不幸なのは、生きるよろこびを感じられないところにある。 「人生には意味があるのか」 「苦しくとも生きる価値があるのか」  人類は、混迷の度を深めている。  そんな中、“なんと生きるとは素晴らしいことなのか……”親鸞聖人は、高らかに叫びあげられる。こんな生命の尊厳さを知れは、臓器移植してまでなぜ生きるのか、なぜ自殺してはならぬのか、なぜ人命は地球より重いのか、人間存在の疑団が氷解し、諸問題の解決に、たくましく前進できるのではなかろうか。 (中略)  真の人生の目的を知ったとき、一切の悩みも苦しみも意味を持ち、それに向かって生きるとき、すべての努力は報われるということだ。
『なぜ生きる』364、365ページ
家出や非行の対応で、いちばん大切なこと
 もちろん、悪いことを悪いと知らせることは大切ですが、それは、子どももたいていは知っています。知っていて、それでもやる子に、どう言えばいいのでしょうか。
 実は、非行に走る子の心の底には、2つの心が必ずある、と思っています。それは、怒りと、自己評価の低さです。
 怒りは、周囲の人から攻撃を受けた、被害体験が元になっています。 親からの虐待や、暴力、体罰、否定、放任。 兄や姉からの暴力。 学校の先生からの否定や体罰。 友達のいじめ。 そういうことをされると、人間は当然、腹が立ちます。それが怒りです。  しかし、子どもは怒りだけでは、まだ非行に走りません。怒りをバネにして、がんばる、ということもあります。あるいは非行に走っても、それほどエスカレートせずに、いずれ戻ってきます。
 怒りに、自己評価の低さが加わったとき、子どもは、非行にどんどん深入りします。
 要するに、「自分がそういうことをされるのは、自分に価値がないからなんだ」「自分はいらない人間なんだ」「人間のクズ」「どうせ自分なんか……」、そう思ったとき、人間は、捨て鉢になり、世の中のルールに反逆を試みます。  自分をおとしめることで、自分に対して暴力を働いた人に、復讐を試みます。
 現実には、こんなことをしても復讐にはならないし、たとえなったとしても、そんなことのために、自分の人生がどうなってもいい、というのは、決して賛成できません。  しかし、本人の気持ちはこうなのです。
 ですから、逆に言えば、この2つの気持ち、「怒り」と「自己評価の低さ」を解消すれば、子どもは立ち直るきっかけを得る、といえます。
 怒りに対しては、いちばん有効なのは、本人に被害を与えた人自身の直接の謝罪です。
 自己評価の低さに対しては、家族が、あなたは大切な人だよ、必要な人なんだよ、ということを、いかに言動で伝えていくか、ということです。

 一生懸命、ごちそうを作って食べさせる、という方法は、「あなたは、どんなことをやろうとも、やっぱり、大切な家族だよ。この家には、必要な人間なんだよ」ということを伝える、大きなメッセージになります。  それが伝われば、子どもも自然と、「こんな自分でも、見放さないで大切にしてくれる家族を、裏切ってはいけない」と思うようになります。
 子どもを非行や犯罪から最後に守るのは、ルールやしつけではなく、親から大切にしてもらったことから、自然と出てくる、「この親を裏切れない」という心です。

明橋大二・伊藤健太郎・高森顕徹 ~ なぜ生きる

【2010.09.02 追記】 これを書いていたときは知りませんでしたが、紹介している本の著者・監修者について、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。 ・明橋大二医師と親鸞会高森顕徹著「光に向かって100の花束」は大沼法龍の著作のパクリです: さよなら親鸞会 (注)「親鸞会」とは、この本の監修者が会長をつとめる団体です。
『子育てハッピーアドバイス』シリーズで有名な精神科医・明橋大二さんと、哲学者(と巻末にはありますが詳細は不明)の伊藤健太郎さんとの共著です。監修者の高森顕徹さんは、浄土真宗親鸞会会長というよりは『光に向かって』シリーズの著者として知られていますね。医者と哲学者、仏教者という“異色のコラボ”ですが、この三方をつなぐテーマが“なぜ生きる”です。確かに、これは生きている人になら皆に共通するテーマかと思われます。そういう意味で、全ての人にお薦めの1冊です。
 そしてこの『なぜ生きる』の英訳本が『YOU WERE BORN FOR A REASON – The Real Purpose of Lifeなのですが、普通に考ると『WHY DO WE LIVE?』としたくなるところをこのように訳されているあたりは、原書の内容を端的に表しており、題名だけで引き付けられます。翻訳者は同志社女子大学の Juliet W. CARPENTER 教授で、その監修者・Edward G. Seidensticker さんは、『雪国』『伊豆の踊り子』なども手がけられた方です。川端康成ノーベル文学賞に輝いたのも、サイデンステッカー氏の貢献が大きいとも言われます。
「なぜ生きる?」と問われて、違和感を感じる人も少なくないかもしれません。「そんなこと考えなくても生きてゆけるよ」あるいは「人から教えられるものではなく、各自で見つけるものだ」と思っている人も多いでしょう。私は後者でした。ではその考えで本当に後悔のない人生となるのか?本書で詳しく考察されています。
 2部構成になっており、第一部では“直面する問題点を中心に、文学者や思想家の人生論を掘り下げてみた”とあるように、様々な文献が引用されているのが面白いです。5、6挙げただけでもニーチェ、村上春樹、江藤淳、宮台真司、建設物価調査会会計検査資料、『女性セブン』……など、多岐にわたっています。B’z宇多田ヒカルの言葉もありますので、ファンの方はチェックしてみらては如何でしょうか(ちなみに英訳版では宇多田ヒカルではなくマイケル・ジョーダンになっています)。  第二部は、親鸞聖人の言葉を通し、「なぜ生きる」の答えが明らかにされています。有名な『歎異鈔』を読もうとされている方は、こちらを先に読まれた方が、理解しやすくなるのではないかと思います。
 何しろ大きなテーマを扱っているので理解不足のところも多いですが、“人生の目的”と言われる程のことです。人生かけて取り組むべき問題なのでしょうね、きっと。繰り返し読んでみたい本だと思いました。ポイントは“なぜ生きる”と“どう生きる”、“人生の目的”と“生きる手段”の違いを明らかに知る、ということでしょうか?

なぜ生きる:高森顕徹/明橋大二・伊藤健太郎(1万年堂出版)



(関連) 「建築に夢をみた」 ラーニングハイの男 生活ノート お気楽奥さん 集まれ! 人生漫遊記 『なぜ生きる』 YOU WERE BORN FOR A REASON

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