★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2010年02月08日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年12月02日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
著作権の勉強 φ(。。 )ミ
ライヴ動画を YouTube にアップして、
著作権侵害の報告を受けて
アカウントを停止されてしまったのは
前に書いたとおり。
(下に「追記」あり)
そこで
著作権に関する常識/非常識をチェック
してみました。
あ、これの出典は
中村俊介(監修)、植村元雄(著)の
「どこまでOK?」迷ったときのネット著作権ハンドブック
です。これを書かないと、
また著作権侵害で訴えられそうなので(^^;ゞ
ちなみに、
自分の考えや主張を裏付けたり、
補足するために「引用」することは許されており、
その際に出典を明記し、
引用だという事がハッキリ分かるようにしておれば
大丈夫だと詳しい人に教えてもらいました。
そして、
あくまでも、「本文=主、引用=従」で、
99%が引用、というのはダメだそうです。
自分の言葉として何か書かないと。
では、第1章の
「あなたの著作権に関する常識/非常識をチェック」より。
(続きを読む…)
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2009年08月14日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
ドストエフスキー / 死の家の記録
久々の(ような気がする)読書感想文。
『死の家の記録』というタイトルから
連想されるイメージと、
ペトラシェフスキー事件で逮捕されて、
シベリア(オムスク)に4年間抑留された体験記、
ということから、
どんなにか過酷な労働状況が書かれているのか、
と思っていましたが、
意外と淡々とした、第三者的な記述に貫かれた人間観察日記でした。
中には、不衛生な病院の実態の描写は生々しいものがありましたが、
それ以外は、娑婆の世界とさほど変わらないと思いました。
(娑婆とは本来「堪忍土(堪忍しつつ生きる世界)」という意味だそうです)
巻末の解説にもありましたが、
ここでの人達が、後の『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のモデルになったのだろう、
と想像させされます。
名誉や自尊の強い囚人が、何百、何千の笞(鞭:むち)打ちの刑に耐えるとか、
上官の目を盗んで酒やタバコ、博奕(博打:ばくち)を楽しんだり、
自分の過去物語を自慢げに語りあい、
言い争いが起きたり、友情や信頼関係が生まれるなど、
血の通った、生身の人間的なものを感じました。
そして、
冷酷なシベリアの地にあって、囚人たちの苦しみは、
肉体的な労働の厳しさにあるのかと思いきや、
そうでないことが知らされます。
生きる希望を剥奪され、 無目的な労働を強制的に課せられる事。
これは、囚人であろうがなかろうか、
人間なら共通に感じる苦痛だと思います。
そして、なぜ生きるかを知らず、生きるために生きている人生ならば、
どんな人であっても、意味の無い行為を余儀なくされている人と変わりが無いのでは、とも。
また、囚人たちの望むところは、共通して「自由」ではありますが、
完全なる自由を謳歌している人が世間にいるかといえば、
皆何かしらの不自由を感じている訳で、
本当の自由とは、仏教で説かれている「無碍の一道」であり、
それこそが人生の目的と言えるのだと思いました。
以下、長くなりますが、なるほど、と感銘を受けた箇所です。
最後の場面は、『歎異抄』第9章の
「苦悩の旧里はすてがたく、安養の浄土は恋しからず」
が思い出される、人間の心理ですね。 (続きを読む…)
『死の家の記録』というタイトルから
連想されるイメージと、
ペトラシェフスキー事件で逮捕されて、
シベリア(オムスク)に4年間抑留された体験記、
ということから、
どんなにか過酷な労働状況が書かれているのか、
と思っていましたが、
意外と淡々とした、第三者的な記述に貫かれた人間観察日記でした。
中には、不衛生な病院の実態の描写は生々しいものがありましたが、
それ以外は、娑婆の世界とさほど変わらないと思いました。
(娑婆とは本来「堪忍土(堪忍しつつ生きる世界)」という意味だそうです)
巻末の解説にもありましたが、
ここでの人達が、後の『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のモデルになったのだろう、
と想像させされます。
名誉や自尊の強い囚人が、何百、何千の笞(鞭:むち)打ちの刑に耐えるとか、
上官の目を盗んで酒やタバコ、博奕(博打:ばくち)を楽しんだり、
自分の過去物語を自慢げに語りあい、
言い争いが起きたり、友情や信頼関係が生まれるなど、
血の通った、生身の人間的なものを感じました。
そして、
冷酷なシベリアの地にあって、囚人たちの苦しみは、
肉体的な労働の厳しさにあるのかと思いきや、
そうでないことが知らされます。
生きる希望を剥奪され、 無目的な労働を強制的に課せられる事。
これは、囚人であろうがなかろうか、
人間なら共通に感じる苦痛だと思います。
そして、なぜ生きるかを知らず、生きるために生きている人生ならば、
どんな人であっても、意味の無い行為を余儀なくされている人と変わりが無いのでは、とも。
また、囚人たちの望むところは、共通して「自由」ではありますが、
完全なる自由を謳歌している人が世間にいるかといえば、
皆何かしらの不自由を感じている訳で、
本当の自由とは、仏教で説かれている「無碍の一道」であり、
それこそが人生の目的と言えるのだと思いました。
以下、長くなりますが、なるほど、と感銘を受けた箇所です。
最後の場面は、『歎異抄』第9章の
「苦悩の旧里はすてがたく、安養の浄土は恋しからず」
が思い出される、人間の心理ですね。 (続きを読む…)




