【自戒】身を滅ぼす慢心

最近読んだ小話の中から、心に残ったものを下に引用してみました。

というのも、、、申し訳ないですが、知人で反面教師となる人がいまして(ー“”ー )


う ぬ ぼ れ


「自信」とは違って「自惚れ」とは醜いものですが、自覚のないところが恐ろしいと思います。「自惚れていない」という自惚れ。他人の姿をみると比較的分かりやすいのですが、自分の姿というのは分からないものです。

「有頂天から始まる地獄」とも言われるように、好調な時こそが危ないです。浮かれずに、気を引き締めねばならないと思います。そう思っていても、自惚れの罠からは抜け難いです。調子悪くても、きっと自惚れているに違いありません。

108の煩悩の中に「慢」というのがあり、我々は一生涯、自惚れから離れ切れないと教えられます。

諌めの言葉や批判、あるいは悪意ある誹謗・中傷であったとしても、受け止め方次第で、それは自己を成長させる尊いご縁となり得るのでしょう。難しいことですが、そういう度量の広さを身につけたいたいものです。それに関する文章が2番目の引用。




何故こんな気持ちになったかというと、上にも書きましたが、反面教師がいるんです。あ、ブログ友達やマイミクさんではありません。



なんて、他人事のように思ってはいけませんね。私のことです。すみません(ノ。ー)


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美しき日本(10) / 続・六本木ヒルズ(毛利庭園)

美しき日本(8) / 六本木ヒルズ(毛利庭園)」の追加です。 最近、六本木ヒルズがお気に入りです。特に、毛利庭園。
明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
(親鸞聖人)
の詠ではありませんが、 散りゆく桜の命のはかなさを感じつつ、 ほぼ毎夜、訪れてしまいました。 この毛利庭園とはどのようなものかというと、
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●ごあいさつ

毛利庭園

 六本木ヒルズの緑のシンボルとして、「空」と「緑」を感じられる日本庭園を作庭いたしました。この庭園では、古くからの地形を活かして池や流れを造るほか、クスノキ・サクラなど9本の既存樹木を残して、春はサクラ、秋はモミジと季節の変化を楽しめる回遊式庭園としました。 この庭園が、これからも開かれた庭園として、多くのみなさまに親しまれ愛されることを願っています。
平成15年4月 六本木六丁目地区市街地再開発組合

MOHRI GARDEN

The Japanese garden with an atmosphere of sky and green was created as a symbol of green at Roppongi Hills. In the course of landscaping, old land features were utilized to create the pond and water flow. Nine existing trees such as camphor tree and cherry tree have been preserved, which contributed to the birth of a so-called "stolling garden" with seasonal changes in the scenery like cherry blossoms in spring and maple leaves in autumn. We are wishing that this garden serves as an exhibited garden which is loved by many people.
April, 2003 Roppongi 6-chome Redevelopment Association
ということですから、桜が散った後も、四季折々の変化が楽しめそうですね。 植えられている木は、
<保存樹木>
クスノキ エノキ ソメイヨシノ イチョウ(堀内移植)
<主要な樹木>
高木:   ヤマモミジ   カエデカヤ   サクラ(シダレヨウコウ) 低木:   ツツジツゲアセビ   (ドウダンサツキヒラド他) 地被:   シャガセキショウ
花の名前を覚えるのは苦手ですが、、、(^^; 歴史的には、
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東京都指定旧跡

毛利甲斐守邸跡(もうりかいのかみていあと)

所在地 港区六本木六丁目九番 指定 昭和十八年三月十六日

 この地は、吉良邸討入りに加わった元赤穂藩士四十七人のうちの十人が預けられた長門長府藩毛利家麻布日ヶ窪(ながとちょうふはんもうりけあざぶひがくぼ)上屋敷の一部である。中国地方の戦国大名毛利元就の孫にあたる秀元(ひでもと)を初代とする毛利家は、現在の山口県下関市に藩庁を置いた外様大名(三万六千二百石)である。赤穂事件当時の三代藩主毛利綱元(つなもと:一六五〇~一七〇九)は、五十六年間の在任中に家臣団の整備や財政の建て直しを図り、藩政を確立させるとともに、歌集『七石集(しちせきしゅう)』を著すなど、和漢の学に長じた名君として知られている。  元禄十五年(一七〇二)十二月十五日、藩主毛利綱元は、家老田代(たしろ)要人を請取人(うけとりにん)として江戸詰藩士(えどつめはんし)三百余人を大目付仙石伯耆守邸(せんごくほうきのかみてい:現在の港区虎ノ門二丁目八)に遣わした。岡島八十右衛門常樹(おかじまやそうえもんつねき)、吉田沢右守衛兼貞(よしだざわうえもんかねさだ)、竹林唯七隆重(たけばやしただしちたかしげ)、倉橋伝助武幸(くらはしでんすけたかゆき)、間新六光風(はざましんろくみつかぜ)、村松喜兵衛秀直(むらまつきひょうえひでなが)、杉野十平次次房(すぎのじゅうへいじつぐふさ)、勝田新左衛門武尭(かつたしんざえもんたけたか)、前原伊助宗房(まえばらいすけむねふさ)、小野寺幸右衛門秀富(おのでらこうえもんひでとみ)の十人の日ヶ窪の江戸屋敷に収容された。  元禄十六年(一七〇三)二月四日、幕府の裁きにより十人は、使番斉藤次左衛門利常(つかいばんさいとうじざえもんとしつね:千七百石)、目付鈴木次郎左衛門福一(めつけすずきじろうざえもんよしかづ:五百石)の立会いのもとに、この屋敷で武士の本懐を遂げた。このとき、本藩である長州(萩)藩からも藩士が派遣されており、長府毛利家は、本来の保護を受ける立場であり、義士預りに慎重を期したことが伺える。
という説明文がありました。 歴史も苦手です(^^; 以下写真は、前回夜桜でしたので、昼間の風景を。 (続きを読む…)

Filed under: ★芸術雑感  タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , ,   charlie432 07:00  Comments (0)
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