梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (7)[四十八願の分類]

梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (6)[親鸞一人がため(2)]の続きです。

十一、四十八願の分類

法蔵菩薩の誓願(別願)とはどのようなものですか。

『無量寿経』(『大無量寿経』・『大経』)には、法蔵菩薩が切に願われている事柄を48種の誓願として説き示されていますから、法蔵菩薩(阿弥陀仏)の四十八願と呼ばれています。
 その一願一願は、「設我得仏(たとえわれ仏を得たらんに)」という言葉で始まり、「若不爾者、不取正覚(もししからずは、正覚を取らじ)」という言葉で終わっています。「たとえ私が仏陀になり得たとしても、このような事柄を実現できないようならば、私は仏陀にはなりません」と誓われているわけです。これによってその一願一願が仏陀としての「いのち」をかけた願いであるということがわかります。
 したがって「仏陀とは、どのような方ですか」と問われたら、「この四十八願を実現されている方を仏陀という」と答えればいいわけです。その意味で『大無量寿経』とは、仏陀の特性を四十八願として説き顕わされた経典であるということができましょう。そしてまた、衆生の救済に関する一切の事柄は、法蔵菩薩の本願によって成就し、阿弥陀如来の本願力によって私どもに与えられることを表しています。



その四十八の内容を簡単に説明してください。

内容は、実際に読んでいただかなければわかりませんが、あらかじめ、どのような事柄が誓われているかということを知っておくと便利でしょう。それについて、たとえば中国の隋代の高僧、浄影寺の慧遠大師(523~592)は、「このような仏陀としての徳を完成したいという願(摂法身(しょうほっしん)の願)」と「このような浄土を建立したいという願(摂浄土(しょうじょうど)の願)」と、「このような利益(りやく)を与えて衆生を救いたいという願(摂衆生(しょうしゅじょう)の願)」の三種類に分類できると言われています。
 また少し遅れて新羅に出られたきょう憬興(きょうごう)大師(7世紀)も、「仏身の完成を求める願」と、「仏土の完成を求める願」と、「衆生を利益する願」とに分類できると言われています。名称は変わりますが内容は同じように三種に分類されています。
 しかし、その「衆生を救いたいという願」の内容を分けますと、衆生が浄土へ往生することのできる因(種)となる行(ぎょう)と信(しん)について説かれた願と、それによって得る利益(此の土で得る利益と、浄土で得る利益)を示された願とに分けることができましょう。ですから四十八願の内容を大きく分けると、「仏身の完成を誓われた願」と、「浄土の完成を誓われた願」と、「往生の因を誓われた願」と「往生者の得る利益を誓われた願」という四種に分類することができましょう。

(「【二】阿弥陀仏の本願」より)



(つづく)




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梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (4)[浄土往生の道を選択する]

梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (3)[浄土建立の誓願]の続きです。

八、浄土往生の道を選択する



(中略)

選択とは、どういうことですか。

物事を取捨することで、粗悪なものを選び捨てて、仏心にかなった善妙なものだけを選び取ることです。もともと「選択」という言葉は、『大無量寿経』の異訳である『大阿弥陀経』に、法蔵菩薩が、諸仏の国の中で、粗悪な部分を選び捨て、善妙な事柄だけを選び取って、あらゆる諸仏の世界に超え勝れた浄土を建てられたことを意味していました。その言葉を用いて、諸仏がなし得なかった一切の衆生を善悪・賢愚の隔てなく、平等に救うことのできる称名念仏の一行を、往生の行と選び定められたことを選択という言葉で表わされたのは法然聖人でした。

往生の行として称名念仏を選択されたわけをもう少し詳しく述べてください。

もし自力の行を往生の行と定めたならば、人によって勝れた行者と劣った行者が出て、必ずその行徳の高下に応じて、千差万別の浄土が表われてきます。それだけではなく、私にはそれを実行できないといって落ちこぼれ、救いから漏れていく人が必ず現われてきます。それでは苦しみ悩んでいる一切の衆生を平等に救って、最高のさとりを完成させてやりたいと願われた法蔵菩薩の「平等の大悲心」を満たすことはできません。
 それに引き替え、称名はどんな愚かな者であれ、臨終の病人のような無力な者であっても称えることができるし、たとえ口に称えることができなくても、心の中で南無阿弥陀仏と念ずれば念仏したことになる究極の他力易行ですから、一人ももれなく受け容れることができます。また南無阿弥陀仏という名号には阿弥陀仏の徳のすべてがこもっていて、人びとを往生成仏させる因になるという最も勝れた徳をもっています。それゆえ称える者は煩悩具足の凡夫であっても、阿弥陀仏のさとりの領域である真実の報土に往生し、成仏することができます。
 こうして、阿弥陀仏は平等の大悲心にかなわない一切の自力の行を選び捨てて、最勝であってしかも至易の行である念仏一行を、一切衆生の往生の行として選び定められたことを、法然聖人は、とくに「選択本願の念仏」という言葉で表わされたのでした。

(「【二】阿弥陀仏の本願」より)



(つづく)




二双四重の教判

二双四重の教判: 飛雲」を読んで。

「ウソも方便」と言われることから、「方便=ウソ」と思われがちですが、方便とは真実に近づけるのに必要なもの。なんですが、全ての人に同じ様に絶対に必要なものではなく、結局は不要であり、捨てねばならないことがよく分かりました。
権仮方便とは、それが権仮方便と判らず真実と思っている人には権仮方便として必要なのであって、権仮方便が権仮方便と判っている人には不要なのです。法然上人は後者の立場で仰ったに過ぎませんが、そのために激しい非難があったので親鸞聖人は前者を説明されたのです。

この基本的なことを踏まえれば、親鸞聖人の教えは実に簡単なのです。法然上人も親鸞聖人も蓮如上人も、竪超・竪出・横出という回り道をするな、横超の直道だけだ、としか仰っていません。



出されている根拠は難しく感じられますが、非常に分かりやすい説明なので、これから仏教を学ぼうとする人にはオススメかもしれません。

二双四重とは
親鸞聖人が仏教全体と18願との関係について体系的に教えられた
もので、「18願」とは有名な「阿弥陀仏の四十八願」の中の18番目の本願です。

二双四重の教判を親鸞聖人のお言葉を列記してまとめると以下のようになります。
竪超(頓教)
大乗真実の教
難行聖道の実教、仏心・真言・法華・華厳等の教
即身是仏・即身成仏等の証果
竪出(漸教)
大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教
聖道権教、法相等、歴劫修行の教
聖道、歴劫修行の証
横超(頓教)
願成就一実円満の真教、真宗
易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等
選択本願・真実報土・即得往生
横出(漸教)
三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善
浄土の要門、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教
浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生
親鸞聖人は、このように仏教全体を4つに分けられて、法然上人が仰ったのは、真教・真宗の横超(18願)のことであると明らかにされたのです。もちろん膨大な根拠を挙げられた上で、法然上人の教えの正しさを証明されているのです。
更には、竪超・竪出・横出は、横超へ導くための権仮方便と見做されているのです。

何度も何度も言っていますが、権仮方便とは、それが権仮方便と判らず真実と思っている人には権仮方便として必要なのであって、権仮方便が権仮方便と判っている人には不要なのです。法然上人は後者の立場で仰ったに過ぎませんが、そのために激しい非難があったので親鸞聖人は前者を説明されたのです。

この基本的なことを踏まえれば、親鸞聖人の教えは実に簡単なのです。法然上人も親鸞聖人も蓮如上人も、竪超・竪出・横出という回り道をするな、横超の直道だけだ、としか仰っていません。
ですから、法然上人も親鸞聖人も蓮如上人も、竪超・竪出・横出を勧められたお言葉は、1つもないのです。

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