東北関東大震災の起きた11日夜、都内で帰宅難民がたくさん出た日は、会社に泊まり作業をしていました。テレビはなかったのですが、ネットがつながるのでUSTREAMでNHKとTBSを見ながら。頻繁に発せられる「地震が来ます!」の警告と、乗り物酔いのような余震の揺れは、まるで映画で見た戦時中の空襲警報を思い起こさせました。
そして、15~16日にかけて。この日も夜、会社に残って仕事をしていたのですが、福島原発からは朝から放射線物質の放出の報道。続いて夜は静岡県東部で震度6強の地震。千代田区でも大きく揺れました。ガタガタ、ミシミシという音は、揺れの大小にかかわらず、恐怖心に鋭く突き刺さります。
地震、津波、放射能と、今まで経験したことのない規模の災害、事故が重なり、この先どうなってしまうのだろうかという不安はまだまだ続きそうです。
ただ、落ち着いて考えてみれば、この非常事態は切迫した緊急事態ではあるけれど、実はいつもと違う非常事態にすぎないのであり、死の縁無量であることは今までも、今も、これからも変わらないことに気づかされます。
一切衆生のありさま過去の業因まちまちなり。また死の縁無量なり、病におかされて死する者もあり、剣にあたり死する者もあり、水に溺れて死する者もあり、火に焼けて死する者あり、乃至、寝死する者もあり、酒狂して死するたぐひあり、これみな先世の業因なり。更にのがるべきにあらず
明日地震が来なくても、今日、病気で自分が死ぬかもしれない。放射線を浴びずとも、車にはねられて死ぬかも知れない。平和そうな街にいても、突然通り魔に襲われ、刺されるかもしれない。
そう考えると、今回の件だけが特別なことではなく、むしろ、今まで無事に生きて来れたことのほうが不思議なのかもしれません。否、生きてきた、というより、生かされてきた、という表現の方が適切な気がします。
停電や電車の運休を通し、これまで如何に電気の恩恵を受けてきたか痛切に知らされました。電力会社にも批判されるべき点はあるでしょうが、それ以上に、生命の危機と隣り合わせの電力供給に従事される作業員には頭が下がります(ヤ●ザまがいの記者にはもっと建設的な質問をしてほしい、、、ということはここでは置いといて)。
着るものにしても、一本の繊維も織ったこともなければ、編んだこともありません。出来上がったものを着ているだけです。
食べ物に至っては、これまで何千、何万、何億もの命を奪っておりながら、この手を血に染めたことは一滴もありまs、、、あ、小学校のとき魚釣りをしたことがありました。まあそれは別としても、コンビニでおにぎりが買えるのは、決して当たり前のことではありませんでした。
衣食住どれをとっても、犠牲と支えの上に成り立っているのが「生きる」ということであり、自分の知らないところでどれだけの生命が辛い思いをし、苦しんできたか分かりません。
このように、今まで受けてきたご恩を振り返ってみると、厳しい状況にありながら、ふと心安らぐ思いになります。腹の立つとき、不安なときも有難い気持ちになります。「恩」という字は原「因」を知る「心」と書きますが、これは、「なぜ自分はこんなに恵まれているのか」という問いにつながるからでしょうか。
多くの人との関わりで生かされてきた以上、自分自身を粗末にするのは申し訳のないことであり、困っている人がいたら、少しでも役に立てることができれば、と思わずにおれません。
悲しいことに、この世は諸行無常の響きあり。『
歎異抄』にもある通り、火のついた家のように危うい世界を目の当たりにさせられました。
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのことみなもてそらごとたわ言、まことある事なきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。『歎異抄』
辛い現実ですが、儚く、弱く、罪深く、ウソ、偽りの我々が、無常の世の中で何を拠りどころとすればよいのか、改めて見つめなおす縁となれば、今回の悲劇は決して天罰ではなく、多くの人の心が一つになるきっかけになるのではないかと思っています。
最後に、「ただまこと」と言われる親鸞聖人のお心について、知人より味わい深い文章を紹介してもらいましたので引用させていただきます。
お母さんの"さん"
本願寺新報 2010(平成22)年6月1日号掲載
北嶋 文雄(きたじま ぶんゆう)(福岡・光蓮寺衆徒)
☆親心のはたらく証拠
親の名告(なの)りは、実に味わい深いものです。
というのも、母親は子どもに「おかあさんよ」と名告りますが、「おかあさん」の「さん」という言葉は、本来よぶ側が用意するものです。それを名告る側が用意したら、おかしなことになります。たとえば、「私は北嶋さんです」と名告ったら、おかしいのと同じです。
けれども、母親は「おかあさん」と名告ります。一体、「おかあさん」という名告りは何なのでしょうか。
それは、母親は最初から子どもの立場に立って、名告っているのです。
「さん」という言葉は、よぶ側の子どもが用意しなければなりません。でも、それができない子どもに先立って、「おかあさん」と名告っているのです。
つまり、その名告りには、「このように、よんでおくれ。私を頼っておくれ。いつでもどこでも一緒だよ」という親心があるのです。ですから親の名告りは、そのままが親心いっぱいのよびかけなのです。
そのよびかけを聞いて、子どもは安心します。その安心しているままが、親を頼っているすがたです。その頼っているすがたが、親心のはたらいている証拠です。実に、親を頼る心まで、親が与えてくれるのでした。
☆南無の心もご用意に
このように、「おかあさん」という名告りは、最初から子どものためであったのです。
ところで、南無阿弥陀仏というみ名は、最初から私たちのための名告りであったことを、親鸞聖人は「回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて」と示されました。
阿弥陀さまは、私たちに南無阿弥陀仏と名告られたのですが、南無は「おまかせします」という意味ですから、本来は私たちが南無の心を用意しなければなりません。
けれども、南無阿弥陀仏の南無は、阿弥陀さまがご用意くださっています。最初から私たちの立場に立って、名告られたのです。まかせる心を起こすことができない私たちのために、阿弥陀さまが先立って南無阿弥陀仏と名告られたのです。つまり、その名告りには、「このように、よんでおくれ。私にまかせておくれ。いつでもどこでも一緒だよ」というお慈悲があるのです。ですから南無阿弥陀仏は、そのままがお慈悲いっぱいのよびかけなのです。
そのよびかけを聞いて、安心します。その安心しているままが、阿弥陀さまにまかせているすがたです。そのまかせているすがたが、お慈悲のはたらいている証拠です。実に、まかせる心まで、阿弥陀さまが与えてくださるのでした。
このように、南無阿弥陀仏という名告りは、最初から私たちのためであったのです。
☆苦悩する者のために
阿弥陀さまは、私たちに南無阿弥陀仏とよびかけずにはおれませんでした。なぜなら、阿弥陀さまの眼に映った私たちが、「苦悩の有情(うじょう)」であったからです。心弱く、愚かに、涙しながらしか生きていくことのできない悲しい存在・・・それが阿弥陀さまがご覧になった私たちの姿でした。
誠に、涙しながらしか生きていけないのが、私たちです。「なぜ、自分だけがこんな目に遭わねばならないのか・・・」と、暗い気持ちになることもあります。「誰も私のことをわかってくれない・・・」と、愚痴をこぼすこともあります。「こんなはずじゃなかったのに・・・」と、悲嘆にくれることもあります。
それがどうにもならないことだとわかっていても、弱々しく涙を流しながら生きているのが、私たちの現実です。悲しみに沈む時、苦しみにあえぐ時、心の底は一人ぼっちです。誰も知ることはできません。
そういう中で、たったおひと方、この悲しみ苦しみの境界(きょうがい)をお知りになり、涙されたのが阿弥陀さまでした。そして、「悲しき者よ。どんな時も、あなたを見捨てない」と、南無阿弥陀仏とはたらきかけてくださっていました。
私たちの現実は、苦悩の現実です。しかし、今ここに阿弥陀さまがご一緒です。苦悩する涙の中で、お慈悲の深さが味わえてまいります。


