ロンドンの思い出(7) – 交通機関編

一つ前の投稿を書いていたら、昨年7月に行ったロンドンのことが思い出されてきたので、前々回の続きを書きます。



ヒースロー空港にて、分からないことだらけで戸惑いつつも、無事入国することができました。




しかし、「やれやれ」と思う間もなく次は予約していたホテルに行かなければなりません。
空港の到着予定が17:10だったので、余裕をもってホテルの人にはあらかじめメールで「20時には着くと思います。遅れる場合は連絡します」と言っていたのですが、時刻はすでに19時過ぎ。空港に2時間もいたことになります。

事前の準備をほとんどしていなかったので、ここで初めて宿泊地の位置を確認。手がかりは、

28 Fowler Road, Mitcham, London

という住所とホテル名のみ。早速 iPhone で調べてみると、、、

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西原祐治 / 脱常識のすすめ (3)

二つ前の投稿の続きです。
本当に豊かな世界とは、すべてが完ぺきで、都合の良い、マイナスのない世界ではなくて、弱さや不完全さをつつみ、不完全のままに調和のとれた世界である(中略)
 自分の愚かさが明らかになり、その愚かな私を受け入れていく人生観が与えられる。これが信仰の恵みなのでしょう。
人生万端、今が目的の中であり、今が報酬であることに開かれて生きる。すなわち感謝の生活ということです。
 「ありがとう」(今あること有り難し)という言葉の中に込められている豊かな心を、理屈や言葉でなく、日常生活の実践の中で、次の世代に伝えたいものです。
 私たちは科学と生活様式が発展することが、そのまま幸福への道だと思い違いをしているのではないでしょうか。戦争、公害、原子力、人類は科学技術が作り出した危機の中に生活しています。科学技術が悪いとは思いません。その科学技術の発達によって育まれる、人間の知性への驕りや過信、私はそこに危険さを感じます。
 人間の知性は信頼できない。釈尊は、私とは迷いの存在だと説かれました。そのことを熟慮して科学技術と接することが大切です。
経験の「経」は縦糸という意味ですが、経験とは長さではなくて、深さだという思いに至ります。宗教的経験とは、生死を貫く深さを持ち、人間の苦しみや悲しみを浄化してくれるものだと思っています。
 地獄。それは深い地の底にあると示されています。地の底という言葉から、光のない、幽閉された世界をイメージします。それは、希望のない、欲と怒りと愚かさでがんじ絡めになっている私の姿を描写しているようにも思われます。
 それに反し、仏の世界は光でイメージされます。仏さまに出遭うとは、光に出遭うことです。
(中略)
 私の本当の姿が明らかになる。そこに光の仏さまとの出遭いがあります。
 今日は親の命日だからと、お寺に行ってご法話を聞く。それをお供えとさせて頂く。あるいは今日一日、腹を立てない。それをお供えとする。仏さまは、私が少しでも豊かになることを喜びとする方です。だから金銭もよいが、そうした心や行いをお供えする。まさに志です。
 仏さまへのお供え。それはそのまま仏さまから私へのご利益でもあります。
 浄土真宗では、死は忌むべきものとしません。阿弥陀如来の慈しみに目覚めた者。その人の死は、私という小さな我執から離れ、阿弥陀如来の慈しみに同化する時です。慈しみにすべての人が摂取される。それを倶会一処と言います。(中略)
 人は悲しみに出会っている時の方が、より真実が見えます。
 子どもの頃の私には、常に親の慈しみがありました。今、大人である私の背後にも、この私をかけがえのない存在であると見護って下さる仏さまの存在があります。その仏さまの慈眼の中にる私を思う。それは大きないのちの中にある私の発見でもあります。
阿弥陀如来の無条件の救いに帰依する。それは、無条件でなければ救われないような闇を持っている。それが私の真実の姿であることを受け入れることでもあります。
尊い心、大切にしたい心、未来に伝えたい心とは何か。仏像はそうした豊かな心を姿・形で表現しているのです。お寺の宝物といえば、その姿・形を通して表現しようとしている心が、大切な大切な宝物なのです。
 私は人間の可能性には二つの方向があると思っています。
 一つは自己拡大です。一より二、二より三と拡大していきます。スポーツや学問、社会的地位などはこれです。意識の上でいえば、自己主張であり、はつらつとした私らしさの発揮です。
 もう一面は、逆に、自分を小さくしていく方向です。自己主張をせず、自分を限りなくゼロに近づけていく。書道や華道などの道の文化が目指しているものです。意識の上でいえば、謙虚さであり、つつましさの実践です。
 仏教は主として後者を説いています。空や無我など自分を「ゼロ」にしようとする教えです。
(中略)
 私たちがあたりまえに過している一日に対して、ジャンボ宝くじに当ったような感動をもつことができる。これが心の可能性です。またゼロの視点により開かれていく世界です。
 私の帰依する浄土真宗という仏教は「他力本願」の宗旨です。他力とは、阿弥陀如来のことであり、阿弥陀如来の願いに目覚めて生きる教えです。阿弥陀如来の願いに目覚めるとは、大いなるいのちの中にある私の発見でもあります。
 そうした宗教的なレベルでなくとも、他なるものから願われて今の私があることは事実です。(中略)
 感謝は大きな願いの中にある私の自覚でもあります。将来への願い、今への感謝。共に、願いとの出合いであり、この願いを象徴したのが仏さまなのです。
Wさんは、六十歳になる目のご不自由な方です。宴席の間、色々な話を聞かせていただいたのですが、私はWさんに「目が見えたら何が見たいですか」と尋ねてみました。するとWさんは「人に親切をしてあげたい」と言われます。その意外な答えの内容は、目が見えないと、色々な人から親切を受ける。その時、親切をされた嬉しさから、自分も目が見えたら、人に同じ様な親切をしてあげたいと思うのだそうです。そんな日頃の思いがあり、目が見えたら人に親切をしてあげたいという言葉となったようです。
 私は、その時、私には見えている紅葉や景色や物などの目に映るものを予想していたのですが、Wさんには、形が見えないかわりに、目の見える私以上に、人の心や優しさが見えていたのです。眼が見えない人には眼が見えないなりに見えている世界があるということです。
 その時気づかされたことですが、私の問い自体が、私見える人、彼見えない人といったように、人を色づけして見ていたということです。
 人を評価することなく受け入れるには、まず自分は人を色づけして見ていることに気付くことから始まります。
 大地のような人、それは人を評価することなく見ていける人のことです。私はそうして人が育つ場がお寺だと思っています。
以前、ご主人ががんで六年間闘病生活を送っている奥さんにお会いしたことがあります。「六年の間に何か学んだことはありますか」と尋ねました。するとその方は、テーブルの上にあった少し水の入ったコップを指でさされました。そして「少しきざな言い方ですが、以前の私は、すべてがこのコップにこれしか入っていないという見方でした。しかし今は、これだけ入っていると見られるようになりました」と言われました。
 おそらく、六年間の闘病、ご主人の回復が見込めない状況、将来への不安など、自分を取りまくマイナスの状況の中で、以前だったらマイナスのことしか目に入らなかったことでしょう。
 しかし六年間の体験の中で、色々な友達に助けられたこと、またそんな友達を持っていること、ご主人と出会えたこと等々、苦しい状況の中にあって、なお輝きを失うことのない恵まれていることにも、まなざしが届くようになったことを、コップの水にたとえて言われたのでありましょう。コップにこれだけは入っているといわれるまなざしは、人と比べるという客観的なものではなく、「思える」という主観的なできごとです。
 私は、主観がすべてだとはいいませんが、この「思える」という主観的な世界をもっと意識的に大切にしていく必要があると思っています。








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西原祐治 / 脱常識のすすめ (2)

一つ前の投稿の続きです。
 人は欲望に励まされて生きているのですからお金に対する執着は当然です。しかしこの欲望には節度が必要です。欲望に節度の調和をもたらしてくれるのが文化であり、その究極が宗教です。おおかたの宗教は「感謝」と「懺悔」を大切にします。私たちの国では「ありがとう」と「恥ずかしい」という言葉で相続してきました。ところが現代はこの「恥ずかしい」という思いや感情が希薄です。
 がん患者のHさんから「安心して病気がしたい」と何度か聞いたことがあります。「かわいそうに」「お気の毒に」といった自分を取り巻く環境が、自分を憂うつにしたといいます。
 病気を患っても自分は自分だし、今という時は、二度繰り返すことはない。そんな自分が他人と比較され、劣った人であるかのように見られることがたまらなかったのでしょう。
 物や人に点数を付けない。すべての存在は、宇宙で唯一のものであり、永遠に繰り返すことはない。そういう視点を持って、日常生活を送りたいものです。
老人、病人、障害者、挫折したひとなど、評価ではなく、その人をありのままに受け入れる価値観が希薄です。
(中略)
 その救済活動は、救済活動の対象者を「他者に代わって時代の苦悩を背負っている文殊菩薩の化身」であるという人間理解から展開されたと聞きます。救済する者ももされる者も互いを尊重い合う。共に一つの豊かな理想に向かって歩むという営みです。
 人は失ったとき初めて本当のことが見えてきます。別れは、新しいものとの出合いの時でもあるのです。
 「葬式仏教」といわれ久しい時が経ちます。この言葉は、葬式という儀式にだけ終始している僧侶への批判から生まれた言葉でしょう。
 だからといって、私は、仏教者がもっと死より生に関わるべきだとは思いません。逆に、もっと死に関わるべきだと思っています。死の宣告を受けた人への関わり。死別の悲しみへの対応。自殺や死に関する相談や学習。お葬式も、別れの儀式の会場として、老病死を見つめる場として、仏様との出遭いの場として、まだまだ工夫の余地があります。
 人はめったにない恵みに出合った時、幸せを感じます。逆に、自分がめったにないほどの逆境にある時、ごく当たり前のことに感動します。めったにないことを追い求めるか、当たり前のことに感動できる自分を求めるか。日本は、めったにない新しいことばかりを追い求め過ぎてきたようです。
(中略)
本当のものは、追い求めるものではなく、静かに合掌する中に見えてくるものなのでしょう。
老人を大切にする。それは私の心を大切にすることです。優しさや慈しみは、弱い存在によって呼び起こされます。弱い、壊れそうな、小さな存在によって、優しさやいたわりの心が生まれていきます。また人に優しい社会も、社会的な弱者によって形作られていくのです。
 老人には痴呆症の人もいます。痴呆は決して不幸なことではありません。本当の不幸は、痴呆者を受け入れることのできない社会であり、人の心なのです。
 そして大切なことは、慈しみの心は、他人ばかりでなく、ありのままの自分を受け入れていく心なのです。老人によって慈しみの心が育てられ、その慈しみによって自分が救われていく。
 お年寄りを愛すること。それは私を愛することなのです。社会的な弱者は弱者のままで、大切な役割を持っているのです。
大切なものとは、「おかげさまで」という自分以外のものに対する感謝の心であり、自分を主張しないことに美徳を感じる精神風土です。
 自己主張をしないことに美徳を感じる。この日本的な強要は、決して消極的な生き方ではありません。むしろ万物の中に自分を見いだし、自分の中に万物を感じていくダイナミックな生き方です。
 死別という人生の岐路に遭遇し、生活は一変します。しかし生き方も一変する人は案外少ないようです。
 Aさんは生き方が変わったお一人です。六歳の愛児との死別。両親の目前での交通事故。
(中略)
 生き方が変わり、人生観が一変したといいます。ある日、「あの子は、何が大切かを教えに来てくれた仏様かもしれません」と言われました。その死を無駄にしない。それが亡き人への最高の思いやりです。
 私がこの世から息が切れる。その最後の一息まで、ご一緒してくださっている仏様。その仏様を実感し味わっていける人は最高の友を得た人だとお経にあります。
 相手の痛みを自分の痛みとして感じる。そうした感性は、仲間意識や同胞感の上に成立します。
(中略)
 仏教は個人のものです。しかし個人の利益を越えた、宇宙的な広がりのある意識を問題としています。我他彼此という閉ざされた枠組みを越えて、相手の痛みを自分の痛みとして感じる。これが仏さまの境地です。仏さまを大切にするとは、宇宙的に広がる仲間意識を大切にすることでもあるからです。
仏の愛は、自分と他人との区別を持ちません。求め合う必要がないのです。常に私の闇を照らす光として、私とともに歩み続けてくださいます。
 毎月、築地本願寺を会場として「がん患者・家族語らいの集い」を開催しています。この集いは、病気を治すこと、病気に打ち勝つことを目的とした集いではありません。治ること、打ち勝つことを目的とした会ばかりなら、死に直面し、死を死を受容した人の行く場がありません。病人や死は命の姿です。その命の姿を偽ることなく見つめ、その中で安らぎ、語らい、出会っていこうとする集いです。
 仏教では迷いの根本が分別にあると説きます。「分」も「別」もわけるということです。比較対照して優劣をつける思考パターンのことです。
子どもの純粋さは経験というフィルターを通さないことから来る新鮮さなのでしょう。「いのち毎日あたらしい」。当たり前のことですが、大切なことです。




Filed under: ★仏教  タグ: , , , , , , , , , , ,   charlie432 13:03  Comments (0)
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