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科学

【本】池谷裕二 / 単純な脳、複雑な「私」


脳の仕組みを通して、意識・無意識の世界、「私」や「心」について考えさせられる内容です。本自体に、パラパラ漫画がついていて、シミュレーション結果が分かる様になっていたり、特設サイトへのリンクが示されているので、確認しながら読み進めると、かなりおもしろいです。また、高校生を対象にした、対話形式の講義録なので、非常にわかり易く構成されているのも特徴です。

タイトルが示すとおり、脳内では、自然法則にしたがって、単純な物質の化学反応が起きているに過ぎないのですが、その挙動は実に複雑で、驚くべき能力を発揮していることが分かります。わずかな素子とルールだけで、無秩序から秩序へ、「オン」「オフ」の信号の集まりが、自由意志をもった生命体のような動きをする事が確認でき、崇高な気持ちにもさせられます。

しかも、「私」が認知できる範囲を超越した領域で脳は働いており、まるで「私」以外のどこかに脳というものがあって、それに操られている自分がいるような気になります。そしてさらに、その「私」の「心」は一体どこから来るのだろうか、と謎が深まる感覚がまた面白いです。

例えば意識と無意識の関係。私たちが意識している感覚がいかに当てにならないか、それに反して、無意識というものがどれ程優れた能力を持っているか、前半で具体例を挙げて説明されています。

つり橋の上で告白するとなぜ成功率が高まるのか?

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【なぜ生きる】人生で最も大切なこと(少し長文)


ある勉強会に参加した備忘録です。

長くてすみません(^^;ゞ

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蓮如上人のお言葉 / 仏法には世間の隙を闕きて聞くべし(『御一代記聞書』)


「仏法は聴聞に極まる」と言われますが、聞法の心がけについて、教えて頂いたことを以下にまとめます。

釈迦は『大無量寿経』に

設有大火 充満三千大千世界 要当過此 聞是経法 歓喜信楽 受持読誦 如説修行


設ひ大火有りて三千大千世界に充満せんに、要ず当に此を過ぎて是の経法を聞き、歓喜信楽し、受持読誦し、如説に修行すべし。

と説かれています。

これを受けて、親鸞聖人は、

たとい大千世界に
満てらん火をも過ぎゆきて
仏の御名を聞くひとは
ながく不退にかなうなり

(浄土和讃)

と仰っていますが、大宇宙が火の海になっても、その中をくぐりぬけて聞きなさい、と言われているお言葉です。

いかに真剣に聞かねばならないか、ということですが、蓮如上人はこう仰っています。

火の中を分けても法は聞くべきに 雨風雪はものの数かは

お釈迦様、親鸞聖人、蓮如上人、言葉は違っていても同じことを教えられています。他には考えられない聞法の真剣さです。

しかし、これではピンとこないので、蓮如上人はこうも教えられています。

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人生の目的は「無碍の一道」 / 『歎異抄』第七章

親鸞聖人報恩講に行ってきました。使用テキストは『なぜ生きる』

報恩講とは、毎年、親鸞聖人のご命日である11月28日前後に行われるもので、浄土真宗では、5月21日の聖人ご生誕を喜ぶ降誕会と並んで、大きな行事の一つです。

親鸞聖人がお生まれにならなかったら知ることの出来なかったことがあり、そのご恩に報いる集まりが報恩講です。聖人のご恩に報いるには、親鸞聖人の望んでおられたことを知らなければなりません。親鸞聖人は一生涯何を望んでおられたのか。『歎異抄』第七章を通して親鸞聖人のみ教えを学ばせて頂きました。

念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々。

(『歎異鈔』第七章)

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iPhoneに ゴキブリ入りて 罪観ず


iPhone にゴキブリが入り込みました!!

バグが見つかったんじゃなくて、虫のゴキブリです(*o*)

ゴキブリ嫌いな人は、以下、見ないほうが良いかも。

動画に撮ったのを下に貼りましたので。


























































自分も嫌い



というより苦手なんですけどね






















でも、好きだという人もいました Σ(・ω・ノ)ノ

その人は、萌え系のジョシコーセーです










































そろそろうざいですか?










「前のページに戻る」のは今のうちですよ~(*´∀`*)























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『歎異抄』勉強会@知人宅 2009.10.25


『歎異抄』の勉強会に行ってきました。

使用したテキストは、

高森顕徹 /『歎異抄をひらく』

備忘録の中から、一部をまとめてみました。



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The Spirit Carries On / 三世因果の道理

因果応報という言葉があります。悪い時に使われることが多いですが、良いも悪いも、原因に応じた結果を受ける、、、考えてみれば当たり前のことのようにも思われます。


ところで、


科学というのは、外界の事象を注意深く観察し、実験を繰り返して、計算、推論をし、普遍的な原因と結果の関係を追求する学問ということができると思います。


もちろん、科学では説明のできないことはたくさんあると思いますし、自分は科学万能主義者ではありません。


しかしそれは、原因不明ということがある、ということであって、それを、原因なく何かがおきた、と考えるのは、非科学的態度であり、感心できません。


つまり何が言いたいかというと、


原因なくして結果なし、原因が変わればそれに応じて結果も変わる、


「運命」という観点からさらにいえば、自分の受ける結果は自分が作り出したもの、


というのが真実ではないでしょうか。


仏教ではこれを

「善因善果 悪因悪果 自因自果」

と教えられます。時に、「他因自果ではないか」と思われる時もありますが、これについては長くなるので別の機会に。


で、私達が人間に生まれてきたというのは、一つの結果であります。蟻とか蜘蛛とか、蛙とかゴキブリとか、鼠ではなく、人間に生まれてきた、というのは素晴らしい結果だと思います。猫に生まれたかった、と思う人も多いかもしれませんが、猫になったら、それはそれで大変そうなので、ここは、人間に生まれてきて良かったということにしておきましょう。


同じ人間でも、日本ではなく、アメリカに生まれていたら、中国に生まれていたら、アフリカに生まれていたら、フィンランドに生まれていたら、セントビンセント及びグレナディーン諸島に生まれていたら、、、女(男)に生まれていたら、明治や大正に生まれてたら、、、と考えると、今とは全く違った生き方をしていたに違いないと思います。


モーツアルトやベートーヴェンのように生まれながらに才能に恵まれた人もあれば、そうでない人もいます。裕福な家庭に生まれる人もあれば、貧しい国に生まれる人もあります。1000人いたら、1000通りの生まれ方があります。


では、これら、賢愚・美醜・貴賎・貧富・男女などの差はどうして生ずるのか?

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王舎城の悲劇(2)

(1)の続きです。


善導大師が、韋提希を「実凡」と明らかにされた意義は、


どんな極悪人をも救済の対象とするのが仏教である、


というところにあり、


韋提希が権化の人であるならば、


厳しい修行を積んだ、限られた人しか助からない、


ということになってしまいます。




「お山の仏教を庶民のものにした」と評される親鸞聖人が、


善導大師を褒め讃えるのは納得のゆくところです。




ところが、その親鸞聖人が、


韋提希を「実凡」ではなく「権化」と見ておられるのは


一体どういうことか?




実は、善導大師の教えを踏まえた上で、


より真意を明らかにされるためだったそうです。

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とどろき / 平成21年3月号 – 日本人の大誤解 ~ 「死んだら仏」のウソ・ホント?!

早いもので4月になってしまいましたが、
3月号です(^^;ゞ
日本人の大誤解
「死んだら仏」

ウソ・ホント?!
という巻頭ですが、
多くの日本人は、亡くなった人を「仏」という、と思っていると思います。
そこに、次のような問題が出されます。

「『死んだら仏』は
 ウソではないが、ホントではない」

 一体どういうことでしょう。

そういえば、4月1日はエイプリル・フールでしたが、
「ウソではないがホントではない」ってホント???
まず、仏さまとは、死んだ人のことなのか、検証されます。

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モーツァルト / 交響曲第25、40番

「マルチェッロ 他 / オーボエ協奏曲」のところでも
チラッと書きましたが、
音楽を積極的に聴くきっかけとなったのは、
小学生の時に出会ったモーツァルトでした。
交響曲第40番がその曲です。
たぶん知らない人はいないのではないか
と思える第1楽章冒頭ですが、
演奏者によってかなり印象が変わりますよね。
自分が好きなのは、
アヒルの「刷り込み」現象ではありませんが、
初めて聴いたルドルフ・バルシャイ指揮によるモスクワ室内管弦楽団の演奏です。
と思って何気なく検索してみたら、ありました! これです!
世界大音楽全集
これ(→)が家にあったのですが、
小・中学生の時、これを何度も繰り返し聴いていました。
「河出書房 世界大音楽全集」
レコードに傷がついて、音が飛ぶこともあっても、
円周方向に溝を掘って針がぶれないようにし(^^;ゞ
何度も聴きました!
他にも
交響曲第41番『ジュピター』
ヴァイオリン協奏曲第5番
ピアノ協奏曲第13番の音源もあり、
ここから出発して、ひたすらモーツァルトを追求したのを思い出します。
40番の交響曲はCDを何枚か持っているのですが、
その中の1枚がブルーノ・ワルターの名演!
1950年代の、古さ故のノイズが逆に味わい深くて好きですねぇ。
25番とのカップリングというのもおいしい1枚です。
一般に、
40番をモーツァルトの「ト短調交響曲」、
25番を「小ト短調」と言っていますが、
25番はやや荒削りながらも早熟な印象を受け、
40番は30代にして円熟のモーツァルトを感じることが出来ます。
実際、
40番は亡くなる3年前の32歳、
25番はなんと17歳の時に作曲されたものなんですよね。
どちらも、モーツァルトの才能が余すところなく感じられる名曲だと思います。
よく、彫刻などの達人は、
石や木を彫って何かを創るのではなく、
中に埋まっている仏様や何かの魂を掘り起こすような感覚を口にしますが、
モーツァルトも同じではなかったかと思わされます。
あたかも、はじめから存在していた音色の調和を、
多くの人が演奏できるように具現化したかのような、
格調高く美しい2曲だと思います。
そういえば、
科学法則や人体の構造などを詳しく見てみると、
人間の作ったどんな精緻なものよりも、
自然界に存在する秩序の無駄のなさ、鮮やかさに驚かされることがあります。
「作曲」するのではなく、天から降りてきた音楽を五線譜に書き記すという作業。
それが天才といわれる人の仕事だったのかもしれません。
モーツァルト
MOZART
交響曲第40番ト短調K.550
SYMPHONIE Nr.40 G-moll K.550
I. Molto Allegro
II. Andante
III. Menuetto:Allegretto
IV. Allegro assai
交響曲第25番ト短調K.183
SYMPHONIE Nr.25 G-moll K.183
I. Allegro con brio
II.Andante
III.Menuetto
IV.Allegro
交響曲第40番 1952年5月18日、ウィーン ムジークフェラインザール
交響曲第25番 1956年7月26日、ザルツブルク祝祭劇場
ORF(オーストリア放送協会)放送用ライブ録音テープ使用(モノラル)
Symphonie Nr.40 Recorded on 5/18/’52 Musikvereinsaal, Vienna
Symphonie Nr.25 Recorded on 7/26/’56 Festspielhaus, Salzburg
IN ZUSAMMENARBEIT MIT DEM O.R.F.
演奏は違うけれど

Mozart Sympnony No.40 1st Mov.

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