釈迦と親鸞(1)

釈迦と親鸞
釈迦と親鸞
親鸞聖人に学ぶ集いに参加してきました。
会場の国分寺労政会館は、JR国分寺駅から徒歩約5分のところにあります。


午後からは、かなり激しい雨が降りましたが、
学生から主婦、おじいちゃん、おばあちゃんお父さん、お母さんまで、老若男女、
会場一杯の参加者でした。


演題は、
仏法は聴聞に極まるについて。
蓮如上人のこのお言葉の解説でした。
至りて堅きは石なり、至りて軟かなるは水なり、水よく石を穿つ。「心源もし徹しなば菩提の覚道何事か成ぜざらん」といえる古き詞あり。いかに不信なりとも聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候間、信を獲べきなり。只仏法は聴聞に極まることなり。
(御一代記聞書)
が、内容があまりに深すぎるので、ここには書ききれません(^^;

ただ、始まる前に、「仏法とは何ぞや?」的な10分ほどのお話があったので、
思い出してその内容をまとめてみました↓ (続きを読む…)

とどろき / 平成20年1月

応仁の乱で政治も混乱を極める中、室町幕府の将軍だった足利義政は東山山荘の造成を進めていた、、、
足利義政: 「ええい! 工事は一向に進まぬではないか」
家臣: 「申し訳ございません。戦が続き、幕府の財政も大変苦しい状況が続いております。建築資材を集めるのも至難の技でございますれば……民も年貢に苦しみ、人手を集めるのもままならず……」
足利義政: 「ええい、そなたたちの説教は聞き飽きたわ! ならば、もっと税や労役を増やせばよいではないか」
家臣: 「しかし、それでは……」
・ ・ ・ ・
足利義政はその後、山荘の完成を待たずしてこの世を去る。
何事も 夢まぼろしと 思い知る
      身には憂いも 喜びもなし
彼の時世である。





山科。山科本願寺の建立は文明10年(1478)に始まった。土地を財施したのは、蓮如上人のご法話によく参詣していた海老名五郎左衛門である。「山科に、巨大な聞法道場が建立される」――この知らせは瞬く間に伝わり、全国の親鸞学徒の尊い浄財、労力奉仕が山科に集まった。
門徒A: 「蓮如上人の赴かれる先々では、いつも比叡山の僧兵に襲撃されていたが……これでようやく、上人さまから安心して聞かせていただくことができる。わしら、何よりの喜びじゃ」
門徒B: 「んだんだ」
門徒C: 「こうしてはおれん。早速わしらも、建立のお手伝いに行こうじゃないか」
門徒A: 「おお、それがいい」
門徒C: 「おい、わしも」
・ ・ ・ ・
文明12年8月、山科本願寺の本堂が完成した。11月21日から8日間、報恩講が盛大に営まれた。真実の仏法を求め、全国から門信徒が群参、かつてない規模の報恩講となった。
蓮如上人: 「全国のご門徒衆の尊い志により、この聞法道場が建立され、無事に報恩講を勤めることができました。すべてはこれ、弥陀如来のおかげです。  世の人々はこの威容に驚き、山科本願寺は大変繁盛しているじゃないかと、うわさしているでしょう。  しかし、忘れてはなりません。  浄土真宗の繁盛は、参詣者が多く集まり、威勢のいいことではありません。一人でも他力の信を獲ることが、浄土真宗の繁盛なのです。  この世は無常の世界。すべては夢幻と消える中、ただ阿弥陀仏の本願のみが真実だとお釈迦様は説かれています。  皆さん、一日も片時も急いで、弥陀の本願を聞き開き、真実の信心を獲得してください」
一宗の繁昌と申すは人の多く集り威の大いなる事にてはなく候、 一人なりとも人の信を取るが一宗の繁昌に候
(御一代記聞書)
聞法道場建立の目的を、蓮如上人は重ねて教えてられている

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山科本願寺の建立
←クリックすると拡大します。
 平成14年1月号から連載されている『蓮如上人物語』より「第20回 山科本願寺の建立」の一コマです。  蓮如上人といえば、「真宗中興の祖」と言われ、応仁の乱世で命を狙われながらも、異宗や他派に押されていた浄土真宗本願寺を再興された方です。  上のマンガでは、足利義政と対照的に描かれており、蓮如上人が如何に優れた統率力を持っておられた方か、知らされます。そんな蓮如上人が、「すべてはこれ、弥陀如来のおかげです」と言われ、「浄土真宗の繁盛は、参詣者が多く集まり、威勢のいいことではありません」と教えられているところに、奥深いものを感じます。

    2012年5月
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