とどろき / 平成20年3月

 以下、『正信偈』についてのまとめです。
(1)正信偈はお経?  私たちが朝夕の勤行で拝読するのが、親鸞聖人の書かれた『正信偈』です。 「帰命無量寿如来  南無不可思議光」 で始まる有名な『正信偈』には、親鸞聖人、90年のみ教えのすべてがおさまっています。  漢字ばかりで書かれているので、お経だと思っている人がありますが、『正信偈』は、お経ではありません。  お経とは、お釈迦さまのご説法を書き残したものだけをいいます。『正信偈』は親鸞聖人が書かれたものですから、お経とはいわないのです。
(2)正しい信心のうた 『正信偈』の「偈」とは「うた」ということです。ですから拝読する時には抑揚(節)がついています。宗派によって若干違いますが、大事なのはその内容です。  名前に「正信」とあるように、親鸞聖人が教えられたことは「正しい信心」一つでした。信心と聞くと自分とは関係ないように思う人がありますが、私たちは何かを信じなければ生きてはいけません。夫は妻を、妻は夫を信じ、子供は親を、親は子供を頼りとして生きています。その他、金や財産、健康など皆、何かの信心を持って生きているのです。では「正しい信心」とはどういうことでしょうか。
(3)迷信・邪信・偽信はダメ  世間では、「いわしの頭も信心から」と言われるように、つまらないものでも信じていればその人にとって価値があるのだから、他人の信心をとやかく言うもんじゃない、という人があります。  しかし、何でもかんでも、その人がいいと思ったものを信じればいいのではありません。親鸞聖人は「迷信・邪信・偽の信心では、やがて裏切られ、苦しむことになりますよ。幸せになるには、裏切られることのない『正しい信心』を獲得しなさい」と90年のご生涯、すべての人の幸福を念じて叫び続けていかれたのです。
(4)正しい信心はただ一つ  結婚、子供、お金、財産。私たちが「これこそ幸せだ」と思って握り締めているものは、本当にあて頼りになるのでしょうか。 「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず」(御文章) “死んでいく時は丸裸である”。蓮如上人の警鐘です。死の巌頭にも崩れない幸せは、二つも三つもあるものではありません。 『正信偈』の「正」という字は「一に止まる」と書きます。正しいものは一つしかないということです。そのただ一つの正しい信心を明らかにされたのが『正信偈』なのです。
まとめ
  • 『正信偈』は
    • お経ではありません。
    • 親鸞聖人90年のおしえのすべてがおさまっています。
    • 「正しい信心のうた」ということです。
  • 迷信・邪信・偽信では、変わらない幸せには、なれません。
  • 正しい信心は一つしかない、と聖人は教えられています。

高森顕徹 / 歎異抄をひらく

【2012.05.14 追記】 新たに投稿しました)。 徒然 – 高森顕徹 / 歎異抄をひらく 【2010.09.02 追記】 これを書いていたときは知りませんでしたが、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。 ・異端か、正統か|『歎異抄をひらく』発刊から1年10カ月|浄土真宗親鸞会『歎異抄をひらく』畏敬から失笑へ: さよなら親鸞会 (注)「親鸞会」とは、この著者が会長をつとめる団体です。
 真紅のタイトルと桜の写真、そして「なぜ、善人よりも悪人なのか?」の帯に惹かれて手に取った『歎異抄』の解説本。発売前のPVを見て、関心があったこともあり、即購入しました。
 「はじめに」によると、『方丈記』『徒然草』と並んで日本の三大古文と言われるのが『歎異抄』だそうです(『歎異鈔』とも)。西田幾多郎三木清倉田百三司馬遼太郎といった日本の文豪のみならず、フランスのロマン・ロラン絶賛していたという『歎異抄』はまさに、日本人の教養として、一度は読んでおきたい本と言えるでしょう。
 鎌倉時代の親鸞聖人のお言葉が書かれているということで有名な『歎異抄』ですが、世間に知られるようになったのは、実は最近のことです。
 今日、『歎異抄』ほど、読者の多い古典は異数ではなかろうか。その解説書は数知れず、今も新たなものが加え続けられている。  ところが、この書が世に知られるようになってから100年もたってはいないのだ。  それは500年前、浄土真宗の中興、蓮如上人が、親鸞聖人を誤解させるおそれがあると、「仏縁の浅い人には披見させてはならぬ」と封印されたからであろう。
 教えを正しく理解しなければ、自他共に傷つけるカミソリのような本が『歎異抄』なのです。
 蓮如上人の訓戒どおり『歎異抄』は、もろ刃の剣である。冒頭にあげた「善人なおもって(往生を遂ぐ、いわんや悪人をや:引用者付記)」の言葉など、皮相の見では悪を勧めているようにも映る。  事実、「阿弥陀さまは、悪人大好き仏だから、悪をするほどよいのだ」と吹聴する者が現れ、「親鸞の教えは、悪人製造の教え」と非難された。
 親鸞聖人が亡くなられた後に、聖人の仰せと異なることを言いふらす者の出現を嘆き、その誤りを正そうとして書かれた本が『歎異抄』ですが、その『歎異抄』もまた、誤解・曲解されているようです。
 その一例が”念仏を称えたら救われると教えたのが親鸞”というもので、私も高校時代、日本史の時間にそう習いました。しかしそれではどこか釈然としないものがあります。実際、口で「南無阿弥陀仏」と称えても何が変わったという実感もなく、「一体何のまじないか?」と思うよりありませんでした。そんな程度の教えではなかろう、という思いを持つ人は多いのではないでしょうか。
 この本では、親鸞聖人のお言葉を通して、「念仏とは」「善人、悪人とは」「自力、他力とは」「葬式・法事の本来の意義」など、誤解されやすいところに焦点を絞って、詳しく説明されています(下記、目次の二部参照)。
 とかく『歎異抄』を論じたものは、著者の体験や信条に力点が置かれ、自由奔放に解釈されている、と嘆く識者も少なくはない。  本書は、聖人自作の『教行信証』などをもとに、『歎異抄』の真意の解明に鋭意努めたつもりである。  親鸞聖人のお言葉を提示して、非才ながら一石を投じたい。
 この著者もまた、『歎異抄』が異なってゆく様を看過できず、歎きながらこの本を世に送り出したのかもしれません。
 教義が深いだけに、未消化のところも多いと思いますので、繰り返し読んでゆきたいと思います。
歎異抄をひらく(高森顕徹:著)

Links: 高森顕徹公式サイト 「高森顕徹」全巻読破チャレンジ中! 辛口!真宗時評 たたかう音楽時評 (38)ドラマ「白夜行」と歎異抄 白夜行(山田孝之・綾瀬はるか:主演、東野圭吾:原作)
目次
第一部 序 第一章 仏法の肝要、を言われた親鸞聖人のお言葉 第二章 親鸞聖人の鮮明不動の信念 第三章 有名な悪人正機を言われたもの 第四章 二つの慈悲を説かれたもの 第五章 すべての人は父母兄弟──真の親孝行を示されたもの── 第六章 親鸞に弟子一人もなし──すべて弥陀のお弟子──と言われたもの 第七章 弥陀に救われた人、について言われたもの 第八章 他力の念仏、について言われたもの 第九章 念仏すれど喜べない──唯円房の不審に答えられたもの── 第十章 他力不思議の念仏、を言われたもの 別序 第十一章 要約 第十二章 要約 第十三章 要約 第十四章 要約 第十五章 要約 第十六章 要約 第十七章 要約 第十八章 要約 後序
第二部 1 『歎異抄』は、いかに誤解されやすいか、その現状――ある大学教授の場合 2 「弥陀の救いは死後である」の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 3 「念仏さえ称えていたら助かる」の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 4 「善も要らない、悪も怖くない」あなた、こんなことが信じられますか? 『歎異抄』の言葉 5 「弥陀の救いは他力だから、真剣な聞法や求道は要らない」という誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 6 「ただほど高いものはない」といわれる。では『歎異抄』の”ただ”とは? 7 「念仏称えたら地獄か極楽か、まったく知らん」とおっしゃった聖人――「知らん」は「知らん」でも、知りすぎた、知らん 8 「弥陀の本願まことだから」と、言い切られた親鸞聖人――「弥陀の本願、まことにおわしまさば」の真意 9 なぜ善人よりも悪人なのか? 「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 10 「仏」知らずが「ほとけ」間違いを犯す元凶 11 葬式・年忌法要は死者のためにならないって? それホント? 12 「四海みな兄弟」と呼びかけられた親鸞聖人のお言葉 13 弥陀に救われたらどうなるの? 万人の問いに親鸞聖人の回答 14 念仏称えたら、何かいいことあるの? 何か呪文のように思うけど――絶対他力の念仏 15 親鸞さまは本当のことを言われる人ね。私と同じ心だもの――『歎異抄』の落とし穴 16 「南無阿弥陀仏」ってどんなこと? 「他力の念仏」の真の意味を明らかにされた、親鸞聖人のお言葉 17 自力の実態を暴き、他力の信心を明らかにされた、親鸞聖人のお言葉 18 人類の常識を破り、生きる目的を断言された、親鸞聖人のお言葉


第三部 『歎異抄』の原文

とどろき / 平成20年1月

応仁の乱で政治も混乱を極める中、室町幕府の将軍だった足利義政は東山山荘の造成を進めていた、、、
足利義政: 「ええい! 工事は一向に進まぬではないか」
家臣: 「申し訳ございません。戦が続き、幕府の財政も大変苦しい状況が続いております。建築資材を集めるのも至難の技でございますれば……民も年貢に苦しみ、人手を集めるのもままならず……」
足利義政: 「ええい、そなたたちの説教は聞き飽きたわ! ならば、もっと税や労役を増やせばよいではないか」
家臣: 「しかし、それでは……」
・ ・ ・ ・
足利義政はその後、山荘の完成を待たずしてこの世を去る。
何事も 夢まぼろしと 思い知る
      身には憂いも 喜びもなし
彼の時世である。





山科。山科本願寺の建立は文明10年(1478)に始まった。土地を財施したのは、蓮如上人のご法話によく参詣していた海老名五郎左衛門である。「山科に、巨大な聞法道場が建立される」――この知らせは瞬く間に伝わり、全国の親鸞学徒の尊い浄財、労力奉仕が山科に集まった。
門徒A: 「蓮如上人の赴かれる先々では、いつも比叡山の僧兵に襲撃されていたが……これでようやく、上人さまから安心して聞かせていただくことができる。わしら、何よりの喜びじゃ」
門徒B: 「んだんだ」
門徒C: 「こうしてはおれん。早速わしらも、建立のお手伝いに行こうじゃないか」
門徒A: 「おお、それがいい」
門徒C: 「おい、わしも」
・ ・ ・ ・
文明12年8月、山科本願寺の本堂が完成した。11月21日から8日間、報恩講が盛大に営まれた。真実の仏法を求め、全国から門信徒が群参、かつてない規模の報恩講となった。
蓮如上人: 「全国のご門徒衆の尊い志により、この聞法道場が建立され、無事に報恩講を勤めることができました。すべてはこれ、弥陀如来のおかげです。  世の人々はこの威容に驚き、山科本願寺は大変繁盛しているじゃないかと、うわさしているでしょう。  しかし、忘れてはなりません。  浄土真宗の繁盛は、参詣者が多く集まり、威勢のいいことではありません。一人でも他力の信を獲ることが、浄土真宗の繁盛なのです。  この世は無常の世界。すべては夢幻と消える中、ただ阿弥陀仏の本願のみが真実だとお釈迦様は説かれています。  皆さん、一日も片時も急いで、弥陀の本願を聞き開き、真実の信心を獲得してください」
一宗の繁昌と申すは人の多く集り威の大いなる事にてはなく候、 一人なりとも人の信を取るが一宗の繁昌に候
(御一代記聞書)
聞法道場建立の目的を、蓮如上人は重ねて教えてられている

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山科本願寺の建立
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 平成14年1月号から連載されている『蓮如上人物語』より「第20回 山科本願寺の建立」の一コマです。  蓮如上人といえば、「真宗中興の祖」と言われ、応仁の乱世で命を狙われながらも、異宗や他派に押されていた浄土真宗本願寺を再興された方です。  上のマンガでは、足利義政と対照的に描かれており、蓮如上人が如何に優れた統率力を持っておられた方か、知らされます。そんな蓮如上人が、「すべてはこれ、弥陀如来のおかげです」と言われ、「浄土真宗の繁盛は、参詣者が多く集まり、威勢のいいことではありません」と教えられているところに、奥深いものを感じます。

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