★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2011年05月10日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
法然聖人と親鸞聖人 @築地本願寺 2011.05.03
5月3日、築地の本願寺にて喜多唯信師から仏さまのお話を聞かせていただきました。
以下、その記録です。
★法然上人の表記は「法然聖人」と統一してあります。
今年、京都の本願寺で親鸞聖人750回忌が勤まりました。
本当は、来年の1月16日が、正しき親鸞聖人の750回忌法要です。
お東では今年の11月28日に勤められます。
親鸞聖人がお浄土に還られて、来年が749回目のご法事になります。
あれ?と思われた方があると思いますので、、、
例えば今年亡くなられた方は、来年が一回忌。再来年が三回忌です。
東洋人は数え年で数えます。西洋とは違います。
これは、命の捉え方が違うからなのです。
西洋と東洋とでは、命の出発点が違います。
ヨーロッパは、命が母親の体内から生まれ出たのが出発なのに対し、
東洋人は、母親の体内に宿ったその瞬間から命の出発点と考えます。
だからうまれた時が1歳と数えるのです。
今年の1月1日にうまれた赤ちゃんも、12月31日にに生まれた赤ちゃんも、
どちらも来年の1月1日に2歳になり、数え歳と違ってくるのです。
また、今年は、法然さまの800回忌であります。
そこで、今日は、親鸞聖人と法然聖人のお出会いを通してお取次させていただきます。
私達、「なんまんだぶつ」と称えますが、ここにお念仏が届いているということ自体が、非常に、稀なことです。
それを明らかにされたのが、法然聖人であり、
その法然聖人の仰ったことをそのまま仰り、
さらに、その先に行かれたのが親鸞聖人さまです。
本当はこれが法然聖人が言いたかったことだよ、と、
前人未到の教え方をされた方が親鸞聖人であります。
この二人が出会うことによって、私の救いが開かれたのです。
一口に真宗といっても、
浄土真宗本願寺派
真宗大谷派
真宗仏光寺派
真宗木変化派
と色々ありますが、「浄土」とつくのは私たち(浄土真宗本願寺派)だけです。
これは、私たち、申請する時に抜けがきして、ちょっといけないことを、、、(笑)
しかし、親鸞聖人は、
「浄土真宗」とは、一つの宗派の名前ではありませんよ、と言われるはずです。
浄土真宗とは、浄土の真実の宗(むね)、教えです。
では、開祖はあなた(親鸞聖人)ですか?とお聞きすると、首を横に振るはずです。
法然聖人だとお答えになられるはずです。これは100パーセント間違いありません。
私(親鸞聖人)は、法然さまにお出会いすることによって、
私の救いの道にあうことができたと喜ばれ、
50年以上、亡くなられる時まで「法然さま、法然さま」と慕われていました。
29際から90歳まで、半世紀以上、
法然聖人のお徳を褒め称えて生きてゆかれました。
親鸞聖人にとって法然聖人は、そのくらい大切ななお方であったのです。
では、法然聖人は何を教えられたのでしょうか。
浄土の真実の教えです。
それについて、この3日間、味わってゆきたいと思います。
ちなみに、浄土真宗というのが、
教団の名前、宗派の名前として使われるようになったのは蓮如さま以降です。
蓮如上人は一向宗という言葉を使用されませんでした。
浄土真宗を多用されました。
親鸞聖人に、は宗派をおこされたという意識もなく、
親鸞聖人のお寺、というものもありません。
各寺に赴いて法然聖人の教えを説いてゆかれました。
法然聖人の教えは、専修念仏、念仏往生。
それを伝えるために、関東の念仏集団から招かれて関東へいらっしゃったのだ、
と言われる先生もあります。
いずれにしても、(親鸞聖人は)宗派をおこそうとされた方ではありません。
先日、娘の歴史の教科書を見たらこう書いてありました。
「親鸞は法然の教えを受けて、悪人正機という説を初めて唱えた」と。
これは、専門家から言うと、○でもなく×でもなく、△です。
悪人が阿弥陀さまの救いの正客であるというのは、
もともとは法然聖人が唱えたものです。
しかし、法然聖人のどの本をみても、
歎異抄第3条にあるように明確にはありません。
しかし、●●(←地名。忘れました)にある法然聖人の伝記を見ると
「善人なおもって往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」と似た表現があります。
親鸞聖人と法然聖人の違いは、失礼ですが法然聖人は筆不精です。
『選択本願念仏集』も、口述筆記です。
それに対して親鸞聖人は筆まめです。
しかし、親鸞聖人の御著書、どれをみても「悪人正機」という言葉はありません。
『歎異抄』を書いたとされる唯円が初めて「悪人正機」という言葉を文章にされたのです。
この言葉は、非常に危ない言葉だと分かっておられたので、
法然聖人も親鸞聖人も文章にされませんでした。
しかし、親鸞聖人の教えが曲がってゆくのを恐れて、
唯円が文章にされたのでしょう。
この人なら大丈夫、と思った人だけに対して法然聖人は口伝で伝えられました。
親鸞聖人も同じです。
そして、唯円なら大丈夫だろう、と、悪人正機の教えを説いたのです。
それを唯円が、このままだと親鸞聖人の教えが誤って伝えられる、これは文章にしなければ、
ということで『歎異抄』ができたのでしょう。
普通は、悪人正機など説かれないのです。
(悪人正機とは、)悪人が目当て、ということですから、
悪人とは誰か、ということから問題にしなければなりません。
親鸞聖人の教えの特徴に、「現生正定聚」というのがあります。
これは、阿弥陀仏の本願をそのまま受け入れたなら、
命の終わった瞬間から、阿弥陀さまのお力で、今からお浄土に参らせて頂く仲間になる、
ということです。
これは法然聖人の教えにはありません。
唯円さまも理解できなかったことです。
だから法然聖人は説かれなかったのでしょう。
法然さまは「念仏往生」を唱えられました。
これは唯円も理解できたことです。
それを一歩も二歩も進めたのが「現生正定聚」。
今が救いの完結なのだ、という教えです。
また、「往生即成仏」というのがあります。
これは、人間としての命が終わって、
阿弥陀さまのお力によってお浄土に往かせて頂いたその瞬間、
仏様にさせていただく、ということです。
ここまでは唯円は理解できました。
しかし、『踊る大捜査線』ではありませんが、
「今が救いの現場なのだ」、と説かれたのが現生正定聚。
それは唯円さまも理解できなかったのでしょう。
『歎異抄』にはあまり出てきません。
法然聖人の教えをそのまま伝えられたという側面もありますが、
親鸞聖人にはそれをさらに押し進めたものがあります。
法然聖人の念仏往生も、
当時としては破天荒で、あり得ないことでしたが、
親鸞聖人はさらにそれを押し進められたのです。
ある先生は「師匠を超えた時に、その人はお弟子になったと言える」と教えられました。
親鸞聖人にはそのような自覚はなかったでしょうが、
この時点で親鸞聖人は法然聖人を超えてゆかれました。
そこで親鸞聖人は法然聖人のお弟子になられたということができると思います。
お釈迦さまの教えは分かりやすいです。
「こうしてはいけませんよ」「こうしなさいよ」というものです。
それが(親鸞聖人に至るまで)どんどんどんどん(教えられ方が)深まってゆきました。
お釈迦さまに「現生正定聚」「念仏往生についてどうですか?」とインタビューしたら、
「まあまあ、そこまで知らんでも。そういうこともいえますね~。」と答えられるのではないでしょうか。
法然聖人と親鸞聖人の宗教的天才がで現れることによって、
はじめて私の救いが明らかにされたといえるでしょう。
そのことについてこの3日間、話をしたいと思います。
(つづきにはご縁がなかったので、これにて終了です)
以下、その記録です。
★法然上人の表記は「法然聖人」と統一してあります。
無量寿如来に帰命し 不可思議光に南無したてまつる
今年、京都の本願寺で親鸞聖人750回忌が勤まりました。
本当は、来年の1月16日が、正しき親鸞聖人の750回忌法要です。
お東では今年の11月28日に勤められます。
親鸞聖人がお浄土に還られて、来年が749回目のご法事になります。
あれ?と思われた方があると思いますので、、、
例えば今年亡くなられた方は、来年が一回忌。再来年が三回忌です。
東洋人は数え年で数えます。西洋とは違います。
これは、命の捉え方が違うからなのです。
西洋と東洋とでは、命の出発点が違います。
ヨーロッパは、命が母親の体内から生まれ出たのが出発なのに対し、
東洋人は、母親の体内に宿ったその瞬間から命の出発点と考えます。
だからうまれた時が1歳と数えるのです。
今年の1月1日にうまれた赤ちゃんも、12月31日にに生まれた赤ちゃんも、
どちらも来年の1月1日に2歳になり、数え歳と違ってくるのです。
また、今年は、法然さまの800回忌であります。
そこで、今日は、親鸞聖人と法然聖人のお出会いを通してお取次させていただきます。
私達、「なんまんだぶつ」と称えますが、ここにお念仏が届いているということ自体が、非常に、稀なことです。
それを明らかにされたのが、法然聖人であり、
その法然聖人の仰ったことをそのまま仰り、
さらに、その先に行かれたのが親鸞聖人さまです。
本当はこれが法然聖人が言いたかったことだよ、と、
前人未到の教え方をされた方が親鸞聖人であります。
この二人が出会うことによって、私の救いが開かれたのです。
一口に真宗といっても、
浄土真宗本願寺派
真宗大谷派
真宗仏光寺派
真宗木変化派
と色々ありますが、「浄土」とつくのは私たち(浄土真宗本願寺派)だけです。
これは、私たち、申請する時に抜けがきして、ちょっといけないことを、、、(笑)
しかし、親鸞聖人は、
「浄土真宗」とは、一つの宗派の名前ではありませんよ、と言われるはずです。
浄土真宗とは、浄土の真実の宗(むね)、教えです。
では、開祖はあなた(親鸞聖人)ですか?とお聞きすると、首を横に振るはずです。
法然聖人だとお答えになられるはずです。これは100パーセント間違いありません。
私(親鸞聖人)は、法然さまにお出会いすることによって、
私の救いの道にあうことができたと喜ばれ、
50年以上、亡くなられる時まで「法然さま、法然さま」と慕われていました。
29際から90歳まで、半世紀以上、
法然聖人のお徳を褒め称えて生きてゆかれました。
親鸞聖人にとって法然聖人は、そのくらい大切ななお方であったのです。
では、法然聖人は何を教えられたのでしょうか。
浄土の真実の教えです。
それについて、この3日間、味わってゆきたいと思います。
ちなみに、浄土真宗というのが、
教団の名前、宗派の名前として使われるようになったのは蓮如さま以降です。
蓮如上人は一向宗という言葉を使用されませんでした。
浄土真宗を多用されました。
親鸞聖人に、は宗派をおこされたという意識もなく、
親鸞聖人のお寺、というものもありません。
各寺に赴いて法然聖人の教えを説いてゆかれました。
法然聖人の教えは、専修念仏、念仏往生。
それを伝えるために、関東の念仏集団から招かれて関東へいらっしゃったのだ、
と言われる先生もあります。
いずれにしても、(親鸞聖人は)宗派をおこそうとされた方ではありません。
先日、娘の歴史の教科書を見たらこう書いてありました。
「親鸞は法然の教えを受けて、悪人正機という説を初めて唱えた」と。
これは、専門家から言うと、○でもなく×でもなく、△です。
悪人が阿弥陀さまの救いの正客であるというのは、
もともとは法然聖人が唱えたものです。
しかし、法然聖人のどの本をみても、
歎異抄第3条にあるように明確にはありません。
しかし、●●(←地名。忘れました)にある法然聖人の伝記を見ると
「善人なおもって往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」と似た表現があります。
親鸞聖人と法然聖人の違いは、失礼ですが法然聖人は筆不精です。
『選択本願念仏集』も、口述筆記です。
それに対して親鸞聖人は筆まめです。
しかし、親鸞聖人の御著書、どれをみても「悪人正機」という言葉はありません。
『歎異抄』を書いたとされる唯円が初めて「悪人正機」という言葉を文章にされたのです。
この言葉は、非常に危ない言葉だと分かっておられたので、
法然聖人も親鸞聖人も文章にされませんでした。
しかし、親鸞聖人の教えが曲がってゆくのを恐れて、
唯円が文章にされたのでしょう。
この人なら大丈夫、と思った人だけに対して法然聖人は口伝で伝えられました。
親鸞聖人も同じです。
そして、唯円なら大丈夫だろう、と、悪人正機の教えを説いたのです。
それを唯円が、このままだと親鸞聖人の教えが誤って伝えられる、これは文章にしなければ、
ということで『歎異抄』ができたのでしょう。
普通は、悪人正機など説かれないのです。
(悪人正機とは、)悪人が目当て、ということですから、
悪人とは誰か、ということから問題にしなければなりません。
親鸞聖人の教えの特徴に、「現生正定聚」というのがあります。
これは、阿弥陀仏の本願をそのまま受け入れたなら、
命の終わった瞬間から、阿弥陀さまのお力で、今からお浄土に参らせて頂く仲間になる、
ということです。
これは法然聖人の教えにはありません。
唯円さまも理解できなかったことです。
だから法然聖人は説かれなかったのでしょう。
法然さまは「念仏往生」を唱えられました。
これは唯円も理解できたことです。
それを一歩も二歩も進めたのが「現生正定聚」。
今が救いの完結なのだ、という教えです。
また、「往生即成仏」というのがあります。
これは、人間としての命が終わって、
阿弥陀さまのお力によってお浄土に往かせて頂いたその瞬間、
仏様にさせていただく、ということです。
ここまでは唯円は理解できました。
しかし、『踊る大捜査線』ではありませんが、
「今が救いの現場なのだ」、と説かれたのが現生正定聚。
それは唯円さまも理解できなかったのでしょう。
『歎異抄』にはあまり出てきません。
法然聖人の教えをそのまま伝えられたという側面もありますが、
親鸞聖人にはそれをさらに押し進めたものがあります。
法然聖人の念仏往生も、
当時としては破天荒で、あり得ないことでしたが、
親鸞聖人はさらにそれを押し進められたのです。
ある先生は「師匠を超えた時に、その人はお弟子になったと言える」と教えられました。
親鸞聖人にはそのような自覚はなかったでしょうが、
この時点で親鸞聖人は法然聖人を超えてゆかれました。
そこで親鸞聖人は法然聖人のお弟子になられたということができると思います。
お釈迦さまの教えは分かりやすいです。
「こうしてはいけませんよ」「こうしなさいよ」というものです。
それが(親鸞聖人に至るまで)どんどんどんどん(教えられ方が)深まってゆきました。
お釈迦さまに「現生正定聚」「念仏往生についてどうですか?」とインタビューしたら、
「まあまあ、そこまで知らんでも。そういうこともいえますね~。」と答えられるのではないでしょうか。
法然聖人と親鸞聖人の宗教的天才がで現れることによって、
はじめて私の救いが明らかにされたといえるでしょう。
そのことについてこの3日間、話をしたいと思います。
(つづきにはご縁がなかったので、これにて終了です)








