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	<title>徒然 &#187; 高森顕徹</title>
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		<title>紅楳英顕 / 「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 &#8211;  本願力回向」（４）</title>
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		<pubDate>Mon, 04 Jul 2011 10:58:35 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[紅楳英顕 / 「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 -  本願力回向」（１）紅楳英顕 / 「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 -  本願力回向」（２）紅楳英顕 / 「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 -  本願力回向」（３）の続きです。目次　　1 はじめに　　2 第一章　宿善論について　　　　2.1 一　高森親鸞会の宿善論　　　　2.2 二　宗祖における宿善論　　　　2.3 三　蓮如上人の宿善論　　　　2.4 四　高森
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			<content:encoded><![CDATA[<ul>
<li><a href="http://charlie432.fool.jp/2011/06/28/00/00/00" >紅楳英顕 / 「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 &#8211;  本願力回向」（１）</a></li>
<li><a href="http://charlie432.fool.jp/2011/06/29/19/19/19" >紅楳英顕 / 「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 &#8211;  本願力回向」（２）</a></li>
<li><a href="http://charlie432.fool.jp/2011/07/02/00/00/00" >紅楳英顕 / 「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 &#8211;  本願力回向」（３）</a></li>
</ul>
<p>の続きです。</p>
<div class="tracklist"><b><u>目次</u></b><br /><span style="color:#999">　　1 はじめに<br />　　2 第一章　宿善論について<br />　　　　2.1 一　高森親鸞会の宿善論<br />　　　　2.2 二　宗祖における宿善論<br />　　　　2.3 三　蓮如上人の宿善論<br />　　　　2.4 四　高森親鸞会の宿善論の問題点<br />　　　　2.5 五　真宗先哲の宿善論<br />　　　　2.6 む　す　び</span>
<div style="color:#c00;text-align:center;">↓↓今回はここから↓↓</div>
<p>　　3 第二章　二種深信についての問題<br />　　　　3.1 一　高森親鸞会の問題点<br />　　　　3.2 ニ　江州光常寺の主張との比較
<div style="color:#c00;text-align:center;">↑↑今回はここまで↑↑</div>
<p><span style="color:#999">　　　　3.3 三　後生の一大事についての問題<br />　　　　3.4 む　す　び</span></div>
<blockquote><h3>第二章　二種深信についての問題</h3>
<p>　浄土真宗の信心が二種深信であることは周知のとおりであるが、古来これに関連した異義が縷々生じている。現代も教団の内外に異義と断ぜざるを得ないような主張が種々なされているように思われる。以下、高森親鸞会の主張における二種深信に関する問題を取り挙げ、検討することにする。</p>
<h4>一　高森親鸞会の問題点</h4>
<p>　二種深信に関する異義として従来挙げられているものは、相互に重なる而も有するが地獄秘事（信機秘事）、機歎き安心、信機募り安心、信機正因、信機自力、二心前後起、二心並起、信後に信機の相なし等の義がある。</p>
<p>　高森氏は『顕正新聞』　（親鸞会発行）に<br />
<blockquote>弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためであったの大歓喜は、地獄の釜底でなければ体験できない。（第22号、昭和39・４・15）</p></blockquote>
<p>と述べ、又『こんなことが知りたい①』　（高森顕徹著）には<br />
<blockquote>　地獄一定と堕ち切ったものでなければ、本当に助かった信心（体験）は獲得出来る筈がないのです。（三一頁）</p></blockquote>
<p>とあり、以下に<br />
<blockquote>　どうしたら自力が廃るのか。これは説明を聞いて判るものでもなければ、自ら捨てようと思って廃るものでもありません、先ず自ら善知識を求めて真剣に聞法しなければなりません。そして払っても払っても、後から後から現われて、奪えるだけ奪っても、なお心の底に、こびりつく自力の心に悲泣悶絶、求道聞法の絶壁に行きづまり、礦劫流転の逆謗の屍を如来の前に投げ出す体験を通らなければ廃りません。（一一○頁）</p></blockquote>
<p>とあり、又『こんなことが知りたい②』には<br />
<blockquote>　昔から死ぬ程苦しいことはない、と言われますように、信心決定する前念には本当に死ぬ苦悶を一度は体験させられます、聞法求道に精も根も尽きはてて悲泣悶死した体験を、善導大師は三定死と名づけられ「ゆくも死、かえるも死、とどまるも死、一種として死をまぬがれず」と絶体絶命、地団太ふんだ体験を述べておられます、親鸞聖人の「いづれの行もおよびがたければとても地獄は一定すみかぞかし」の悲痛のさけびも、この魂の臨終の体験を告白されたものです。大死一番如来の願力によって、この関門を突破された時にはじめて「即得往生後念即生」と身も心も南无阿弥陀仏の絶対の幸福を獲得して生まれかわるのです。（一○○頁）。</p></blockquote>
<p>とあり、又『絶対の幸福』（親鸞会会員、谷口春子著）には<br />
<blockquote>　地獄より他に行く処のなき我身であったと地獄へ堕ち切った処まで行かなくては助けられた味わいは判りません。（一九頁）</p></blockquote>
<p>とあり、又<br />
<blockquote>　阿弥陀様の光明のお育てにより、素地のままが照し出された時に、逆謗の屍がいが春枝であったと堕ち切らせて頂くのです。（七七頁）</p></blockquote>
<p>とあり、又<br />
<blockquote>　第一我が身は如何なる器であるかを知らなくては、御浄土へは生まれさせて頂けません。お話は良く判っていながら、堕ちるぞよの何たる難しき事、一大事です。堕ちるまで聞き抜いて下さいね。二八二頁）。</p></blockquote>
<p>とあり又、<br />
<blockquote>　本堂で阿弥陀仏のお姿をチラ。と見た時「アア、自分のような者は絶対に助からん」と、もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とおあいすることができるのです。（二〇三頁）</p></blockquote>
<p>等とある。以上の文から窺えるように、高森親鸞会の主張は、罪悪深重・地獄一定の自覚を持つべきことを強調し、そこまで堕ち切らないことには信心は得られないと主張するのである。<br />　この主張と同じように、罪悪深重・地獄一定の自覚を強調して異義とされたものが、地獄秘事（信機秘事）、機歎き安心、信機募り安心等である。</p>
<h4>ニ　江州光常寺の主張との比較</h4>
<p>　この種の異義で、地獄秘事（信機秘事）の代表的なものとされているが、寛政年間における東本願寺末寺の江州光常寺の主張である<sup id="note14"><a href="#exp14">[14]</a></sup>。この内容は『続真宗大系』（真宗典籍刊行会編）第十八巻及び『仏教大辞彙』（龍太絹）によると<br />
<blockquote>（一）二種深心は信機と信法の二種なれば同時に非ずして前後なり。即ち信機は前にして信法は後なり、されば機を先づ信ぜざるべからず。御文にも我が身はわろきいたづら者なりと思ひつめてとあるによって、吾が機を地獄一定と落ち切らざるべからず。かく落ち切れば助くる法は弥陀の手元に存するを以て瞰むるに及ばず、然るに若し誤って法を瞰めんとすれば、これ本願に手をかくるものにして自力なり。瞰めざるは是れ実に深く法を信じたるなりと、地獄一定と知るのみを以て信心となせり。<br />（二）南無院阿陀仏は機法の二なり。若し其れ阿弥陀仏のみを信ずる時は遂に南無の二字は信ぜざるなり。然るに若し南無の機を深く信ずる時は自ら法に本づくなりと二字と四字と分割して機のみを信ずる義を助成せんとしたものである。<br />（三）目御文は一往の御教化、月を指すの指なれば深く拘泥すべからずと。<br />（四）決定心は行者に求むべからず。然るに今時、「決定せし」「頼みし」「信ぜし」と思うなどは悉く是れ自力にして本願に手を掛けたるものなり。<br />（五）絵像・木像は虚仮にして実の仏体は名号なりとして仏体を軽しめたり。</p></blockquote>
<p>等と主張したことが述べられている<sup id="note15"><a href="#exp15">[15]</a></sup>。この中（三）の蓮如上人を軽視する傾向は高森親鸞会にはみられないことであり、（五）の本尊論で名号を重視する点は高森親鸞会と類似する<sup id="note16"><a href="#exp16">[16]</a></sup>点で興味深いのではあるが、ここでは二種深信の問題について論ずることが目的であるので（三）（五）の点にはこれ以上ふれないことにする。<br />　（一）（二）（四）より窺えるように江州光常寺の主張は、二種深信の二種は信機が前で信法が後の二心前後起であり、吾が機が地獄一定と落ち切ることが肝要であり、法をながめては自力になるのであり、地獄一定を知るのみをもて信心とするのであり、機法の二つではあるが要は機を信ずることである。そして決定心は行者に求をべきものではないのであり「決定せし、頼みし、信ぜし」ということは、自力であるというのである。<br />　以上のことから窺えるように、高森親鸞会の主張と光常寺の主張は、双方共に「罪悪深重、地獄一定の自覚を強調する点や信機が前で信法が後であるという二心前後起的傾向は同じであるが、光常寺の主張にみられる「法をながめるのを自力として、地獄一定と知るのみをもって信心とする」信機正因の主張や、「行者の決定心を自力として否定する」不決定心の主張は高森親鸞と相異なるようである。<br />この点のことは、上に挙げたように『こんなことが知りたい②』には<br />
<blockquote>いづれの行もおよびがたければとても地獄は一定すみかぞかしの悲痛のさけびもこの魂の臨終の体験を告白されたものです。大死一番如来の願力によって、この関門を突破された時にはじめて「即得往生、後念即生」と身も心も南元阿弥陀仏の絶対の幸福を獲得して生まれかわるのです</p></blockquote>
<p>とあり、『絶対の幸福』には<br />
<blockquote>もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とおあいすることができたのです。</p></blockquote>
<p>とあるところから、高森親鸞会の主張が光常寺の主張のように、地獄一定を知るのみをもて信心とする信機正因を主張するのではなく、地獄一定の自覚を強調するのではあるが、それによって法の救い即ち本願の救いあえることを主張するのであり、信機のみをいうのではないことが明らかであろう、又「決定心」についてであるが、これについては『顕正』（高森顕徴著）に<br />
<blockquote>　現今の浄土真宗の道俗の中には、此の世で凡夫の我々が救われた、助けられた、大満足出来た、大安心に晴れた、ツユチリ程も疑いない日本晴の境地になった、獲信した、往生一定になった、信心決定した、ということになれるものではないし、又言うべきものではない。信を獲ておるか、いないか吾々凡夫に判るものではない、というような全くアキレタことを思い込み、他人にまで教えて共に迷わせている人が多いので、仏果は浄土に至らねば得られないが、信仰が徹底したかしないか自分にハッキリせんでどうするか、助かったか、助からんか我が身に判らんような信仰があるか、と強調せずにおれないのだ。（七二頁）</p></blockquote>
<p>とあるように高森親鸞会では「決定心」の存すべきことが強調されるのである。このことには「一念覚知<sup id="note17"><a href="#exp17">[17]</a></sup>」の問題も関わり複雑であるが、ここでは「不決定心」を主張する光常寺と明白に相違していることを述べることにとどめておくことにする。<br />　尚、信機秘事（地獄秘事）の代表とされている光常寺の主張の他に信機自力説で有名な頓成の説との対比も必要なことと思われるが、『能登頓成御教誠』（続真宗大系十八所収）によると、頓成は二種深信の名目を否定し、信心とは弥陀法をたのむ他力の一心のみでありとし、信機は自力であり、漸教回心の機が蒙むることであり、一乗円満の機には煩悩具足と信知する必要はない<sup id="note18"><a href="#exp18">[18]</a></sup>と主張するものであるから、高森親鸞会の主張とは相当に異なると思われるのでここでは詳論しない。<br />　以上のように高森親鸞会の主張は光常寺の主張とは明確に異なる点もあるが、罪悪深重・地獄一定の自覚を強調する点や二心前後起的傾向は共通であり、二種深信の上で多分に検討を要するものといわねばならないであろう。</p></blockquote>
<h3>（脚注）</h3>
<ol start="14">
<li><a href="#note14" id="exp14">（↑）</a>『続真宗大系』第十八。『仏教大辞彙』第三。『異安心解説』（勧学寮編）。『異安心史』　（中島覚売著）。『真宗異義異安心の研究』（大原性実著）等参照。</li>
<li><a href="#note15" id="exp15">（↑）</a>『続真宗大系』第十八の二七以下。『仏教大辞彙』第三の二一一五。</li>
<li><a href="#note16" id="exp16">（↑）</a>山田行雄氏「現代における異義の研究」（二）（伝道院紀要19）</li>
<li><a href="#note17" id="exp17">（↑）</a>拙稿「一念覚知説の研究」（伝道院紀要19）</li>
<li><a href="#note18" id="exp18">（↑）</a>『続真宗大系』第十八の三三一以下。</li>
</ol>
<p>（<a href="http://charlie432.fool.jp/2011/07/05/00/00/00">つづく</a>）</p>
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		<pubDate>Mon, 27 Jun 2011 15:00:00 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[『派外からの異説について』の時と同様に、紅楳英顕先生から許可を得て、全文を紹介します。なお、「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 - 本願力回向」にもあるように、これは昭和54年12月20日発行の論文です。目次　　1 はじめに　　2 第一章　宿善論について　　　　2.1 一　高森親鸞会の宿善論↑↑今回はここまで↑↑↓↓次回につづく↓↓　　　　2.2 二　宗祖における宿善論　　　　2.3 三　蓮如上人の宿善論　　　　2.4 四　高
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			<content:encoded><![CDATA[<p> <a href="http://charlie432.fool.jp/2011/06/11/18/48/50" >『派外からの異説について』</a>の時と同様に、<a href="http://www12.ocn.ne.jp/~kobai/" >紅楳英顕</a>先生から許可を得て、全文を紹介します。</p>
<p>なお、<a href="http://wiki.shinrankai-ob.net/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%95%B0%E7%BE%A9%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6_%E4%BC%9D%E9%81%93%E9%99%A2%E7%B4%80%E8%A6%81%EF%BC%92%EF%BC%94%E5%8F%B7#cite_ref-5" >「現代における異義の研究 伝道院紀要２４号 &#8211; 本願力回向」</a>にもあるように、これは昭和54年12月20日発行の論文です。</p>
<p>
<div class="tracklist"><b><u>目次</u></b><br />　　1 はじめに<br />　　2 第一章　宿善論について<br />　　　　2.1 一　高森親鸞会の宿善論
<div style="color:#c00;text-align:center;">↑↑今回はここまで↑↑<br />↓↓次回につづく↓↓</div>
<p><span style="color:#999">　　　　2.2 二　宗祖における宿善論<br />　　　　2.3 三　蓮如上人の宿善論<br />　　　　2.4 四　高森親鸞会の宿善論の問題点<br />　　　　2.5 五　真宗先哲の宿善論<br />　　　　2.6 む　す　び<br />　　3 第二章　二種深信についての問題<br />　　　　3.1 一　高森親鸞会の問題点<br />　　　　3.2 ニ　江州光常寺の主張との比較<br />　　　　3.3 三　後生の一大事についての問題<br />　　　　3.4 む　す　び</span></div>
<p>
<blockquote>
<h2>現代における異義の研究</h2>
<h3 style="text-align:center">－高森親鸞会の主張とその問題点－</h3>
<h4 style="font-weight:bold;text-align:right;">紅楳英顕</h4>
<h3>はじめに</h3>
<p>　高森親鸞会における教義上の問題については、既に種々の点が指摘され、一念覚知・善知識だのみ・本尊論等については研究論文も発表されている<a href="#exp01" name="note01"><sup>[1]</sup></a>、本稿では宿善論と二種深信に関する問題とを取り挙げ論じたいと思う。</p>
<h3>第一章　宿善論について</h3>
<p>　宿善の語義については、大原性実氏によれば「抑々宿善とは宿世の善根という意味で、宿世に於て修習する善根、又は宿世に於ける値仏聞法の善根を指すもので宿福とも宿因とも宿縁とも名づける。故にその物体は一往は万行諸善及自力念仏であるが、再往を云えば、我々が今日弥陀法に遇い之を信受奉行することを得し因縁となりしことは悉く宿善と称すべく、獲信の一大事は正しくこの宿善の開発せる為である<a href="#exp02" name="note02"><sup>[2]</sup></a>」とあり、又『新・仏教辞典』（中村元監修）には「前世・過去世につくった善根功徳をいう。<br />また、人の一代に限って、今まで作った善根を指すこともある。真宗では宿善開発といい、今まで修めて来た善根がある時期にひらめきあらわれることによって、信心が得られると説く」等とあるように、真宗における宿善とは獲信のための因縁となる善根を意味するのである。<br />本願寺派の宗学史上においても、この宿善論については種々の説が論じられたところであるが、高森親鸞会においても独特の宿善論が展開されている。</p>
<p>　以下、宗祖並びに蓮如上人、それから真宗先哲の諸見解を窺いながら、高森親鸞会の宿善論ついての問題点を検討したいと思う。</p>
<h4>一　高森親鸞会の宿善論</h4>
<p>　先の『伝道院紀要』19号で既に述べたように<a href="#exp03" name="note03"><sup>[3]</sup></a>、高森氏は本願寺を無安心の集団であると非難攻撃する。従って、おのずと獲信の問題が重視され、独自の宿善論が主張されている。即ち『白道もゆ』（高森顕徴著）には、<br />
<blockquote>　宿善というのは過去世の仏縁のことであるが、過去に仏縁浅きものは現在において真剣に宿善を求められねばならない。でなければ宿善開発の時節到来ということはあり得ない。されば宿善は待つに非ず、求むるものである。（二一二頁）。</p></blockquote>
<p>とあるように、苦労して宿善を求めねばならないことをすすめ、又『顕正新聞』（親鸞会発行）には<br />
<blockquote>　大体真剣に聞法求信することを悪いなんかという者は、他力と無力を混同している信仰の幼稚園児なのです。真宗にこんな坊主や同行が多いのです。求めることは自力だから駄目だといって自分はボーとしているのが他力だと思っているのです。確かに真剣に求めるのは自力です。生まれた時から他力に摂取されているものは一人もいないのですから、みんな自力で求めていくのです。（第93号、昭和42・９・15）</p></blockquote>
<p>とあり、又『法戦』（高森顕徹著）には<br />
<blockquote>　自力一杯、命がけで求めたものでなければ自力無効と切りおとされて、久遠の親と対面するという体験はできません。（五九頁）</p></blockquote>
<p>等とあるように、宿善は自分の力によるものであるという宿善自力説を主張している。そして如何なることが宿善となるかについては『顕正新聞』には<br />
<blockquote>　まず自身の信心決定をめざせ、そのためには宿善をつめ（イ、聴聞、ロ、破邪顕正）（第93号、昭和45・２・15）</p></blockquote>
<p>とあり、又『この人間』（親鸞会会員、渋谷励一著）には<br />
<blockquote>　一日の聴聞がなんと一五分か一六分、これでは有難くして宿善があり、万劫にもあい難き善知識にあわせて頂き乍ら信心決定はおろか、宿善を厚くすることすら出来ないではないか、善知識は宿善が薄くては助からない、宿善を厚くせよ、その一番の方法は聴聞だぞ、しかも木刀でなくて真剣だぞと仰言る。その気慨で聴聞し、聴聞出来ない時は破邪顕正に向うことである。釈尊は「破邪顕正せざるものは仏弟子に非ず、仏のあだなり」と仰せられている。破邪顕正は宿善を厚くする第二の秘訣であると教示下さる。御教えに従うより道はないのである。（四四頁）</p></blockquote>
<p>とあるように、聴聞（聞法）と破邪顕正<a href="#exp04" name="note04"><sup>[4]</sup></a>とが挙げられている。<br />　聴聞（聞法）について『白道もゆ』には<br />
<blockquote>　親鸞聖人は「大千世界にみてらん火をもすぎゆきて聞け」と教えられ、蓮如上人また「火の中を分けても法は聞くべきに、雨風雪はものゝ数かは」とお勧めになっている。我々の先哲は早く宿善を求め信を獲んと思わば①骨を折って聞け、②衣食を忘れて聞け、③間断なく聞け、④聞けぬ時は思い出せ、と四つのことを指摘されている。いずれも苦労して聴聞にはげめということである。楽な聞法は宿善にもならないし、この法は聞かれない。過去世に仏縁うすき者は、この世で苦労して宿善を求めねばならぬ。（二一三頁）</p></blockquote>
<p>とあり、『顕正新聞』には<br />
<blockquote>　苦しみの根を除くには抜苦与楽の力用をもつ南無阿弥陀仏の名号を獲得するより他にはない。名号は捨身の聞法によって与えられるが、それまで勇敢に立ち向ってゆき初志貫徹するまで、たゆまず、あくまでしりぞかぬことが絶対の幸福をうる唯一の道だと教えられている。（第７号、昭和三七・一二・一五）</p></blockquote>
<p>又、<br />
<blockquote>　松下氏が世界の松下として成功するまでには何度も血の小便をする程の苦労があったということであるが、注目すべきことである。仏法を求めている人の中にも「私は五年間聞いたのに」「私は十年求めたのに」と未だ信心獲得できない事をぼやき、果ては「説くものが悪いのではなかろうか」、「これだけ聞いても助からんのに何か大願業力だ」と、とんでもないところに責任をなすりつけ、罪を重ねている者がいるが、言語道断の所業である。せめるぺきは己れの不熱心さではないか。その五年十年の間に、どれ程真剣に聞いたか、どれ位真剣に聞いたか、どれ位懸命に宿善を求めたか、松下氏の言を借りるなら果してたった一度でもよいから血の小便をこく程きづまって夜も寝られん事があったか、仏法は未来永劫の大問題を教えているのだ、苦労が足りないぞ、楽して信心決定しようという心こそ反省せねばならんのだ、頑張ろう。（顕正新聞118号、昭和47・３・20）</p></blockquote>
<p>とあり、又『人間こそ』（親鸞会会員、渋谷励一著）には<br />
<blockquote>　信心獲得するにはどうしたらよいのか。仏法は聴聞に極まる。「聞其名号、信心歓喜」（「無量寿経巻下」真・ｐ六三）<br />「たとひ大干世界にみてらん火をもすぎゆきて仏の御名を聞く人は、永く不退にかなうなり」（「浄土和讃」真ｐ二二三）<br />「設今世界に満てらん火をも此の中を過ぎて法を聞くことを得ば」（行巻、真ｐ二七四）<br />「設ひ大千世界に満てらん火をも亦直に過ぎて仏の名を聞くべし」（行巻、真ｐ二七四）。<br />何度も火の中をかきわけてとあるが容易なことではない。「仏法には明日と申すことあるまじく候。仏法のことは急げ急げ」また「仏法には世間の隙を閥きて聞くべし、世間の隙をあけて法を聞くべきように思うこと浅ましきことなり。仏法には明日ということあるまじき由の仰せに候」（「蓮如上人御一代記聞書」真ｐ八九〇）。<br />蓮如上人はこのようにして聴聞するのだぞ、命を賭けて聞け、聞いて信ずる一念に決定するのだぞ、信心決定するまで聞き抜けと何回もくり返し仰せになっているのである。（四二頁）。</p></blockquote>
<p>とあるように、宗祖や蓮如上人の聴聞（聞法）をすすめた文も引用して、真剣な聴聞（聞法）にはげまねば信は得られぬと述べ、頑張って聴聞（聞法）にはげまねばならないことを強調している。<br />それからこれも広い意味で聴聞（聞法）にあてはめることが出来るであろうが、『顕正新聞』に71才の夫人の言葉として<br />
<blockquote>　もう50年もの間、試験など受けたこともない為、最初はやれるかどうか不安であったが、やってみるとなかなか面白い。自分の宿善も厚くなるし、会長先生の御法座を聞いても大変役に立つ。（第109号、昭和46・６・15）</p></blockquote>
<p>とあるように学習に励むことによっても宿善が厚くなると述べている。<br />　又、破邪顕正（正しい教えをひろめること）については『こんなことを知りたい』①（高森顕徹著）に<br />
<blockquote>　真実を知らない人に真実をおしえ、求めねばならぬわけを説いているうちに、いや他人に説くことによって、自分の聞法心も深まって来るのです。即ち宿善が厚くなるのです。法施は最上の布施行だからです。（八七頁）</p></blockquote>
<p>とあり『顕正新聞』には<br />
<blockquote>　外には邪教がはびこり、内はふはい堕落の極に達している現実をみんな心配している。しかし、いたずらになげき、いたずらに怒ってみても何んにもならないのだ。それよりも、今すぐに正法宣布の行動を起すことだ。直に破邪顕正の利剣をもって立つことだ。一人でも多くの人に『邪教の正態<a href="#exp05" name="note05"><sup>[5]</sup></a>』を配布して読んで貰うことが貴方のできる破邪である。顕正しようとする者は、親戚や友人知人を尋ねて親鸞会に入って貰うことだ、一人でも多くの人に真実の幸福を頂いて貰うことである。これにまさる宿善はないし、これ以上の報謝はない。（第３号、昭和37・８・15）</p></blockquote>
<p>とあり、又<br />
<blockquote>　破邪顕正は高森先生の偉業だと感心ばかりして見ていてはならない。幾干の会員は今すぐ一人に二人ずつ破邪し顕正していかねばならない。そこには立ちどころに幾万の正法を知る人が出来る。吾ら愚者の破邪はそこから始まり、それが最大の御報謝、宿善であると信ずる。（顕正新聞第８号、昭和38・１・15）</p></blockquote>
<p>とあり、又<br />
<blockquote>　真実を知り、真実を求め、真実を獲得した我ら親鸞会々員は今こそ我利我利亡者の考えをふりすてて破邪顕正のために露命を如来聖人に捧げようではないか、破邪顕正こそ、無上の宿善であり、最上の報謝である。（顕正新聞第22号、昭和39・３・15）</p></blockquote>
<p>等と述べられている。このように邪教を破して、正しい教えをひろめる破邪顕正をすぐれた宿善とするのであるが、少し趣きを異にするものとして『顕正新聞』に<br />
<blockquote>近時迷惑防止条令の施行を契機として社会悪の一掃は今や社会の声にまでなっている。「ひったくり」を捕えたり、「割りこみ」を注意したりして、アベコベになぐられることがある。ところがハタのものはさわらぬ神にたたりなしで知らぬ顔を半兵衛ときめこむ非協力ぶりが問題になっている。（中略）釈尊は臨終に破邪顕正は仏弟子最高の任務だと遺言なされた。邪悪を見て見ぬふりをするものは仏の怨なりとまで仰言っている。この世も未来も大衆を苦しめる邪教を破ることは我等親鸞会員の最高の任務ではある。けれども邪教を破ることだけが我々の務めではない。ささやかな身辺の社会悪の追放にも努力しなければならない。破邪顕正こそ無上の宿善であり、この勇気と実践のないものが、どうして無上の信の勝利者になれるであろうか。（第13号、昭和38・６・15）</p></blockquote>
<p>とあるように、邪教を破して正しい教えをひろめることのみならず、「ひったくり」や「割りこみ」等の身辺の社会悪の追放に努力することも破邪顕正の一端であり、宿善となるものとしている。<br />　このように宿善として、第一聴聞（聞法）、第二破邪顕正（正しい教えをひろめること）と示されているが、この他に『顕正新聞』に<br />
<blockquote>　会費はあがったとか、又お金を集めるとか思ってはならぬ心がムクムク出て来ます。浄財をすれば凡て自分の宿善になるのだと知りながら悲しい心がでてきます。（第108号、昭和46・５・15）</p></blockquote>
<p>とあり、又<br />
<blockquote>　そこで本会では諸物価高騰の折柄、活動の円滑化を計るために会費の改正を決定しました。実施は52年１月からです。真実の仏法のため提供される浄財はすべて尊い宿善となります。この会費改正にあたって進んで宿善を求めさせて頂きましょう。（顕正新聞第175号、昭和51・12・20）</p></blockquote>
<p>とあり、又<br />
<blockquote>　後生の一大事の助かるか助からないかは、宿善まかせであると蓮如上人は仰言っておられる。宿善は善が宿るものとも読めるのだから少しでも善根功徳を積むように心がけることが大切である（中略）時あたかも岐阜会館建設に着工している。今、会員一人一人が長者<a href="#exp06" name="note06"><sup>[6]</sup></a>のような情熱をもって財施をさせていただき、我々の財施にブレーキをかける祇多太子<a href="#exp07" name="note07"><sup>[7]</sup></a>が現れるまでに財施してこそ真の仏法者といえよう。名利のためにひげをなでるよりもやすく投げ出す千金があれば岐阜会館はたちまちのうちに建ってしまうのである。名利のためしか金を使い切れない者に次々に阿弥陀仏は宿善の勝縁を与えて下さっている。（第184号、昭和52・９・　20）</p></blockquote>
<p>等とあるように、高森親鸞会への会費納入や献金等の財施も宿善となるものとしている。<br />　このように高森親鸞会では、我々の信決定のための宿善をはっきり自力によるものとし、そのためのものとして、聴聞（聞法）、破邪顕正（正しい教えをひろめる）、献金等（財施）の三つをすすめているのである。</p></blockquote>
<p>
<h3>（脚注）</h3>
<ol>
<li><a href="#note01" name="exp01">（↑）</a> 山田行雄氏「現代における異義の研究」（一）（伝道院紀要14）、「現代における異義の研究」（二）（伝道院紀要19）三木照国氏「高森親鸞会の分析」（伝道院紀要14）　拙稿「一念覚知説の研究」（伝道院紀要19）</li>
<li> <a href="#note02" name="exp02">（↑）</a>『真宗異義異安心の研究』三〇七頁。</li>
<li> <a href="#note03" name="exp03">（↑）</a>拙稿「一念覚知説の研究」（伝道院紀要19）</li>
<li><a href="#note04" name="exp04">（↑）</a> 邪しまな教えを破り正しい教えを顕して、人に正しい教えを伝えひろめること。高森親鸞会では初めのうちは、創価学会・天理教等の浄土真宗以外の宗教を邪教としていたが、後になると本願寺既成真宗教団の説く教えも邪教としている。</li>
<li><a href="#note05" name="exp05">（↑）</a> 高森顕徹著『インチキと暴力的邪教創価学会の正態』</li>
<li> <a href="#note06" name="exp06">（↑）</a>祇園精舎建立のために努力した祇樹給孤独長者。須達長者。スダッタ。</li>
<li> <a href="#note07" name="exp07">（↑）</a>祇樹給孤独長者の情熱にうたれ、祇園精舎の土地を提供した人。ジェータ。</li>
</ol>
<p>　<br />　<br />（<a href="http://charlie432.fool.jp/2011/06/29/19/19/19" >つづく</a>）</p>
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		<pubDate>Sat, 11 Jun 2011 09:48:50 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[紅楳英顕先生から許可を得ましたので、3回に分けて全文紹介します。（関連）親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか親鸞会教義の誤り -&#160;紅楳英顕著『派外からの異説について』派外からの異説について紅楳英顕著序　もと本願寺派の僧侶であった高森顕徹氏は、現在富山県の高岡市に本部を設ける宗教法人「浄土真宗親鸞会」(以下、高森親鸞会という)の会長として、かねてより破邪顕正の名のもとに本願寺に対する誹謗をかさね、あるい
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			<content:encoded><![CDATA[<div style="float:right;margin:0 0 1em 1em;"><a href="http://static.zooomr.com/images/9967690_7896e3f37c_o.jpg" title="紅楳英顕 / 派外からの異説について"><img src="http://static.zooomr.com/images/9967690_ca57b3191e_m.jpg" width="180" height="240" alt="紅楳英顕 / 派外からの異説について" /></a></div>
<p>紅楳英顕先生から許可を得ましたので、3回に分けて全文紹介します。</p>
<p>（関連）
<ul>
<li><a href="http://shinrankai.jugem.jp/" >親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか</a></li>
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</ul>
<p>
<blockquote>
<h2>派外からの異説について</h2>
<p align=right>紅楳英顕著</p>
<h3 align=center>序</h3>
<p>　もと本願寺派の僧侶であった高森顕徹氏は、現在富山県の高岡市に本部を設ける宗教法人「浄土真宗親鸞会」(以下、高森親鸞会という)の会長として、かねてより破邪顕正の名のもとに本願寺に対する誹謗をかさね、あるいは宣伝ビラを広く配付し、あるいは本願寺派寺院におしかけて議論をしかけ、あるいは法座の妨害をするなどの活動をつづけていることは御承知の方も多いと思う。<br />　しかし、私どもから見れば、同会の主張には親鸞聖人の正しい宗義に違背すると思われるところが少なくない。そこで、本派の方々が同会の宣伝に惑わされることのないように、その主張の問題点の一部を昭和五十四年十二月発行の『伝道院紀要』24号に「現代における異議の研究」－高森親鸞会の主張とその問題点－と題して発表したわけである。<br />　ところが、右の論文について、同会から「親鸞会を中傷した」ということで、質問状が十数回も送られ、宣伝ビラが配付され、伝灯奉告法要中には多数の会員が白洲に入りこんで、手に手にマイクを持って絶叫し、大切な法要を妨害するありさまであった。<br />　高森親鸞会は真実開顕のためと述べてはいるが、実は初めから高森氏の主張が真実で、他の本願寺などの説くところはうそ偽りであるという前提に固執した上での論議をするのである。このことは、同会の本願寺非難の文を見れば容易におわかりいただけると思う。<br />　けれども、私は、要求に応じて答えるべきことは答えたのであるが、自分達の気に入らない答えは答えと認めない、という態度で繰り返し答えを要求する始末であった。そこで、私は文証をあげて論文で同会の主張を批判したのであるから、それに異議があればお聖教の適確な文証を示して論文として発表するのが筋であろう、と最後に返信したのである。<br />　その後、昨年(昭和五十六年四月)、高森親鸞会は『本願寺の体質を問う』という本を出版し、大々的に宣伝し、また地方にも持ち歩いて頒布した。その書は、私も一読したが、失礼ながら、適格な文証を示しての反論ではなく、私の主張を歪曲したり、悪口雑言を並べたりしているものである。また同会から、私に本を出版したとも、反論しろとも、何の連絡もなかったので、あえて反論する必要もなかろうと思い、そのまま放置していたのである。<br />　ところが、本年八月十三日に「答えを求める」ということで、またまた多数の会員が総御堂に入り、揃いの鉢巻をしめて座りこみ、閉門時が過ぎても退去しないという行動に出てきたのである。しかも、これで終わることなく、更に次の挙に出るといっている。<br />　こういうわけで、高森親鸞会が私個人に対して罵詈誹謗をあびせるだけならば、相手にしないということも考えられるが、このように騒ぎ立てる以上は、ここにおける宗義上の問題は何か、真相はどうか、ということを各位に知っていただくため、その論点の概要を示す次第であります。</p>
<p>
<h3 align=center>はじめに</h3>
<p>　高森親鸞会発行の『本願寺の体質を問う』は、「なぜ真実開顕に背を向けるのか、本願寺の体質を問う」と「親鸞会はかく反論する」の二部からなっている。この中、第一部「本願寺の体質を問う」は、高森親鸞会から私や本願寺当局宛に出された質問状と、私から同会に出した返信を、月日の順に掲載したもので、第二部「親鸞会はかく反論する」には、宿善論の問題と後生の一大事の問題について、私の論文の主張に対する反論非難がなされている。<br />　問題を混乱させないために、最初に申しあげておくが、この書『本願寺の体質を問う』のはじめに、<br />
<blockquote>本派本願寺発行の『伝道院紀要』二十四号は、「現代に於ける異義の研究－高森親鸞会の主張と、その問題点」と題して、「親鸞聖人の教えに反する、全くの謬見であり異義である」と、親鸞会批難の論文を掲載した。本願寺の主張を代弁して、紅楳英顕氏が書いたものである。（はじめに）</p></blockquote>
<p>とある。ここに「本願寺の主張を代弁して……」とあるが、私は、本願寺の主張を代弁したのではない。かねてから本願寺に対して何かと非難中傷している高森親鸞会の主張について、その問題点を私個人の研究論文として発表したのである。それは、派内の方がたに参考にしていただくためであって、同会に対する攻撃を目的としたものではない。その旨は、同会に知らせてある。にもかかわらず、「相変わらず本願寺の主張を代弁して」等と言い張っているわけである。<br />　また、次下には、<br />
<blockquote>本願寺の批判論文には幾多の不審や疑問があった。そこで親鸞会はその不審を散ぜんが為に四つの質問を提出し、誠心誠意返答を求め続けて来た。が今だに回答が得られない。（はじめに）</p></blockquote>
<p>と述べている。高森親鸞会は、私が一度も回答をしていないようにいい、同会の発行する『顕正新聞』にも、そのように書いて盛んに宣伝しているのである。しかし、それが事実でなかったことは、この『本願寺の体質を問う』に掲載されて私からの返信を見ていただけば、おわかりいただけると思う。<br />　往返の手紙の内容は、同書に全文が載せられているので、見ていただく通りであるが、読者の中には、私の返信について、もっと親切に書いた方がよいのではないかと思われる方があるかも知れない。しかし、その必要はなかったと私は思っている。なぜなら、高森親鸞会側には、私の主張に耳を傾け、自らにも反省すべき点がないかどうかを考える姿勢がみられず、自らの主張は絶対に正しいという前提のもとに議論をしかけてきていると考えられるからである。<br />　なるほど、同書には「このような体質で、本願寺に明るい未来があるだろうか」とあり、また、同書の宣伝ビラには「本願寺の明るい未来を願って提言」と書いている。だが、高森氏に本願寺のためを思う気持があるとは私には思えない。これは先に発行された『どちらがウソか』において、本願寺に対する一方的独善的な非難中傷をしていることからも、よく解ることである。また、その頃、本願寺前で配付され、今も配付をしている宣伝ビラに、<br />
<blockquote>今まで親鸞聖人の教えをネジ曲げて大衆をだまし、仏法を喰い物にして来た人達は、本当の親鸞聖人の教えが大衆に知れ亘ることを極度に怖れます。それは丁度牛肉だと喰わされていた大衆がネズミの肉であったことを知ればどんなにか憤激し離反することは必至だからです。</p></blockquote>
<p>等と書いていることでも、自明である。さらには『こんなことが知りたい』&#9313;の「なぜ自ら本願寺をとび出したか」の項に、<br />
<blockquote>現今の本願寺は沈没寸前の老朽船です。それどころか親鸞聖人や蓮如上人のみ教えをネジ曲げ、真実の仏法を破壊している本願寺の老船は速やかに爆沈すべきです。これこそ「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし」の恩徳讃の心に燃える信心の行者の心意気でなければならないと確信しております。</p></blockquote>
<p>ともある。このように、高森氏は、本願寺を破壊することを目的としているとしか受けとれない表現を使っているのである。<br />　その上、高森親鸞会は、公約として私への書簡(『本願寺の体質を問う』26頁掲載、以下頁数だけの表記は同書における掲載箇所)やビラ等にも、<br />
<blockquote>浄土真宗親鸞会はこのことに関しては、相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望せられる方法で時と場所を問わず、申し出さえあれば親鸞聖人の本当のみ教えを開顕する為に喜んで応ずることを公約しているのですから、遠慮なされず申し出て下さい。</p></blockquote>
<p>ともいってある。同会からの質問に対しては、すでに私から返答しているので<br />あるから、まだ異議があるなら、同会も、独断によるのではなく、文証をはっきり示して、論文形式で反論すべきであろう。どちらの主張が正しいかは読者が判断することであろうと考える。</p></blockquote>
<p>　　　<br />（<a href="http://charlie432.fool.jp/2011/06/12/16/49/06" >続く</a>）</p>
<p> <br />
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		<title>【本】高森顕徹 / （新装版）光に向かって１００の花束</title>
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<p>同名書籍の新装版です。ハードカバーの<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/492525300X?ie=UTF8&#038;tag=charlie432-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=7399&#038;creativeASIN=492525300X" >『光に向かって１００の花束』</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=492525300X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />がソフトカバーになり、ほぼ同じデザインで、目に優しい緑色の装丁となりました。</p>
<p>この本の特徴は「読みやすさ」にあると思います。短い話が１００収められているので、どこからでも読めますし、一気に読み通す必要もありません。時間の無い人には有難いです。</p>
<p>花束をもらって心が和むように、心あたたまるエピソードが満載なので、祝い品や記念、プレゼントとして贈呈すると喜ばれるのではないでしょうか。会社の研修や朝礼にも使われているとか。<br /><br clear=all><br />
<blockquote>古今東西の、失敗談、成功談、心温まるエピソードから、元気がわくヒントを100選びました。<br />１話３分で読める気軽さ。おもしろいだけでなく、ためになるエピソード満載です。<br />すでに英語版、中国語版、韓国語版も発刊され、「この本は、宝石箱だ」と書評が掲載されるほどの人気ぶり。<br />100話の中には、人間関係、仕事の悩み、子供の教育、夫婦仲など、人生を明るくするヒントがあふれています。</p></blockquote>
<p>元となるのは<strong>『教訓』（大沼法龍著）</strong>。一つ前に書いた『銀河鉄道９９９』と『銀河鉄道の夜』の関係とは違って、こちらは表現の細部にわたってほぼ同内容です。大沼師に対する敬意の表れか、それとも何か深い意味があってのことでしょうか。</p>
<p>非常に良い内容ですし、元の話と比べてみると面白いので、是非手にとって読むことをお薦めしたい良書だと思います。</p>
<p>以下、<a href="http://blog.goo.ne.jp/ohnumahouryu" ><strong>大沼法龍師の言葉</strong></a>より。<br />
<blockquote>
<h3><a href="http://blog.goo.ne.jp/ohnumahouryu/e/f8de55fe78869e797fb56194499a77a4" >２８５　タンベルグ</a></h3>
<p>　有名な音楽家のタンベルグに、新作の発表をするためにピアノ演奏の依頼に行った。「私には練習する日が足りません」「でも四日もあれば、このくらいの歌曲なら訳ないでしょう」「いや、私は公開の席に出るには一日五十回、一ヶ月の練習で千五百回以上練習しなければ出演しません」なんと、名人になる人は違う。布教使の優秀なのがいないはずだ、飲みたい放題飲み、食いたい放題食い、寝たい放題寝て、言いたいまかせを言うているのだもの肺腑を貫く布教ができないはずだ。
<div align=right>（「教訓」ｐ３４４）</div>
</blockquote>
<p> </p>
<p><a href="http://feedads.g.doubleclick.net/~at/cdBXi32gDlOUcMoyIZE-1m7snNI/0/da"><img src="http://feedads.g.doubleclick.net/~at/cdBXi32gDlOUcMoyIZE-1m7snNI/0/di" border="0" ismap="true"></img></a><br/><br />
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		<title>人生の目的は「無碍の一道」 / 『歎異抄』第七章</title>
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			<content:encoded><![CDATA[<div style="background-color:#000000;color:#FFFFFF;margin:0 0 1em;padding:1em;">【2010.09.02 追記】<br />
これを書いていたときは知りませんでしたが、紹介している本の著者・監修者について、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。</p>
<p>・<a href="http://nazeyame.shinrankai.biz/akehashi.html" target="_blank" style="color:#00FFFF;">明橋大二医師と親鸞会</a><br />
・<a href="http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2007/08/100_80e4.html" target="_blank" style="color:#00FFFF;">高森顕徹著「光に向かって100の花束」は大沼法龍の著作のパクリです: さよなら親鸞会</a></p>
<p>（注）「親鸞会」とは、この本の監修者が会長をつとめる団体です。</p></div>
<div style="float:right;margin:0 0 1em 1em;"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=000000&#038;IS2=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=charlie432-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&#038;asins=4925253018" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p>親鸞聖人報恩講に行ってきました。使用テキストは<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4925253018?ie=UTF8&#038;tag=charlie432-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=7399&#038;creativeASIN=4925253018" >『なぜ生きる』</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=4925253018" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />。</p>
<p><strong>報恩講</strong>とは、毎年、親鸞聖人のご命日である１１月２８日前後に行われるもので、浄土真宗では、５月２１日の聖人ご生誕を喜ぶ降誕会と並んで、大きな行事の一つです。</p>
<p>親鸞聖人がお生まれにならなかったら知ることの出来なかったことがあり、そのご恩に報いる集まりが報恩講です。聖人のご恩に報いるには、親鸞聖人の望んでおられたことを知らなければなりません。親鸞聖人は一生涯何を望んでおられたのか。『歎異抄』第七章を通して親鸞聖人のみ教えを学ばせて頂きました。<br clear="all"><br />
<blockquote>念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々。
<div align=right>（『歎異鈔』第七章）</div>
</blockquote>
<p><span id="more-1856"></span></p>
<p>親鸞聖人は何を望んでおられたか。「早く念仏者になってもらいたい」と言われています。そして、念仏者になると無碍の一道になると仰っています。</p>
<p>無碍の一道とは、一切の障りが障りとならない、絶対の幸福です。どんな幸福も、最後、死が最大の障りとなりますが、その死をも障りとならない世界が無碍の一道です。死が障りとならないといっても、死ななくなる訳ではありません。障りが障りとならなくなる、ということです。</p>
<p>この身になることが、人生の目的だと言われているのです。</p>
<p>政治も経済も、科学も医学も、生きるためにあるものですが、大事なことは何のために生きるのか、ということです。生きることを泳ぐことに喩えると、生き方とは泳ぎ方ということになります。平泳ぎとかクロールとか、泳ぎ方は色々ありますが、大切なのはどこへ向かって泳ぐかということです。方角を間違えてしまったら、一生懸命泳げば泳ぐほど土左衛門に近づいてしまう、ということになってしまいかねません。だから、泳ぎ方も大切ですが、どこに向かって泳ぐのかという目的地はもっと大切なのです。それと同様に、生きるということでも、どう生きるかということは大事ですが、最も大切なことは生きる目的であります。</p>
<p>人生の目的は無い、と言う人がいますが、それは、死ぬために生きると言っているのと同じことです。</p>
<p>また、生きる目的は人それぞれだ、と言う人もいますが、それは趣味や生き甲斐の事です。それらは、やがては「死」という障りによって崩されてしまうものです。人生の目標とか、生き甲斐などと、人間として生まれて来た目的（人生の目的）とは違うものです。</p>
<p>人生の目的は、万人共通のもので、完成、達成という事があります。また色褪せるということがありません。親鸞聖人は「無碍の一道」が人生の目的だと言われました。一切が障りとならない、絶対自由の世界です。</p>
<p>さて、『歎異抄』第七章。ここで親鸞聖人は<b>「念仏者は無碍の一道なり」</b>と言われています。これは「念仏者になって下さい。そうすれば無碍の一道に出れます」と親鸞聖人が願っておられるお言葉です。これが９０年の生涯、教え続けられた、たった一つのことです。 </p>
<p>では、無碍の一道に出た世界はどのようなものか。それを「そのいわれ如何とならば」の後で言われています。</p>
<p><b>「信心の行者には天神地祇も敬伏し」</b></p>
<p>「信心の行者」とは「念仏者」のことです。</p>
<p>天神（てんじん）とは天の神、地祇（ちぎ）とは地の神です。日本で神というと、日本神道の神を皆思い浮かべます。日本神道の神は、歴史上名を上げた人の霊魂が宮に鎮座して、生きている人に禍福（不幸や幸福）を与える力のあるものです。日本は神信心の強い国です。</p>
<p>しかし、親鸞聖人がここで「天神地祇」と言われているのはそういう神ではありません。仏教では、死んだ人間がじっとして、宮に奉られるものではない、と教えます。そうでなければ後生は一大事と説く教えと合わなくなってしまいます。ここで言われている神とは、仏法を守護する神、日本で言われる神とは段違いに尊敬されるべき存在です。</p>
<p>無碍の一道の世界に出たら、それらの神々に尊敬される身になる、というのです。世間中の人々が神に頭を下げているのに、信心の行者になると、神々に頭を下げられるようになるのです。神々に頭を下げられるということがハッキリ知らされたから、私達にも「神を拝むのではなく、神々に拝まれる身になれよ」と厳しく教えられた方が親鸞聖人です。</p>
<p>では、天神地祇に頭を下げられるようになると、全ての人に頭を下げられるようになるだろう、と思うかもしれませんが、そうではありません。<br />
<blockquote>「天神地祇も敬伏し」とは、天地の神々までもが敬伏するのだから、念仏者をすべての人が尊敬するということではない。念仏者の聖人が、生涯、非難中傷の渦中であったことを知れば、おのずと明らかであろう。
<div align=right>（『なぜ生きる』二部 25章）</div>
</blockquote>
<p>念仏者を敬伏するのは天地の神で、そのぐらいにならないと、念仏者の尊さは分かりません。世間一般の人からは、親鸞聖人は非難攻撃の的でした。</p>
<p>それにもかかわらず、<b>「魔界・外道も障碍することなし」</b>と言われています。「魔界」とは、私達を苦しめるもの全てです。「善因善果　悪因悪果　自因自果」の因果の道理を知らないと、誰かが自分を苦しめているとしか思えません。その、自分を苦しめているものを魔界と言われているのです。「外道」とは、仏教以外の、真実でないことを教えている教えです。魔界・外道も、信心の行者の幸福を妨げることは出来ないと仰っています。これはその人の力ではなく、バックに阿弥陀仏がついているから前進を止めようがないのです。</p>
<p>では、「信心の行者」＝「念仏者」とはどういうものでしょうか。念仏者と聞くと、念仏称えている人と思う人が多いと思います。そして、念仏称えたら極楽へ往けると皆思っています。しかし、それは間違いですよ、と蓮如上人は御文章に仰っています。<br />
<blockquote>それ人間に流布して皆人の心得たる通は、何の分別もなく口にただ称名ばかりを称えたらば、極楽に往生すべきように思えり。それはおほきに覚束なき次第なり。
<div align=right>（『御文章』五帖目十一通）</div>
</blockquote>
<p>念仏に３通りある、と教えられるのが親鸞聖人です。念仏とは「南無阿弥陀仏」と称えることですが、称える人の心によって３通りの念仏があるのです。<br />
<blockquote>念仏者と聞くと&quot;南無阿弥陀仏&quot;と称えている、すべての人と思うだろうが、称える心はまちまちだ。科学的に分析すれば同じ涙でも、&quot;うれし涙&quot;やら&quot;悲し涙&quot;&quot;くやし涙&quot;など、心はいろいろあるように、口では同じく南無阿弥陀仏と称えていても、&quot;念仏も善の一つ&quot;ぐらいに思っている人もあれば、&quot;ずば抜けた善だ&quot;と信じて称えている人もいよう。<br />　だが、無碍の一道に生かされた&quot;うれしさ&quot;に、称えずにおれない念仏者もあるのだ。ここでいわれるのは、まさにその念仏者であって、前章で述べた、摂取不捨の至福の身になった、他力の信心を獲得した人のことである。すぐあとに「信心決定の行者」と言いかえられていることからも、それは明白であろう。</p></blockquote>
<p>仏教の言葉で言うと、
<ol>
<li><b>万行随一の念仏</b>……善の一つと思って称える念仏</li>
<li><b>万行超過の念仏</b>……ずば抜けた善と思って称える念仏</li>
<li><b>自然法爾の念仏</b>……無碍の一道に生かされた嬉しさに称えずにおれない念仏</li>
</ol>
<p>の３通りです。</p>
<p>「念仏者」とは、自然法爾の念仏を称えている人のことですが、この念仏のことを『御文章』で蓮如上人はこう仰っています。<br />
<blockquote>聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候。その故はものもろの雑行（ぞうぎょう）をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう。その位を「一念発起（いちねんぽっき）・入正定之聚（にゅうしょうじょうしじゅ）」とも釈し、その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と、心得べきなり。
<div align=right>（『御文章』五帖目十通）</div>
</blockquote>
<p>阿弥陀仏に救われたお礼の念仏を称える人、そういう念仏の行者には、天神・地祇が頭を下げ、魔界・外道も障りにならず、どんな善を積んだ結果よりもすばらしい幸せな身になれるから、「無碍の一道」と言われているのです。</p>
<p>では、どうすればそういう身になれるのかというと、「信心」一つで、どのような信心かというと、もろもろの雑行のすたった信心だと言われていますが、詳しいことは機会があれば、またその時に（・∀・）／</p>
<p>
<blockquote>
<div style="float:right;margin:0 0 1em 1em;"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=000000&#038;IS2=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=charlie432-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&#038;asins=4925253018" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<h2 style="margin-top:0;">（２５）人生の目的は「無碍の一道」</h2>
<h3>◎「我に自由を与えよ　しからずんば死を！」―真の自由はいずこに</h3>
<p>「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」（夏目漱石『草枕』）<br />「人間は自由な者として生まれたが、しかし、いたる所で鎖につながれている」（ルソー『社会契約論』）<br />　古今東西変わらぬ嘆きではなかろうか。<br />　親の期待にがんじがらめにされる子供。夫は職場にしばられ、妻は家庭にしばられる。老いては暗い六畳間に幽閉される。自由を願いながら、どこにも自由はないようである。<br />　そんな中、親鸞聖人は、さえぎるものなき「無碍の一道」のあることを、宣言されるのだ。「歎異鈔」では、第七章である。<br />
<blockquote>　念仏者は無碍の一道なり。そのいわれ如何とならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず、諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々。
<div align=right>（『歎異鈔』第七章）</div>
</blockquote>
<p> 平易にいえばこうである。<br />「摂取不捨の利益を得た念仏者は、一切のさわりがさわりとならぬ素晴らしい世界に生かされる。それはどうしてかといえば、他力の信心を得た行者には、天地の神々も敬って頭を下げ、魔界外道も恐れ入ってしまうからだ。どんな悪報も苦にならないし、いかに優れた人の努力（諸善）の結果も及ばない、まったく放たれた自由人となるからである」<br />　まず驚くのは、「念仏者は無碍の一道なり」の断言だろう。<br />　念仏者と聞くと&quot;南无阿弥陀仏&quot;と称えている、すべての人と思うだろうが、称える心はまちまちだ。科学的に分析すれば同じ涙でも、&quot;うれし涙&quot;やら&quot;悲し涙&quot;&quot;くやし涙&quot;など、心はいろいろあるように、口では同じく南无阿弥陀仏と称えていても、&quot;念仏も善の一つ&quot;ぐらいに思っている人もあれば、&quot;ずば抜けた善だ&quot;と信じて称えている人もいよう。<br />　だが、無碍の一道に生かされた&quot;うれしさ&quot;に、称えずにおれない念仏者もあるのだ。ここでいわれるのは、まさにその念仏者であって、前章で述べた、摂取不捨の至福の身になった、他力の信心を獲得した人のことである。すぐあとに「信心決定の行者」と言いかえられていることからも、それは明白であろう。</p>
<h3>◎&quot;雨がやまないように&quot;&quot;山がもっとさびしければ&quot;&quot;村がもっと遠ければいい&quot;……。恨んでいた水内遠さも、今は少しも苦にならない</h3>
<p>　さわりだらけの世界のさわりのままで、自由に生きられるなんて、本当なのか。誰にでも納得できるような説明は困難だが、こんなたとえででも想像してもらおう。</p>
<p>　少年は山ひとつ越えた学校へ、一人で通学しなければならなかった。<br />　課外活動で遅くなった帰路などはどきっとするようなさびしい山道もある。夏はジリジリ照りつける太陽に焼かれ、冬は容赦なくたたきつける吹雪に、しゃがみこむこともあった。雨がふると、たちまち坂道が滝になる。<br />「ああ、もっと学校が近ければ……。この山さえなかったら……」<br />　いつも山と道とが、恨めしかった。<br />　やがて学校に、美しい少女が転校してきた。なんと彼女は同じ村ではないか。以来、しばしば一緒に通学し、遠い学校のこと、さびしい山道のことなども語り合う、親しい仲になっていた。<br />　ある日、学校を出てしばらくすると、にわか雨におそわれた。なかなかやみそうにない。傘は少女の一本だけ。思いがけずに相合傘になった少年は、村に着くまでひそかに願った。<br />&quot;雨がやまないように&quot;&quot;山道がもっとさびしければ&quot;&quot;村がもっと遠ければいい&quot;&quot;苦しめるもの&quot;と、あんなに恨んでいた道の遠さも、山のさびしさも、変わってはいいのに、今は少しも苦にならない。&quot;さわり&quot;がかえって楽しみになっているようなのだ。一時的にしろ、誰にでも、身に覚えのあるようなことではなかろうか。</p>
<h3>◎不自由の中に　自在の自由を満喫する「無碍の一道」</h3>
<p>　再び『歎異鈔』七章の、原文にかえろう。<br />「天神地祇も敬伏し」<br />とは、天地の神々までもが敬伏するのだから、念仏者をすべての人が尊敬するということではない。念仏者の聖人が、生涯、非難中傷の渦中であったことを知れば、おのずと明らかであろう。<br />　では、なぜ諸神も敬伏すると言われたのか。苦悩の根元（無明の闇）を破る弥陀の誓願の不思議さと、その誓願を開顕する念仏者の信念に、&quot;天神地祇も敬伏する&quot;と言われているのである。<br />「魔界外道も障碍することなし」<br />といっても、不幸や災難がおきなくなるとか、外道や邪教徒からの非難攻撃がなくなることではない。<br />&quot;人間に生まれてよかった&quot;の大生命の歓喜を得れば、どんなにあざけり笑われ、攻撃されようと、誓願不思議を伝え切る念仏者の前進を、何者もさまたげることはできない、ということだ。<br />「ただ、仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず」（『教行信証』）<br />　四面楚歌の九十年、独り突き進まれた聖人の、激しさ、たくましさの秘密を汁思いがする。<br />「罪悪も、業報を感ずることあたわず」<br />とは、悪い結果があらわれて苦しむときは、&quot;まかぬ種は生えぬ&quot;みんなわが身のまいたタネ、どんな報いを受けても文句の言えない極悪人が、摂取不捨の幸福者とは不思議の中の不思議、<br />「弥陀の誓願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がため」<br />と、懴悔と歓喜に転じたからである。<br />　いかなる振る舞いもする「地獄一定」の自己と、そのまま「極楽一定」にする弥陀の誓願を、同時に知らされていた聖人であったからこそ、言えたことであろう。<br />　悲しみもよろこびも、不安も安心も、災難も幸福も、総てが生命いっぱい生きとげる、純然な輝きに転じ変わってしまうのである。<br />　人間の努力が生み出す、どんな結果も及ばない世界だから、<br />「諸善も及ぶことなき無碍の一道」<br />と言われている。<br />　不自由の中に自在の自由を満喫する「無碍の一道」こそが、すべての人の求めてやまない究極の目的なのだ。</p></blockquote>
<p> <br />
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		<title>『歎異抄』勉強会@知人宅 2009.10.25</title>
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		<pubDate>Sun, 25 Oct 2009 15:00:00 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ 『歎異抄』の勉強会に行ってきました。使用したテキストは、高森顕徹 /『歎異抄をひらく』→備忘録の中から、一部をまとめてみました。↓リンク先で全文読めます。【はじめに】■『歎異抄をひらく』が書かれた目的自分の体験とか思想から『歎異抄』を解説した本は沢山ある。しかし、これらが本当の親鸞聖人の教えを伝えているか、となると、満足できるものはなかった。親鸞聖人の教えが曲げられたり、曖昧なものが多かった。そこで、
 
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			<content:encoded><![CDATA[<div style="background-color:#000000;color:#FFFFFF;margin:0 0 1em;padding:1em;">【2010.09.02 追記】<br />
これを書いていたときは知りませんでしたが、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。</p>
<p>・<a href="http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20100105tannisho.htm" target="_blank" style="color:#00FFFF;">異端か、正統か｜『歎異抄をひらく』発刊から１年１０カ月｜浄土真宗親鸞会</a><br />
・<a href="http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2010/01/post-78b7.html" target="_blank" style="color:#00FFFF;">『歎異抄をひらく』畏敬から失笑へ: さよなら親鸞会</a></p>
<p>（注）「親鸞会」とは、この著者が会長をつとめる団体です。</p></div>
<div style="float:right;margin:0 0 1em 1em;"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&#038;bc1=000000&#038;IS2=1&#038;bg1=FFFFFF&#038;fc1=000000&#038;lc1=0000FF&#038;t=charlie432-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;m=amazon&#038;f=ifr&#038;md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&#038;asins=4925253301" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p><a href="http://www.10000nen.com/book/tanni/tannisho.htm" >『歎異抄』</a>の勉強会に行ってきました。</p>
<p>使用したテキストは、</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4925253301?ie=UTF8&#038;tag=charlie432-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=7399&#038;creativeASIN=4925253301" >高森顕徹 /『歎異抄をひらく』</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=4925253301" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />→</p>
<p>備忘録の中から、一部をまとめてみました。<br clear=all></p>
<p><span id="more-1819"></span><br />↓リンク先で全文読めます。<br />
<h2>【<a href="http://www.10000nen.com/book/tanni/tanni_hajimeni.htm" >はじめに</a>】</h2>
<h3>■『歎異抄をひらく』が書かれた目的</h3>
<p>自分の体験とか思想から『歎異抄』を解説した本は沢山ある。しかし、これらが本当の親鸞聖人の教えを伝えているか、となると、満足できるものはなかった。親鸞聖人の教えが曲げられたり、曖昧なものが多かった。そこで、親鸞聖人の教えを正しく知ってもらいたいということで本書は書かれた。『教行信証』、その他のお聖教（仏教の本）に書かれていることが親鸞聖人の教えであり、信心である。それが明らかにされている解説本がなかったので、『教行信証』、その他のお聖教を基準とされている。</p>
<h3>■どうして「仏教学者はいうにおよばず、多くの作家や思想家が、こぞって『歎異抄』を論じ始めた（３ページ）」のか。</h3>
<ol>
<li>二種深信（にしゅじんしん）の教えに引かれ。
<ul style="list-style-type: none;">
<li>真実の信心かどうかは、二種深信かどうかによってのみ判定する。二種深信とは、「絶対助からない自分」と「絶対に助ける弥陀の本願」に疑いが晴れること。この二つのことが、同時に一人の上にある。絶対矛盾した考え。これが絶対の境地。『歎異抄』には、二種深信が色々な表現で書かれている。これが、学者や、思想に関心のある人を引き付けるのではないか。何かハッキリしないけれど、何か引き付けられる、二種深信がにじみ出ているのを感じるのであろう。</li>
</ul>
</li>
<li>大変な美文で書かれているから。</li>
<li>親鸞聖人の仰ったことが書かれているから。</li>
</ol>
<h3>■「『歎異抄』は聖人亡き後、親鸞聖人の仰せと異なることを言いふらす者の出現を嘆き、その誤りを正そうとした」（２ページ）本であるのに、「蓮如上人の訓戒どおり『歎異抄』は、もろ刃の剣である。冒頭にあげた「善人なおもって」の言葉など、皮相の見では悪を勧めているようにも映る」（３ページ）とあるように、誤解を生むような言葉で書かれているのはなぜか。</h3>
<p>『歎異抄』とは、「異なることを歎く」とあるように、親鸞聖人の仰らなかったことを「これが親鸞聖人の仰ったことだ」と言っているのを歎いて、本当の親鸞聖人の教えを伝えようと書かれた本。それなのに、なぜ、誤解を招く表現がされているのか。書いた人が悪いのか？<br />二種深信とは、言葉にかからない不可称・不可説・不可思議のもの。言葉になったものは、想像できるが、親鸞聖人は二種深信しか仰らなかった。言葉にならないことだが、言葉で伝えるしかなかった。表せないものを表そうとすると、読む人が間違う危険性は、親鸞聖人の教えを正しく書こうとした者には、必ずそういうリスクはある。これは仕方のないこと。『教行信証』もそう。だから蓮如上人は「この『歎異抄』は大事なお聖教だ」と書かれているが「誰にも読ませて良い、というものではない」と、５００年前に封印された。間違ったことが書かれているからではなく、そういう（誤解を招く）内容だから。表すことの出来ないことを表そうとするのは、お釈迦様にも出来ない。でも、言葉でしか伝えることはできない。そうすると、そのような危険性は避けることが出来ない。<br />私達は、言葉で教えを聞くのだが、最後、弥陀に救われるのは、言葉を離れた世界。そこまで、言葉によって導かれる。</p>
<h3>■二種深信の世界が広まると、世界はどのように変わってくるのか</h3>
<p>何のために生まれてきたのか、生きているのか、全人類がハッキリする。そうすれば、命は大事だということがハッキリする。全てのものは、人生の目的達成の為に存在するとハッキリする。全人類、万物は、これ一つの為に存在する、とハッキリする。科学も医学も大変変わる。「御同行」「御同朋」と、いわゆる人種差別はなくなる。医学の目的は延命だが、では、延ばした命で何をするのか？仕事をするのか？趣味をするのか？それがハッキリする。仏教では私達の心を８つに分けている。その中の前五識が、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識。見たり聞いたり、嗅いだり食べたり、触れたりして楽しむ楽しみは、肉体の楽しみ。これらはしばらくのことで、続かない。これを如何に長続きさせるか、と努力しているのが政治、経済、科学、医学など。二種深信が広まると、これらが変わる。<br />また、人生観も変わる。７０～８０年のことではなく、親鸞聖人の教えを聞くと、人生観は昿劫、億劫となる。何億兆年のうちの１００年は、一瞬のこと。その一瞬のことを論じているのが政治や経済、科学医学など。昿劫、多生のことを問題にしているのが仏教。何億兆年の中の一瞬を、どう位置づけするか。人生観が大きく変わる。</p>
<h3>■『歎異抄』の著者は唯円ではないか、とも言われているが、著者不明。書いた人の名前が書かれていないのはどうしてか？</h3>
<p>こういう疑問は前からもあった。今もある。色々なことが考えられており、中には、浄土宗のスパイではないか、というものもある。親鸞聖人のお名前を出して、親鸞聖人を尊敬しているという立場で書かれているので、浄土宗のスパイが、親鸞聖人の教えを聞いている人の信仰を惑乱させるために書いたのではないか、という学者もいるし、名誉欲を嫌った、控えめな人だったのではないか、という学者もいる。親鸞聖人は、自分の書いたものには名前を書いておられる。それは、名誉欲の一つでもあろうし、責任のありかをハッキリさせるため、ということもある。もし間違っていたら責任は私にあります、と。『歎異抄』に名前がないのは、本当のところは誰にも分からない。<br />問題は、誰が書いたのか、ということよりも内容。</p>
<h2>【序】</h2>
<h3>■直に聖人のご教授なされた真実信心と、異なることが説かれているのは、嘆かわしい限りである。（３２ページ）</h3>
<p>なぜそうなるのか。根本は、親鸞聖人の教えが正しく分からないから。親鸞聖人と異なる信心だから。<br />また、名誉欲で、珍しい法をを教えようとするから。教えよりも自分が大事だとそうなる。親鸞聖人は常に<br />
<blockquote>更に親鸞、珍しき法をも弘めず。如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり</p></blockquote>
<p>と戒められた。蓮如上人もまた<br />
<blockquote>当流に更に沙汰せざる珍しき法門を讃嘆し、同じく宗義に無き面白き名目なんどを使う人これ多し。以ての他の僻案なり。自今已後、固く停止すべきものなり（御文章四帖目八通）</p></blockquote>
<p>と言われている。珍しいのは体験。人を惹きつける力はあるが、続かない。体験は教えではない。法、教えというのは、普遍的なもの。不変のもの。三願転入は、法の上で説かれている。自己顕示欲を抑えてゆかねばならない。<br />正しい教えを聞かなければならない。根本からいえば、真実信心がないから。真実信心があれば、何をおいても仏法しかない、となるから。</p>
<h2>【第一章】</h2>
<h3>■「ただ信心を要とすと知るべし」＝「ただ「仏願に疑心あることなし」の信心を肝要と知らねばならぬ」（３７ページ）</h3>
<p>「信心」＝「仏願に疑心あることなし」<br />世間で言われる「信心」と、親鸞聖人の言われる「信心」とは、全く異なる。<br />世間一般でいう「信心」とは、疑いがあるけれど、その疑いを押さえて信じようとしている心。疑いが無ければ「信ずる」ではなく「知っている」と言う。「私の夫は男だと信じる」と言う人はいない。<br />親鸞聖人の言われる「信心」とは、疑いの心が全く無くなった心。何に疑いがなくなった心かというと、阿弥陀仏の本願に全く疑いが無くなった心。親鸞聖人の教えられる信心は、釈迦が本願成就文で説かれている信心。親鸞聖人は<br />
<blockquote>「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。これを「聞」と曰うなり（教行信証信巻）</p></blockquote>
<p>と仰っている。「聞」＝「信心」。衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し、という信心。だから、「ただ信心を要とすと知るべし」＝「ただ「仏願に疑心あることなし」の信心を肝要と知らねばならぬ」となる。</p>
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		<title>高森顕徹 / 歎異抄をひらく（朗読ＤＶＤ）</title>
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		<pubDate>Wed, 24 Dec 2008 15:00:00 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[【2010.09.02 追記】
これを書いていたときは知りませんでしたが、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。
・異端か、正統か｜『歎異抄をひらく』発刊から１年１０カ月｜浄土真宗親鸞会
・『歎異抄をひらく』畏敬から失笑へ: さよなら親鸞会
（注）「親鸞会」とは、この著者が会長をつとめる団体です。


「朗読ＤＶＤブック 歎異抄をひらく：高森顕徹（１万年堂出版）」というサイトを見ていたら、
以前取り上げた『歎異抄をひらく』（高森顕徹）の朗読ＤＶＤが出るそうです。

しかも１月１日発売というのは、何とも&#34;「開けまして」おめでとう&#34;なタイミングの『歎異抄をひらく』です。

朗読者の鈴木弘子さんは「赤毛のアン」や「クレヨンしんちゃん」、「名探偵コナン」、「ルパン三世」といった人気アニメや「ゴッドファーザー」、「タイタニック」、「ベン・ハー」などの洋画吹き替えなど、幅広い活動をしており、確かにどこかで聞き覚えがあるような、、、

歎異抄 第３章／有名な悪人正機を言われたもの：原文と現代語訳の朗読

ＮＨＫ児童劇団第１期生。子役時代からＮＨＫを中心に活躍するが、大学在学中外国映画の吹き替えに起用されたのを機に、卒業後声優活動を本格化させる。

アニメのほかにも、海外ドラマの吹き替えを務めるなど、幅広い活動をしている。特にテレビで放映された吹き替えの数は多く、ジャクリーン・ビセットの吹き替えの大半をつとめている。池田昌子、小原乃梨子と並んで美女の吹き替えの数が多く、７０年代以降のパニック映画ではその声が必ず聞こえてくるほど出演が多い。

本人自身も美女の評判が高く、６０年代には実写ドラマのヒロイン役の出演実績があり、バラエティー番組等の司会も少なくない。
（Wikipediaより）

なるほど美女の声です！（＾o＾）
『光に向かって花いっぱいの散歩道』はじめ、他の高森顕徹さんの著書でも朗読をしてます。著者のファンなのかも知れませんね。

この『歎異抄をひらく』の朗読は、すでにラジオ放送がなされているとのこと。ラジオを聞き逃した人や、朝の時間帯は忙しくて聞けない人には有り難い、今回の発売と言えるでしょう。
 → 『歎異抄をひらく』ラジオ放送の予定（１万年堂出版）

それにしても、この本、丸ごと１冊全部朗読されているのでしょうか？　とすれば、相当の時間になるのでは、、、（ﾟдﾟ;;

と思って調べてみたら、
　第１部　『歎異抄』の意訳（約７５分）

　第２部　『歎異抄』の解説（約１６０分）

　第３部　『歎異抄』の原文（約６０分）
ということですから、本当に全部朗読されているみたいですｗ（ﾟoﾟ）ｗ

合計、約３００分！……ご、５時間です（＾＾；

収録、ご苦労様でした＜（＿ ＿）＞

以下、歎異抄の魅力についてまとめられているブログより↓

もし十年前に東洋の聖者・親鸞を知っていたら、日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう
　また外国では戦後、一世を風靡した老哲学者ハイデッガーが老後の日記にて「今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり──とは、何んと透徹した態度だろう。もし１０年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。遅かった」と書いている。
（出典）松野尾潮音「生活の中の信仰」４（『中外日報』昭和３８年８月６日）

立派な建物も美術品もいらない。なんにも要らないから親鸞聖人の教えの匂いのある人間になって欲しい
　更に「自分の側には日本の哲学者、思想家だという人が３０名近くも留学して弟子になった。ほかのことではない。思想・哲学の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。日本の人達は何をしているのだろう。日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。商売、観光、政治家であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。２１世紀文明の基礎が置かれる」と述べている。
（出典）同上

歎異抄は敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、燈下に親しむべき心の友
　歎異鈔からは我々は何処までも至純な、内心の声を聴かねばならぬ。じくじくと山陰の苔から沁み出で来る泉のように、心をうるおすものをすすらねばならぬ。柔かな触手が我々の心にふれ、力強い腕が我々のたましいを掴むであろう。
　余程精神的に生きて居ると思っているような人でも、此の書を読めば、まだまだ自分が無雑にして、苟合的なことを感じるであろう。此の意味でこの書は心の鏡として向って見るのがいい。
　歎異鈔より本質的に、内面的な書物を世界に求めてもありはしない。これは敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、又燈下に親しむべき心の友である。
（出典）倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔　法然と親鸞の信仰』大東出版社、1954年

歎異抄は、世界第一の求心的な文書
　歎異鈔という著作は反之、その志向が内界完成にあるので、徹頭徹尾求心的なものである。その方面での、典型的なものとして、世界第一の文書である。信仰の本質問題から決して遊離せず、人間の心理の実相を凝視し、痕づけて、寸毫も虚偽をゆるさず、生死の一大事と驀直に取り組んで、ひたすら救済の心証へと究め迫っている。道草を食わず、顧みて他を言わず、目ざす目的に向って、誠実に、ひとすじに、全生命を打ち込んで、傍目もふれない。
　飾りもなく、けれんもなく、コケ威しもなく、功徳をならべ立てもせず、仏教の教典の欠点とも云うべき荘厳の過剰もなく、飽くまで敬虔な、素順な、しかも人心を堀り穿つ侵徹力を備えた文章である。
（出典）倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔　法然と親鸞の信仰』大東出版社、1954年

こういう文書（歎異抄）の存在することは世界に誇るべき事
　日本にこういう文書の存在することは世界に誇るべき事であり、意を強くするに足る。そして日本語と文章との表現力の如何にすぐれたものであるかを立証しているものである。
（出典）同上

文章も日本文として実に名文だ。国宝と云っていい
　一枚起請文と歎異鈔とは、人間のたましいの中に灯をともすような書きものだ。深い深いたましいの海の底に錘をおろすような文章だ。これを読むと我々はいつの間にか、仏智の不思議と、見えない手とが人間の生活を支えているのを感じるようになる。
　歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい。
　此の書には、又、物柔らかな調子ではあるが、恐しい、大胆な、真剣な思想が盛ってある。見方では毒薬とも阿片とも、利刃ともとれる。がそれは宗教の密意を取り扱ってあるからだ。そして何処までも敬虔な、謙虚な、しかし真理のためには何ものをも恐れない態度で書かれているのである。文章も日本文として実に名文だ。国宝と云っていい。
※「著者の言葉」より
（出典）倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔　法然と親鸞の信仰』大東出版社、1954年

歎異鈔は、宗教の中でも最も内面的な仏教、その中でも最も求心的な浄土真宗の、一番本質的な精髄ばかりを取り扱ったもの
歎異鈔は、私の知って居る限り、世界のあらゆる文書の中で、一番内面的な、求心的な、そして本質的なものである。文学や、宗教の領域の中、宗教の中でも最も内面的な仏教、その中でも最も求心的な浄土真宗の一番本質的な精髄ばかりを取り扱ったものである。コーランや、聖書もこれに比べれば外面的である。日蓮や、道元の文章も、この歎異鈔の文章に比べれば、猶お外面世界の、騒がしいひびきがするのである。
（出典）倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔　法然と親鸞の信仰』大東出版社、1954年

『歎異抄』は、日本を代表する世界的な名著
『歎異抄』は、日本を代表する世界的な名著であり、その思想性は高く評価されている。
　小説家、倉田百三が『歎異抄』を読み、深く感動し、一九一七年（大正六）『出家とその弟子』という名作を残し、世に広く『歎異抄』を普及させたことはあまりにも有名である。倉田の『出家とその弟子』の翻訳本を読み、深く感動したフランスの文豪ロマン・ロランは、青年倉田自身に直接手紙を送り、絶賛したといわれている。
（出典）谷川理宣・土井順一・林智康・林信康編著『歎異抄事典』柏書房、1992年

一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる（西田幾多郎）
　また、哲学者西田幾多郎は第二次世界大戦の末期、「いっさいの書物を焼失しても『臨済録』と『歎異抄』が残れば我慢できる」と語ったと伝えられ、敗戦直後に獄死した三木清も「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる」と言ったといわれる。
　このように、文学・哲学界のみならず、思想・倫理・歴史・経済・科学などあらゆる分野で『歎異抄』の思想的意義を認める人達は多い。
　高等学校の日本史の教科書に第三章が取りあつかわれ、倫理のテキストに第一章が、新倫理資料集に第二章、第三章がそれぞれ紹介されている。また国語の日本文学史のテキストにも『歎異抄』の名前が登場してくる。教科書等の中でこれだけ『歎異抄』が数多く取りあげられているという事実は、この書がいかに世間で認められ、高く評価されているかを示している。
（出典）同上

『歎異鈔』には名刀をつきつけたようなところがある
先生は禅だけに止まっていられたわけではなく、それ以外でも例えば『歎異鈔』を非常に尊重されていた。友人達も記していることだが、かつて、他の書物が一切なくなったと仮定しても『臨済録』と『歎異鈔』さえあれば、と言われたこともあり、『歎異鈔』には名刀をつきつけたようなところがあると言われたこともある。
「西田幾多郎　その人と思想　──わが師西田幾多郎先
生を語る」
（出典）西谷啓治著『西谷啓治著作集』9、創文社、1987年

門外不出の秘本であった歎異抄
「右この聖教は、当流大事の聖教たるなり。無宿善の機に於ては左右無く之を許すべからざるものなり」
（歎異抄・奥書）

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これを書いていたときは知りませんでしたが、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。</p>
<p>・<a href="http://www.shinrankai.or.jp/b/gendai/20100105tannisho.htm" target="_blank" style="color:#00FFFF;">異端か、正統か｜『歎異抄をひらく』発刊から１年１０カ月｜浄土真宗親鸞会</a><br />
・<a href="http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2010/01/post-78b7.html" target="_blank" style="color:#00FFFF;">『歎異抄をひらく』畏敬から失笑へ: さよなら親鸞会</a></p>
<p>（注）「親鸞会」とは、この著者が会長をつとめる団体です。</p></div>
<div style="float:left;margin:0 0 50px;"><img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/charlie432/20081224/20081224203602.gif" alt="朗読ＤＶＤ『歎異抄をひらく』" title="こちらが朗読ＤＶＤ" class="hatena-fotolife4" border="0"></div>
<div style="float:right;margin:50px 0;"><img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/charlie432/20081224/20081224203603.gif" alt="『歎異抄をひらく』" title="こちらが元の本" class="hatena-fotolife4" border="0"></div>
<p><br clear=all><a href="http://www.10000nen.com/book/tanniDVD/tanniDVD.htm" target="_blank">「朗読ＤＶＤブック 歎異抄をひらく：高森顕徹（１万年堂出版）」</a>というサイトを見ていたら、<br />
以前取り上げた<a href="http://charlie432.blog92.fc2.com/blog-entry-519.html" target="_blank">『歎異抄をひらく』（高森顕徹）</a>の朗読ＤＶＤが出るそうです。<br />
<br />
しかも１月１日発売というのは、何とも&quot;「開けまして」おめでとう&quot;なタイミングの<strong>『歎異抄をひらく』</strong>です。<br />
<br />
朗読者の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%BC%98%E5%AD%90" target="_blank">鈴木弘子</a>さんは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)" target="_blank">「赤毛のアン」</a>や<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)" target="_blank">「クレヨンしんちゃん」</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E6%8E%A2%E5%81%B5%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%B3_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)" target="_blank">「名探偵コナン」</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E4%B8%89%E4%B8%96_(TV%E7%AC%AC2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA)" target="_blank">「ルパン三世」</a>といった人気アニメや<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC" target="_blank">「ゴッドファーザー」</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF_(1997%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)" target="_blank">「タイタニック」</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC_(1959%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)" target="_blank">「ベン・ハー」</a>などの洋画吹き替えなど、幅広い活動をしており、確かにどこかで聞き覚えがあるような、、、<br />
</p>
<div align=center><span style="font-weight:bold;color:#FF0000;">歎異抄 第３章／有名な悪人正機を言われたもの：原文と現代語訳の朗読</span><br />
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/BHoU3mRNUsg&#038;hl=ja&#038;fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/BHoU3mRNUsg&#038;hl=ja&#038;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></div>
<blockquote><p>ＮＨＫ児童劇団第１期生。子役時代からＮＨＫを中心に活躍するが、大学在学中外国映画の吹き替えに起用されたのを機に、卒業後声優活動を本格化させる。<br />
<br />
アニメのほかにも、海外ドラマの吹き替えを務めるなど、幅広い活動をしている。特にテレビで放映された吹き替えの数は多く、ジャクリーン・ビセットの吹き替えの大半をつとめている。池田昌子、小原乃梨子と並んで美女の吹き替えの数が多く、７０年代以降のパニック映画ではその声が必ず聞こえてくるほど出演が多い。<br />
<br />
本人自身も美女の評判が高く、６０年代には実写ドラマのヒロイン役の出演実績があり、バラエティー番組等の司会も少なくない。</p>
<div align=right>（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%BC%98%E5%AD%90" target="_blank">Wikipedia</a>より）</div>
</blockquote>
<p>なるほど<span style="font-size:x-large;font-weight:bold;color:#FF0000;">美女の声</span>です！（＾o＾）</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4925253204?ie=UTF8&#038;tag=charlie432-22&#038;linkCode=as2&#038;camp=247&#038;creative=7399&#038;creativeASIN=4925253204" target="_blank">『光に向かって花いっぱいの散歩道』</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&#038;l=as2&#038;o=9&#038;a=4925253204" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />はじめ、他の<a href="http://www.takamori.info/" target="_blank">高森顕徹</a>さんの著書でも朗読をしてます。著者のファンなのかも知れませんね。<br />
<br />
この<strong>『歎異抄をひらく』</strong>の朗読は、すでに<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%BC%98%E5%AD%90#.E3.83.A9.E3.82.B8.E3.82.AA" target="_blank">ラジオ放送</a>がなされているとのこと。ラジオを聞き逃した人や、朝の時間帯は忙しくて聞けない人には有り難い、今回の発売と言えるでしょう。
<div align=right> → <a href="http://www.10000nen.com/radio/tanni_r.htm" target="_blank">『歎異抄をひらく』ラジオ放送の予定（１万年堂出版）</a></div>
<p>
それにしても、この本、丸ごと１冊全部朗読されているのでしょうか？　とすれば、相当の時間になるのでは、、、（ﾟдﾟ;;<br />
<br />
と思って調べてみたら、<br />
<blockquote><img style="vertical-align:middle;" src="http://www.10000nen.com/book/tanniDVD/images/tanniDVD05.gif" alt="第１部『歎異抄』の意訳（約７５分）" width="93" height="92">　第１部　『歎異抄』の意訳（約７５分）<br />
<br />
<img style="vertical-align:middle;" src="http://www.10000nen.com/book/tanniDVD/images/tanniDVD06.gif" alt="第２部『歎異抄』の解説（約１６０分）" width="93" height="92">　第２部　『歎異抄』の解説（約１６０分）<br />
<br />
<img style="vertical-align:middle;" src="http://www.10000nen.com/book/tanniDVD/images/tanniDVD07.gif" alt="第３部『歎異抄』の原文（約６０分）" width="93" height="92">　第３部　『歎異抄』の原文（約６０分）</p></blockquote>
<p>ということですから、本当に全部朗読されているみたいですｗ（ﾟoﾟ）ｗ<br />
<br />
<span style="font-weight:bold;font-size:x-large;color:#FF0000;">合計、約３００分！</span>……ご、５時間です（＾＾；<br />
<br />
収録、ご苦労様でした＜（＿ ＿）＞<br />
<br />
以下、<a href="http://d.hatena.ne.jp/otsuka-masashi/" target="_blank">歎異抄の魅力</a>についてまとめられているブログより↓</p>
<p><span id="more-1398"></span></p>
<blockquote><h2>もし十年前に東洋の聖者・親鸞を知っていたら、日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう</h2>
<p>　また外国では戦後、一世を風靡した老<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%af%b3%d8%bc%d4">哲学者</a><a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%cf%a5%a4%a5%c7%a5%c3%a5%ac%a1%bc">ハイデッガー</a>が老後の日記にて「今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c6%f3%c2">親鸞</a>の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>を読んだ。弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c6%f3%c2">親鸞</a>一人がためなりけり──とは、何んと透徹した態度だろう。もし１０年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分は<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ae%a5%ea%a5%b7%a5%e3">ギリシャ</a>・<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%e9%a5%c6%a5%f3%b8%ec">ラテン語</a>の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話しを聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。遅かった」と書いている。</p>
<p>（出典）松野尾潮音「生活の中の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%ae%b6%c4">信仰</a>」４（『中外日報』昭和３８年８月６日）</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>立派な建物も美術品もいらない。なんにも要らないから親鸞聖人の教えの匂いのある人間になって欲しい</h2>
<p>　更に「自分の側には日本の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%af%b3%d8%bc%d4">哲学者</a>、思想家だという人が３０名近くも留学して弟子になった。ほかのことではない。思想・<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%af%b3%d8">哲学</a>の問題を随分話し合ってきたがそれらの接触を通じて、日本にこんな素晴らしい思想があろうなどという匂いすらなかった。日本の人達は何をしているのだろう。日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが私をして云わしむれば、立派な建物も美術品もいらない。なんにも要らないから聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。商売、観光、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%af%bc%a3%b2%c8">政治家</a>であっても日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、フランス人は<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d5%a5%e9%a5%f3%a5%b9%b8%ec">フランス語</a>を、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%c7%a5%f3%a5%de%a1%bc%a5%af">デンマーク</a>人は<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%c7%a5%f3%a5%de%a1%bc%a5%af">デンマーク</a>語を通じてそれぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。２１世<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b5%aa%ca%b8">紀文</a>明の基礎が置かれる」と述べている。</p>
<p>（出典）同上</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>歎異抄は敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、燈下に親しむべき心の友</h2>
<p>　歎異鈔からは我々は何処までも至純な、内心の声を聴かねばならぬ。じくじくと<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bb%b3%b1%a2">山陰</a>の苔から沁み出で来る泉のように、心をうるおすものをすすらねばならぬ。柔かな触手が我々の心にふれ、力強い腕が我々のたましいを掴むであろう。</p>
<p>　余程精神的に生きて居ると思っているような人でも、此の書を読めば、まだまだ自分が無雑にして、苟合的なことを感じるであろう。此の意味で<span style="font-weight: bold;">この書は心の鏡として向って見るのがいい。</span></p>
<p>　歎異鈔より本質的に、内面的な書物を世界に求めてもありはしない。これは<span style="font-weight: bold;">敬虔な態度で、襟を正して読むべき書であり、又燈下に親しむべき<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%b4%a4%ce%cd%a7">心の友</a>である。</span></p>
<p>（出典）<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c1%d2%c5%c4%c9%b4%bb%b0">倉田百三</a>著『一枚起請文・歎異鈔　<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cb%a1%c1%b3">法然</a>と<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c6%f3%c2">親鸞</a>の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%ae%b6%c4">信仰</a>』大東出版社、1954年</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>歎異抄は、世界第一の求心的な文書</h2>
<p>　<span style="font-weight: bold;">歎異鈔という著作は反之、その志向が内界完成にあるので、徹頭徹尾求心的なものである。</span>その方面での、典型的なものとして、<span style="font-weight: bold;">世界第一の文書</span>である。<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%ae%b6%c4">信仰</a>の本質問題から決して遊離せず、人間の心理の実相を凝視し、痕づけて、寸毫も虚偽をゆるさず、生死の一大事と驀直に取り組んで、ひたすら救済の心証へと究め迫っている。<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%bb%c1%f0">道草</a>を食わず、顧みて他を言わず、目ざす目的に向って、誠実に、ひとすじに、全生命を打ち込んで、傍目もふれない。</p>
<p>　飾りもなく、けれんもなく、コケ威しもなく、功徳をならべ立てもせず、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ca%a9%b6%b5">仏教</a>の教典の欠点とも云うべき荘厳の過剰もなく、飽くまで敬虔な、素順な、しかも人心を堀り穿つ侵徹力を備えた文章である。</p>
<p>（出典）<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c1%d2%c5%c4%c9%b4%bb%b0">倉田百三</a>著『一枚起請文・歎異鈔　<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cb%a1%c1%b3">法然</a>と<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c6%f3%c2">親鸞</a>の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%ae%b6%c4">信仰</a>』大東出版社、1954年</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>こういう文書（歎異抄）の存在することは世界に誇るべき事</h2>
<p>　<span style="font-weight: bold;">日本にこういう文書の存在することは世界に誇るべき事であり、意を強くするに足る。</span>そして日本語と文章との表現力の如何にすぐれたものであるかを立証しているものである。</p>
<p>（出典）同上</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>文章も日本文として実に名文だ。国宝と云っていい</h2>
<p>　一枚起請文と歎異鈔とは、人間のたましいの中に灯をともすような書きものだ。深い深いたましいの海の底に錘をおろすような文章だ。これを読むと我々はいつの間にか、仏智の不思議と、見えない手とが人間の生活を支えているのを感じるようになる。</p>
<p>　<span style="font-weight: bold;">歎異鈔よりも求心的な書物は恐らく世界にあるまい。</span></p>
<p>　此の書には、又、物柔らかな調子ではあるが、恐しい、大胆な、真剣な思想が盛ってある。見方では毒薬とも阿片とも、利刃ともとれる。がそれは<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/<br />
keyword/%bd%a1%b6%b5">宗教</a>の密意を取り扱ってあるからだ。そして何処までも敬虔な、謙虚な、しかし真理のためには何ものをも恐れない態度で書かれているのである。<span style="font-weight: bold;">文章も日本文として実に名文だ。<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b9%f1%ca%f5">国宝</a>と云っていい。</span></p>
<p>※「著者の言葉」より</p>
<p>（出典）<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c1%d2%c5%c4%c9%b4%bb%b0">倉田百三</a>著『一枚起請文・歎異鈔　<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cb%a1%c1%b3">法然</a>と<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c6%f3%c2">親鸞</a>の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%ae%b6%c4">信仰</a>』大東出版社、1954年</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>歎異鈔は、宗教の中でも最も内面的な仏教、その中でも最も求心的な浄土真宗の、一番本質的な精髄ばかりを取り扱ったもの</h2>
<p><span style="font-weight: bold;">歎異鈔は、私の知って居る限り、世界のあらゆる文書の中で、一番内面的な、求心的な、そして本質的なものである。</span>文学や、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%a1%b6%b5">宗教</a>の領域の中、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%a1%b6%b5">宗教</a>の中でも最も内面的な<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ca%a9%b6%b5">仏教</a>、その中でも最も求心的な<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%be%f4%c5%da%bf%bf%bd%a1">浄土真宗</a>の一番本質的な精髄ばかりを取り扱ったものである。<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%b3%a1%bc%a5%e9%a5%f3">コーラン</a>や、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%bb%bd%f1">聖書</a>もこれに比べれば外面的である。<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%fc%cf%a1">日蓮</a>や、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%bb%b8%b5">道元</a>の文章も、この歎異鈔の文章に比べれば、猶お外面世界の、騒がしいひびきがするのである。</p>
<p>（出典）<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c1%d2%c5%c4%c9%b4%bb%b0">倉田百三</a>著『一枚起請文・歎異鈔　<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cb%a1%c1%b3">法然</a>と<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c6%f3%c2">親鸞</a>の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%ae%b6%c4">信仰</a>』大東出版社、1954年</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>『歎異抄』は、日本を代表する世界的な名著</h2>
<p><span style="font-weight: bold;">『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』は、日本を代表する世界的な名著</span>であり、その思想性は高く評価されている。</p>
<p>　<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%be%ae%c0%e2%b2%c8">小説家</a>、<span style="font-weight: bold;"><a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c1%d2%c5%c4%c9%b4%bb%b0">倉田百三</a></span>が『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』を読み、深く感動し、一九一七年（大正六）『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%d0%b2%c8%a4%c8%a4%bd%a4%ce%c4%ef%bb%d2">出家とその弟子</a>』という名作を残し、世に広く『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』を普及させたことは<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%a2%a4%de%a4%ea%a4%cb%a4%e2%cd%ad%cc%be">あまりにも有名</a>である。倉田の『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%d0%b2%c8%a4%c8%a4%bd%a4%ce%c4%ef%bb%d2">出家とその弟子</a>』の翻訳本を読み、深く感動した<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d5%a5%e9%a5%f3%a5%b9">フランス</a>の文豪<span style="font-weight: bold;"><a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ed%a5%de%a5%f3%a1%a6%a5%ed%a5%e9%a5%f3">ロマン・ロラン</a></span>は、青年倉田自身に直接手紙を送り、絶賛したといわれている。</p>
<p>（出典）谷川理宣・土井順一・林智康・林信康編著『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>事典』柏書房、1992年</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる（西田幾多郎）</h2>
<p>　また、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%af%b3%d8%bc%d4">哲学者</a><span style="font-weight: bold;"><a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%be%c5%c4%b4%f6%c2%bf%cf%ba">西田幾多郎</a></span>は<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c2%e8%c6%f3%bc%a1%c0%a4%b3%a6%c2%e7%c0%ef">第二次世界大戦</a>の末期、<span style="font-weight: bold;">「いっさいの書物を焼失しても『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ce%d7%ba%d1">臨済</a>録』と『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』が残れば我慢できる」</span>と語ったと伝えられ、敗戦直後に<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b9%f6%bb%e0">獄死</a>した<span style="font-weight: bold;"><a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bb%b0%cc%da%c0%b6">三木清</a></span>も<span style="font-weight: bold;">「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』をとる」</span>と言ったといわれる。</p>
<p>　このように、文学・<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%af%b3%d8">哲学</a>界のみならず、思想・倫理・歴史・経済・科学などあらゆる分野で『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』の思想的意義を認める人達は多い。</p>
<p>　<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b9%e2%c5%f9%b3%d8%b9%bb">高等学校</a>の<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c6%fc%cb%dc%bb%cb">日本史</a>の教科書に第三章が取りあつかわれ、倫理のテキストに第一章が、新倫理資料集に第二章、第三章がそれぞれ紹介されている。また国語の日本<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ca%b8%b3%d8%bb%cb">文学史</a>のテキストにも『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』の名前が登場してくる。教科書等の中でこれだけ『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>』が数多く取りあげられているという事実は、この書がいかに世間で認められ、高く評価されているかを示している。</p>
<p>（出典）同上</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>『歎異鈔』には名刀をつきつけたようなところがある</h2>
<p>先生は禅だけに止まっていられたわけではなく、それ以外でも例えば『歎異鈔』を非常に尊重されていた。友人達も記していることだが、かつて、<span style="font-weight: bold;">他の書物が一切なくなったと仮定しても『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ce%d7%ba%d1">臨済</a>録』と『歎異鈔』さえあれば、</span>と言われたこともあり、<span style="font-weight: bold;">『歎異鈔』には名刀をつきつけたようなところがある</span>と言われたこともある。</p>
<p>「<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%be%c5%c4%b4%f6%c2%bf%cf%ba">西田幾多郎</a>　その人と思想　──わが師<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%be%c5%c4%b4%f6%c2%bf%cf%ba">西田幾多郎</a>先<br />
生を語る」</p>
<p>（出典）<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%be%c3%ab%b7%bc%bc%a3">西谷啓治</a>著『<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%be%c3%ab%b7%bc%bc%a3">西谷啓治</a>著作集』9、<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c1%cf%ca%b8%bc%d2">創文社</a>、1987年</p>
</blockquote>
<blockquote><h2>門外不出の秘本であった歎異抄</h2>
<p>「右この聖教は、当流大事の聖教たるなり。無宿善の機に於ては左右無く之を許すべからざるものなり」</p>
<p>（<a class="keyword" href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%b7%b0%db%be%b6">歎異抄</a>・奥書）</p>
</blockquote>
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		<title>白石一文 / 僕のなかの壊れていない部分（１）</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Sep 2008 15:00:00 +0000</pubDate>
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白石一文
僕のなかの
壊れていない部分
　まだ読み始めたばかりで、５０ページも読んでいないのですが、これは良い！と思える予感のする本です。そもそもタイトルからして良いと思います。

　主人公は出版社に勤務する２９歳の「僕」、少しひねくれた人格として描かれているようにも思えますが、思考や発言には同調できる部分が多く、また深い示唆に富んでいると思います。

　普通なら、全部読み終えてから感想を書くところですが、後から振り返って書こうとしても忘れてしまいそうなので、この際、メモを取りながら読み進めて行こうと思いました。

　以下、枝里子という女性との旅の最中、彦根城での会話です。「生」と「死」について考えさせられます。

　彦根城の天守は、かの大隈重信が廃城撤去の寸前に視察に訪れ、その威容を惜しみ、わざわざ明治天皇に奏上して残したというだけはあって、さすがに立派なものだった。といってもこの天守は京極高次の居城・大津城から移築されたもので、それでいえばここの天秤櫓も、元は秀吉ゆかりの長浜城の櫓だという。
　胸を突くような急な階段を上り、三層三階の天守の最上階にのぼって北西の眼下に広がる琵琶湖を間近に望みながら、僕がそんな話をすると、
「昔もそうやってちゃんとリサイクルしてたんだ」
と枝里子が言う。
「そりゃあそうだよ。城の造営というのは莫大な費用がかかる大事業だからね。合戦のたびに火をかけて燃やしたりもしたけど、焼け残った築材や石垣はちゃんと再利用してたんだよ。でなきゃ金も時間もかかって仕方ないからね」
「戦国の殿様たちも、経済観念は以外にしっかりしてたので」
「当たり前だよ。彼らはいまの人間よりはるかにちゃんと生きていたからね」
「だけど戦争ばっかりしてたわけでしょ」
「その分、彼らは死ぬことを知ってた。死ぬことを知らなくては人はきちんとは生きられないだろ」
「じゃあ、あなたは死ぬことを知ってるの」
「いや。僕はただ生まれてこなければよかったと毎日思って生きてるだけだけどね」
「また、変ちくりんなことばっかり」
　枝里子は僕の手をとって一緒に晴れ渡った景色を見つめる。穏やかな湖面にはさざ波ひとつなかった。しばらく黙ったあと、彼女は、
「生まれてこなきゃよかったなんて言っちゃいけないわ。そんなこと言ったらきっと罰が当たるわよ。生きたくても生きられない人たちも沢山いるのに」
と言った。
　僕はその言葉に、ふと、かあちゃんのことを思った。
　あの人も、やはり生きつづけたいと念じながら、今日この時この瞬間を病院のベッドの上でやり過ごしているのだろうか」
「そういう人は、一体いつまで生きれば、もういいって思えるんだろうか……」
　僕は小さな声で、別に枝里子に言うでもなく呟いてみた。
「そういう人って」
　彼女が訊き返す。
「だから、生きたくても生きられない人たちだよ」
　僕はちりちりと照り返す湖面から目を離さずに、枝里子の手を強く握り返した。
「どうしても生きたい人がいたら、こんな僕の命でよければいつでもあげていいような、そんな気がするよ。だけど、そうやって仮に僕の限りある命をその人に渡したとしたって、やがて何十年かすれば、再び生きたくても生きられなくなる時間がやってくる。そしたら、その人はまたきっと『どうしても生きたい』と言いだすんじゃないかな」
「でも、あと一年でもいいからって、死にそうな人はみなそう思ってるんじゃない？」
「じゃあ、一年たったら死んでもいいってこと」
「気持ちとしては、そうじゃないかな。そうやって自分の死を受け入れる準備をしたいんじゃないかな」
「そうだろうか……」
　少し考えてみる。死ぬことに準備などあるのか？　準備というのなら生きていることそれ自体がまるまる死ぬための準備ではないのか？
　そして僕は言った。
「僕はそうならないと思うよ。あと一年余計に生きられたとしたら、きっとみんな必死に生きようとするばかりで、死ぬときはただ一年前よりはっきりと諦めがつくだけのことだと思う」
「その諦めがきっととても大切なのよ」
　枝里子がすかさず言い返す。
　だが、僕はそうは思わなかった。諦めるなんてことが大切なことであるはずがないし、大したことのはずもない。諦めとは所詮、一瞬の覚悟にすぎないのだから。それに、諦めることが「きっととても大切」というのなら、「生まれてこなきゃよかった」というのがどうして「きっと罰が当たる」ようなことなのか。
　枝里子の言うことは、聞き流す分にはいかにももっともらしいが、ちょっと子細に検討してみると、いつだってこんな風にいい加減で整合性が薄い、と僕は感ずる。

（１７ページ）
　これを読んで思い出したのが、良寛とある老人との逸話です。『光に向かって１２３のこころのタネ』（高森顕徹：著）という本で読みました。
(82)　死なぬ祈祷をお頼みします　本音を吐いた八十翁

「まだやりたい事があるので、今しばらく、長命の祈祷をお願いしたい」
　　　　　８０歳の人が高徳の噂を聞いて良寛の所へやって来た。
「長命と言っても一体、何歳くらいまでお望みかな。それが分からぬと祈祷のしようがない」
「９０では１０年しかない、１００歳までお願いしましょうか」
「あとたった２０年。１０１になれば死なねばならぬが、いいかな」
「もっと、お願い出来ましょうか」
「一体、何歳まで生きたいのか、言ってみなさい」
「それじゃ１５０歳までいかがでしょう」
「１５０歳でよろしいか」
「あんまり厚かましくても……」
「そんな遠慮は無用じゃ」
　それでは２００歳、３００歳と、次第に寿命をせりあげてくる可笑しさに
　　　　　耐えながら良寛、
「どうせお願いするついでだ。本心言ってみなされ」
　　　　　　　　　　　　と促すと、
「それじゃ、いっそのこと、死なぬ祈祷をお頼みします」。
　　　　　　とうとう本音を吐いたという。
　ある人が、数人の友達にフグをご馳走したが、中毒を恐れてだれも食べない。
そこへ一人の旅人がやってきた。
　試しに一皿すすめたがなんともなかったので、それなら大丈夫とみな安心して
　　　　　　　食べる。
　後で旅人に“うまかったか”とたずねると、
「もう、あなた方は食べられましたか。それでは私もこれから頂きましょう」
と言ったという。
　一休の再来と騒がれた博多の禅僧。仙崖が臨終を迎えた。
「ぜひ最後の、ご教訓を」
と弟子たちが紙と筆を捧げてお願いすると、
　　　　　　　「死にともない、死にともない」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　とだけ書かれている。
　どんな尊い辞世が貰えるかと、固唾をのんでいた弟子たちは、あれほど大徳といわれた高僧の、これが辞世とあっては師匠の徳にキズがつく、なんとかせねばと協議の末、
「先ほどのお言葉も結構ではありますが、いま一つお言葉を……」
と再度お願いすると、快諾して、くれた書面を見て仰天した。
　先ほどの言葉の上に“ほんまに、ほんまに”と
　　　　　　　　　　　　つけ加えられていただけだったという。
　　　誰しも究極の願いは変わらぬようだ。
　どこで読んだかは忘れましたが、人間の五願というのがあって、その最後が「死んでも命がありますように」というものだそうです。

「あと少しでいいから生きたい」と言って、あと少したっても、その心は変わらないのだと思います。死を迎えたとき「諦め」ることが肝要と聞けば、その通りと思いがちですが、そこには人間の究極の望みが忘れられているのかもしれません。

　枝里子の、もっともらしい考え方を、「いい加減で整合性が薄い」と感ずる僕の考察はにはなるほどと思いました。

　人間の生きる目的は、諦めとは異なる「死んでも悔い無し」と思えることがあるならば、長生きすることではないことが知らされます。長く生きることは、その目的にむかう「手段」だと思います。
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僕のなかの<br />
壊れていない部分</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></div>
<p>　まだ読み始めたばかりで、５０ページも読んでいないのですが、<span style="font-size:xx-large;font-weight:bold;color:#FF0000;">これは良い！</span>と思える予感のする本です。そもそもタイトルからして良いと思います。<br />
<br />
　主人公は出版社に勤務する２９歳の「僕」、少しひねくれた人格として描かれているようにも思えますが、思考や発言には同調できる部分が多く、また深い示唆に富んでいると思います。<br />
<br />
　普通なら、全部読み終えてから感想を書くところですが、後から振り返って書こうとしても忘れてしまいそうなので、この際、メモを取りながら読み進めて行こうと思いました。<br />
<br />
　以下、枝里子という女性との旅の最中、彦根城での会話です。「生」と「死」について考えさせられます。</p>
<p><span id="more-1285"></span></p>
<blockquote><p>　彦根城の天守は、かの大隈重信が廃城撤去の寸前に視察に訪れ、その威容を惜しみ、わざわざ明治天皇に奏上して残したというだけはあって、さすがに立派なものだった。といってもこの天守は京極高次の居城・大津城から移築されたもので、それでいえばここの天秤櫓も、元は秀吉ゆかりの長浜城の櫓だという。<br />
　胸を突くような急な階段を上り、三層三階の天守の最上階にのぼって北西の眼下に広がる琵琶湖を間近に望みながら、僕がそんな話をすると、<br />
「昔もそうやってちゃんとリサイクルしてたんだ」<br />
と枝里子が言う。<br />
「そりゃあそうだよ。城の造営というのは莫大な費用がかかる大事業だからね。合戦のたびに火をかけて燃やしたりもしたけど、焼け残った築材や石垣はちゃんと再利用してたんだよ。でなきゃ金も時間もかかって仕方ないからね」<br />
「戦国の殿様たちも、経済観念は以外にしっかりしてたので」<br />
「当たり前だよ。彼らはいまの人間よりはるかにちゃんと生きていたからね」<br />
「だけど戦争ばっかりしてたわけでしょ」<br />
「その分、彼らは死ぬことを知ってた。死ぬことを知らなくては人はきちんとは生きられないだろ」<br />
「じゃあ、あなたは死ぬことを知ってるの」<br />
「いや。僕はただ生まれてこなければよかったと毎日思って生きてるだけだけどね」<br />
「また、変ちくりんなことばっかり」<br />
　枝里子は僕の手をとって一緒に晴れ渡った景色を見つめる。穏やかな湖面にはさざ波ひとつなかった。しばらく黙ったあと、彼女は、<br />
「生まれてこなきゃよかったなんて言っちゃいけないわ。そんなこと言ったらきっと罰が当たるわよ。生きたくても生きられない人たちも沢山いるのに」<br />
と言った。<br />
　僕はその言葉に、ふと、かあちゃんのことを思った。<br />
　あの人も、やはり生きつづけたいと念じながら、今日この時この瞬間を病院のベッドの上でやり過ごしているのだろうか」<br />
「そういう人は、一体いつまで生きれば、もういいって思えるんだろうか……」<br />
　僕は小さな声で、別に枝里子に言うでもなく呟いてみた。<br />
「そういう人って」<br />
　彼女が訊き返す。<br />
「だから、生きたくても生きられない人たちだよ」<br />
　僕はちりちりと照り返す湖面から目を離さずに、枝里子の手を強く握り返した。<br />
「どうしても生きたい人がいたら、こんな僕の命でよければいつでもあげていいような、そんな気がするよ。だけど、そうやって仮に僕の限りある命をその人に渡したとしたって、やがて何十年かすれば、再び生きたくても生きられなくなる時間がやってくる。そしたら、その人はまたきっと『どうしても生きたい』と言いだすんじゃないかな」<br />
「でも、あと一年でもいいからって、死にそうな人はみなそう思ってるんじゃない？」<br />
「じゃあ、一年たったら死んでもいいってこと」<br />
「気持ちとしては、そうじゃないかな。そうやって自分の死を受け入れる準備をしたいんじゃないかな」<br />
「そうだろうか……」<br />
　少し考えてみる。死ぬことに準備などあるのか？　準備というのなら生きていることそれ自体がまるまる死ぬための準備ではないのか？<br />
　そして僕は言った。<br />
「僕はそうならないと思うよ。あと一年余計に生きられたとしたら、きっとみんな必死に生きようとするばかりで、死ぬときはただ一年前よりはっきりと諦めがつくだけのことだと思う」<br />
「その諦めがきっととても大切なのよ」<br />
　枝里子がすかさず言い返す。<br />
　だが、僕はそうは思わなかった。諦めるなんてことが大切なことであるはずがないし、大したことのはずもない。諦めとは所詮、一瞬の覚悟にすぎないのだから。それに、諦めることが「きっととても大切」というのなら、「生まれてこなきゃよかった」というのがどうして「きっと罰が当たる」ようなことなのか。<br />
　枝里子の言うことは、聞き流す分にはいかにももっともらしいが、ちょっと子細に検討してみると、いつだってこんな風にいい加減で整合性が薄い、と僕は感ずる。<br />
<br />
（１７ページ）</p></blockquote>
<p>　これを読んで思い出したのが、良寛とある老人との逸話です。<a href="http://www.10000nen.com/book/123tane/123tane.htm" target="_blank">『光に向かって１２３のこころのタネ』</a>（高森顕徹：著）という本で読みました。</p>
<blockquote><p><b><u>(82)　死なぬ祈祷をお頼みします　本音を吐いた八十翁</u></b><br />
<br />
「まだやりたい事があるので、今しばらく、長命の祈祷をお願いしたい」<br />
　　　　　８０歳の人が高徳の噂を聞いて良寛の所へやって来た。<br />
「長命と言っても一体、何歳くらいまでお望みかな。それが分からぬと祈祷のしようがない」<br />
「９０では１０年しかない、１００歳までお願いしましょうか」<br />
「あとたった２０年。１０１になれば死なねばならぬが、いいかな」<br />
「もっと、お願い出来ましょうか」<br />
「一体、何歳まで生きたいのか、言ってみなさい」<br />
「それじゃ１５０歳までいかがでしょう」<br />
「１５０歳でよろしいか」<br />
「あんまり厚かましくても……」<br />
「そんな遠慮は無用じゃ」<br />
　それでは２００歳、３００歳と、次第に寿命をせりあげてくる可笑しさに<br />
　　　　　耐えながら良寛、<br />
「どうせお願いするついでだ。本心言ってみなされ」<br />
　　　　　　　　　　　　と促すと、<br />
「それじゃ、いっそのこと、死なぬ祈祷をお頼みします」。<br />
　　　　　　とうとう本音を吐いたという。<br />
　ある人が、数人の友達にフグをご馳走したが、中毒を恐れてだれも食べない。<br />
そこへ一人の旅人がやってきた。<br />
　試しに一皿すすめたがなんともなかったので、それなら大丈夫とみな安心して<br />
　　　　　　　食べる。<br />
　後で旅人に“うまかったか”とたずねると、<br />
「もう、あなた方は食べられましたか。それでは私もこれから頂きましょう」<br />
と言ったという。<br />
　一休の再来と騒がれた博多の禅僧。仙崖が臨終を迎えた。<br />
「ぜひ最後の、ご教訓を」<br />
と弟子たちが紙と筆を捧げてお願いすると、<br />
　　　　　　　「死にともない、死にともない」<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　とだけ書かれている。<br />
　どんな尊い辞世が貰えるかと、固唾をのんでいた弟子たちは、あれほど大徳といわれた高僧の、これが辞世とあっては師匠の徳にキズがつく、なんとかせねばと協議の末、<br />
「先ほどのお言葉も結構ではありますが、いま一つお言葉を……」<br />
と再度お願いすると、快諾して、くれた書面を見て仰天した。<br />
　先ほどの言葉の上に“ほんまに、ほんまに”と<br />
　　　　　　　　　　　　つけ加えられていただけだったという。</p>
<p>　　　<b>誰しも究極の願いは変わらぬようだ。</b></p></blockquote>
<p>　どこで読んだかは忘れましたが、<b>人間の五願</b>というのがあって、その最後が「死んでも命がありますように」というものだそうです。<br />
<br />
「あと少しでいいから生きたい」と言って、あと少したっても、その心は変わらないのだと思います。死を迎えたとき「諦め」ることが肝要と聞けば、その通りと思いがちですが、そこには人間の究極の望みが忘れられているのかもしれません。<br />
<br />
　枝里子の、もっともらしい考え方を、「いい加減で整合性が薄い」と感ずる僕の考察はにはなるほどと思いました。<br />
<br />
　人間の生きる目的は、諦めとは異なる「死んでも悔い無し」と思えることがあるならば、長生きすることではないことが知らされます。長く生きることは、その目的にむかう「手段」だと思います。<br />
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		<pubDate>Sun, 20 Jul 2008 15:00:00 +0000</pubDate>
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高森顕徹（監修）
明橋大二・伊藤健太郎（共著）

『なぜ生きる』
　あ、表題の意味ですが、

『なぜ生きる』という本の中に、矛盾した人間の姿を発見！

ということです。本そのものは「人生の目的があるから、生きている間に達成しなさい」ということで論旨一貫していると思います。

　さて、人間の存在ほど矛盾したものはない、とある哲学者は言います。その最たるものが「絶対死にたくないのに、絶対死なねばならない」というものでしょう。

　また、いつかは死ぬと頭では分かっていても、腹底ではいつまでも生きておれると思っているのが私達です。その証拠に、明日とも知らぬ無常の命なのに、その先のことを考えてはいないでしょうか。「明日も生きておれる」というのが大前提になっています。その心は明日になっても、１年後になっても、１０年経っても変わらないでしょう。その、「まさか明日は死なない」という心は死ぬまで変わらないと思います。

　その他、来るやら来ないやら分からない未来には万全の対策を立てていても、やがて必ずやってくる事には無頓着なのも矛盾した人間の姿です。

◎「老後のことは老後になってみにゃわからん。つまらんこと」とは、誰も言わない

「死んだ後なんかないよ」と言いつづけている人でも、知人や友人が死ぬと、「ご霊前で」とか、「ご冥福をいのります」と言う。「霊前」は故人の霊の前であり、「冥福」は冥土の幸福のことだから、いずれも死後を想定してのことである。果ては「安らかにお眠りください」「迷わずに成仏してください」などと、涙ながらに語りかけられる。遭難のときなどは、空や船から花束や飲食物が投げられるのも、しばしばである。単なる儀礼とは、とても思えない。その表情は深刻で、しぐさも神妙なのだ。
　毎年８月に戦没者の慰霊祭が執行される。通常なら、幸福な相手を慰めるということは、ありえない。その必要がないからである。死者の霊が存在し、慰めを必要としている、という心情がなければ、これらの行事は成り立たないはずだ。死後を否定しながら冥土の幸福をいのる。何か否定しきれないものがあるのだろう。
「社交辞令だよ」と笑ってすませられるのは、肉親などの死別にあわない、幸せなときだけにちがいない。
「死んでからのことは、死んでみにゃわからん。つまらんこと問題にするな」
と言いながら、有るやら無いやらわからない、火災や老後のことは心配する。火事にあわない人がほとんどだし、若死にすれば老後はないのに、火災保険に入ったり、老後の蓄えには余念がない。
「老後のことは老後になってみにゃわからん。つまらんこと」
とは、誰も言わないようだ。火災や老後のことは真剣なのに、確実な未来を問題にもしない自己矛盾には、まだ気がつかないでいる。
「考えたって、どうなるもんじゃないよ」「その時はその時さ」「そんなこと考えていたら、生きていけないよ」。頑固に目を背けさせる死には、無条件降伏か玉砕か、大なるアキラメしかないのであろうか。
　元気なときは、「死は休息だ」「永眠だ」「恐ろしくない」と気楽に考えているが、“いざ鎌倉”となると、先はどうなっているかだけが大問題となる。死後は有るのか、無いのか、どうなっているのやら、さっぱりわかっていない、お先真っ暗な状態なのだ。この「死んだらどうなるか分からない心」を、
「無明の闇」といい、また、
「後生暗い心」ともいわれる。
「後生」とは死後のこと。「暗い」とはわからないこと。死後ハッキリしない心を「後生暗い心」とか「無明の闇」といわれるのである。
（『なぜ生きる』１３８～１４０ページより）

　そしてまた、最もよく知っていても良いはずなのに、サッパリわからないのが自分、という矛盾も指摘されています。
（１２）知っているはずの　サッパリわからないもの

◎もっとも大事な忘れ物――思いあたる、かずかず

（中略）
「本当の私」とは何か。自分自身のことだから、これほど大事なことはなかろう。
「世界で最大のことは、自己を知ることである」とモンテーニュは言っている。全思想の固定した、動かし得ない中心テーマは、明らかに“自分とはなんぞや”であったと、Ｅ・カッシーラー（ドイツの哲学者）も断言する（『人間』）。
　自分自身のことは自分が一番知っている、と思いがちだが、「汝自身を知れ」と古代ギリシアからいわれてきたように、もっともわからないのが自分自身ではなかろうか。はるか宇宙の様子がわかっても、素粒子の世界が解明されても、３０億の遺伝子が解読されても、依然としてわからなのが自分自身なのだ。
　心なき者のしわざか、背中に矢の刺さった痛々しいカモの映像が、視聴者のあわれを誘ったことがある。料理店で、その矢ガモのテレビを見ながら、「なんとむごいことを……」と顔をしかめて、カモ鍋を食べている人を見て、「自分のことはわからんものだなぁ」と反省させられたものである。こんな自己矛盾は、いくらでもあろう。
「昔のニワトリは、夜明けに必ず鳴いて、時を知らせたもんだが」
「今は、ニワトリまでがナマクラになりよって、こまったもんだ」
　耳の遠くなったことに気づかぬ、田舎の老夫婦の会話を聞いて苦笑したことがある。
　まさに「知るとのみ　思いながらに　何よりも　知られぬものは　おのれなりけり」ではなかろうか。
　古今東西、わが身知らずを笑った話は多いが、それほどわからないのが自分自身ということでもあろう。二、三あげてみよう。
　昔、印度の裕福な家の息子が、美しい妻を迎えた。新婚夫婦は飲酒にふけり、一層の快楽に身をまかせた。ある夜、新妻が酒をくもうとカメのふたを開けると、艶かしい女がいる。テッキリ自分に秘めた女だと思い、夫をののしり泣き叫ぶ。夫が驚いてカメをのぞくと、情欲に燃えた若い男の顔が見える。妻にあやしい男がいると思った夫は、激しく妻の不貞をとがめた。荒れた夫婦のケンカでカメは打ち砕かれ、争いは絶えたという。悦楽の深酒に酩酊している二人には、酒に映っている自分の姿もわからなかったのである。
　古代中国の蔡君謨（さいくんぼ）という宰相は、長い見事なアゴ髭で有名だった。天子から、そのヒゲを布団の中に入れて寝るのか、外に出して休むのか、と聞かれて、一向にハッキリした自覚がない。いい加減なことも言えないので、一晩の猶予を願って、さっそく帰宅して試してみるが、夜具に入れると息苦しいし、外に出しても都合が悪い。何しろ豊かで長いアゴ髭、出したり入れたり、夜明けに及んだが、結論は出なかったという。
　窃盗団が山中で宴会を開いた。もちろん、盗品でないものは何ひとつない。中に輝く金盃があった。回し飲みをしているうちに金盃がなくなったので、親分株が立ち上がり、目をつり上げて怒鳴った。
「さては、この中に盗人がいるな」
　己が窃盗団のボスであるのを忘れなければ、言えないことにちがいない。
　いずれも身につまされる話だが、キルケゴールは自分自身を忘れるという、もっとも危険なことが世間では、いとも簡単になされていると警告する（『死に至る病』）。キャッシュコーナーに、現金を置き忘れたとなれば大騒ぎするが、もっとも大事な自分を忘れていても、ちっとも驚かない。

◎その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事

　釈尊が、一樹の陰に休んでおられたとき、近くの林で３０人あまりの貴公子が、夫人同伴で酒宴を楽しんでいた。ところが、独身男が連れてきた娼婦のような女が、みんなが疲れて眠っている間に貴重品を盗んで逃げたのである。驚いた一行が懸命に探しまわっていると、釈尊の姿を見た。あやしい女が通りかからなかったか尋ねると、こう反問されて、はっと我に返ったという。
「事情はよくわかったが、その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事であろうか」
　一同、迷夢からさめた心地して、説法を聞き、弟子になった、と仏典に記されている。
　エジプトの沙漠に千古の沈黙をまもるスフィンクスは、
「始めは４本足で歩き、中ごろは２足となり、終わりに３足となる動物は何か」
と旅人に問いかけ、答えられない者を食い殺したという。
　つまり、人間に向かって、「人間とはなんぞや」と問うのである。
　政治も経済も科学も、医学、文学、哲学、宗教も、この問いに答えんとしている、といえよう。
　一人一人がこの問いに、答えなければならない。
　彼の前には、代弁もゆるされなければ、受け売りの知識も間にあわないのだ。
（『なぜ生きる』２０３～２０８ページより）


　知れば知るほど分からなくなってくるもの。自分自身の存在こそが最も矛盾したものではないかと思わされます。
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<br />
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明橋大二・伊藤健太郎（共著）<br />
<br />
『なぜ生きる』</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&#038;l=ur2&#038;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></div>
<p>　あ、表題の意味ですが、<br />
<br />
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<br />
ということです。本そのものは<strong>「人生の目的があるから、生きている間に達成しなさい」</strong>ということで論旨一貫していると思います。<br />
<br />
　さて、人間の存在ほど矛盾したものはない、とある哲学者は言います。その最たるものが「絶対死にたくないのに、絶対死なねばならない」というものでしょう。<br />
<br />
　また、いつかは死ぬと頭では分かっていても、腹底ではいつまでも生きておれると思っているのが私達です。その証拠に、明日とも知らぬ無常の命なのに、その先のことを考えてはいないでしょうか。「明日も生きておれる」というのが大前提になっています。その心は明日になっても、１年後になっても、１０年経っても変わらないでしょう。その、「まさか明日は死なない」という心は死ぬまで変わらないと思います。<br />
<br />
　その他、来るやら来ないやら分からない未来には万全の対策を立てていても、やがて必ずやってくる事には無頓着なのも矛盾した人間の姿です。</p>
<p><span id="more-1194"></span></p>
<div class="tracklist"><u><b>◎「老後のことは老後になってみにゃわからん。つまらんこと」とは、誰も言わない</u></b><br />
<br />
「死んだ後なんかないよ」と言いつづけている人でも、知人や友人が死ぬと、「ご霊前で」とか、「ご冥福をいのります」と言う。「霊前」は故人の霊の前であり、「冥福」は冥土の幸福のことだから、いずれも死後を想定してのことである。果ては「安らかにお眠りください」「迷わずに成仏してください」などと、涙ながらに語りかけられる。遭難のときなどは、空や船から花束や飲食物が投げられるのも、しばしばである。単なる儀礼とは、とても思えない。その表情は深刻で、しぐさも神妙なのだ。<br />
　毎年８月に戦没者の慰霊祭が執行される。通常なら、幸福な相手を慰めるということは、ありえない。その必要がないからである。死者の霊が存在し、慰めを必要としている、という心情がなければ、これらの行事は成り立たないはずだ。死後を否定しながら冥土の幸福をいのる。何か否定しきれないものがあるのだろう。<br />
「社交辞令だよ」と笑ってすませられるのは、肉親などの死別にあわない、幸せなときだけにちがいない。<br />
「死んでからのことは、死んでみにゃわからん。つまらんこと問題にするな」<br />
と言いながら、有るやら無いやらわからない、火災や老後のことは心配する。火事にあわない人がほとんどだし、若死にすれば老後はないのに、火災保険に入ったり、老後の蓄えには余念がない。<br />
「老後のことは老後になってみにゃわからん。つまらんこと」<br />
とは、誰も言わないようだ。火災や老後のことは真剣なのに、確実な未来を問題にもしない自己矛盾には、まだ気がつかないでいる。<br />
「考えたって、どうなるもんじゃないよ」「その時はその時さ」「そんなこと考えていたら、生きていけないよ」。頑固に目を背けさせる死には、無条件降伏か玉砕か、大なるアキラメしかないのであろうか。<br />
　元気なときは、「死は休息だ」「永眠だ」「恐ろしくない」と気楽に考えているが、“いざ鎌倉”となると、先はどうなっているかだけが大問題となる。死後は有るのか、無いのか、どうなっているのやら、さっぱりわかっていない、お先真っ暗な状態なのだ。この「死んだらどうなるか分からない心」を、<br />
「無明の闇」といい、また、<br />
「後生暗い心」ともいわれる。<br />
「後生」とは死後のこと。「暗い」とはわからないこと。死後ハッキリしない心を「後生暗い心」とか「無明の闇」といわれるのである。
<div style="font-size:x-small;text-align:right;">（<strong><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&#038;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E3%2581%25AA%25E3%2581%259C%25E7%2594%259F%25E3%2581%258D%25E3%2582%258B-%25E6%2598%258E%25E6%25A9%258B-%25E5%25A4%25A7%25E4%25BA%258C%2Fdp%2F4925253018&#038;tag=charlie432-22&#038;linkCode=ur2&#038;camp=247&#038;creative=1211" target="_blank">『なぜ生きる』</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></strong>１３８～１４０ページより）</div>
</div>
<p>　そしてまた、最もよく知っていても良いはずなのに、サッパリわからないのが自分、という矛盾も指摘されています。
<div class="tracklist"><span style="font-size:larger;">（１２）知っているはずの　サッパリわからないもの</span><br />
<br />
<u><b>◎もっとも大事な忘れ物――思いあたる、かずかず</b></u><br />
<br />
（中略）<br />
「本当の私」とは何か。自分自身のことだから、これほど大事なことはなかろう。<br />
「世界で最大のことは、自己を知ることである」とモンテーニュは言っている。全思想の固定した、動かし得ない中心テーマは、明らかに“自分とはなんぞや”であったと、Ｅ・カッシーラー（ドイツの哲学者）も断言する（『人間』）。<br />
　自分自身のことは自分が一番知っている、と思いがちだが、「汝自身を知れ」と古代ギリシアからいわれてきたように、もっともわからないのが自分自身ではなかろうか。はるか宇宙の様子がわかっても、素粒子の世界が解明されても、３０億の遺伝子が解読されても、依然としてわからなのが自分自身なのだ。<br />
　心なき者のしわざか、背中に矢の刺さった痛々しいカモの映像が、視聴者のあわれを誘ったことがある。料理店で、その矢ガモのテレビを見ながら、「なんとむごいことを……」と顔をしかめて、カモ鍋を食べている人を見て、「自分のことはわからんものだなぁ」と反省させられたものである。こんな自己矛盾は、いくらでもあろう。<br />
「昔のニワトリは、夜明けに必ず鳴いて、時を知らせたもんだが」<br />
「今は、ニワトリまでがナマクラになりよって、こまったもんだ」<br />
　耳の遠くなったことに気づかぬ、田舎の老夫婦の会話を聞いて苦笑したことがある。<br />
　まさに「知るとのみ　思いながらに　何よりも　知られぬものは　おのれなりけり」ではなかろうか。<br />
　古今東西、わが身知らずを笑った話は多いが、それほどわからないのが自分自身ということでもあろう。二、三あげてみよう。<br />
　昔、印度の裕福な家の息子が、美しい妻を迎えた。新婚夫婦は飲酒にふけり、一層の快楽に身をまかせた。ある夜、新妻が酒をくもうとカメのふたを開けると、艶かしい女がいる。テッキリ自分に秘めた女だと思い、夫をののしり泣き叫ぶ。夫が驚いてカメをのぞくと、情欲に燃えた若い男の顔が見える。妻にあやしい男がいると思った夫は、激しく妻の不貞をとがめた。荒れた夫婦のケンカでカメは打ち砕かれ、争いは絶えたという。悦楽の深酒に酩酊している二人には、酒に映っている自分の姿もわからなかったのである。<br />
　古代中国の蔡君謨（さいくんぼ）という宰相は、長い見事なアゴ髭で有名だった。天子から、そのヒゲを布団の中に入れて寝るのか、外に出して休むのか、と聞かれて、一向にハッキリした自覚がない。いい加減なことも言えないので、一晩の猶予を願って、さっそく帰宅して試してみるが、夜具に入れると息苦しいし、外に出しても都合が悪い。何しろ豊かで長いアゴ髭、出したり入れたり、夜明けに及んだが、結論は出なかったという。<br />
　窃盗団が山中で宴会を開いた。もちろん、盗品でないものは何ひとつない。中に輝く金盃があった。回し飲みをしているうちに金盃がなくなったので、親分株が立ち上がり、目をつり上げて怒鳴った。<br />
「さては、この中に盗人がいるな」<br />
　己が窃盗団のボスであるのを忘れなければ、言えないことにちがいない。<br />
　いずれも身につまされる話だが、キルケゴールは自分自身を忘れるという、もっとも危険なことが世間では、いとも簡単になされていると警告する（『死に至る病』）。キャッシュコーナーに、現金を置き忘れたとなれば大騒ぎするが、もっとも大事な自分を忘れていても、ちっとも驚かない。<br />
<br />
<u><b>◎その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事</b></u><br />
<br />
　釈尊が、一樹の陰に休んでおられたとき、近くの林で３０人あまりの貴公子が、夫人同伴で酒宴を楽しんでいた。ところが、独身男が連れてきた娼婦のような女が、みんなが疲れて眠っている間に貴重品を盗んで逃げたのである。驚いた一行が懸命に探しまわっていると、釈尊の姿を見た。あやしい女が通りかからなかったか尋ねると、こう反問されて、はっと我に返ったという。<br />
「事情はよくわかったが、その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事であろうか」<br />
　一同、迷夢からさめた心地して、説法を聞き、弟子になった、と仏典に記されている。<br />
　エジプトの沙漠に千古の沈黙をまもるスフィンクスは、<br />
「始めは４本足で歩き、中ごろは２足となり、終わりに３足となる動物は何か」<br />
と旅人に問いかけ、答えられない者を食い殺したという。<br />
　つまり、人間に向かって、「人間とはなんぞや」と問うのである。<br />
　政治も経済も科学も、医学、文学、哲学、宗教も、この問いに答えんとしている、といえよう。<br />
　一人一人がこの問いに、答えなければならない。<br />
　彼の前には、代弁もゆるされなければ、受け売りの知識も間にあわないのだ。
<div style="font-size:x-small;text-align:right;">（<strong><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&#038;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E3%2581%25AA%25E3%2581%259C%25E7%2594%259F%25E3%2581%258D%25E3%2582%258B-%25E6%2598%258E%25E6%25A9%258B-%25E5%25A4%25A7%25E4%25BA%258C%2Fdp%2F4925253018&#038;tag=charlie432-22&#038;linkCode=ur2&#038;camp=247&#038;creative=1211" target="_blank">『なぜ生きる』</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></strong>２０３～２０８ページより）</div>
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		<pubDate>Fri, 27 Jun 2008 15:00:00 +0000</pubDate>
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		<guid isPermaLink="false">http://charlie432.fool.jp/?p=1164</guid>
		<description><![CDATA[　絶対的な愛を捧げぬくイケメン恋人型ロボット天城ナイト（速水もこみち）と「失恋女王」井沢梨衣子（相武紗季）の心温まるストーリー、最後、非常に感動的でした。

　最初のうちは、

「俺はリイコを愛してるよ」
「どうせ、そう言えってプログラムされているんでしょ！」
「そうだよ。でも俺はリイコを愛しているんだよ」
「もう！ヽ（｀δ´）ノ」

といった感じで、融通のきかない、だけどすごくいい人ナイトの演技が面白くて、楽しく見ていました。ナイトは梨衣子の「理想の彼氏」と設定されているのですが、相手がロボットと分かっているので当然梨衣子は彼氏と認めることはできません。

　ところが、ナイトの言動に次第に異変が。恋のライバル創志さん（水嶋ヒロ）に対し、嫉妬プログラムに従っているかのように見えたナイトですが、実は本当に嫉妬の心を抱いていたのです。

　ロボット開発者、並切さん（佐々木蔵之介）も驚くほどナイトは自我に目覚め、プログラム制御下ではない、自発的な「感情」を持つようになります。

「俺は、リイコの笑顔を見ていると、すごく幸せなんです」

　ナイトの献身的な優しさと、創志さんへの思いの間で梨衣子は戸惑いますが、所詮ナイトはロボットです。頑なに「ナイトは彼氏なんかじゃない」と主張します。

　さて、ナイト、梨衣子、創志の関係はどうなるのか？　最終回で、涙の結末が待ち構えています。

第11話（最終回）キセキ


　第１回～第10回動画は、、、

下の方に貼っておきました。

　しかし考えてみれば、生身の人間といっても、物質的には水分と鉄分、タンパク質、カルシウムなどによって構成されています。『生物と無生物のあいだ』にあるように、人間の生体もミクロの世界では厳密な科学法則に従っており、ロボットと変わりありません。

　では、人間とロボットの違いはどこにあるのでしょうか？『生物と無生物のあいだ』では、「時間」という概念を持ち出し、生命とは動的平衡（ダイナミック・イクイリブリアム）にある流れであると定義していますが、ここでは「肉体」と「心」の関係に着目してみたいと思います。

　私の「体」は「私」の持ち物であって「私」自身ではありません。ちょうど、「私の時計」「私の財布」「私の名前」と言ったときの、時計や財布、名前が私そのものではないのと同じです。
　もし「私」＝「肉体」とするなら、髪や爪を切ったら私が分裂することになります。ここにも書きましたが、新陳代謝によって、７年前と今とでは、自分の体は物質的には全く別物だと言われます。

　ではここで言う「私」とは何か？

　詳しい考察はここでは省くとして、「体」を動かしめる「心」だと言う人がいます。
　確かに、「背中が（猫背で）曲がってるよ」と言われるより「根性が曲がってるよ」と言われた方が傷つくのは、肉体よりも心をより自分の本質と捉えている証拠かもしれません。

　と、するならば、

　ロボットのプログラム回路とは別に感情を持ち始めたナイトは、もはや機械を超えた、一人の人格を備えた天城ナイト君といえるのではないでしょうか。

　ドラマでは、感情を持ち始めたロボットは家電製品の範疇を超えた危険な欠陥品として、ナイトを廃棄処分にするよう決断が下されます。

　それに対し言った並切さんの言葉が、
感情を奪うことは、命を奪うことと同じじゃないのか！、確かにその通りだと思います。

　最後、切ないエンディングですが、ナイトの次の言葉を聞くと、ハッピーエンドと言っても良いかもしれません。

　並切さん、俺を作ってくれて、ありがとうございます。（中略）俺は幸せでした。
　ロボットが人格を持ち始める、と聞くと怖い感じがしますが、現実には、医療の発達によって人間がロボットに近づきつつあると言っても良いかもしれません。以前も引用しましたが、こんなことが近い将来、当たり前になるかもしれません。

◎行方不明になる私
　医学の進歩はめざましい。やがて人間の臓器移植も可能になるだろうといわれている。
　もっと医学が進めば、人工臓器の移植も夢でなくなるかも知れない。若し、このような人体の組織移植が、自由に適用されるようになったら、実に面白いことになろう。
　心臓患者は、障害のある心臓を、あれこれと治療することを止めて、心臓銀行から新品の心臓を買い求めて、手術によって取りかえて、再び元気をとりもどすことができるであろう。
　胃腸の悪い人も、新しい人工胃腸と交換して丈夫になれる。手足が動かなくなればこれまた新品の人工手足と取りかえる。
　勿論、にごった血液は、清浄な血液と全部入れかえもできある、といった具合に、丁度、機会の部品が故障を起こすと、新品に取り代えられたり、補強されたりするようになるかも知れない。
　さて、そのようになった場合、一体、生来の私というものはどうなるのか、ということが問題になる。
　肉体の総てが、全く入れ変わってしまった時でも、私という根源的主体性というものには、全然、影響が及ばないのか。
　肉体は他人であって、意識は依然として私である、という面白いことがおきる。総ての肉体が変わっても、私そのものは変わらないとすれば、その私とは一体何者なのであろうか。
　これは決して、夢のような未来の医学を仮定しての問題ではない。
　すでに、我々の肉体の総ては、約６０兆の細胞からできていることは、周知のことである。丁度、巨大なビルが小さなレンガの積み重ねによってできているように、我々の肉体も細胞の集積に外ならない。
　しかもその細胞は、たえず新陳代謝して、凡そ７年間で全部入れ変わる、と言われている。
　故に、７年前の私と、７年後の私とは、物質的には全然別人ということである。
　然るに実際は、別人の感じはなく、やはり同一人であることに、間違いはないのである。
　してみれば、７年前の自分と、今の自分との間には、物質以外に何か一貫して変わらないものがあると思わなければならない。
　これを統一的主体と言われる。
「いくら年をとっても、気だけは若い感じがする」と老人は言う。
　統一的主体としての自己があって、それは肉体の老化と関係なく、永遠の青年であるからである。
　これを仏教では、永遠に亡びない生命の流れ、阿頼耶識（あらやしき）と教えている。
　これが明らかにならなければ、私が行方不明になる。

(111)
私の身体は誰の物ですか
未来の医学に問われるもの

高森顕徹
光に向かって
１２３のこころのタネ
　釈尊に大号尊者という弟子がある。
　彼が商人であったとき他国からの帰途、道に迷って日が暮れた。
　宿もないので仕方なく、墓場の近くで寝ていると不気味な音に目が覚める。
　一匹の赤鬼が、人間の死体を持ってやって来るではないか。急いで木に登って震えながら眺めていると、間もなく青鬼がやって来た。
「その死体をよこせ」
　　　　　と青鬼が言う。
「これはオレが先に見つけたもの、渡さぬ」
という赤鬼と大ゲンカがはじまった。
　その時である。
　赤鬼は木の上の大号を指さして、
「あそこに、さっきから見ている人間がいる。あれに聞けば分かろう。証人になって貰おうじゃないか」
と言い出した。
　大号は驚いた。いずれにしても食い殺されるのは避けられぬ。ならば真実を言おうと決意する。
　　　　　　「それは赤鬼のものである」
　　　　　　　　　　　　　　　　　と証言した。
　青鬼は怒った。大号をひきずり下ろし、片足を抜いて食べてしまった。
　気の毒に思った赤鬼は、誰かの死体の片足をとってきて大号に接いでやった。
　激昂した青鬼は、さらに両手を抜いて食べる。赤鬼はまた、他の死体の両手を取ってきて大号につけてやった。
　青鬼は大号の全身を次から次に食べた。赤鬼はその後から、大号の身体を元どおりに修復してやる。
　　　　　青鬼が帰った後、
「ご苦労であった。おまえが真実を証言してくれて気持ちが良かった」
と赤鬼は礼を言って立ち去った。
　一人残された大号は、歩いてみたが元の身体と何ら変わらない。
　しかし今の自分の手足は、己の物でないことだけは間違いない。どこの誰の手やら足やら、と考えた。
　街へ帰った彼は、
「この身体は誰のものですか」
と大声で叫びながら歩いたので、大号尊者とあだ名されるようになったという。
　未来の医学は、肉体丸ごと替えるかもしれぬ。
　自分のものでない物は、大号尊者の手足だけではない。

第１話　愛を捧げるロボット


第２話　超貧乏愛


第３話　超略奪愛


第４話　超キス愛


第５話　超嫉妬愛


第６話　廃棄処分


第７話　届いた愛


第８話　新型の愛


第９話　恋しくて


第10話　渡さない

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			<content:encoded><![CDATA[<p>　絶対的な愛を捧げぬくイケメン恋人型ロボット天城ナイト（<a herf="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9F%E6%B0%B4%E3%82%82%E3%81%93%E3%81%BF%E3%81%A1" taget="_blank">速水もこみち</a>）と「失恋女王」井沢梨衣子（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%AD%A6%E7%B4%97%E5%AD%A3" target="_blank">相武紗季</a>）の心温まるストーリー、最後、非常に感動的でした。<br />
<br />
　最初のうちは、<br />
<br />
<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/80.gif"  class="emoji" style="border:none;" />「俺はリイコを愛してるよ」<br />
<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/50.gif"  class="emoji" style="border:none;" />「どうせ、そう言えってプログラムされているんでしょ！」<br />
<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/80.gif"  class="emoji" style="border:none;" />「そうだよ。でも俺はリイコを愛しているんだよ」<br />
<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/50.gif"  class="emoji" style="border:none;" />「もう！ヽ（｀δ´）ノ」<br />
<br />
といった感じで、融通のきかない、だけどすごくいい人ナイトの演技が面白くて、楽しく見ていました。ナイトは梨衣子の「理想の彼氏」と設定されているのですが、相手がロボットと分かっているので当然梨衣子は彼氏と認めることはできません。<br />
<br />
　ところが、ナイトの言動に次第に異変が。恋のライバル創志さん（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%B6%8B%E3%83%92%E3%83%AD" target="_blank">水嶋ヒロ</a>）に対し、嫉妬プログラムに従っているかのように見えたナイトですが、実は本当に嫉妬の心を抱いていたのです。<br />
<br />
　ロボット開発者、並切さん（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E8%94%B5%E4%B9%8B%E4%BB%8B" target="_blank">佐々木蔵之介</a>）も驚くほどナイトは自我に目覚め、プログラム制御下ではない、自発的な「感情」を持つようになります。<br />
<br />
<img src="http://blog-imgs-1.fc2.com/image/e/80.gif"  class="emoji" style="border:none;" />「俺は、リイコの笑顔を見ていると、すごく幸せなんです」<br />
<br />
　ナイトの献身的な優しさと、創志さんへの思いの間で梨衣子は戸惑いますが、所詮ナイトはロボットです。頑なに「ナイトは彼氏なんかじゃない」と主張します。<br />
<br />
　さて、ナイト、梨衣子、創志の関係はどうなるのか？　最終回で、涙の結末が待ち構えています。<br />
</p>
<div style="font-weight:bold;color:#FF0000;text-align:center;">第11話（最終回）キセキ<br />
<object classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" codebase="http://fpdownload.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=9,0,115,0" id="movie" width="448" align="middle" height="385"><param name="quality" value="high"><param name="movie" value="http://flvr.pandora.tv/flv2pan/flvmovie.dll?userid=asra2&amp;url=20080625042707525wyqu8vhj9yzim&amp;prgid=32149266&amp;lang=jp"><param name="wmode" value="window"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowScriptAccess" value="always"><embed src="http://flvr.pandora.tv/flv2pan/flvmovie.dll?userid=asra2&amp;url=20080625042707525wyqu8vhj9yzim&amp;prgid=32149266&amp;lang=jp" type="application/x-shockwave-flash" wmode="window" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer" width="448" height="385"></object></div>
<p>
　第１回～第10回動画は、、、</p>
<p><span id="more-1164"></span><br />
下の方に貼っておきました。<br />
<br />
　しかし考えてみれば、生身の人間といっても、物質的には水分と鉄分、タンパク質、カルシウムなどによって構成されています。<a href="http://charlie432.blog92.fc2.com/blog-entry-503.html" target="_blank">『生物と無生物のあいだ』</a>にあるように、人間の生体もミクロの世界では厳密な科学法則に従っており、ロボットと変わりありません。<br />
<br />
　では、人間とロボットの違いはどこにあるのでしょうか？『生物と無生物のあいだ』では、「時間」という概念を持ち出し、<b>生命とは動的平衡（ダイナミック・イクイリブリアム）にある流れである</b>と定義していますが、ここでは「肉体」と「心」の関係に着目してみたいと思います。<br />
<br />
　私の「体」は「私」の持ち物であって「私」自身ではありません。ちょうど、「私の時計」「私の財布」「私の名前」と言ったときの、時計や財布、名前が私そのものではないのと同じです。<br />
　もし「私」＝「肉体」とするなら、髪や爪を切ったら私が分裂することになります。<a href="http://charlie432.blog92.fc2.com/blog-entry-585.html" target="_blank"><b>ここ</b></a>にも書きましたが、新陳代謝によって、７年前と今とでは、自分の体は物質的には全く別物だと言われます。<br />
<br />
　ではここで言う「私」とは何か？<br />
<br />
　詳しい考察はここでは省くとして、「体」を動かしめる「心」だと言う人がいます。<br />
　確かに、「背中が（猫背で）曲がってるよ」と言われるより「根性が曲がってるよ」と言われた方が傷つくのは、肉体よりも心をより自分の本質と捉えている証拠かもしれません。<br />
<br />
　と、するならば、<br />
<br />
　ロボットのプログラム回路とは別に感情を持ち始めたナイトは、もはや機械を超えた、一人の人格を備えた天城ナイト君といえるのではないでしょうか。<br />
<br />
　ドラマでは、感情を持ち始めたロボットは家電製品の範疇を超えた危険な欠陥品として、ナイトを廃棄処分にするよう決断が下されます。<br />
<br />
　それに対し言った並切さんの言葉が、<br />
<span style="font-size:large;font-weight:bold;color:#FF0000;">感情を奪うことは、命を奪うことと同じじゃないのか！</span>、確かにその通りだと思います。<br />
<br />
　最後、切ないエンディングですが、ナイトの次の言葉を聞くと、ハッピーエンドと言っても良いかもしれません。<br />
<br />
　<span style="font-size:large;font-weight:bold;color:#FF0000;">並切さん、俺を作ってくれて、ありがとうございます。（中略）俺は幸せでした。</span></p>
<p>　ロボットが人格を持ち始める、と聞くと怖い感じがしますが、現実には、医療の発達によって人間がロボットに近づきつつあると言っても良いかもしれません。以前も引用しましたが、こんなことが近い将来、当たり前になるかもしれません。
<div class="tracklist">
<div align=center><b><u>◎行方不明になる私</u></b></div>
<p>　医学の進歩はめざましい。やがて人間の臓器移植も可能になるだろうといわれている。<br />
　もっと医学が進めば、人工臓器の移植も夢でなくなるかも知れない。若し、このような人体の組織移植が、自由に適用されるようになったら、実に面白いことになろう。<br />
　心臓患者は、障害のある心臓を、あれこれと治療することを止めて、心臓銀行から新品の心臓を買い求めて、手術によって取りかえて、再び元気をとりもどすことができるであろう。<br />
　胃腸の悪い人も、新しい人工胃腸と交換して丈夫になれる。手足が動かなくなればこれまた新品の人工手足と取りかえる。<br />
　勿論、にごった血液は、清浄な血液と全部入れかえもできある、といった具合に、丁度、機会の部品が故障を起こすと、新品に取り代えられたり、補強されたりするようになるかも知れない。<br />
　さて、そのようになった場合、一体、生来の私というものはどうなるのか、ということが問題になる。<br />
　肉体の総てが、全く入れ変わってしまった時でも、私という根源的主体性というものには、全然、影響が及ばないのか。<br />
　肉体は他人であって、意識は依然として私である、という面白いことがおきる。総ての肉体が変わっても、私そのものは変わらないとすれば、その私とは一体何者なのであろうか。<br />
　これは決して、夢のような未来の医学を仮定しての問題ではない。<br />
　すでに、我々の肉体の総ては、約６０兆の細胞からできていることは、周知のことである。丁度、巨大なビルが小さなレンガの積み重ねによってできているように、我々の肉体も細胞の集積に外ならない。<br />
　しかもその細胞は、たえず新陳代謝して、凡そ７年間で全部入れ変わる、と言われている。<br />
　故に、７年前の私と、７年後の私とは、物質的には全然別人ということである。<br />
　然るに実際は、別人の感じはなく、やはり同一人であることに、間違いはないのである。<br />
　してみれば、７年前の自分と、今の自分との間には、物質以外に何か一貫して変わらないものがあると思わなければならない。<br />
　これを統一的主体と言われる。<br />
「いくら年をとっても、気だけは若い感じがする」と老人は言う。<br />
　統一的主体としての自己があって、それは肉体の老化と関係なく、永遠の青年であるからである。<br />
　これを仏教では、永遠に亡びない生命の流れ、阿頼耶識（あらやしき）と教えている。<br />
　これが明らかにならなければ、私が行方不明になる。</p></div>
<div class="tracklist">
<div align=center><b>(111)<br />
<u>私の身体は誰の物ですか<br />
未来の医学に問われるもの</u></b></div>
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<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&#038;location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E5%2585%2589%25E3%2581%25AB%25E5%2590%2591%25E3%2581%258B%25E3%2581%25A3%25E3%2581%25A6123%25E3%2581%25AE%25E3%2581%2593%25E3%2581%2593%25E3%2582%258D%25E3%2581%25AE%25E3%2582%25BF%25E3%2583%258D-%25E9%25AB%2598%25E6%25A3%25AE-%25E9%25A1%2595%25E5%25BE%25B9%2Fdp%2F4925253050&#038;tag=charlie432-22&#038;linkCode=ur2&#038;camp=247&#038;creative=1211" target="_blank">高森顕徹<br />
光に向かって<br />
１２３のこころのタネ</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=charlie432-22&amp;l=ur2&amp;o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></div>
<p>　釈尊に大号尊者という弟子がある。<br />
　彼が商人であったとき他国からの帰途、道に迷って日が暮れた。<br />
　宿もないので仕方なく、墓場の近くで寝ていると不気味な音に目が覚める。<br />
　一匹の赤鬼が、人間の死体を持ってやって来るではないか。急いで木に登って震えながら眺めていると、間もなく青鬼がやって来た。<br />
「その死体をよこせ」<br />
　　　　　と青鬼が言う。<br />
「これはオレが先に見つけたもの、渡さぬ」<br />
という赤鬼と大ゲンカがはじまった。<br />
　その時である。<br />
　赤鬼は木の上の大号を指さして、<br />
「あそこに、さっきから見ている人間がいる。あれに聞けば分かろう。証人になって貰おうじゃないか」<br />
と言い出した。<br />
　大号は驚いた。いずれにしても食い殺されるのは避けられぬ。ならば真実を言おうと決意する。<br />
　　　　　　「それは赤鬼のものである」<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　と証言した。<br />
　青鬼は怒った。大号をひきずり下ろし、片足を抜いて食べてしまった。<br />
　気の毒に思った赤鬼は、誰かの死体の片足をとってきて大号に接いでやった。<br />
　激昂した青鬼は、さらに両手を抜いて食べる。赤鬼はまた、他の死体の両手を取ってきて大号につけてやった。<br />
　青鬼は大号の全身を次から次に食べた。赤鬼はその後から、大号の身体を元どおりに修復してやる。<br />
　　　　　青鬼が帰った後、<br />
「ご苦労であった。おまえが真実を証言してくれて気持ちが良かった」<br />
と赤鬼は礼を言って立ち去った。<br />
　一人残された大号は、歩いてみたが元の身体と何ら変わらない。<br />
　しかし今の自分の手足は、己の物でないことだけは間違いない。どこの誰の手やら足やら、と考えた。<br />
　街へ帰った彼は、<br />
「この身体は誰のものですか」<br />
と大声で叫びながら歩いたので、大号尊者とあだ名されるようになったという。<br />
　未来の医学は、肉体丸ごと替えるかもしれぬ。<br />
　<b>自分のものでない物は、大号尊者の手足だけではない。</b></div>
<p></p>
<div style="font-weight:bold;color:#FF0000;text-align:center;">第１話　愛を捧げるロボット<br />
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<p>
第２話　超貧乏愛<br />
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<p>
第３話　超略奪愛<br />
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<p>
第４話　超キス愛<br />
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<p>
第５話　超嫉妬愛<br />
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第６話　廃棄処分<br />
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第８話　新型の愛<br />
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<p>
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第10話　渡さない<br />
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