高森顕徹 / 光に向かって100の花束

【2010.09.02 追記】 これを書いていたときは知りませんでしたが、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。 ・高森顕徹著「光に向かって100の花束」は大沼法龍の著作のパクリです: さよなら親鸞会 (注)「親鸞会」とは、この著者が会長をつとめる団体です。
“100以上の、おとぎ話や有益な話を知らなければ、親の資格がない”と、ある教育者は道破する。  おもしろい話の中に、小さい魂に奮発心を喚起させ、不屈の精神を培い、遊惰安逸の妄念を除去して、金剛石を、宝玉に磨きあげるのである。  光に向かって進むものは栄え、闇に向いて走るものは滅ぶ。  有縁の方と、光に向かって、少しでも進みたいと、この小著は努力した。
はじめにより)

“大切な忘れ物を届けに来ました”というフレーズが印象的な、1万年堂出版から『光に向かって』シリーズの1冊目です。  以前にもここで紹介しましたが、2~3ページ程度の小話が100載っており、読みやすいのが特徴です。親や教師が子に読み聞かせるもよし、スランプに陥っている人が壁を乗り越えるきっかけにするもよし、幅広い人々に読まれる本ではないかと思います。学校や職場の朝礼で、1日1話ずつ読み進めているところもあると聞きます。
 続編として『光に向かって123のこころのタネ』『光に向かって心地よい果実』とあり、3部作になっています。心にタネを蒔いて美しい花を咲かせ、素晴らしい果実を実らせようと思っている人にはお薦めかと思います。朗読版CDブックも出ており、目からではなく、耳からも味わうことが出来るのが、多忙の人やや目を休めたい方にはうれしい配慮となっています。朗読者は『タイガーマスク』のミスターXや『水戸黄門』のナレーションでおなじみの柴田秀勝さんと、『赤毛のアン』『家なき子』などに出演の鈴木弘子さんです。
Links: 高森顕徹公式サイト 「高森顕徹」全巻読破チャレンジ中! ツインソウル心と魂の旅 ~光に向かって~ 幸せヂカラをピカピカに磨こう futuremix 光に向かって100の花束を読んで 1万年堂出版 私設ファンクラブ ほこり落とし(光に向かって100の花束を) 本日のおすすめ一品堂 「光に向かって 100の花束」 光に向かって100の花束:高森顕徹(1万年堂出版) 読者の声:光に向かって100の花束:高森顕徹(1万年堂出版)
(1)この柱も痛かったのよ――うるわしき母子
 かつて講演にゆく、車中での出来事である。  ちょうど車内は、空席が多く広々として静かであった。ゆったりとした気持ちで、周囲の座席を独占し、持参した書物を開いた。  どのくらいの時間が、たったであろうか。  読書の疲れと、リズミカルな列車の震動に、つい、ウトウトしはじめたころである。  けたたましい警笛と、鋭い急ブレーキの金属音が、夢心地を破った。  機関手が踏切で、なにか障害物を発見したらしい。  相当のショックで、前のめりになったが、あやうく転倒はまぬがれた。  同時に幼児の、かん高い泣き声がおきる。  ななめ右前の座席に、幼児を連れた若い母親が乗車していたことに気がついた。  たぶん子供に、窓ガラスに額をすりつけるようにして、飛んでゆく車窓の風光を、楽しませていたのであろう。  突然の衝撃に、幼児はその重い頭を強く窓枠にぶつけたようである。子供はなおも激しく、泣き叫んでいる。  けがを案じて立ってはみたが、たいしたこともなさそうなので、ホッとした。  直後に私は、思わぬほのぼのとした、心あたたまる情景に接して、感動したのである。  だいぶん痛みもおさまり、泣きやんだ子供の頭をなでながら、若きその母親は、やさしく子供に諭している。
「坊や、どんなにこそ痛かったでしょう。かわいそうに。お母さんがウンとなでてあげましょうね。でもね坊や、坊やも痛かったでしょうが、この柱も痛かったのよ。お母さんと一緒に、この柱もなでてあげようね」
 こっくりこっくりと、うなずいた子供は、母と一緒になって窓枠をなでているではないか。 「坊や痛かったでしょう。かわいそうに。この柱が悪いのよ。柱をたたいてやろうね」  てっきり、こんな光景を想像していた私は赤面した。  こんなとき、母子ともども柱を打つことによって、子供の腹だちをしずめ、その場をおさめようとするのが、世のつねであるからである。
 なにか人生の苦しみに出会ったとき、苦しみを与えたと思われる相手を探し出し、その相手を責めることによって己を納得させようとする習慣を、知らず知らずのうちに私たちは、子供に植えつけてはいないだろうか、と反省させられた。
 三つ子の魂、百までとやら、母の子に与える影響ほど絶大なものはない。  相手の立場を理解しようとせず、己だけを主張する、我利我利亡者の未来は暗黒の地獄である。  光明輝く浄土に向かう者は、相手も生かし己も生きる、自利利他の大道を進まなければならない。  うるわしきこの母子に、“まことの幸せあれかし”と下車したのであった。

高森顕徹 / 歎異抄をひらく

【2012.05.14 追記】 新たに投稿しました)。 徒然 – 高森顕徹 / 歎異抄をひらく 【2010.09.02 追記】 これを書いていたときは知りませんでしたが、最近、以下の投稿を読んで深く考えさせられました。当記事をお読みになる前に下記リンクを是非とも参照してください。 ・異端か、正統か|『歎異抄をひらく』発刊から1年10カ月|浄土真宗親鸞会『歎異抄をひらく』畏敬から失笑へ: さよなら親鸞会 (注)「親鸞会」とは、この著者が会長をつとめる団体です。
 真紅のタイトルと桜の写真、そして「なぜ、善人よりも悪人なのか?」の帯に惹かれて手に取った『歎異抄』の解説本。発売前のPVを見て、関心があったこともあり、即購入しました。
 「はじめに」によると、『方丈記』『徒然草』と並んで日本の三大古文と言われるのが『歎異抄』だそうです(『歎異鈔』とも)。西田幾多郎三木清倉田百三司馬遼太郎といった日本の文豪のみならず、フランスのロマン・ロラン絶賛していたという『歎異抄』はまさに、日本人の教養として、一度は読んでおきたい本と言えるでしょう。
 鎌倉時代の親鸞聖人のお言葉が書かれているということで有名な『歎異抄』ですが、世間に知られるようになったのは、実は最近のことです。
 今日、『歎異抄』ほど、読者の多い古典は異数ではなかろうか。その解説書は数知れず、今も新たなものが加え続けられている。  ところが、この書が世に知られるようになってから100年もたってはいないのだ。  それは500年前、浄土真宗の中興、蓮如上人が、親鸞聖人を誤解させるおそれがあると、「仏縁の浅い人には披見させてはならぬ」と封印されたからであろう。
 教えを正しく理解しなければ、自他共に傷つけるカミソリのような本が『歎異抄』なのです。
 蓮如上人の訓戒どおり『歎異抄』は、もろ刃の剣である。冒頭にあげた「善人なおもって(往生を遂ぐ、いわんや悪人をや:引用者付記)」の言葉など、皮相の見では悪を勧めているようにも映る。  事実、「阿弥陀さまは、悪人大好き仏だから、悪をするほどよいのだ」と吹聴する者が現れ、「親鸞の教えは、悪人製造の教え」と非難された。
 親鸞聖人が亡くなられた後に、聖人の仰せと異なることを言いふらす者の出現を嘆き、その誤りを正そうとして書かれた本が『歎異抄』ですが、その『歎異抄』もまた、誤解・曲解されているようです。
 その一例が”念仏を称えたら救われると教えたのが親鸞”というもので、私も高校時代、日本史の時間にそう習いました。しかしそれではどこか釈然としないものがあります。実際、口で「南無阿弥陀仏」と称えても何が変わったという実感もなく、「一体何のまじないか?」と思うよりありませんでした。そんな程度の教えではなかろう、という思いを持つ人は多いのではないでしょうか。
 この本では、親鸞聖人のお言葉を通して、「念仏とは」「善人、悪人とは」「自力、他力とは」「葬式・法事の本来の意義」など、誤解されやすいところに焦点を絞って、詳しく説明されています(下記、目次の二部参照)。
 とかく『歎異抄』を論じたものは、著者の体験や信条に力点が置かれ、自由奔放に解釈されている、と嘆く識者も少なくはない。  本書は、聖人自作の『教行信証』などをもとに、『歎異抄』の真意の解明に鋭意努めたつもりである。  親鸞聖人のお言葉を提示して、非才ながら一石を投じたい。
 この著者もまた、『歎異抄』が異なってゆく様を看過できず、歎きながらこの本を世に送り出したのかもしれません。
 教義が深いだけに、未消化のところも多いと思いますので、繰り返し読んでゆきたいと思います。
歎異抄をひらく(高森顕徹:著)

Links: 高森顕徹公式サイト 「高森顕徹」全巻読破チャレンジ中! 辛口!真宗時評 たたかう音楽時評 (38)ドラマ「白夜行」と歎異抄 白夜行(山田孝之・綾瀬はるか:主演、東野圭吾:原作)
目次
第一部 序 第一章 仏法の肝要、を言われた親鸞聖人のお言葉 第二章 親鸞聖人の鮮明不動の信念 第三章 有名な悪人正機を言われたもの 第四章 二つの慈悲を説かれたもの 第五章 すべての人は父母兄弟──真の親孝行を示されたもの── 第六章 親鸞に弟子一人もなし──すべて弥陀のお弟子──と言われたもの 第七章 弥陀に救われた人、について言われたもの 第八章 他力の念仏、について言われたもの 第九章 念仏すれど喜べない──唯円房の不審に答えられたもの── 第十章 他力不思議の念仏、を言われたもの 別序 第十一章 要約 第十二章 要約 第十三章 要約 第十四章 要約 第十五章 要約 第十六章 要約 第十七章 要約 第十八章 要約 後序
第二部 1 『歎異抄』は、いかに誤解されやすいか、その現状――ある大学教授の場合 2 「弥陀の救いは死後である」の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 3 「念仏さえ称えていたら助かる」の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 4 「善も要らない、悪も怖くない」あなた、こんなことが信じられますか? 『歎異抄』の言葉 5 「弥陀の救いは他力だから、真剣な聞法や求道は要らない」という誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 6 「ただほど高いものはない」といわれる。では『歎異抄』の”ただ”とは? 7 「念仏称えたら地獄か極楽か、まったく知らん」とおっしゃった聖人――「知らん」は「知らん」でも、知りすぎた、知らん 8 「弥陀の本願まことだから」と、言い切られた親鸞聖人――「弥陀の本願、まことにおわしまさば」の真意 9 なぜ善人よりも悪人なのか? 「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の誤解を正された、親鸞聖人のお言葉 10 「仏」知らずが「ほとけ」間違いを犯す元凶 11 葬式・年忌法要は死者のためにならないって? それホント? 12 「四海みな兄弟」と呼びかけられた親鸞聖人のお言葉 13 弥陀に救われたらどうなるの? 万人の問いに親鸞聖人の回答 14 念仏称えたら、何かいいことあるの? 何か呪文のように思うけど――絶対他力の念仏 15 親鸞さまは本当のことを言われる人ね。私と同じ心だもの――『歎異抄』の落とし穴 16 「南無阿弥陀仏」ってどんなこと? 「他力の念仏」の真の意味を明らかにされた、親鸞聖人のお言葉 17 自力の実態を暴き、他力の信心を明らかにされた、親鸞聖人のお言葉 18 人類の常識を破り、生きる目的を断言された、親鸞聖人のお言葉


第三部 『歎異抄』の原文

今日も大掃除

 昨日は会社の大掃除でしたが、今日は自宅の掃除をしました。主に、窓拭き、草むしり、風呂・トイレ掃除、掃除機がけでしたが、一番やりがいがあったのが意外と掃除機がけでした。
 ところで、tommyちゃんに教えてもらった掃除にまつわる『法華経』の話、現代人向けに書かれているものが見つかったので以下に引用します。『光に向かって100の花束』という本で、小話が100載っています。どれも2~3ページの短いものばかりで、読みやすいのが特徴かと思います。
(97)上達よりも大切なこと
シュリハンドクのひたむきな精進
 釈尊の十大弟子の一人、シュリハンドクは、自分の名前も覚えられぬ生来のばかだった。  さすがの兄も愛想をつかし、家を追い出した。  門の外で泣いているシュリハンドクに、 「なぜ、そんなに悲しむのか」  釈尊は、親切におたずねになった。  正直に一切を告白し、 「どうして私は、こんなばかに生まれたのでしょうか」  さめざめとハンドクは泣いた。 「悲しむ必要はない。おまえは自分の愚かさを知っている。世の中には、賢いと思っている愚か者が多い。愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ」  釈尊は、やさしくなぐさめられて、一本のほうきと『ちりを払わん、あかを除かん』の言葉を授けられた。  シュリハンドクは清掃しながら、与えられた聖語を必死に覚えようとした。
『ちりを払わん』を覚えると『あかを除かん』を忘れ、『あかを除かん』を覚えると『ちりを払わん』を忘れる。
 しかし彼は、それを20年間続けた。その間、一度だけ、釈尊からほめられたことがあった。 「おまえは、何年掃除しても上達しないが、上達しないことにくさらず、よく同じことを続ける。上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは、もっと大事だ。これは他の弟子にみられぬ殊勝なことだ」  釈尊は彼の、ひたむきな精進を評価せられたのである。  やがて彼は、ちりやほこりは、あると思っているところばかりにあるのではなく、こんなところにあるものか、と思っているところに、意外にあるものだということを知った。  そして、 「オレは愚かだと思っていたが、オレの気づかないところに、どれだけオレの愚かなところがあるか、わかったものではない」 と驚いた。  ついに彼に、阿羅漢のさとりが開けたのである。
 よき師、よき法にあい、よく長期の努力精進に耐えた結実にほかならない。
 たまたま動かした食器棚の裏に、驚くほどのほこりがありましたが、さとりは開けませんでした、、、(笑) (^o^;ゝ

Filed under: ★徒然  タグ: , , , , , , , , , , , ,   charlie432 19:08  Comments (2)
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