★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 2012年04月19日 ☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (13)[「「謗法」について]
梯 實圓 / 親鸞聖人の教え・問答集 (12)[「五逆罪」について]の続きです。
(つづく)
十七、「謗法」について
Q次に「正法を誹謗する」というのは、どういうことですか。
A仏陀が説かれた正しい教法を謗ることです。仏陀とは、生と死を超えて、生と死を一望のもとに見通すような智慧を獲得して、生きることもありがたく尊いことであり、死ぬこともまたありがたく尊いことであると言い切れる精神の領域を開いているお方です。
そのように生と死を超えて、生と死を全体的に見通した上で、このように生きるのが正しい生き方ですよ、このように死を受け容れていくのが正しい死の受け容れ方ですよと、生と死に処する正しい存りかたを私たちに教えてくださっているのが仏陀の教法(仏法・仏教)なのです。それを「正法」ともいうのです。人びとは、その教えに従って、正の意味と死の意味とを確認するとき、初めて心豊かに生き、心豊かに死を迎えることができる正しい法則だからです。そのような正法を認めず、謗ることを、正法を誹謗するというのです。
Qそれは、具体的にいうと、どのようなことなんですか。
A曇鸞大師は、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解(さと)り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づく。と言われています。正法を謗るということは、自ら邪見を起こして、あるいは邪見な人から、真実をさとった仏陀なんか存在しないし、したがって仏陀の教えといわれるものもでたらめなものであると教えられて、そのように思い込み、また人にも宣伝することです。(『註釈版聖典』298頁)
したがって、仏陀の教えに順って実践している菩薩(心理にかなった目覚めた生き方をしている修行者)もいなければ、菩薩の生き方である布施(人びとに物質的・精神的な援助を行って、まことの安らぎを与えること)・持戒(仏陀の戒めを守って生活を浄化すること)・忍辱(非難や苦難に耐えて真実の道を歩むこと)・精進(正しい努力を続けること)・禅定(精神を統一し、集中すること)・智慧(言葉に対応する実体はないと悟って、とらわれを離れること)といった六つの修行徳目(六波羅蜜)も、虚構にすぎないといって、自分だけではなく人びとの心の拠り所を破壊し、惑わせるものをいいます。
Q五逆罪と正法を誹謗することとは、どんな関係がありますか。
A正法を誹謗することから、五逆罪が生まれてくるのです。正しい教えに背き、心の拠り所を失った人は、自分の生きる意味も方向もわからなくなり、なすべきことと、なしてはならないことのけじめもつかなくなってしまいます。そうなれば、ただ自分に都合がいいか悪いかだけで、物事の是非、善悪を判断し、勝手気ままな行動をするようになりますから、お互いの利害は衝突し、憎しみの炎を燃やし、激しい争いの世界が出現し、自他ともに苦しんでいかねばならなくなります。
Q五逆罪の根元には、謗法があるというのですか。
Aそうです。五逆罪は、殺人や殺傷罪ですから、極重の罪のようですが、実はその根底には、正法を認めず、正しい道理を見失った「謗法」があったのです。正しい道理の感覚を失った人は、ブレーキも利かず、ハンドルも壊れた自動車に乗って、猛烈なスピードで暴走しているようなものです。自分だけではなく、人まで破滅させてしまいます。(「【二】阿弥陀仏の本願」より)
(つづく)



