6月11日、
前回(3月12日)に続いて、
「親鸞聖人の教えを聞く会 -本当のよろこびを知ろう-」の学習会に参加しました。講師は、浄土真宗本願寺派司教・相愛大学名誉教授の
紅楳英顕先生です。
以下の「御消息集」(親鸞聖人のお手紙)について聞かせていただきました。
【親鸞聖人ご消息 第一通】
有念無念の事
来迎は諸行往生(1)にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終(2)といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則(3)をまたず。
正念といふは、本弘誓願の信楽定まるをいふなり。この信心うるゆゑに、かならず無上涅槃にいたるなり。この信心を一心といふ、この一心を金剛心といふ、この金剛心を大菩提心といふなり。これすなはち他力のなかの他力なり。
また正念といふにつきて二つあり。一つには定心の行人の正念(4)、二つには散心の行人の正念(5)あるべし。この二つの正念は他力のなかの自力の正念なり。定散の善は諸行往生のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。このゆゑに第十九の誓願に、「もろもろの善をして浄土に回向して往生せんとねがふ人の臨終には、われ現じて迎へん」と誓ひたまへり。臨終まつことと来迎往生といふことは、この定心・散心の行者のいふことなり。
選択本願は有念(6)にあらず、無念(7)にあらず。有念はすなはち色形(8)をおもふにつきていふことなり。無念といふは、形をこころにかけず、色をこころにおもはずして、念もなきをいふなり。これみな聖道のをしへなり。聖道といふは(9)、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗(10)・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。
浄土宗にまた有念あり、無念あり。有念は散善の義、無念は定善の義なり。
浄土の無念は聖道の無念には似ず、またこの聖道の無念のなかにまた有念あり、よくよくとふべし。
浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗(11)なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。方便仮門のなかにまた大小・権実の教あり。釈迦如来(12)の御善知識は一百一十人なり、『華厳経』にみえたり。
南無阿弥陀仏
建長三歳(13)[辛亥]閏九月二十日
愚禿親鸞[七十九歳]
- 諸行往生 種々の善根(ぜんごん)を修めて、その功徳(くどく)を因として浄土に生れること。(本文に戻る)
- 臨終 ここでは臨終のときに初めて浄土往生が決定(けつじょう)することを指す。(本文に戻る)
- 儀則 ここでは臨終における聖衆来迎(しょうじゅらいこう)の儀式のこと。(本文に戻る)
- 定心の行人の正念 定善を行ずる人にそなわる正念(本文に戻る)
- 散心の行人の正念 散善を行ずる人にそなわる正念(本文に戻る)
- 有念 無念に対する語。
一 仏身・浄土の荘厳相など、具体的な形相を心に思いうかべて観想すること。
二 散善のこと。散善は悪を止め善を修めようとする思慮分別がはたらくので有念という。(本文に戻る) - 無念 有念に対する語。
一 無相離念の理観のこと。形相を離れて理を観じ、真理と一体になること。分別的な限定を超えた無相の真如にかなう無相の真如にかなう無分別智のこと。
二 定善のこと。定善は心がひとつの対象に集中していて、思慮分別がはたらかないから無念という。(本文に戻る) - 色形 いろ、かたち。ここでは、仏身・浄土など具体的に示された仏徳のことを指す。(本文に戻る)
- 聖道といふは 親鸞聖人独自の解釈。聖道門を権化の聖者の説いた方便誘引の教えと見る意。(本文に戻る)
- 法華宗 天台宗のこと。『法華経』(『妙法蓮華経』)によって立てた宗であるから天台法華宗という。円宗、台宗などともいう。
天台大師智(ちぎ)によって大成された。仏一代の教を五時八教の教判によって価値判断し、『法華経』を釈尊出世の本懐とする。諸法の実相を空・仮・中の三諦相即をもってあらわす三諦円融の妙理を説き、一念三千の円頓止観を修して仏のさとりへ至ろうとする。
日本には最澄が伝え、天台円教・密教・禅・菩薩戒を融合統一した総合仏教として天台法華宗を確立した。なお日蓮が『法華経』によって立てた宗も法華宗と通称されるが、ここでの用例は天台宗を指す。(本文に戻る) - 浄土真宗 浄土往生の真実の教え。真実の教である『大教』に説かれた阿弥陀仏の選択(せんじゃく)本願を指し、具体的には他力の念仏成仏の教えをいう。(本文に戻る)
- 釈迦如来 『華厳経』「入法界品」(晋訳巻 58)には「この童子(善財童子)は昔頻陀伽羅城において文殊師利の教を受け、善知識を求めて、展転して一百一十のもろもろの善知識を経由し……」とある。(本文に戻る)
- 建長三歳 1251年(本文に戻る)
*教相判釈 → 自分の信仰する教えが最高価値のものであるという確信のもとで、仏教全般、宗教全般の価値批判をしたもの。
一、二双四重判
二双とは、一代教がまず超(悟りをえるのがはやい)と出(悟りをえるのがおそい)に分けられる。
四重とは、
超がさらに横(よこ・他力)超と竪(たて・自力)超に分けられ、
出がさらに横出と竪出に分けられる。
仏教全体について
自力教、他力教と、
頓教(悟りをえるのがはやい教え)、漸教(悟りをえるのがおそい教え)で分別された教判。
横超が他力教の中の頓教で、絶対他力の浄土真宗(第十八願)。
竪超が自力教の中の頓教で、華厳、天台、真言、禅等を指す。
横出が他力教の中の漸教で、絶対他力に至っていない教え(第十九願、第二十願)。
竪出が自力教の中の漸教で、法相等を指す。
親鸞聖人は横超の浄土真宗以外の教えはすべて方便仮門の教とする。
二、真仮偽判
真宗全体を真、仮、偽に分け、
・真を絶対他力の教えである浄土真宗(第十八願)とする。
・仮とは仏教の中の自力教(聖道門)の教えおよび他力教(浄土門)の中の絶対他力に至っていない半自力半他力の教え(第十九願、第二十願)を指す。
・偽とは仏教以外の宗教を指す。
最後は恩徳讃を歌って終了。
2011年 次回の予定
第3回 9月10日(土)14:00~16:30
場所 築地本願寺 第一伝道会館内
連絡先
shinran.thepureland@gmail.com参考
http://www12.ocn.ne.jp/~kobai/
